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『王家の紋章』観劇レポート:この愛は三千年の時を超えて

『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

低く震える音の中からオリエンタルな旋律が立ち上り、舞台中央に少年王が姿を現す。数千年にわたり、太陽神ラーが大空を渡りゆくのを見てきたと語る女性の声。神秘的なエレメンツが層をなし、場内は非日常の世界へ…。

考古学好きな少女キャロルは、兄ライアンの会社が出資する古代エジプト遺跡発掘現場を訪問。そこで眠るファラオの墓を暴いたとして、黒衣の女性の怒りを買う。

アヌビス(死者の守護神)と思しき神々を従えた彼女は、少年王の姉アイシス。弟への愛故に時を超えてそこに留まり続けた彼女の想念は、キャロルに呪いをかけ、3千年前の古代エジプトへと呼び寄せてしまう。

当時の都テーベに倒れていたのを奴隷の少年セチに助けられたキャロルは、即位したばかりのファラオ、メンフィスの目にとまるが、彼の傍若無人な命に反抗。王を神と崇める人々を驚かせるが、メンフィスは「面白いものは手許に置く」と、彼女を宮殿に住まわせる。

一方アイシスは、メンフィスとの結婚を目論むヒッタイト国の王女ミタムンを暗殺。その死を知った兄イズミル王子は、エジプトへの復讐を誓う。メンフィスが愛するようになったキャロルをイズミルが誘拐したことで、二国の間には熾烈な戦が勃発。メンフィスは我が身を顧みず、キャロルを救おうとするが…。

累計発行部数4000万部を誇る少女漫画を2016年に舞台化、大きな話題を呼んだ『王家の紋章』が、半年後の再演を経て4年ぶりに上演。帝国劇場を経て、博多座で上演中です。

原作は1976年から現在も連載中の長大なものですが、舞台版ではキャロルとメンフィスが時を超えて愛を育んでゆく様を、シルヴェスター・リーヴァイによる、時にエキゾチックで荘厳、また時にキャッチーでノリのいい楽曲に彩られつつ、テンポよく描写(脚本・作詞・演出=荻田浩一さん)。ヴィジュアル面に古代エジプトの意匠を取り入れながらも、徹頭徹尾リアルというわけではなく、時の流れの表現に大布を使用するなど、観客のイマジネーションを刺激する抽象的な演出も効果的です。

続投・初役が混在するキャストも作品の世界観を存分に体現し、今回が三度目となる浦井健治さん、初役・海宝直人さんのメンフィスはまず、威風堂々として眉目秀麗、役どころの大前提を軽々とクリア。加えて、浦井さんは“人権”という概念の無い時代、王国の頂点に君臨してきたメンフィスが全く異なる価値観を持つキャロルと出会い、怒涛の展開の中で徐々に繊細さを帯びてゆく過程を瑞々しく表現。人を愛することを知ってからのキャロルへの“直球”のアプローチも力強く、少女漫画の立体化とはまさにこのこと、と頷かれる方も多いでしょう。一方、オペラに匹敵するスケール感で戦場に赴く決意を歌う“Wavering Mind”など、のびやかにして強靭な歌声で楽曲の魅力を際立たせる海宝直人さんは、混乱したキャロルを前に“泣くな…泣くな”と狼狽するくだり等で、“少年王”らしい可愛らしさも覗かせています。

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『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

常識的にはありえない事態に巻き込まれながらも自分を見失わず、道を切り拓いてゆくキャロルを演じるのは、どちらも初役の神田沙也加さん、木下晴香さん。神田さんはメンフィスに対する感情が反感、当惑、そして揺るぎない愛へと変化する様をきっぱりとした口跡で鮮やかに表現し、木下さんはナチュラルで弾むような歌声と風情で、関わる人々が魅了されずにはいられないヒロイン像に説得力を与えています。

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『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

復讐のつもりで誘拐したキャロルに惹かれ、メンフィスと三角関係をなすことになるのがヒッタイトの王子イズミル。好奇心旺盛なキャロルを旅物語で誘惑する“Whisper”等、終始知的な色気が滲み出る平方元基さん(続投)に対して、大貫勇輔さん(初役)は野心溢れる王子像。立ち廻りでは期待を裏切らぬキレの良い動きを見せています。

『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

肉体が滅んだ後も妄執の化身となって弟メンフィス(の墓)を見守り続け、物語の起点となるのがアイシス。朝夏まなとさんのアイシスはその立ち姿に祭祀らしい神々しさが漂いますが、そこここで恋する乙女らしい表情も見せ、公人と私人、二つの立場に引き裂かれてゆく人物像が興味深く映ります。新妻聖子さんは初演、再演でメンフィスに愛されるキャロルを演じていたことを忘れさせるほど、報われぬ思いに身を焦がし、次々と常軌を逸した行動に出るアイシスの悲しみを、情感豊かな歌声で表現。

キャロルの兄で、失踪したキャロルを探し続けるライアンを初役で演じるのは植原卓也さん。現代世界で一人、彼女を心配し続け、実際に対面するのはワンシーンだけという或る意味、孤独な役どころですが、僅かなキャロルとの会話に温かな親密さがあり、きょうだいの絆をしっかりと印象付けています。メンフィスの妃になるという望みを持ったばかりに、無念の死を遂げることになるミタムン役は綺咲愛里さん(初役)。メンフィスの凛々しさにときめく姿と、アイシスへの恨みが募り死後も亡霊となって彷徨う姿のギャップが哀しく、ヒッタイトからエジプトに潜入し、暗躍するルカ役の前山剛久さんと岡宮来夢さんはスパイとしての手強さ、キャロルを護衛するウナス役の大隅勇太さん、前山さん(ルカ役と日替わり)は朗らかさと頼もしさを醸し出します。

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『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

タイムスリップしたキャロルを介抱した親切な少年奴隷、セチは少年兵に取り立てられ喜びますが、ヒッタイトとの戦であえなく討ち死に。キャロルは自分のために戦争が始まり、彼らの命が失われてゆくことに苦しみます。この経験を乗り越えてこそ、終盤にキャロルとメンフィスは万感籠る表情を見せ、人間的な成長がうかがえますが、そのきっかけを象徴するセチ役を、坂口湧久さんが体当たりで演じています。

ミヌーエ役の松原剛志さんはパワフルな歌声と威厳に満ちた佇まいが将軍役にはまり、その母で女官長ナフテラ役の出雲綾さんはキャロルに神性を見出す“Purifying Water”でのまろやかな歌声に風格が溢れます。現代の考古学者、コンテンポラリーダンス的な所作を見せる守護神、激しく切り結ぶ兵士など目まぐるしく変わる役どころを的確に演じ分けるアンサンブルの貢献度も大。
そして宰相イムホテップ役の山口祐一郎さんは、風姿のみならず“Great empire, vast territory”や終盤のナンバー“Wings of Love”でのスケールの大きな歌唱で若者たちの物語を包み込み、数千年の時を行き来する物語の画竜点睛を担っています。

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『王家の紋章』©Marino Matsushima 禁無断転載

アイシスの妄執は呪いによってキャロルをタイムスリップさせますが、奇跡を起こさせるのは負の力ばかりではないことが示されるのが二幕、いったん現代に戻ったが記憶を失っているキャロルと、彼女を探すメンフィスが、時空を超えて互いを求め合うくだり(“Where I belong”)。メンフィスの必死の思いに応えるように、キャロルは“魂が惹かれあう人”の存在を思い出し、吸い寄せられるように3000年の時を超え、彼の腕の中へと戻って行くのです。

寄せては返す波のような旋律が愛の力のなせる技を祝福し、ひとときの夢、ロマンティシズムに観る者をいざなう。パンデミックでストレスフルな状況が続き、無意識のうちに心が疲弊しきった人々も少なくない今、存分に心の潤いが得られる舞台と言えましょう。

(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『王家の紋章』8月5日~28日=帝国劇場 9月4日~26日=博多座 公式HP
*参考記事 海宝直人さんインタビュー(読者プレゼント有り)