舞台奥にテーブルと、椅子が3脚。手前にベンチが一台。
上手袖から大木をかたどったようなフレーム(額縁)が伸び、そこから床にかけて幾つかの色が滲んで見える。(水で溶いた絵の具のようなこの彩色は照明ではなく、映像によるものだそう。)
下手に二人の演奏者(ピアノの木原健太郎さん、パーカッションの土屋吉弘さん)がスタンバイし、暗転。誰かの呼び声さながらに、訥々とピアノの音色が響く。
場内が再び明るくなると先刻までの色彩は消え、そこは真っ白な世界。テーブルでは一人の女性が“彼”の生還を必死に祈り、手前に立つ青年はどこか不思議そうな表情を浮かべる。“なんだろう こえがきこえるな”…。
大学生の草太はバイク事故で昏睡状態となり、目覚めた時、全ての記憶を失っていた。“自分が何者なのか”にとどまらず、どのように“食べる”“寝る”のか、といった本能的な行動に至るまで、分からないと言う。
「カアサン」に生活の一つ一つを教わりながら大学に復学し、懸命に“もとの自分”の手がかりを探す草太だったが、事故以前の記憶は戻ってこない。“僕の万華鏡 何の形も結べない…”
これでは先に進めない、と苦しむ草太に対して、母は…。
草木染作家・坪倉優介さんの手記をベースとしたオリジナル・ミュージカルを、高橋知伽江さん(脚本)、シンガーソングライターの植村花菜さん(音楽)が創作。手記執筆のために記憶を失ってからの日々を振り返るという設定で、主人公・草太の“第二の人生”が描かれます。“虚無”から“かわいいものの洪水”まで、色・光との組み合わせによって自在に変化する舞台空間(美術=乘峯雅寛さん、映像=上田大樹さん、照明=勝柴次朗さん)の中で物語を紡ぐのは草太、母、そしてそれ以外の“大切な人たち”。3名に絞られたキャストの丹念な演技に、植村さんのやさしく、口ずさみやすい音楽の力もあいまって、場内には終始、全編クローズアップの映画を観るような“親密さ”が立ち込めます(演出=小山ゆうなさん)。
“まっさら”な状態で目覚めた草太が、母親に寄り添われながら人間の行動を少しずつ習得してゆく過程は、彼のみならず観客にとっても、発見の連続。
“白いもやもや(=ごはん)”を口に含み、噛み、飲み込む。美味しい。美味しいは、嬉しいと同列のもの…。
“食べる”という行為一つをとっても、いくつもの動作と感覚が関わっていることが示され、人間は無数のそれらが無意識的に連携して生きている…生かされている存在であることが、改めて痛感されます。また主人公のもともとの人柄なのか、それとも全ての記憶が失われたことで現れた“人間の本来の性質”であるのか、光るつぶつぶ(=ごはん)を“きれい”と感じ、UFOキャッチャーの中で押しつぶされているぬいぐるみに心を寄せ、海外を旅すれば“人の心は(国籍を問わず)ぽかぽか”していることに気づく等、草太のピュアで善良な感性に心洗われる方も少なくないことでしょう。
同じ台本で演じていても、2組のキャストが異なる“カラー”を見せているのも本作の魅力。柚希礼音さん(母)・浦井健治さん(草太)チームでは、二人の体当たりの演技によって、自分のことさえ忘れてしまっていた息子に生活のいろはを地道に教え、見守り、無償の愛を注ぐ母と、それを素直に受容し、葛藤を乗り越えてゆく子の強靭な絆が浮き彫りに。母の思いを受け止めているからこそこれからはしっかりと歩いてゆく、今の僕を見ていて欲しいという草太の決意のナンバーが、爽やかなクライマックスとして響き渡ります。
いっぽう濱田めぐみさん(母)・成河さん(草太)チームでは、表情さえ失い、歩き方もぎこちなかったのが頭で一つ一つ理解し、人間らしさを回復させてゆく息子と、常に息子にとっての最善策を考え、模索する母のきめ細やかな描写が観る者を引き込みます。苦悩する成河さん・草太を前に、濱田さん・母が“過去などいらない”、と自らに対してでもあるように言い聞かせる瞬間、張り詰めていた空気はふっと緩み、二人の前に道が拓けてゆくのが目に見えるよう。
また本作ではその他の登場人物を“大切な人たち”として、別班の草太役俳優がマルチに演じ分けるのも見どころの一つ。柚希さん、浦井さんチームでの成河さんは、さりげない気配りの出来るサークル仲間役で自動販売機のくだりに明るい彩りをもたらし、濱田さん、成河さんチームでの浦井さんは(別班での)草太役と同一人物とは思えないほど冷静かつ落ち着いた佇まいの父親役を見せるなど、巧みな演じ分けで魅了します。
公演期間中、劇場ロビーでは原作者・坪倉優介さんによる、四季をテーマにした草木染作品が彼の言葉と共に展示されていましたが、これらの作品は坪倉さんが、本作のカンパニーの方々と会った際に感じた色を四季に投影し、染め上げたものだそう。
桜の木の皮を用いて淡い中にも深みをしのばせた[春]の着物。紅葉や銀杏の葉のあたたかな色で、風が冷たい日も山さえ染めるという[秋]の着物。
主人公の、自然とのかかわりを意識しながらもの作りをする生き方がより鮮明に感じられる展示に、開演前、終演後のひととき、多くの観客が足を止め、じっくりと見入っていました。
殺伐とした報道に触れることの多い時代にあって、人間の一人ひとりが奇跡のような存在であることを再確認させてくれる本作は、まだ生まれたばかり。今後ブラッシュアップを重ねながら、例えばどこか小ぶりの劇場で無期限にロングランされ、現代を生きる人々が心のビタミンを欲した時にいつでも観られるような作品となって行く…そんな未来が期待されます。
(取材・文・舞台写真一部撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報 ミュージカル『COLOR』9月5~25日=新国立劇場小劇場、9月28日~10月2日=サンケイホールブリーゼ、10月9~10日=ウインクあいち 公式HP
*オンライン配信情報 10月30日に本編2バージョン、また特別映像の配信を予定(どちらも11月5日までアーカイブ有)。詳しくは情報ページへ。