
チャップリンの研究家としても知られる大野裕之さんが作曲・脚本・演出をつとめる、劇団「とっても便利」の代表作『complex』。2005年の初演以来、再演を重ねるミュージカルが、多彩なキャストを迎えて大阪、東京で上演されます。
様々な背景を持つ人々が集まるバーを舞台に、“夢追い人”の青年が突然政治家を目指したことで起こる騒動を描く本作で、バーのプロデューサー、ヨガ・パイナップルをダブルキャストで演じるのが、岡本悠紀さんと大野さん。
選挙というモチーフも異色ですが、本作にはなんと、本格的に日本の伝統芸能が組み込まれたシーンも。型破りのミュージカルが意図するものとは…? そして海外ミュージカルから2.5次元ミュージカルまで、様々なミュージカルで活躍する岡本悠紀さんは、本作をどのようにとらえていらっしゃるでしょうか。
稽古開始前の某日、お二人にたっぷり語っていただきました。

――大野さんは多方面で活躍されていますが、ミュージカル・ファンの中には音楽劇『ライムライト』の脚本家としてインプットされている方も少なくないと思います。日本チャップリン協会の会長でもいらっしゃる大野さんですが、そもそもチャップリンのどんなところに惹かれたのですか?
大野裕之(以下・大野)「シアタークリエでやった音楽劇『ライムライト』は、チャップリン映画の世界初の舞台化でした。
僕は小学校の時に『独裁者』を観たのが“初チャップリン”でした。世の中には笑わせる映画、泣かせる映画、感動させる映画、社会批判などいろいろあるけれど、『独裁者』はその全て、あらゆる要素が詰まったような作品だなと思いました。
もう一つ、僕はそれまでフィクションよりドキュメンタリーのほうがリアルだと思っていたけれど、チャップリンの映画を観て、優れたフィクションというのは、いまだ暴かれていない真実を暴いたり、あるいは新しい現実を生み出したりするのだということを学びました」

――なるほど。では本題に入りますが、今回のミュージカル『complex』の、選挙に立候補した青年と周囲の人々が繰り広げる群像劇…というアイディアは、どこから生まれたのでしょうか?
大野「ちょうど初演(2005年)の1,2年前に、ある(政治家を目指す人々の)塾を覗く機会がありまして、行ってみてびっくりしました。そこでは、こんなことを訴えたいといったことではなく、政治家になるにはどうしたらいいかというテクニカルな部分ばっかり教えていて、目立ちたいとか認められたいとか、人の上に立ちたいという欲求を満たすものが“政治家になること”なのだと感じました。今風の言葉で言ったら、“承認欲求”ですよね。
当時は奇妙な塾だなと感じましたが、よく考えたら、そういう欲望、人から認められたいという願望は誰もが持っていて、それが今、 SNS で露わになっているわけですが、そういった意味で、政治家になりたいというのは非常に人間の性(さが)を反映しているなと思ったのです。
そこで、とあるバーを舞台に、何者でもなかった人が立候補すると言い出すと、周りのみんながそれまで秘めていた夢がわっと噴出し、それがぶつかり合って行くという劇を作ろう…と思ったのが、着想のポイントでした」

――岡本さんは以前から大野さんとご縁があったのですか?
岡本悠紀(以下・岡本)「全くありませんでした(笑)。でも、オファーを頂いた時に、ダブルキャストとして大野さんのお名前があり、チャップリン・ファンの姉が大興奮したんです。大野さんはチャップリン研究における日本の第一人者で凄い方なんだよと聞きまして、ぜひいろいろ吸収させていただければ、そして新たなヨガ・パイナップル役として、作品にとって少しでも刺激になれればと思い、挑戦させていただくことになりました」
大野「今回、岡本さんにオファーさせていただいたのは、(共催の)る・ひまわりさんからの推薦がきっかけです。ヨガ・パイナップル役は初演から僕が演じてきましたが、それを別の方にダブルキャストとしてやっていただくことで、役もきっと成長していくし、作品も成長する。教わることがいろいろ多いだろうなというところで、僕自身とても楽しみにしています」
――台本を読まれてみて、どのような印象を受けましたか?
岡本「今日、大野さんにうかがいたいなと思っていたのですが、ヨガ・パイナップルって、変わった人物ですよね(笑)。何か裏話があったりするのでしょうか?」
大野「名前については、最初から変わった名前がいいだろうなと思っていたのですが、きっかけになったのは、ロンドンに行った時の、何気ない会話です。劇団員たちも一緒に渡英して、ダンスレッスンを受けたりしていたのですが、そのスタジオの名前が“パイナップル”で。例えば『オペラ座の怪人』に出ている俳優が、舞台のない時にそこにメンテナンスで習いに来るという、結構有名なスタジオです。で、みんなで朝ごはんを食べている時に、“日曜日もパイナップル行くの?”“今日はヨガです”という会話をしていて、そうこうしているうち“ヨガ・パイナップル”になった…って、どうでもいい話ですね(笑)」
岡本「すごくすっきりしました(笑)。自分がやらせていただく役なので、どうしても何かきっとあったに違いないと思っていたので」
――台本を読まれてみて、おそらく今まで出演されてきた一般的なミュージカルとはちょっと違う空気をお感じになったのではないでしょうか。
岡本「そうですね。今まで『ミス・サイゴン』のようなブロードウェイ・ミュージカルですとか、 漫画が原作の2.5次元ミュージカルをやらせていただくことが多かったのですが、今回は現代の日本人のドラマということで、等身大で演じられるミュージカルというのがすごく楽しみです。
ヨガ・パイナップルという人物は、機転が利いた、カリスマ的な人物だと思うのですが、ドライな一面があったり、ちょっとしたきっかけで一気に崩れてしまう、人間的な繊細さもあって、お客様が幕開けから終幕まで、パイナップルだけに注目したとしても、ものすごいドラマを見ていただけると思います。人間の持つ多様な側面を、僕が演じることでうまく出せたらいいなと思います。
僕が子供の頃は、ミュージカルと言ってもわからないという方も多かったけれど、今はかなりの方々に浸透していると思います。ちっちゃいお子さんでも『アナと雪の女王』はご存じだと思いますし。
そんな中で今回、劇場という空間の中で、等身大の日本人を演じる。これが日本で生まれたミュージカルだよ、というのを提示できるというか、勝負できるというか、そういう空間にご一緒させていただけるのがすごい楽しみです。どのシーンを追っても目が足りないと思いますし、どの役にもドタバタがある群像劇であり、凄まじいぐらいの情報が詰まった作品になると思います。その一部としてちゃんと爪痕を残せるように、うねりを与えられるような大きな役割を背負っていけたらなと思っております」
――本作で特徴的なのが、多くのミュージカルではメインキャストとアンサンブルが分かれているのに対して、はじめ誰の物語か予測がつかないほど、群像劇的な作りとなっている点です。冒頭のソロを歌うキャラクターが主人公かと思いきや、そうではない…という構成ですが、どのような狙いがありますか?
大野「群像劇というか、主役が七、八人いるような話だと思います。そういう作品が好きなんです。
僕は今まで、おそらく四十回ぐらいロンドンに通っていて、ミュージカルを見続けていますが、あちらのミュージカルでは、一人の大スターが出てきて歌ったら、もうそれで全部成り立つという面がありますよね。僕らは元々、京大の学生劇団から出発していて、特に学生の頃は、誰かがものすごく上手いとうわけではありませんでした。ワールドカップで、日本のサッカーチームが誰かすごいエースストライカーがいるわけではなく、全員が力を合わせてチームプレーで勝ったりしているのを見ていて、こういうふうに全体で一つの熱を持つような構成にしたいと思って、ある頃から意図してそういうふうに書いています。
でも今回は理想的なキャストが実現しましたので、全員がエースストライカーとしてやってくださったら、よりこの群像劇が魅力的なものになってくると思うので、そこはすごく楽しみです」

――また、二幕頭にはなんと義太夫と人形振りが登場します。この趣向はこの作品のみでしょうか?
大野「出来心で作ってしまいました(笑)。
僕が初めてロンドンに行ったのは 1993年、18歳の時で、浪人中でした。どうせ来年受かるやろ、と軽く考えていたのと(笑)、家の事情で予備校に行くお金もなかったので、 4~ 6月にバイトして、夏の間はチャップリンとビートルズが好きだったので、ロンドンで過ごしたんです。そこで初めてミュージカルに出会いました。
それまでミュージカルとは楽しく明るく歌って踊ってハッピーエンド…というイメージだったのですが、その時『サンセット大通り』が初演だったんです。かつては大スターだった年配の女性が若い脚本家に恋して、最後にバーンと撃ち殺す。そんなおどろおどろしいドラマがミュージカルになるんだ、ミュージカルとは歌で新しい世界を開くことなんだと知りました。イエス・キリストの生涯をロックで描く作品(『ジーザス・クライスト=スーパースター』)もありますし、音楽的にもダンスでも何でもありなものがミュージカルなんだな、と。
最初のチャップリンの話に戻るのですが、チャップリンってご本人が作曲もしますし、彼のパントマイムは体からリズムが生まれるという意味では、やはり音楽なんですよ。翻って日本を見ると、僕が大好きな歌舞伎や文楽は、まさに日本のミュージカルじゃないですか。ミュージカルは自由なものだと思っているので、大阪のミュージカルである文楽、浄瑠璃、それらを取り入れようとトライしました。そうしたら今の太夫の最高峰の豊竹若太夫師匠が全面協力で監修してくださって。 その道の超一流の方にいろいろと手助けいただきまして、面白いシーンになったと思っています」
――岡本さん、これまで出演されたミュージカルで、日本の伝統芸能が登場する作品はありましたか?
岡本「なかなか無いですよね。 僕、『BLEACH』という、死神が出てくる週刊少年ジャンプの漫画の原作の舞台に出させていただいた時に、死神の役で日本刀っぽいもので戦ったりはしましたので、殺陣は経験していますが、伝統芸能となると、なかなかないかなと思います。浄瑠璃が出てくるって、ぶっとんでますよね(笑)。ミュージカルを観に行ったら浄瑠璃も体験できるなんて、『complex』くらいじゃないかな。
僕は今まで、ダブルキャストを経験したことがなくて、自分が出演させていただいている舞台を客席から観るのが長年の夢でした。それが叶うので、浄瑠璃も楽しみだし、大野さんが演じるヨガ・パイナップルもすごく楽しみです」

――ヨガ・パイナップルというキャラクターは、当て書きというか、ご自身の投影だったりするのですか?
大野「当て書きではないですね。初演は20数年前ですが、最初は別の人が演じる予定でしたし…。でも作家としては、“当て書き”と思っていただけたら嬉しいです。この役はこの人しかできないんじゃないか、という役が書けたら嬉しいし、役者さんにそういう役にしてもらえたら、すごく嬉しいです」
――今回、 2026年に上演するにあたり、今の政治状況や時代の空気を取り入れたりされていますか?
大野「それはありません。実は 2005年にこれを書いた時から、ほとんど台本を変えていないんです。
再演の度に、本作を観た人からは“最近書き換えたんですか”と聞かれます。2023年の時にも言われました。セクシュアリティの問題や政治の問題、承認欲求の問題などは、だんだん“今のテーマ”になって来ている気がします。結局のところ、人間ってあまり変わっていないのでしょうね。書いた時はまだ SNS すらありませんでしたしね。その意味で、何回も再演できる作品が書けたのは嬉しいことです。
2026年の今年、僕ら(人類)はコロナを経て、断絶と破壊を経験しています。だからこそコミュニティや社会、そして人間の大切さがやっと分かったのではないでしょうか。そして演劇というものも、まさにそういうものだと思います。本作は夢と夢がぶつかり合い、全てが破壊され、それでも乗り越えて再生していく人たちの物語。自然に現実とリンクしたような気がしています」

――音楽については、どんな印象ですか?
岡本「僕が最初に持った印象としては、覚えやすいメロディというよりは、ぎゅっと台詞がリズムと音楽を纏ったようなイメージのミュージカルです。思い浮かんだメロディに歌詞を当てていくというよりは、まず言葉が先にあったのかな、と想像できるほど、言葉が粒だったナンバーが多いです。お芝居とナンバーの境目が少なく、ミュージカルを見慣れていない方にとっても見やすいのではないでしょうか。
極端な言い方をすると、ラップのように、一つのメロディに対してギュッといろんな言葉が詰まっているので、歌う時にはメロディラインの力を借りるというより、自分の言葉でしっかり音楽を作っていけません。かなり役者のスキルが問われる作品だなと思います。言葉がギュッと詰まったこの音楽を、他のキャストの方々がどんな表現で作られていくのかも楽しみですし、僕自身も今、どこを粒立てて組み立てていこうかな、と作戦会議を一人でやっております(笑)」
大野「今、お芝居とナンバーの境目が少ないと言っていただきましたが、芝居と音楽がパキッと分かれていると見づらいという方はやっぱりいらっしゃいますし、僕にとっては、あるドラマを紡ぐのに、お芝居、ダンス、歌が絡み合ってドラマになっていくのがミュージカルの醍醐味だと思っているので、そこを意識してもらえるのは、作った側としても有難いです。
音楽的には、非常に王道的なバラードから、十二音階的な現代音楽、大合唱まで、いろんなジャンルの音楽を作りたいと思って、心して作りました」
岡本「僕が以前出演した作品に、ジョナサン・ラーソンという方が作詞も作曲も手掛けた『RENT』という作品があるのですが、大野さんは和製ジョナサン・ラーソンだなぁと思っています。一曲を作るのも大変なのにまず物語全般をデザインされて、一人一人のセリフを歌にするには、あちこちにアンテナを張りつつ、いろんな労力を使われたと思うんです。並大抵のことではないと思うし、日本人の誇りだと思います。
だからこちらとしては一つ一つのナンバーを大切に歌い切りたいし、大野さんが作った世界観を、僕たちの喉を通じて届けることで、お客様の心が少しでも動いたらなという思いがあります」
大野「過分な言葉をいただきました(笑)。 でも私が、本当にちっぽけな紙の上で作ったキャラクターが、今回、ミュージカル界で大プロフェッショナルである岡本さんが演じて下さることで立体化していく、それが今回、本当に楽しみです。
いい役者さんに演じていただくと、自分が何を書いていたのか、教わることが多いんですよ。あっ、そうか、こういう話やったんやな、というのがわかるので、とてもそれは楽しみです」
――では最後に、日本の今のミュージカル界の状況も踏まえつつ、今回、どんな舞台になったらいいなと思っていらっしゃいますか?
大野「日本ではミュージカルに対して枠というか、(一定の)イメージがありますが、僕がロンドンはじめ、いろんなところで見てきたミュージカルは、もっと自由なものです。音楽にしてもダンスにしても演出にしても、今までの枠からは外れたような、自由なもの、楽しいものを全てこの舞台に乗せているので、ぜひみんなで新しい世界を開けたらと思っています。ぜひ皆さんに観てほしいです」
岡本「ミュージカル『complex』というタイトルを聞いて、皆さんどういうものを想像されるかわかりませんが、僕ははじめ、ちょっとセンシティブな感じなのかなと思っていました。
でも蓋を開けてみたらとんでもない、とてつもなくいろんな人生が詰まったミュージカルで、ご年配の方から若い人まで、いろんなキャラクターが登場します。僕もその一部として輝く星になれたらいいなと思っています。
お客様はどの言葉をキャッチし、どこのシーン、どこのナンバーが印象的だろう、と僕も興味津々なので、出来れば観終わった方々全員から感想をうかがえたらいいのにと思えるぐらい、最初から最後までいろんな見どころがあります。
おそらく想像される以上に入りやすいし、すごく“濃い”世界が待ち構えておりますので(笑)、“ただありのままのあなた”が来て下されば、自分自身の夢とか後悔とか悩みとか、人生を振り返るきっかけにもなりますし、これからを生きていくエネルギーにもなるのではと思います。僕としては本当に与えられた役に命を吹き込む限りですが、全てをさらけ出す覚悟でやりますので、どうか皆さんも気軽にいらして、楽しんでいただけたらなと思っています」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報 ミュージカル『complex』5月14~17日=ABCホール、5月21~24日=博品館劇場 公式HP
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