Musical Theater Japan

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『ジークフリート』光枝明彦・川原洋一郎・岡本隆生:ジロドゥ劇の美しい言葉をミュージカルに

(左から)岡本隆生 徳島県出身。1972年劇団四季入団。『ハムレット』『ひばり』『ジークフリート』『オペラ座の怪人』『アイーダ』『ウィキッド』等に出演。 光枝明彦 東京都出身。俳優座養成所7期生として卒業後、劇団青年座を経て1972年に劇団四季入団。『ジーザス・クライスト=スーパースター』『夢から醒めた夢』『ユタと不思議な仲間たち』『美女と野獣』『アスペクツ・オブ・ラブ』等に出演。 川原洋一郎 熊本県出身。1971年劇団四季入団。『イリヤ・ダーリン』『人間になりたがった猫』『クレイジー・フォー・ユー』『ライオンキング』『アイーダ』等に出演。©Marino Matsushima 禁無断転載


およそ半世紀前に劇団四季に入団し、低音の美声で様々なキャラクターを味わい深く演じた岡本隆生さんが、ジャン・ジロドゥの戯曲『ジークフリート』をミュージカル化(台本・演出)。劇団時代の盟友・光枝明彦さん、川原洋一郎さんを客演に招き、自身のカンパニー「横浜丘の手ミュージカルスタジオ」の公演として、5月に上演します。

ジロドゥ(1882~1944年)は詩的な台詞と反リアリズムの作風で知られ、劇団四季は創立以来『オンディーヌ』『トロイ戦争は起こらないだろう』等の代表作を繰り返し上演。いわば四季の“原点”とも言える劇作家ですが、今回は彼の処女戯曲である『ジークフリート』の、(おそらく世界初の)ミュージカル化となります。長年にわたり、ストレート・プレイのみならず多数のミュージカルの土台を築き、劇団を牽引してきた“レジェンド”たちが、今回の舞台にこめる思いとは。劇団時代の貴重なエピソードとともに、楽しくお話いただきました。(稽古風景+お三方のご挨拶動画も有り)

『ジークフリート』

 

【あらすじ】
フランス人作家のジャークは第一次大戦に出征するが、ドイツ軍との戦いで負傷、記憶を失ってしまう。ドイツ軍看護婦エヴァは彼を“ジークフリート”と名付け、ドイツ語を教えて献身的に看病。回復したジークフリートは第二の人生を歩み始め、政治家として成功する。

数年後、ジャークの帰りを待ちわびる恋人で彫刻家のジュヌビエーブは、手がかりがあるらしいと聞き、ドイツへ。その背後にはジークフリートの活躍を快く思わない政敵、ツエルテンの企みがあった…。

言葉と格闘した劇団時代

 

――皆さんは劇団四季のほぼ、同期でいらっしゃるのでしょうか。

川原洋一郎(以後・川原)「僕が5期生、岡本さんが6期生。光枝さんはその年に青年座から来たんです」

岡本隆生(以後・岡本)「洋ちゃんは1期先輩だけど歳は僕がちょっと上ですね」

川原「私は“ゴミの5期”と呼ばれてね(笑)、岡本さんの6期は“黄金の6期”。鹿賀丈史さんや久野綾希子さんも6期だし、いっちゃん(市村正親さん)も『ジーザス(・クライスト=スーパースター。初演タイトルはイエス・キリスト=スーパースター)』をやって入ってきたんです」

光枝明彦(以後・光枝)「『ジーザス~』初演の時には、いっちゃんは外部出演。僕は司祭役で公演委員長だったこともあって、浅利(慶太)さんから“お前がいっちゃんを四季に入れろ”と言われました。はじめは(劇団という組織に)束縛されたくないみたいだったけれど、“そんなこと言わないで”と誘ったんですよ」

――『ジーザス~』と言えば、今日は昔の『ジーザス~』公演プログラムをお持ちしました。1984年の日生劇場公演です。

川原「懐かしいね。(プロフィール写真を見て)みんな髪の毛がいっぱいあったね(笑)」

岡本「今はなくなっちゃったものね」

川原「(口ずさんで)♪私は今 わかるのだ 明日のことが すべて~♪」

光枝「初演は49年前、江戸風の演出でしたね(注・後年“ジャポネスク・バージョン”と呼ばれるように)。中野サンプラザでやりましたが、大赤字でした。オーケストラにロックバンドも入れて、お客様より出演者の方が多かった(笑)。それで(浅利)先生、考えちゃったんですよ。(経済的にも)リアルなものをやらなきゃだめだ、ということでエルサレム版というのが生まれたんです」

岡本「当時の中野サンプラザは音がわんわん反響して、それで3,4年後に日生劇場でやったんですね。演出はずいぶん変わって、(終盤にジーザスが)十字架を担いで歩くシーンとかは新たに(演出を)つけ直していました。それが好評で、(再演を重ねて)ロンドンに招かれるまで(1991年)になりました」

――お三方は“同志”のような間柄、なのですね。

光枝「同志というか“腐れ縁”ですね(笑)。僕ら、よく先生に叱られましたよ。岡本さんと二人で、(稽古場のあった)大町山荘から追い出されたこともありました」

岡本「『ハムレット』の時(1982年)ですね。お父さん(光枝さん)はクローディアスで、私はギルデンスターンだったかな。その日、浅利さんたちは先に大町に行っていて、僕らは食材を市場で買ってから行くことになっていたのだけど、途中でお父さんの車が故障してしまって。やっとのことで辿り着いたら、なかなか食べ物が届かないものだからボスが怒って、帰れと言われたんです。その日は台風が来ていて、生きて帰れるか、大変な思いをしながら帰りましたね」

光枝「(帰ったら)女房に叱られるので、僕は彼の家に泊めてもらったんです」

岡本「そうしたら次の日に電話がかかってきて、流石にこのままじゃ気まずいと先生も思ったのでしょう、また大町に来いと言われまして。それでまた車に乗っていきました(笑)」

光枝「いい思い出です」

岡本「天国で(浅利さんも)笑っているでしょうね」

光枝「(怒るだけでなく)良くもしてくれましたからね、いろいろな面で」

――特に思い出深い作品と言ったらどちらになりますか?

川原「僕は『ヴェニスの商人』ですね(1977年)。ちょうどそのころ、劇団で“母音法”(注・台詞から子音を取り除き、母音だけで発することで明瞭な口跡を目指す、劇団四季のメソッド。長年にわたって試行錯誤が行われていた)が完成されたんですよ。僕らがこの作品の時に初めて、1幕を母音だけで通す稽古をやったのだけど、母音しか聞こえないから大変です。相手の台詞の最後の音を覚えてないと自分の台詞が言えないから、必死に覚えました。でもちょっと記憶に不確かなところがあって、“次、俺でいいのかな…”と思いながら稽古してましたね(笑)。僕がサレアリオーで岡本さんがソレイニオー、あともう一人、浜畑賢吉さんがアントニオーで、3人で歩きながら“うあいいいおおおおあ あいあいおあいいうあうあええいうおいうあえあ…(つまり君の心は大海の波に揺さぶられているというわけさ)”と喋るシーンとかね」

岡本「なんだかんだ言いながら、楽しかったですね。劇団四季の本質だったんだなと感じますね」

川原「母音法が染み込んでいるものだから、こんなこともありました。『雪ん子』(1975年)というミュージカルの本番で、大店のおかみさんが“ほーほけきょ”と言うところがあるんですが、そこでその役の女優さんが“おーおえお”と言ってしまったんです(笑)」

岡本「その日はちょうどTVが録画していたから、映像にそのまま残っていますね(笑)」

『ジークフリート』に込められた、平和への思い

 

光枝「岡本さんはやっぱり『ジークフリート』(1986年)が思い出深いんじゃない?主演に抜擢されましたから」

岡本「なかなか手に負えなかったですね。台詞が膨大だし、いろいろなレトリックやメタファーがちりばめられているので、よほどのテクニックを持っていないと表現しきれません。でもミュージカルという形式であれば少し分かり易くお見せできるのではないか、と以前から思っていて、それが今回のミュージカル化に繋がりました」

『ジークフリート』稽古より。(全てダブルキャスト=星組)

――今のミュージカルに対する、物足りなさのような思いもおありでしたでしょうか?

岡本「アンチテーゼはありますね。(音楽に依存しすぎて)芝居を、言葉を大切にしなくていいのだろうか、と」

――では今回のミュージカル版では、戯曲の台詞もかなり生かされているのでしょうか。

岡本「生かしていますが、構成の面では手を入れています。戯曲はジークフリートの公邸のシーンから始まって、以後もあまりシチュエーションが変わらないのですが、ミュージカル化にあたっては冒頭に戦場のシーン、次にモンパルナスで芸術家たちが闊歩する場面を、僕の想像で入れました。いろいろ加えてみても、ジロドゥの香りはするものだなと感じています」

『ジークフリート』稽古より。冒頭はダンスを含む華やかなモンパルナスのシーン。

――偶然だとは思いますが、主人公が記憶を失うことで、個人と“国”との関わりを考えさせる本作は、今、ウクライナで起こっていることを目の当たりにしている現代人にとって、非常にタイムリーに映ります。

光枝「ジロドゥはもともと外交官なんですよね」

岡本「大学ではドイツ文学を学んでいて、ドイツ留学もしたそうです。卒業して外交官になって、そのかたわら小説を書き始めたころに第一次大戦がはじまり、出征しました」

光枝「留学時代にはドイツの良さも学んだでしょうから、なぜ戦争をしなくてはいけないのか、なぜ人間たちは一つになれないのか、という思いも人一倍あったのでしょうね」

岡本「ジロドゥの中には“平和への願い”が強くあったと思います。だからこそ、戦後5,6年というタイミングで、まだ戦いの記憶が人々の中に鮮明だったけれど、パンテオン劇場で本作の初演に踏み切ったのだろうと思います。結果的には成功でしたが」

――この戯曲には4幕だけ、二つのバージョンがあります。今回はどちらの結末になるのか、というのも一つの見どころかと思います。

岡本「僕が劇団四季で演じた時とは違う方の結末を選びました。もしかしたら天国の創立メンバーは“なんで俺たちの伝統をぶち壊すんだ”と怒るかもしれませんね(笑)」

――お三方が演じる役をご紹介いただけますか?

『ジークフリート』稽古より、ピエトリとロビノーの軽妙にして実は重要なシーン

岡本「私はジュヌビエーブの叔父で、彼女をドイツへ連れてゆく言語学者ロビノーを演じます。私がジークフリートをやった時には、日下武史さんが演じていた役です。この時の日下さんのロビノーと水島弘さんのツエルテンとの出会いは感動的で、今も夢に出てきます」

光枝「私が演じるピエトリはフランス側の国境の税官吏で、本筋にあまり関係ないようで関係ある、一つのコメディリリーフですね。初演(1958年)では立岡晃さんが演じたそうです。

この役は(終始おどけているけれど)最後に“国境なんてない”というようなことを言うんです。フランスだかドイツだかわからない、どうでもいいや、と。これはジロドゥ自身の思想であって、道化の口を借りて言っているのだと思っています」

岡本「その通りだと思います」

光枝「だから、ただふざけてるだけじゃいけない役なんですよね」

川原「私が演じるのはドイツの世界大戦の英雄、フォンジュロア元帥。今は第一線を退いているけど軍に対する影響はかなり持っていて、陰からジークフリートを支えています。第一線は退いているということで力が抜け、ちょっと頼りない感じですが(笑)、自分は頑張っているつもりという人物です」

『ジークフリート』稽古より、“戦争か”とあたふたする様がコミカルなフォンジュロア元帥のシーン。

――稽古を拝見して、川原さんが『人間になりたがった猫』で演じたスワガードを思い出しました。威張っているのにどこか愛嬌があって…。

川原「(再び口ずさみ)♪素敵な娘 ジリアン♪」

――スワガードが改心する場面での、ハートフルなお芝居は今も印象に残っています…。

川原「“俺が悪かった”というところですね。あそこに全神経を注いでいました。涙も毎回流してましたね、劇団の亡くなった人たちを思い出しながら…。立岡晃さん、よっこ(服部良子さん)、それに井関一さん。僕より上の世代はもうみんな亡くなっていますから…」

光枝「そこで僕の顔、見ないで(笑)」

――すみません、脇道に逸れました。今回、作曲はダブルキャストでジークフリートを演じる志田佳則さんが手掛けていますが、岡本さんから事前に何かリクエストをされたりは?

岡本「こちらからは作品のテーマを話して、(台本を渡して)作曲してもらいました。クラシック寄りで格調の高い、いい音楽だと思っています」

光枝「僕は『ジーザス~』が出てきたときに“ロックとオーケストラが融合?”と心底びっくりしたくらい、お洒落で弦楽器を多用した、昔の音楽が大好きなんです。ミュージカルで言えば『ブリガドゥーン』とか『バンドワゴン』を聴くとしびれますね。そういう幼時体験みたいなものがあるから、今回の、弦楽器を生かした音楽はとても好きで、思わず聞き惚れてしまいます。うっとりしていて“あ、自分の台詞だ”と慌てちゃう(笑)」

川原「でもよっぽど歌い込まないと、歌うのは難しいです。掛け合いのところなど、歌詞を大事に歌わないとごちゃごちゃになってしまう。それぞれが明確に歌詞を伝えないといけない、そういう面で大変ですね」

youtu.be

『ジークフリート』稽古風景&お三方からのご挨拶(お三方の登場シーンを含む6分ほどの動画です。ご挨拶は4分00秒頃~。ぜひご覧下さい)

 

――どんな舞台になればと思っていらっしゃいますか?

岡本「今回は先輩二人がいらっしゃるから安心していますが、ジロドゥのレトリックというのは難しいもので、まだまだカンパニーのメンバーは言葉の感覚を掴む稽古をしないといけません。

でも私としては、ジロドゥ劇を素材とした、こういうミュージカルもあっていいんじゃないかと思っています。言葉の美しさ。待つことの美しさ。人間のアイデンティティ。21世紀になってまさかこんなことがあるなんて、ということが今、海外では起きていますが、そうした中でお伝えできるメッセージが、この作品にはあると思います。美しいメロドラマであり、少し考える部分もある素敵なミュージカルを、ぜひご覧いただければと思います」

光枝「メンバーの多くはアマチュアで稽古の時間も限られていますが、それにしては皆さんよく勉強されています。間近になればもっと積みあがっていくでしょう。恋あり、挫折あり、暴力もありのお話で、戦争が絡んでいますので重みもありますが、何よりミュージカルですので、まずは楽しんでいただければと思います」

川原「僕は、主役は作品であって、僕自身は作品を具体的に伝える、巫女さんみたいなものだと思っています。主張するのは作品であって、それを引き継いで伝えるのが私の役目。そしてそれを評価するのがお客様。こう御覧いただきたいということは考えず、台本に書かれていることを的確に伝えたいと思っています」

岡本「二人には稽古しながらご指導も仰いでいます。こんなこと言うとあれですが、ご老体が来ると場が締まるんですよね」

川原「なんて言った?ゴロゴロしてるって?(笑)」

岡本「そう、ゴロゴロ(笑)。こんな感じで(楽しく)やってきましたが、月日の経つのはあっという間ですね。今は僕らの世代、誰も(劇団に)残っていません」

光枝「劇団四季の良さの一つに、客席の一番後ろにいるお客様にも台詞が伝わる、ということがあって、それは僕らが誇っていいことだと思っています。それを今回の出演者全員に受け継いでもらって、さすが四季の出身者が作っているね、と言われる舞台になったら嬉しいですね」

(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『ジークフリート~ブナの森と一匹の犬~』5月3日=横浜市南公会堂 公式HP 
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