
第一次世界大戦下のヨーロッパで、エキゾチックな舞姫として一世を風靡したマタ・ハリ。稀代の女スパイとも呼ばれた彼女の数奇な半生と愛を、F・ワイルドホーンのドラマティックな音楽とともに描き出し、18年、21年の日本公演も話題を呼んだミュージカルが、4年ぶりに上演されます。
今回の舞台でマタ・ハリに魅了されるドイツ人将校、ヴォン・ビッシングを演じるのが、神尾佑さん。北区つかこうへい劇団で研鑽を積み、TVドラマにもひっぱりだこのベテランですが、意外にもミュージカルはまだ2作目なのだそう。多彩な現場を経験してきた彼にとって、ミュージカルはどのような表現だと感じられるでしょうか。今回の出演で楽しみにしていることやご自身の演技論等、熱く語っていただきました。

挑戦を続ける中で出会った
ミュージカルという表現
――神尾さんにとって『マタ・ハリ』は『ファントム』以来、2作目のミュージカルだそうですね。
「はい、でも『ファントム』の時にはソロパートはほんの少しで、あとはコーラスのような感じだったので、実質的には初ミュージカルに近いかもしれません」
――ご自身にとって“ミュージカル”はどのような存在ですか?
「正直、縁のないものと思っていました。僕は演劇出身で、ずっとつかこうへいのところで、泥臭い台詞劇をやってきたものですから、ミュージカルとは逆の世界にいたように思います」
――『ファントム』で初めてミュージカルの世界を体験されて、新しい発見はありましたか?
「会話劇だと“対・相手役”だけなのですが、ミュージカルだとオーケストラがいて、そことの協調が非常に大事という点で全く違いますね。台詞劇だと、その日によって変化して行くことが普通で、その時に起こることに対して反応して自分の台詞を言うわけですが、楽譜があるとなるとそこから外れるわけにはいきません。そこが圧倒的に違うし、オケの方との呼吸もあるから、その日の気分でやってはいけない、これは大変だと思いました。
もちろん映像でも制約はあるけれど、今までにない制約の中でどう自分を表現するか。
これは大変だぞと思ったけれど、やったことのないことって、やりたくなるんですよ。
俳優って欲の塊で、挑戦を続けることが仕事です。そして基本的に、来た球は打つというか、これまでも“そういうのはやりません”ということは極力言わずにやってきたので、今回も自分を指名して呼んでいただいたということは、自分がその役に合うと思って下さった方がいて作品に必要なピースと考えていただけているということ。それは役者として光栄なことですし、ならば断る理由はないと思いました」
――今回は歌うパートも『ファントム』の時にくらべぐっと増えるということで、ボーカルのレッスンをされたりも?
「多少はやってきましたがこれから稽古に向けて、さらにやろうとは思っています」

――『マタ・ハリ』については、前回、前々回の公演をご覧になっていらっしゃいますか?
「生では観ることができず、映像で拝見しましたが、正直、舞台を撮影したものって、“肌感”がわからないというか、ストーリーやどういう音楽かということはわかるけれど、結局どういう作品なのかというのが掴みづらいですね。
そんななかで、この作品は台詞ももちろんあるけれど、一番(心情を)語っているところが歌になっている。そこが一番肝なので、大変だなと感じました。
心配事もあるけれど、美しくてかっこいい世界に参加できるのは楽しみでもあり、やりがいのある作品だと感じています」
――本作の背景は第一次世界大戦。個人が歴史の渦に巻き込まれていく物語ですが、いっぽうでは個人と個人のエゴのぶつかりあいのなかで情勢が動いていく様子も描かれ、興味深いですね。
「そうですね。でもやっぱり環境というものは大きくて、もし時代やところが変われば、この人たちの関係性はまた違ったものになるんだろうなとも感じます。
僕が演じる(ドイツの将校)ヴォン・ビッシングも、あの時代に国のために生きるという使命があって、その中でマタ・ハリに惹かれてしまったわけで。自国の利益のためなら個人の犠牲はいとわないというところで生まれる悲劇でもありますね。人間は時代や国に振り回される生き物なのだな、と歳をとってくるとつくづく感じます」
――演出の石丸さち子さんとは今回、初めて組まれるのですね。
「以前から、いろんな方から石丸さんのことを聞いていたので、すごく楽しみです。さきほど初めてお会いしましたが、フランクで温かい方ですね。
僕にとって演出家というのは口をきくことも許されない人、目も合わさないようにする、そういう空気感がある存在だったので、映像で仕事をするようになってからも、監督さんとディスカッションをするということがなかなか出来ませんでした。
でも考えてみたらみんな同じ人間なわけで(笑)、今では私も演出を手掛けるようになりましたが、石丸さんは先程ちょっとうかがっただけでも、作品に対する思いがとても強いし、時間をたっぷりかけて準備されているなと感じましたので、僕としては石丸さんの思いに応えつつ、自分なりにアイデアをぶつけて、ご一緒に、より良い作品にできたらいいなと感じています」
――どんな舞台になったらいいなと思われますか?
「皆さんに楽しんでいただきたいです。観てよかったと思っていただきたいですし、全員でなくとも、どなたかお一人だけでもいいので、その方の人生にとって、何か大事なものを見つけていただける作品になったらいいなと思っています」

――ご自身についてもうかがわせてください。神尾さんは大学では物質工学を専攻されたのですね。後に俳優になられる方としては、異色の専攻ではないでしょうか。
「工学部にいったのはすごく不純な動機でして、とにかく地元を出て、親元から離れたかったんです(笑)。文系だと“地元の大学でいいじゃないか”ということになってしまうので、まずは理系にして、国公立の横浜国大を目指しました」
――演劇との出会いは大学在学中だったのですか?
「高校の同級生が明治大学で演劇を始めたというので見に行ったら、楽しそうだったんです。そのころ暇だったので、じゃあ俺もやってみようかなと思ったら、たまたま学祭の後にくしゃくしゃになったチラシが落ちていて、広げてみたらすごくセンスを感じたんです。面白そうだなと思って電話をしたのがきっかけなのですが、そのチラシを描いた先輩は今、舞台監督をやっています。先日、栗山民也さんの作品で30数年ぶりに再会しまして、“やっと会えたね”と。感慨深いものがありましたね。大学時代に一緒に演劇をしていた人たちはみんな就職していて、この世界に残っているのはその先輩と僕くらいしかいないので」
――そして北区つかこうへい劇団の一期生となられるわけですが、いろいろな劇団があるなかで、なぜつかさんのもとへ?
「これからどうしようかなと思っていた時に、“北区つかこうへい劇団が開校します、オーディションやります!”という募集のDMが届きまして、その時直感的に“ここに行く”と思ってしまったんです。オーディションに受かったときにもなぜか当然のように受け止めていたけど、入って1か月後に改めてオーディションがありまして。その場で“お前とお前だけ残れ、あとはクビ”とお達しがあって、がたがた震えました。それくらい、つかさんは厳しい方なんですよ(笑)」
――それほどの緊張感のなかで自分らしく演技をされるというのは、さぞや大変ではないでしょうか?
「ひたすら、声を出していました。でっかい声で一生懸命やるだけです。なので、役作りって何だろうという感じで、劇団をやめてからはどうしたらいいかわからない時期がありました。30代のころは何もしていなかった時間が多かったですね」
――いえいえ、プロフィールを拝見すると驚くほどたくさんのドラマに出演されています。
「数だけですよ(笑)。
でも、『SP』というドラマが大きな転機になりまして、あの作品でやっと業界の中で自分のことを知っていただけるようになって、そこから舞台のほうでもいろいろ呼んでいただけるようになりました」

――長く俳優を続けてこられるなかで、大切にされてきたことはありますか?
「今、若い俳優を集めてワークショップをやったり、自分で演出をやったりもしていて、7月にも演出作品の公演があります。(7月10日開幕の『つか版・忠臣蔵』)。
常日頃から、俳優にとって何が大切か考えることが多いのですが、一言でいうのは難しいですね。でも根本にあるのはやっぱり、自分のためではなく、誰かのためにということでしょうか。相手のために台詞を渡せば、相手からも自分のために返してくれる。その積み重ねでお芝居は成り立つのではないか。
ということは、人生すべて、生活のすべてがお芝居とつながっている。生きていくなかで体験する、見聞きするものすべてが芝居とリンクしてくる。常にアンテナを張っていれば、これは台本のあの部分と一緒だなと気づけたりすると思います。
僕は空手もやっているのですが、相手と戦うには、気持ちがなければ絶対に勝てません。自分の心の置き所によって人間の体って影響されるんだなと思いますし、舞台だってその日のメンタルによってはうまくいかないこともあります。でも一人でやっているわけではないので、みんながカバーしてくれて乗り切れたりもしますが、本当に芝居というのは日常生活から全部繋がっているんですね。そうなると、芝居をすることは“特別なこと”ではなくなるんです。
駆け出しのころって日常と芝居を分けてしまいがちだけど、いやそうじゃない。お芝居のヒントは常に日常の中にあるんだ、と伝えたいです。
こういうことを考えるようになったのは、年齢ということもあるけれど、コロナ禍も一つのきっかけでした。ある日、演技って言語化できるな、と思って、ちょっとワークショップをやってみようかということになりました。そうするとまた新たな発見もありまして、人に何かを教えるには、自分に“器”がないと、相手に渡せないんですよ。
だから常に、“何かください”ではなく、“いつでも差し上げます”というくらいの人間にならなきゃいけない。そう思っています」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
*公演情報『マタ・ハリ』10月1~14日=東京建物Brillia HALL、10月20~26日=梅田芸術劇場メインホール、11月1~3日=博多座 公式HP
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