Musical Theater Japan

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『ミセン』橋本じゅんインタビュー:道が無いと思っても、誰かと一緒なら歩けるかもしれない。

 

橋本じゅん 兵庫県出身。大阪芸術大学在学中に劇団☆新感線の舞台にデビュー、以来多数の作品に看板俳優の一人として出演。TVドラマ、映画にも多数出演している。ミュージカルの出演作に『レ・ミゼラブル』『キレイ 神様と待ち合わせした女』『HEADS UP!』『ピーターパン』等がある。🄫Marino Matsushima 禁無断転載


韓国で大ヒットし、ドラマ版もされて社会現象となったウェブ・コミック『ミセン』。プロの囲碁棋士になるという夢に破れ、大手貿易会社にインターンとして勤めることになった青年チャン・グレの奮闘を描く物語ですが、主人公と並んで大きく支持されたキャラクターが、口は悪いが人情に厚いグレの上司、オ・サンシク課長です。


コネで入ってきたグレを誰もが色眼鏡で見るなかで、彼の“本気”を見抜き、フェアに導いてゆくオ課長は、韓国でドラマ版が放映された際、“理想の上司”として大いに話題を集めたのだとか。間もなく開幕する舞台版でこの役を演じるのが、近年、TVドラマで“上司”役を演じることも少なくない橋本じゅんさんです。


TVでの活躍が続いていた橋本さんに、5年ぶりに舞台出演を決意させた本作、そしてオ課長の魅力とは? 稽古場での稽古を全て終えたタイミングで、本作への思い、そして俳優として目指す境地など、たっぷり語って下さいました。

 

『ミセン』

“こんな上司がいたら”という
皆の思いが投影されたオ・サンシク課長


――橋本さんは今回、久々の舞台出演だそうですが、なぜ5年ものインターバルがあったのでしょうか?


「ちょっと深い話をしますと、僕は自分が主演するロングラン公演を、腰を痛めて降板したことがあるんです。皆に迷惑もかけましたし、自分自身も衝撃を受け、しばらくはそれがトラウマになり、復帰後の10年間は劇団、そしてお客様に対する贖罪のつもりで、とにかく頑張ろうと思って一生懸命舞台をつとめました。

そうして10年経ったタイミングで、コロナ禍がやってきました。それまでも映像はやるにはやっていたけれど、あくまで舞台と舞台の谷間の時間に出させていただいて、映像ならではのアプローチや演技を学ぶ間も無くまた舞台に戻るということが多かったんです。(舞台がコロナ禍で出来なくなったこともあり)ではこの機会に学んでみようと、(仕事の軸を)映像に切り替えました。それから5年が経って、ご縁があり、今回また舞台をやらせていただくことになったのです」


――様々な作品がある中で、本作を選ばれたのは?


「一番大きかったのは、ドラマ版を観てオ・サンシクという人が素晴らしいなと思ったことです。韓国ドラマって、長いじゃないですか(笑)。途中で挫折することもあったので、本作も20話あると聞いて、はじめは観るのを躊躇していたのですが、観始めてみたら、素晴らしかったです。そしてこの、オ課長を演じたイ・ソンミンさんという俳優さんが、どこか懐かしい、日本にも昔あったんじゃないかと思えるような心の奥底を持ちながら、現代を生きているようなお芝居をされていて、衝撃を受けたんですね。

自分が見たかったのはこういう人だなと思えたし、お話も面白い。これをどうミュージカルに持っていくんだろう、という興味を抱きました」

 

『ミセン』オ・サンシク課長(橋本じゅん)


――5年間、映像を経験されたことで、今回の演技に何か作用しているものはあると感じますか?


「今回はミュージカルなので段取りは多いけれど、現代のお話ということもあって、何のケレン味も無く、ただただ役として舞台と向き合える、いい時間を与えていただいています。これまで、アドリブ無しで演じた舞台は2本しかなく、たいてい毎回“今日は何をしよう”と考えていたのですが、本作ではアドリブは一切無し。余計な悩み無しで演じる、3本目の作品になります。

今、僕が日々やっているのは、起こった出来事に反応していく、という芝居ですね。相手役の芝居によって自分も(受け方が柔軟に)変わるという、かつてやってこなかったやり方で演じていると思います。やはり、映像をやってきた5年間の影響があるのでしょうね。

そういう意味では映像と舞台、これまで自分がやってきたもののミックス、ハイブリッドなお芝居、分かりやすくいうと“今の自分自身”になるんじゃないでしょうか。それがどう映るかは、僕もお客さんと一緒に体験していくようなことになると思います。だから僕のほうから“ここが見どころで…”とお話するのではなく、そういう自分を見ていただいて、どこが見どころだったか後で思い出していただけたら…と思っています」

 

『ミセン』撮影:河上良


――本作は若い主人公が再起をめざす物語ですが、彼の“メンター”であるオ課長にも、実はあるトラウマがあることが見えてきます。若者への応援歌であると同時に、中年世代への応援歌とも言えるお話ですね。


「そう思いますし、もっと言うと、お客様へのエールでもあると思っています」


――ビジネスの場では非情さも当たり前という空気感の中で、オ課長は“常識を守りながら働けることを見せてやる…大切なのは、人だ”など、多くの“刺さる台詞”を発していますね。


「“正義を貫け”と彼は言うけれど、なかなか大変な言葉だと思います。きれいごとばかりではやっていけないと分かってはいるけれど、そういう自分でいられたらいいな…と皆が思うことを、オ・サンシクは言ってくれているのでしょうね。

現実的には、特に日本では、自分一人が黙っていれば全体がおさまるのなら黙っていることを選ぶ…というケースが多くて、組織が大きくなればなるほど、派閥とかもできて不透明性が出てくる。そこは触れてはいけないというものが出来てきて、言いたいことがあっても言えない…。下手をするとそういう時代ですよね。だからこそ、そこにおさまりきらず、起業して“俺はこうなんだ”という人も増えているのだと思います」

 

『ミセン』撮影:河上良


――“ミセン”というタイトルは韓国語の囲碁の言葉で、死に石に見えてもその後の選択次第でどうなるかわからない石のことだそうですが、日本の方々の中には、タイトルだけでは“自分の人生に必要な作品かどうか”イメージしにくい人もいらっしゃるかもしれません。橋本さんの中では、特にどんな方にお勧めしたいですか?


「今、踏ん張れなくなりそうな方に観ていただきたいですね。僕の中でこの作品の一番大きなメッセージは、“踏ん張って生きていこう”。今回のカンパニーでは僕が最年長なのですが、おじさんが頑張っている姿を観てもらって(笑)、“一緒に踏ん張ろう”と思っていただきたいです。

本作の終わりの方には、“ワンセン”という言葉も出てきます。ワンセンというのは、足元が脆弱な状態から、立って歩けるようになることだと説明していて、ぐらぐらしていてもいいんだよ、一人じゃ倒れてしまうんだったら“支えてくれ”って言ってくれればいいよ、こっちも言うし、というようなことを言います。

ミセンな僕らだって、そうやって支え合って少しでも前に進めればいい。道なんていつ終わるかもしれないし、道がないと思っても誰かと一緒に歩けば歩けるかもしれないよ。前に道が見えないからって、歩けなくなるわけじゃない。そんなことが少しでも伝わったら嬉しいですね。

僕の人生だって、そういうことばかりです。芝居をやっていると、演出家が途中で逃げちゃったりとか、演出部が誰もいなくなったりとか、作家さんがいなくなったり…なんていうことは日常茶飯事とは言いませんが、たまにあります。この世界は口約束のアナログですから。そんなことになったら、どうにかしてみんなで手を取り合うしかない。支え合わないと舞台は作れないんです」


――韓国が舞台のお話であるだけでなく、今回は脚本、音楽、演出などクリエイターにも韓国の方々がいらっしゃいます。稽古の進め方など、現場でも韓国のカラーをお感じになりますか?


「私は韓国の方とやるのが初めてなので、韓国ぽいかどうかはわかりません。でも、演出のオ・ルピナさんは非常に理知的で、大きな絵の中に小さな人間の感情を見出せる、とてもバランスのとり方が優れた、非常に良質な演出家さんだと思います。繊細で大胆というか、果敢というか」


――ソウルであるミュージカルの取材をした際、主催者持ちでカンパニー全員が一緒に稽古場の近くの定食屋さんで毎日、お昼ご飯を食べていて、ミュージカルの現場ではよくあることだと聞いたことがあります。本作でもひょっとして…?


「それは初耳ですね。今、こういう商業演劇、プロデュース公演と呼ばれる作品では、それぞれが個々の才能を持ち寄りつつ自分のペースでやるのが一般的だけど、昔、特に劇団だと、日本でもそういう文化はありました。我々の時代も昼はあの食堂、夜はあの定食屋でという感じで集まったり…。それを思い出したら、30年、40年前の日本のアングラでは、普通に当たり前だったかもしれないですね」

 

『ミセン』撮影:河上良


――ミュージカルへのご出演は『レ・ミゼラブル』以来でしょうか?


「大人計画の『キレイ 神様と待ち合わせした女』のほうが直近だと思いますが、グランドミュージカルという意味では『レミゼ』以来ですね。『レミゼ』は台詞がなく、全部が歌のミュージカルでしたが、今回は芝居もあるし、歌もあるという作りで大きく違います。昨日マイクをつけて声を出してみて、やっぱり大変だなと感じました。

お芝居って、感情を入れると喉を傷めることがあるので、歌声の高音が削られてしまうんですよね。ルピナさんはナチュラルな感情表現を求められる方で、奇声や大声も出してくださいというリクエストがあったのですが、そういう声を出しながら高い音を出すのって大変だな、(喉を傷めないよう)気をつけようと思いました」


――声楽出身の方の中には、ミュージカルで歌が始まると自由を感じるとおっしゃる方がいらっしゃいますが…。


「僕は芝居の出身なので、逆に不自由を感じますね(笑)」


――楽譜も演出もきちっと決まっている作品であるゆえに、『レ・ミゼラブル』でもそういうものをお感じだったでしょうか?


「『レミゼ』という作品は、ベースになる音型が一つあって、それが奇跡のように派生して、多様化してゆく作品なのですが、はじめて挑戦した頃、僕はそれが分かっていなくて、“ジャズをやればいいんじゃないか”というふうに歌っていたのだと思います。出来ない自分から逃げようとして、そういう表現になってしまったのかもしれないですね。

3シーズンやらせていただく中で、稽古して稽古して、やっと“そうか、ここから入ればいいのか”というのが見つかったので、もしまたテナルディエをやらせていただくことがあれば、初めて僕の目指した表現がお客様にもわかっていただけるのではないでしょうか。

『レミゼ』って、音楽の中に既にキャラクターが書き込まれているのですが、当初の僕はどこか抗っていたと思います。そうじゃなくて、音楽の中に入ってしまうことで、自分も生きるんですよね。

本番をやりながら、新感線の稽古もやりながら、夜中に歌の練習に意地でも通っていたのですが、歌唱指導のビリー先生(山口琇也さん)に“こういう方法がある”と教えていただいて“すごく面白いですね”“いづれ試してみなさい”というやりとりがありました。そうしたらレッスンの後にピアノの先生が、“歴代のテナルディエを観てきたけど、あのやり方をビリー先生は誰にも教えていないよ。じゅんさん、これから楽しみだね”と言ってくださって、僕もすごく楽しみになりました。

ただ、それは『レミゼ』の世界の話であって、今回は芝居と歌が別個の作品です。もちろん気持ちは乗せて歌うんだけど、ここはこの音に乗せる、というのは細かく決まっています。

『レミゼ』だと、その音が出なければ、その人なりに出せる音と色で曲を完成させようという方法論があるけれど、今回はみんな一緒に、この拍でこの音程をとりましょうという技術論がしっかり入ってくるので、僕のなかではちょっと身構えています(笑)。(芝居と歌が)全く乖離しているわけではないけど、その役のその時の感情で歌うとピッチがずれる、拍が余るといった問題を解消しなければいけません。

いっぽうで、芝居パートになると“こんなに解放されたことはないんじゃないか”というくらい、今回、僕は解放感を感じます」


――“もういくつ寝ると…”とばかりに、開幕ももうすぐです。どんな舞台になりそうでしょうか。

 

「わからないですが、僕としては今のところ、与えられている時間でしっかり準備しているつもりなので、このままコンディショニングをしっかりやって、あとは煮るなり焼くなり(笑)、好きに観に来て下さい。これ以上ありませんというくらい、全部やります!というものを、僭越ながらご用意します」

 

余計なものを削ぎ落とすことで、“型”に到達する


――プロフィールについても少しお聞かせ下さい。橋本じゅんさんと言えば、まず劇団☆新感線でのキレキレのアクション、弾けた演技が思い出される方も多くいらっしゃるかと思います。近年出演されているTVドラマでの、渋みがありつつ肩の力を抜いた橋本さんのお芝居に驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、ご自身の中では意識されてのことでしょうか?


「僕は仕事をするにあたって、その作品でどういう演技が求められているのだろうと俯瞰的に見て芝居を考えますが、それとは別に、芝居中も自分自身でいなければ、ずっと出ていることは無理だと痛感します。

新感線ではっちゃけた役をする時は、隠し玉とかトリックスター的なもの、箸休めとか、どういう存在としてどんな流れの中で出て来てどうやったら劇場に活気が出るかな…と考えながらいろいろと試しますが、ドラマの場合、あくまで自分の言葉でないと(台詞を)吐けません。自分自身しか結局出て来ない、出せないのです。

以前、『レミゼ』のオリジナル版を演出したジョン・ケアードさんから“お前はいつも工事中だ。役を毎日ドンガラ作っては壊して悩んでいるけれど、そういう悩みはいらないから、今こうして喋っているそのままの姿で舞台に出ていきなさい”と言われて、気づかされました。そうか、新感線では“次にスカイツリーを作ったほうがいいのかな”みたいな、突飛なアイディアを一生懸命やっていたけど、常にそんなことをする必要はないんだな、と。なので、今は映像で自分自身の芝居をするほうが“楽”ですね」

 

 

橋本じゅんさん。🄫Marino Matsushima 禁無断転載



――映像でお芝居をされる時には、いろいろなものを“削いで”いるイメージでしょうか?


「削いでいきたいですね。その人がいること、そこに生きていることが最大の表現ということだと思います。お客さんが、例えば舞台上に大谷翔平が現れたら、次の瞬間何をするんだろうと思ってじーっと見つめると思いますが、彼はそれだけの発信力、生きざま、求心力を持っているということだと思うんです。そういうふうに、舞台に現れるだけで、お客さんが息をのんで見つめてくれるようになれたら理想ですよね」


――どんな表現者でありたいと思っていらっしゃいますか?


「とにかく削いで削いで、街中を普通に歩いている人から農家の方、政治家、ビジネスマンと、いろんな人ができるようになりたいです。“この役をやらせたらこの人”というのも誉ですが、今はとにかく削いで、華美なことから遠ざかりたい。ケレン味はいらないです、本当に。型を追求して追求して、しっかりできるようになりたいと思っています。型というのは削ぐこと。素の人間をどこまで表現出来るかが型。

もちろん、どこまでいっても演技は“嘘”ですよ。近松門左衛門が言った、肉と皮の間にある“皮膜”のようなもの、きっとそこにあるのだろうけれど、見ることも触ることも出来ないような、悟りに近いようなものが型だとすれば、それを得て初めて、必要があれば型を破り、滑稽なことをやろうと思います。まずは基本的な“型”を、大事に目指していきたいです。“そこに生きてるただの人間”ということですよね」

 

(取材・文・撮影=松島まり乃)

*無断転載を禁じます

*公演情報 『ミセン』1月10日プレビュー、1月11~14日=新歌舞伎座、2月1~2日=愛知県芸術劇場大ホール、2月6~11日=めぐろパーシモンホール 大ホール  公式HP

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