実験によって二重人格となってしまう科学者を描く、スティーヴンソン原作のミュージカル『ジキル&ハイド』が開幕。石丸幹二さん、柿澤勇人さんがWキャストで演じるジキル博士の義理の父ダンヴァースを初役で演じているのが、栗原英雄さんです。昨年は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でフィクサー的存在、大江広元を好演するなど、映像での活躍が目立つ栗原さんですが、もとは劇団四季の出身。ミュージカルからストレート・プレイまで幅広い演目で活躍しつつ、映像分野でさらに演技に磨きをかけてきた方だけに、今回も“ステレオタイプではない”キャラクターが生まれそうです。ダンヴァース役への抱負や気心の知れた仲間たちとの共演について、お話し頂きました。
――本作との出会いはいつ頃でしょうか。
「石丸さん版を拝見しました。第一印象としてはまず、体力勝負で大変な演目だなと思いました。特にジキル/ハイド役は、キーも高いし叫ぶ箇所もあるし、パワーを出し切って初めて演じられるようなキャラクターですからね。これを3時間やり続けるのは並大抵のことじゃないなと思いました」
――テーマ的な部分については、いかがでしょうか。
「(中心になってくるのは)善と悪のことですよね。主人公一人に葛藤を任せるのではなくて、善悪が溢れているような街の空気というものを全員でおぜん立て出来れば、主人公が方向を選んでいきやすくなるのではないか。そしてそれによって、作品の底が上がって行くのではないか、と思います」
――主人公は“人間の中の善と悪を分離できないものか”と、研究を重ねます。
「そういうことがいったい可能なのか。永遠の課題ですよね。誰も答えはわからない。でもそこに突き進んでしまうのがジキルなんです」
――それはピュアに、人類の未来のためなのか。功名を焦っているのか…。
「両方ではないでしょうか。人間って、一面的じゃないと思うんですよ。彼としては人類を助けたい気持ちがあるけれど、心の端っこのほうには功名心があるのかもしれません。そして病院の理事たちに研究を阻まれることで、さらに強引な感情が生まれてきてしまいます。多面的、多角的なのが人間だと思いますので、今回の舞台でも彼の心の襞はきっと見えてくると思います」
――道徳と背徳が背中合せだったビクトリア朝英国という設定が、物語の闇を際立たせていますね。
「貧富の差があって、腐敗した権力者たちの姿があって。登場する聖職者たちも堕落しています。そういう退廃的な社会の底辺には、必死に生きる人たちがいたわけですね」
――そんな中で、ダンヴァースがジキルの成功を願っているのは、娘の愛する人ゆえ、でしょうか。
「それとはまた別ではないでしょうか。(ジキルには)自分にはない才能がある、と理事長であり医師でもあるダンヴァースは見抜いています。医学の未来を見据えた人物としては、素質のある彼になんとか協力したい。でもそのいっぽうで、宗教上、倫理的に問題があることにも敏感です。ジキルがやろうとしている人体実験に反対の人たちも説得しなくちゃいけないし、彼らとの関係もある。いろんなものを抱えながらジキルと接しているのだと思います」
――“包容力のあるお父様”ではない路線もありえる…。
「“包容力”という言葉一つでは片付かないですよね。お芝居って、ステレオタイプになったらつまらないですよ。一人一人が違ったものを持っていて、多角的なものの集合体だと思っています。ダンヴァースも“限りなくグレーな男”でもいいかもしれません。白に行くか黒に行くかわからない人、いるじゃないですか。世の中は完全にいい人ばかりではないし、裏で働く力というものもありますし」
――ダンヴァースが…!
「病院の理事長をやっている人ですしね。(ジキルの人体実験を許可するかという)話し合いで反対派に押し切られ、自分は棄権してしまうのですから、どこかで逃げているんですね。本当はダンヴァースも裁かれる人間かもしれないですね」
――婚約者の父でなければ…。
「そのあたりはお客様が判断されることかな。自分で決めて芝居をするとすごく小さい芝居になってしまうから、範囲は狭めないでいたいですね。“こんなことも生まれるかもしれない”というものを大事にしたいです。自分で考えすぎて自分寄りの芝居になるよりは、相手と交流して生まれるお芝居を大切にしたいです。アクションより、リアクションを大切にしています」
――作曲は『マタ・ハリ』でも経験済みのフランク・ワイルドホーンさん。ダンヴァースには娘に対して親心を歌う“別れ(Letting Go)”というナンバーがあります。
「勢いというか、迫力のある楽曲が多い中で、しっとりとしたナンバーです。これがどんなふうに聴こえるかは、エマとの交流次第ですよね。相手役や音楽監督、演出家とも話し合っていきたいです」
――石丸幹二さん、柿澤勇人さん、アターソン役の上川一哉さんは栗原さんと同じく四季出身です。
「石丸君とは同い年です。僕は22期、彼はオーディションで入ってきましたが、期で言うと28期ぐらいかな。彼が四季に入ってきてすぐの舞台でも、ストレート・プレイでも一緒にやっています。今回は十数年ぶりの共演ですね」
――ある意味、ライバル的存在…?
「いやあ、私はカスミソウでございます(笑)」
――それはないかと(笑)。『人間になりたがった猫』に9年間主演されましたし…。
「(『人間~』の主人公)ライオネルは柿澤君も、上川君も演じていますね。僕は柿澤君が入ってきて間もなく出た『春のめざめ』でナレーションをやっていて、フレッシュな子が入ってきたなと思っていました。浅利(慶太)さんも推していましたしね。そんな彼が今回、飛躍していく役を見るのは嬉しいし、振り回されたり、娘との関係をどうしたものかと思う役柄だけど、柿澤君が演じることでより、見守る気持ちが生まれるかもしれません」
――どんな舞台になったらいいなと思われますか?
「皆で創り上げてゆく舞台になったらいいですよね。自分たちで発想し、プレゼンして巧く演出家に纏めてもらう。煮詰まる瞬間があっても乗り越えていくことで、いい舞台が出来ていくと思います」
――最近のご活躍についても少し伺わせてください。21年の『October Sky』では、主人公の頑迷な父親を演じられました。
「(炭鉱夫という)自分の人生を息子に押し付けている。でも実は自分も親にそうされていた…という男でした」
――演出の板垣(恭一)さんが、この作品はシンプルな青春物語に見えるけれど、若者VS親世代という側面もあることを強調されていました。
「親世代の中での、僕と畠中洋君演じる組合長とのVSもありました。畠中君との芝居は楽しかったですね。今回また(『ジキル&ハイド』で)ご一緒出来て楽しいです」
――近年、映像で引っ張りだことなられ、ミュージカルを外側からとらえる機会もあったかと思います。日本のミュージカルが今後、こうなっていくといいなといった期待はありますでしょうか?
「ミュージカル、そしてエンタテインメントに限った話ではないのですが、社会全体として、ハラスメントがない世の中になるといいですよね。ミュージカルに関しては、さらに世界を見るというか、グローバル化が図られていくといいかもしれません。小さくまとまらずに、大きく、大きく。それによって、より幅広いお客様に楽しんでいただけるといいですね。まだまだ、“突然歌いだす”といったミュージカル・アレルギーの方がいらっしゃると思いますので。グローバル化という言葉には、お客様が自然に受け入れてくれるという意味もあります。エンタテインメントですので、皆さんに楽しんでほしいです」
――客席には圧倒的に女性の方が多いので、男性も増えるといいですね。
「そのためには景気が良くならないといけない…という話になってきますね。以前、(出演した大河ドラマの)『真田丸』をきっかけに舞台を観始めて下さったかたがたくさんいらっしゃいましたが、コロナ禍で外出できなくなったという声をよく聞きました。最近、ようやく終息に向かってきましたので、この機会に『ジキル&ハイド』を観ていただいて“どうですか、生の舞台っていいでしょう?”とお尋ねしたいですね」
――映像とはまた違う良さが、ライブにはありますね。
「オーケストラが演奏して、役者がその場で歌って、芝居をしています。作品としても心にお土産を持って帰っていただける作品だと思います」
――栗原さんは役者をされていて、どんな瞬間に喜びを感じますか?
「演じている最中は、役や作品に集中しているので感じませんが、喜びを感じるのは無事に初日が開き、千穐楽を迎えた瞬間ですね。コロナ禍でこの3年間、途中で終わる公演もあれば、宣伝だけして稽古すら始まらずに終わってしまったという公演もあって、演劇人はみんな仲間ですから、そういうニュースを聞く度、心が痛かったです。ですからまずは無事に終わること。そしてお客様がたくさんいらっしゃって、楽しんで帰っていただけたら幸せです」
――まだまだ『鎌倉殿~』の大江広元の印象が鮮烈に残っている中で、栗原さんが今回どんなお芝居をされるか、楽しみにされている方も多いと思います。
「役者ってこんなに変われるんだよ、といったところを見ていただけましたら。でも、あんまり期待しすぎないでくださいね(笑)」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『ジキル&ハイド』3月11~28日=東京国際フォーラムホールC、その後ツアー公演として2023年4月8~9日=名古屋公演・愛知県芸術劇場 大ホール、2023年4月15~16日=山形公演・やまぎん県民ホール、2023年4月20~23日=大阪公演・梅田芸術劇場メインホールにて上演 公式HP
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