Musical Theater Japan

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『ラフへスト~残されたもの』ソニンに訊く:二つの時間軸で描く、濃密な人生の物語

ソニン 1983年、高知県出身。近年の主な出演にTVドラマ『新空港占拠』(NTV)、舞台『尺には尺を/終わりよければすべてよし』、ミュージカル『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』、『キンキーブーツ』等がある。©Marino Matsushima 禁無断転載

代表作「鳥瞰図」はじめ、難解な作風で知られる詩人イ・サンと、韓国抽象美術の先駆者キム・ファンギ。韓国を代表する二人の芸術家たちに愛され、自身もエッセイスト、評論家、画家として活躍した女性キム・ヒャンアンが、晩年に自分の人生を振り返る。彼女がl’art reste(ラフヘスト=芸術は残る)というフレーズに込めたものとは…?

4人の俳優たちが二つの時間軸でヒャンアンの人生を蘇らせ、本国で絶賛された韓国ミュージカル『ラフヘスト~残されたもの』が、稲葉賀恵さんの演出で日本初演。キム・ファンギ役の古屋敬多さん、イ・サン役の相葉裕樹さん、若き日のヒャンアンであるトンリム役の山口乃々華さんとともに濃密な物語を描き出すのが、主人公キム・ヒャンアン役のソニンさんです。

日本語と韓国語双方に通じ、海外ミュージカル経験も豊かなことから、本作では訳詞にも挑戦。独特の構成で描かれる本作の魅力、そして初めて手掛けた訳詞の手応えなど、たっぷりと語っていただきました。

『ラフヘスト~残されたもの』


自分を信じ、
過去の自分を抱きしめることで
人生を肯定できる

 

――ソニンさんにとって、本作は初の韓国ミュージカルだそうですね。これまではたまたまご縁が無かったということでしょうか。

「やりたかったです。韓国で舞台を観たりもしますし、日本で上演される韓国ミュージカルを観て“(曲が)難しそう…”と思いつつも、出演した俳優仲間たちに充実感が漲っている様子を見て、私もやりたいなとずっと思っていました」

 

――韓国ではどんな作品をご覧になっているのですか?

「知り合いの役者さんが出ている作品が中心ですが、面白いという評判を聞いて観に行くこともあります。大劇場のものも、(日本でいえば下北沢が巨大化したような小劇場街の)大学路の作品も観ますね。

例えば昨年は『SWAG AGE』という、朝鮮時代の話を現代風の音楽でミュージカル化した作品に感動しました。日本やロンドンの『ミス・サイゴン』でキムを演じたキム・スハさんが出演していて、その縁で観たのですが、歴史的な物語を現代の人たち、それも若い世代がこんなにもエネルギッシュに伝えられるものか、と思いましたし、大劇場で主役をするようなスターでなくとも、もともと持っているエネルギーが非常に濃く、若い才能がキラキラしていて。歌も芝居も巧いし、動ける。パッションも凄い…。彼らのポテンシャルの高さが衝撃的でした」

 

『ラフヘスト~残されたもの』


――今回の『ラフへスト』は、どんな経緯で出演することになったのでしょうか。

「まず概要をいただき、それから台本を読んで出演を決めました。

第一印象としては、史実に基づいた話にファンタジーを練り込むというのが韓国的だし、韓国ミュージカルの得意そうなジャンルだな、という感じがしました。
現実味は持たせるけれど、リアリティを持って表現するのではなく、そこに一枚、挟む。出来事をストレートに伝えると、シンプルに芸術家たちのヒューマンドラマになると思いますが、本作には、同一人物が“今”と“過去”から逆走する中で、同じ空間(時間)で出会うという仕掛けがあります。

今回の日本版では、韓国版と違うアプローチを(演出の)稲葉賀恵さんが試みようとされていて、元々あるファンタジー要素に新たな仕掛けを入れることによって、韓国の芸術家の物語がお客様の物語、共感しやすい物語になるのではないかと思います。

韓国の方々にとって親しみやすいキャラクターたちの物語を日本で上演することで、彼らの人間ドラマというだけではないメッセージが、より浮彫りになると面白いなと思っています」

 

――イ・サンについては別のミュージカル『SMOKE』を通してご存じの方もいらっしゃると思うのですが、もう一人の芸術家キム・ファンギは韓国ではどのような存在なのでしょうか。

「イ・サンさんは、日本で言うと中原中也さんくらい、よく知られた方だそうです。キム・ファンギさんも有名です。お二人とも韓国に記念館があって、ファンギさんについてはファンギ美術館という、ヒャンアンが作った美術館があります」

 

――本作にはストレートに流れる時間と逆行する時間という二つの時間軸があり、イ・サンと出会い、結ばれてゆくトンリムの愛と、ファンギとの日々を回顧し、彼との出会いまで遡ってゆくヒャンアンの愛が交互に描かれて行きますが、その意味はどのようなところにあるのでしょうか?

「今回の稲葉さんの演出では、韓国版とは違う設定があります。脚本自体は変わっていないので、ヒャンアンが自分の人生を遡っていく事は同じですが、彼女自身が自ら記憶装置を再生させてすべて見ていくという演出です。

あとは、オリジナルにもある、“過去の自分”役を同じ俳優が演じることで、彼女を慰めたり、対話したり、抱きしめることが可能になります。ヒャンアン目線で作り出した“過去の自分の模型”を登場させ、“今”のヒャンアンと対話させるのです。

おそらく、多くの人々が、自分の人生が終わる時に“今まで生きてきた私の人生、どうだったのだろう”と思うような気がします。死を意識した時でなくとも、私たちはふとした瞬間に“あの時の選択は正しかったのかな”と思ったりしますよね。そういう時、過去の自分に会いに行くことは出来ないけれど、本作でヒャンアンが実現しているのを観ることで、お客様は自分の人生に照らし合わせることが出来ると思います。

(日本による)統治時代の人々は、今とは全く異なる芸術の価値観を持って生きていたと思いますが、そんな中でヒャンアンはパリに行き、どれだけエネルギッシュに前を向いて生きていただろうと思います。彼女の行動は(現代人にとっても)勇気をもらえるものですが、彼女自身が自分の人生を肯定しているのかどうかは、はじめに呈示されていません。イ・サンという、当時は異端児扱いされていた詩人と結婚したトンリムは、果たして幸せだったのか。

観る人によって印象はそれぞれだと思います。過去を振り返れば、受け入れられないこともあるだろうけれど、自分を信じて抱きしめてあげられたら、“生きていてよかったな”と、人生を肯定できる。そんなことを感じていただける作品になっていると思います」

 

『ラフへスト~残されたもの』ヒャンアン(ソニン)


――本作を観るにあたって理解しておきたい、韓国ならではの要素として“雅号”というものがあります。ヒャンアンはもともと“トンリム”でしたが、ファンギに出会い、彼の雅号である“ヒャンアン”という名前をもらったというくだりもあります。雅号というのは、ニックネームでしょうか、それとも芸術家としてのペンネームでしょうか?

「ペンネームです。でも“イ・サン”は、本名がありながら、学生の頃からイ・サンと名乗っていて、根っからのアーティストのようです。もしかしたら彼自身が小説の中の登場人物というか、芸術世界の中で生きていたのかもしれません。

本作では雅号がいろいろ出てきて、“トンリムとヒャンアンが同一人物?”と思ったりするかもしれませんが、観ていただくなかで謎は解けると信じています。ファンギさんに関しては、もともとヒャンアンというペンネームを持っていましたが、それをトンリムに譲り、自分はスファという雅号になります。芸能人で言うと芸名のようなものでしょうか。基礎知識としてこういうものがあると思っていただけると、よりわかりやすいかもしれません」

――トンリムがファンギを愛する過程で、“あなたの雅号を私にください”というくだりがあり、非常に印象的です。

「本作のターニングポイントになってくると思います。なぜ彼女がそういうことを言い出したのか、実は台本ではそこまで詳しくは書かれていないのですが、おそらくこういうことだったのだろうという資料はあって、それによると、イ・サンとの恋、そして結婚について、彼女の実家はものすごく反対していたのだそうです。結局、彼は(彼女を置いて)東京に行ってしまうし、病気で亡くなってしまう。彼女は一人取り残されてしまっただけに、ファンギとの恋が始まったと知って、家族は“また芸術家と結婚か”と猛反対しました。そのことに彼女は悩んで悩んで、遂に実家を、ピョン家を切り捨てて彼についていくことを決め、トンリムという名前を捨てようと、彼の雅号をもらったんです。それくらいの決断だったんですね」

――ファンギを愛するあまり…というロマンティックな意味合いの“名前を下さい”ではないのですね。

「もちろんそういう想いも含有しつつも、『別人としてあなたと生きていきたいから、雅号を下さい』という決断だと思います。そこには彼に対するリスペクトも込められていると思います。名前を変えるというのは、それまでの自分と縁を切るのですから、相当のことですよね。あのシーンのナンバーは、一曲の中で凄まじいドラマが組み込まれています。訳詞で一番悩んだ曲でもあります」

――ソニンさんは今回、訳詞も担当されているのですよね。なぜやってみようと思われたのですか?

「これまでにも英語系の作品の日本初演に出演した時、訳詞に意見をさせていただいたり、クレジットこそされていないけれど訳詞をしているものもあったりしました。その中で訳詞をすることに興味が芽生えて、今回韓国のミュージカルに初めて出演することになり、英語圏に関してはNYに少し住んでいたくらいの経験だったけれど、韓国語はもっとわかりますので訳詞も出来るんじゃないかと思い、私の方から提案させていただきました」

 

youtu.be

 

――実際にやってみて、いかがでしたか?

「もう楽しくて、楽しくて。私、訳詞家が向いてるかも!と思ったくらいです(笑)。自分の経験値も生きるし、日本語と韓国語の文化を行き来している自分のアイデンティティがかちっとはまって、これこそ私が必要とされる立ち位置なんじゃないか、とすら思いました。韓国語の歌詞が伝えようとしているニュアンスを、どうしたら日本の方が聞いた時に伝わりやすくなるか、日本のお客さんの前に立ち続けているからわかりますし、俳優がこの芝居の流れでやるにはとか、こういう歌い方のほうが絶対合うとか、韓国の方たちがこだわった音もわかるので、それを殺さないように...といったことも配慮しました。

もともと詩を書いたり、言葉を大切にしてきた私にとって、単純に“音感が似ている”とか“直訳”ではなく、どういう言葉を当てはめれば一番合うか、私のこだわってきたことを活かせるし、すべてがかちっとあてはまって、訳詞作業中の集中とスピードは凄かったです。今回の演出家が意図している方向性や、伏線の作り方とかも意訳として入れさせていただいていますので、その点で韓国語歌詞よりわかりやすくはなっている箇所もあると思います。

例えば、韓国人はこの背景は知っているから言わなくても伝わる、でも日本人には伝わらないからここはこうしたほうがいいよね、という言葉は入れるようにしています。ヒャンアンの雅号のシーンも、もともとはすごくシンプルなんです。彼女が名前を変えたということが韓国では知られているので、何も言わなくても韓国では“そういう流れなんだ”となるけれど、日本で上演するには、なぜかを伝えないといけない。

でも(新たに)作詞をするわけにはいかないので、その縛りは苦しかったけれど、お客様に“こういうことかな”と、幅というか余白を感じていただけるよう、それがより日本語で伝わりやすいように、ということを意識しました」

 

ソニンさん。🄫Marino Matsushima 禁無断転載


――どんな舞台になったらいいなと思われますか?

「本作は私を含め、4人だけで演じる作品です。ですので4人で、稲葉さんの作る世界観を共有して、ミュージカルの大胆さとストレートプレイの繊細さをうまく融合できるように、そしてどちらのファンにも楽しんでいただける舞台になれば、と思います。そのために皆で話し合いながら、濃い時間を過ごしています。

休憩なしの100分くらいのステージになるかと思いますが、小さい規模の公演でありながら壮大な、皆さんの人生を振り返られるような作品になったら。お客様の心の中に波を作れたら、と思っています」

(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『ラフヘスト~残されたもの』7月18~28日=東京芸術劇場シアターイースト 公式HP

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《衣裳クレジット》ワンピース Diagram、イヤリング eije、ブレスレット Bellis