作曲を手がけたアンドリュー・ロイド=ウェバーのアナウンスに続き、舞台に現れるのはライブハウス。長髪の男たちがノリノリで歌う中、退屈そうにしていたギタリストが突然好き放題に弾き始め、演奏は混乱。満足げに去ってゆく彼を、メンバーたちは“もううんざりだ”とバンドから締め出すことにする。
このマイペースな男は、デューイ・フィン。友人ネッドと恋人パティのアパートに居候しながらプロのミュージシャンを目指しているが、家賃すら払えず、夢は遠い。いつアパートから追い出されてもおかしくないという窮地に、一本の電話がかかってくる。教師に欠員の出た名門進学校のホレス・グリーン学園が、ネッドを臨時教員にと依頼してきたのだ。
高給であることを知ったデューイは、とっさにネッドになりすまし、学園へ。生徒たちがクラシック音楽を演奏しているのを聴き、彼らとともにバンド・バトルに出場しようと思いつく。教育の一環だと子供たちを言いくるめ、ロックバンドを編成するデューイだったが…。
2003年に公開され、世界中でヒットしたハリウッド映画を、ロイド=ウェバーが舞台化して2015年にブロードウェイ、翌年ウェストエンドで開幕。日本では2020年に初演の予定がコロナ禍により中止となった『スクールオブロック』が、満を持して上陸しました。
パッとしない日々を送っていた主人公の「一発逆転劇」を幹としつつ、夢を忘れかけた大人たち、悩みを抱えた子供達もそれぞれに一歩を踏み出す姿を、ロイド=ウェバーの多彩な音楽と共に描くミュージカル。(途中、『キャッツ』の某曲に似たモチーフが登場するのは、彼の遊び心によるものでしょうか)。登場人物の数に比例して情報量も多い作品ながら、テンポよく運ぶ場面、じっくりと見せる場面のメリハリが効いた鴻上尚史さんの演出で、幅広い層の心の琴線に触れる舞台に仕上がっています。
特に今回は主人公のデューイを西川貴教さん、柿澤勇人さんという、キャリアもタイプも違う二人がダブルキャストで演じるという趣向が面白く、西川デューイは演奏における“水を得た魚”感、バンドの仲間として生徒たちを力強くリードするさまがまさに“本物”。子供の真価を見ようとしない大人たちに向かって、社会的には“負け犬”に分類される彼が、胸を張って生徒達の素晴らしさを叫ぶくだりが胸を打ちます。
そのバーのくだりで今回、強い印象を残しているのが、ロザリー校長役の濱田めぐみさん。演じるにあたっては“主人公にとっての壁”感をコミカルに誇張するなど、様々な選択肢があったと思われますが、今回のロザリーは“校長らしさ”にとらわれた、あくまで生真面目な人物です。そんな彼女がデューイによってバーへと誘われ、昔憧れたスティーヴィー・ニックスの楽曲を聴いたことで、“自由で、面白かった”かつての自分を回想。ひとしきり失われた日々を嘆きながらも、“まだこの心に音楽はある”と再確認するソロ・ナンバー「ロックはどこへ消えたの?」は、濱田さんの陰影に富んだ歌唱によって、大人の観客の心にいっそう染み入ることでしょう。
もう一人、本作の重要人物と言えるのが、デューイの昔のバンド仲間で親友のネッド。音楽の道を諦めて働き、デューイをずるずると居候させているが、恋人のパティ(はいだしょうこさん、宮澤佐江さんがそれぞれに“真っ当”かつ強気の女性を好演)は当然、家賃を払わない彼に激怒。二人の間で板挟みになった青年を、太田基裕さん(梶裕貴さんとのダブルキャスト)がいかにも気弱に演じて度々笑いを誘いますが、終盤に大きな見せ場が。多くの大人が“そう来なくっちゃ”と思うであろう、胸のすくような光景を見せてくれます。
“エリート進学校”の生徒として登場する子供達ははじめ、一様に“良い子“”然としていますが、デューイの言動に反応する中で次第に個性があらわれ、それぞれに大小の悩みを抱えていることが見えてきます。
コンプレックスを持つ子、友達ができない子、父親に「男の子らしさ」を押し付けられる子…。そんな彼らが“およそ教師らしく無い”デューイに乗せられ、一つの目標に向かってゆくさまを生き生きと演じる「チーム・ビート」「チーム・コード」各12人の子供達からも、目が離せません。冒頭のアナウンスでロイド=ウェバーが敢えて言及していた彼らの“生演奏”のこなれっぷりにも、驚く方は多いのではないでしょうか。
最後はもちろん、彼らとデューイが編成するバンド、スクールオブロックへのアンコール。大人も子供も分け隔てなく、ライブの高揚感を味わって劇場を後に出来る、とびきりの“フィール・グッド”ミュージカルです。
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報 ミュージカル『スクールオブロック』8月17日〜9月18日=東京建物Brillia HALL、9月24日〜10月1日=新歌舞伎座 公式HP