左半分が傾斜舞台、右手には橋。入り組んだ街並みを模したセットには上方から冷え冷えと白い月明かりが差し込み、ロック調の序曲とともに四方から人々が現れる。そこは大都会ロンドンの暗部、ホワイトチャペル…。
1888年、薬物に溺れながら事件報告書をタイプ打ちしていた刑事アンダーソンは、やおらタイプから書類を引き抜くと、ライターの火で燃やしてしまう。彼が消し去ろうとした真実とは、何だったのか。事件を振り返る形で、時は二日前へと遡る。
娼婦連続殺人事件を追っていたアンダーソンは、事件現場で“犯人を知っている”と言う青年医師ダニエルと出会う。7年前、臓器移植研究のためアメリカからやってきた彼が知り合った臓器手配の協力者、ジャックの正体は、当時世間を騒がせていた殺人犯だった。事件に巻き込まれた彼は愛する女性グロリアを喪い、失意の中で帰国。7年後、研究発表のため再び来英した彼を待ち受けていたのは、衝撃的な再会だった。次々と罪を重ねてゆくジャックを止めたいと訴えるダニエルに、アンダーソンはおとり捜査を提案するが…。
1888年にロンドンで起こった連続殺人に想を得てチェコで誕生し、2009年にアレンジを加えて韓国で大ヒットした『ジャック・ザ・リッパ―』。東欧らしいどこかレトロでエネルギッシュなロック・サウンドと、回想の中にもう一つの回想があるという、二重の“入れ子”構造が特徴的なミュージカルの日本版が、白井晃さんの演出で開幕しました。
物語が進むにつれステージ上に紙屑が散乱、貧困層がひしめく当時のホワイトチャペルの“スラム”感を醸し出すと同時に、それらがもとは新聞紙であることで、報道という一瞬の話題のために“消費”される被害者たちの命も象徴しているかのような舞台。ジェットコースターのように目まぐるしい展開ではありますが、白井さんの演出は産業革命による経済発展の裏で広がった社会の“闇”に分け入り、そこで蠢く人々の内面をクローズアップ。個性豊かなキャストによって、各キャラクターは人間味豊かに描き出されています。
中心にあるのは、ダニエルとグロリアの物語。ダニエルは移植用の臓器入手のため渡英するほどの行動力の持ち主ですが、その根底には臓器移植がきっと医療の進歩に貢献するという強い信念があり、かたやホワイトチャペルの娼婦の一人であるグロリアも、希望のないこの街を必ず抜け出し、新たな人生を始めるという夢を抱いています。出会ってすぐ恋に落ちた二人は舞台を希望の光で満たしますが、喜びもつかの間、ジャックによって不幸のどん底へ。
抱く夢の純度が高いほどこの世の不条理を浮かび上がらせる二人を演じるにあたり、ダニエル役の木村達成さんは理想に燃える青年が挫折し、苦しみ悶えるさまを全身で表現。と同時に終始ロマンティックなオーラを纏い、ダニエルの原動力があくまで愛であることに説得力を持たせています。
対して小野賢章さんのダニエルは、“移植手術を成功させ、人々の命を救いたい”という清廉な志が力強い口跡ときびきびとした動きからうかがえ、当時はまだ臓器移植の実施には時期尚早であることが彼には見えておらず、叶うはずのない夢を追っているという痛ましさが強調されます。
またグロリア役のMay’nさんは、この街を出て行くために何としてもお金を貯めるという意志の強さを、凛とした声で表現。絶望の淵にあっても流されず、最後まで主体性を保つヒロイン像を見せています。
若い二人とは対照的に、遠い昔に夢破れ、かたや薬物、かたやアルコールに溺れているのがアンダーソンと“昔馴染み”の娼婦ポリー。本作の中で二人が言葉を交わすのは2シーンしかありませんが、特に2幕、アンダーソンが娼婦ポリーに頼みごとをするくだりは強い印象を残します。
命がけのおとり捜査に巻き込もうとしていることを言い出しにくいアンダーソンに、酔いつぶれたポリーは“OK、なんでも”と詳細も聞かず請け合い、彼と出会い、恋に落ちた“あの日”を幸せそうに振り返る(「ずっと昔の話」)。社会の底辺で人生を半ば諦めている彼女の中に、その記憶だけが目の前に舞い降りる雪(実際は工場から排出される灰)のように美しくとどまっているようです。そんな彼女をただ見つめることしかできないやるせなさが、後にアンダーソンをして“ポリーを誰かの物語の小道具にだけはしない”というせめてもの決意へと駆り立ててゆくのかもしれません。
加藤和樹さん演じるアンダーソンが、この世の闇を見せつけられてきた刑事の厭世感と虚無感、麻薬に蝕まれ、いつ精神が破壊されるか分からない危うさを漂わせる一方で、松下優也さんのアンダーソンには言葉とは裏腹にまだどこかで希望を探しているような人恋しさが覗き、ポリーの昔話を聴きながら一瞬、純情な青年に戻る姿が哀切。そしてポリー役のエリアンナさんは「ずっと昔の話」一曲に、ノスタルジーと無償の愛、そして諦観を見事に凝縮して歌っています。
運命に絡めとられ、身動きが取れなくなってゆく彼ら4人とは対照的に、本作の中で欲望のまま自由闊達に動くキャラクターが、新聞記者のモンローと殺人鬼ジャック。モンロー役の田代万里生さんは声楽という自身のルーツを今回は抑制、だみ声も交えて自身のナンバーを“歌う”というよりも“喋り”、歌舞伎の世話物のようなちゃきちゃきとした味で人間の浅ましさや野次馬根性を体現。足をぶつけて痛がったり交渉しても写真が撮れず“むー”と悔しがるなど細部のコミカルな芝居も茶目っ気たっぷりですが、終盤に豹変、日本版ならではの凄みあるキャラクターを創出しています。
そして1幕ではミステリアスに、2幕ではそれに色気とケレン味を加えて登場するジャックについては、“ネタバレ”回避のため詳述は避けますが、堂珍嘉邦さんは各ナンバーのディテールに時に鋭さ、時に怪しさといったニュアンスをプラス。本作の音楽的な魅力を浮き彫りにしつつ、ダニエル役とぴたりとシンクロした動きを見せるくだり等、フィジカル面にもすみずみまでジャックらしさを滲ませています。いっぽう、加藤和樹さんのジャックにはとりわけ低音域に悪魔的な冷酷さがあり、この世のものならざるオーラがたっぷり。登場の度、身のすくむような恐怖感を醸し出しています。ギター・サウンドが躍動し、幽霊役のダンサーたちがゆらゆらと様式的な動きで登場(振付・原田薫さん)、ストーリーの深刻さとは対照的に背徳的な快感をじわじわと掻き立てるジャックのナンバー「こんな夜が俺は好き」では、歌声の中に堂珍さん、加藤さんそれぞれの個性が浮かび上がり、最後の一音まで聞き逃せません。
サスペンス劇としてのスリルを保ちつつ、いびつな社会の片隅に生きる架空のキャラクターたちに血を通わせたドラマティック・ミュージカル。輪郭の太いロック・サウンドの残響の中に、彼らの“叶わぬ夢”が切ない余韻を残す舞台です。
(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報『ジャック・ザ・リッパ―』9月9~29日=日生劇場、10月8~10日=フェニーチェ堺 大ホール 公式HP
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