アメリカ中西部ウィスコンシン州の工業都市、ミルウォーキー。
高校卒業時の出来事で心に深い傷を負った漫画家志望のヒーロー・バトウスキーは、28歳の今も実家で暮らしている。
父アルが営むコミックショップを手伝う日々だったが、ある日、高校時代のガールフレンド、ジェーンが街に戻って来る。
いとこのカークに励まされ、ジェーンに電話をかけるヒーロー。10年前の破局が双方の誤解によるものだったことが判明し、二人はやり直そうと決意する。
出版社に送った漫画も評価され、ヒーローの人生は少しずつ好転し始めたと思われたが…。
『October Sky 遠い空の向こうに』(2015年米国で試演、2021年に日本で上演)のアーロン・ティーレン(脚本)とマイケル・マーラー(作詞・作曲)が手掛け、2012年にシカゴで初演されたミュージカル。
悲しみから抜け出せず、地方都市のコミュニティの中で時間が止まったままの青年が、自分の人生の主人公として新たな一歩を踏み出して行くさまが、上田一豪さんの翻訳・訳詞・演出で丹念に描かれます。
その名前とは裏腹に、さえない日々を過ごしてきたヒーローを演じるのは、有澤樟太郎さん。
冒頭のナンバー“MY SUPERHERO LIFE”では、漫画のキャラクターのように活躍できない自分を自嘲しつつ、漫画家への夢も捨てきれない…という彼の葛藤を、ロック・サウンドに乗せて激しく噴出させ、意を決してジェーンに電話をするくだりでは、緊張のあまり突拍子もないことばかり言ってしまう情けない姿が笑いを誘います。
ただしどんな状況にあっても、奥底に誠実さが覗くのは、有澤さんの持ち味によるところでしょう。思わず心を寄せずにはいられない、等身大の主人公が誕生しています。
最初の結婚に失敗し、心機一転しようと故郷に戻って来たジェーンをこの日、演じたのは青山なぎささん(山下リオさんとのダブルキャスト)。
幼馴染のヒーローとの再会に心安らぎ、新たな関係性を築こうとするなかで、再び悲劇に見舞われた彼を見捨てず、留守電メッセージを残し続けるジェーンの優しさ、芯の強さを、まろやかな歌声で描き出します。
引っ込み思案のヒーローとは対照的に社交的なカーク役は、小野塚勇人さん(寺西拓人さんとのダブルキャスト)。かなりの女好きキャラクターを明るく、無邪気なオーラで演じて舞台を席捲、新たな当たり役としています。
いっぽう、彼とダブルデートをすることになるジェーンの同僚教師で堅物のスーザン役・宮澤佐江さんは、カークとの出会いに刺激され、見事に変身(?)を遂げる女性をチャーミングに、思い切りよく体現。
二人がカラオケで(ボニー・タイラーの“Holding Out For A Hero”へのオマージュにも聴こえるナンバーを)歌い踊るシーンは、大いに盛り上がります。
コミックショップに入り浸る少年ネイト役の吉田日向さんは、終盤の切実な台詞でこの店の存在意義を際立たせ、同じく常連テッド役の田村良太さん、カイル役の西郷豊さんも愛すべき“オタク”ぶり。
後半、テッドのある台詞にカイルたちが“知ってたよ~”と返すやりとりは、本作に通底する“優しさ”の象徴と言えるかもしれません。出版社の編集者やショップの客、バーのスタッフなどをマルチに演じる木暮真一郎さん、高倉理子さん、髙橋莉瑚さんも、それぞれに好演。
そしてヒーローの父、アルを演じるのが、佐藤正宏さん。
アメコミへの愛とこだわりを語るナンバーを飄々と歌ういっぽうで、10年前の悲劇に関してはヒーロー以上に罪悪感を抱き続けているらしく、何とかして彼に幸せになってほしいという親心が台詞に滲み、作品の陰影を濃いものとしています。
本作には“人間誰しも、それぞれに素晴らしい才能を持っている”というメッセージが込められていますが、今回の公演では(もしかするとこのメッセージ以上に)親が子を、子が親を、恋人や友人たちが互いを…と、“人が人を思うことの素敵さ”が、ストレートに心に染み入ります。
カンパニーの一体感も好ましく、鑑賞後はじんわりとしたあたたかさに包まれながら、ガラス扉の向こうの世界へと歩み出ることが出来ることでしょう。
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報 ミュージカル『ヒーロー』2月6日~3月2日=シアタークリエ 公式HP