19世紀末のパリを舞台としたガストン・ルルーの怪奇小説を、アンドリュー・ロイド=ウェバーがめくるめく音楽で舞台化したミュージカル『オペラ座の怪人』。
その結末から10年後、NYコニー・アイランドを舞台にファントム、歌姫クリスティーヌ、ラウル・シャニュイ子爵らが運命的な再会を果たす『ラブ・ネバー・ダイ』が、日本で6年ぶりに上演されます。
2014年の日本初演からクリスティーヌを演じ、今回は笹本玲奈さん、真彩希帆さんとのトリプルキャストでこの役を演じるのが、唯一無二の歌声で活躍するアーティストの平原綾香さん。今やミュージカル界でも確かな存在感を示す彼女にとって、本作はミュージカルとの出会いとなった、非常に重要な作品なのだそう。本作とのそもそもの出会いから上演を重ねるごとに深まった作品理解、そして今回の抱負まで、様々に語っていただきました。
【あらすじ】パリ・オペラ座からファントムが失踪して10年。彼はマダム・ジリーの助けで渡米し、クリスティーヌを思いながら作曲を続けていた。そんな折、歌姫クリスティーヌが夫ラウル、息子のグスタフと共にNYを訪れる。ラウルがギャンブルで多額の借金を抱えていることを知り、ファントムは謎の興行主を装い、クリスティーヌにあることを持ち掛けるが…。
サックス奏者の父の音色が、私の歌のルーツです
――平原さんは本作の日本初演に出演する以前から、本作とはご縁があったのだそうですね。
「2010年にリリースされた、本作の(ロンドン版)サントラのレコーディングに参加させていただきました。(注・タイトル曲を平原さんが歌い、ボーナス・トラックとして日本盤に収録されました)
私はそれまでオペラを歌ったことが無かったのですが、ポップス歌唱でも結構ですのでということでお受けしたのですが、ポップス歌唱だけでは歌いきれない曲だったので、最終的にはポップスとオペラの中間くらいを目指してレコーディングに臨みました」
――オファーに当たっては、作曲者のロイド=ウェバーのご指名があったのでしょうか。
「サントラはユニバーサル・ミュージックが手掛けていて、私は当時ドリーミュージックというところにいたので、レコード会社を飛び越えてお話をいただいたので、もしかして私、オペラ歌手に間違われているのかな?とも思ったのですが(笑)、せっかくお話をいただいたので、歌わせていただきました。
レコーディングは日本で行い、その後、本作のワールド・プレミアでロンドンに呼んでいただいた時、初めてロイド=ウェバーさんにお会いしました。私のように各国盤でタイトル曲を歌った歌手が集まっていたのですが、全員オペラ歌手でびっくり! 皆さん非常に積極的で、前に前にという方もいらして私は圧倒され、一歩引いていたところ、ロイド=ウェバーさんが私の横に来てくれて“大丈夫だよ。(収録した歌唱は)素晴らしい歌声だった”と言ってくれました。
それから4年後、日本でも舞台を上演することになったと聞いて“どなたがやるのかな…”と思っていたら、私にとお話をいただきまして。オペラ歌手ではないので、と最初は辞退したのですが、“英国本国からもぜひ平原さんで、と”と重ねて言っていただき、“頑張ってやるしかない!”と思って飛び込みました。
改めてクリスティーヌとしての歌い方を勉強しなくちゃと思い、動画サイトでの研究を始めました。こういう感じかな…と試行錯誤を重ねながら練習しましたね。初めて歌稽古に臨んだ時には、私がどんな歌を歌うのか、スタッフの人たちもドキドキされていたと思います。歌った後、ホリプロの方が後ろで“平原さん、大丈夫です!”と電話されているのを聞いて、ああ、安心してもらえたんだな~、とほっとしました。
それが2014年で、2019年に再演があり、2025年に再再演。ミュージカル・デビュー10周年の今年に製作発表もあり、つくづく、『ラブ・ネバー・ダイ』はご縁のある作品だなと感じています」
――今回、特にご自身の中でテーマにされたいことはありますか?
「初挑戦、再演とその都度、ベストを尽くして、それぞれに良さがあったと思います。今回、また機会をいただいたことで、もう一度、さらにいいものが出来ると信じてやっていこうと思っているので、進化をお見せできるのでは、と自分自身にも期待しています。40歳で歌うことで、人間的な厚みも表現できると思いますし、年齢に応じた歌を私自身、体感したいですね」
――以前、声楽科卒の或るミュージカル俳優の方にお話を伺った時、その方は他の歌手を“聴く”というより“観察する”ことで発声の参考にされている、とおっしゃっていました。平原さんも動画サイトで研究される時、“見る”ことを重視さましたか?
「もちろん“見る”ことは大事ですね。どういう体勢で歌っているのかは重要ですし、どうやって胸を使っているかとか、この人はふくらはぎを使って歌っているな、口の開け方はこうだな…などと観察します。傍から見ればかなりマニアックですが(笑)、こういう観察や分析は楽しいですよ」
――平原さんはもともとサックス演奏を学ばれていたので、ご自身の声を楽器の延長のような感覚で操ることもあるでしょうか?
「私は歌を習って来なかったので、今までサックスの奏法で歌ってきました。サックス奏者の父の音色が、私の歌のルーツなので、出せない声がある時はよく父に聞いていました。すると、サックスだと息の方向はこれくらい、息のスピードはこれくらい、と教えてくれて、その通りにすると歌えるようになるのです」
――本作は『オペラ座の怪人』の10年後を描いているわけですが、『オペラ座の怪人』に対してはどんな印象をお持ちでしょうか?
「当時は『オペラ座の怪人』をちゃんと観たことがなくて、『ラブ・ネバー・ダイ』への出演が決まってから映画版を観たのですが、大好きな作品になりました。
この間、映画『オペラ座の怪人』20周年記念4Kデジタルリマスター上映のトークショーに登壇をした際にも舞台上でお話したのですが、『オペラ座の怪人』を観ると無性に『ラブ・ネバー・ダイ』が観たくなります(笑)。もしまだ御覧になっていなかったら、『オペラ座の怪人』を先に観ておくと、『ラブ・ネバー・ダイ』をより深く理解できると思いますので、お勧めです!」
――本作で、クリスティーヌは借金返済のために渡米して、思いがけなくファントムに再会しますが、驚きながらも、比較的容易に10年前の感情を思い出しているようにも見えます。彼女はどこかでずっと、彼を求めていたのでしょうか?
「そう思います。初演の時にはまだまだ理解しきれていなかったと思いますが、再演が終わって3か月後くらいに、ふと私の中に降ってきたものがありました。
クリスティーヌにとって音楽は命であって、人生。音楽のために生まれてきた人なので、最上の音楽や声を聴いた時、何にも代えがたい感情が溢れてくるのですが、ファントムはそれら全てを持っていて、彼女にとっては、彼こそが音楽そのもの。
これはあまり語られていないと思いますが、ファントムがクリスティーヌにほれ込んでいる倍以上に、クリスティーヌは彼を、音楽を愛しているのだと思います。だからこの運命には抗えない。それまで、ラウルとグスタフとの家庭を築き、幸せに暮らしてきたけれど、何かピースが足りないと思いながら歌ってきたような気がします。そこにファントムが再び現れたのですから、彼女としては抗いようがなかったでしょうね」
注・ここからの6段落は終盤の展開に関わる内容となります。未見の方で、まだお知りになりたくない方は、6問を飛ばして*****の後からお読みください。
――ファントムは再会したクリスティーヌに対して、自分の楽曲を歌うようオファーをしますが、それは彼女にとっては“芸術”か“実人生”かという、究極の選択ですね。
「そうなんです。それまで彼女の人生は理性によって抑制されているのですが、(ファントムという)欠けていたピースが現れてしまうんですよね」
――ということは、「愛は死なず」を歌う時の彼女は解放を味わっているのでしょうか。
「前半の彼女は、まだ迷っています。歌い出しの直前もすごく迷っています。でも歌声が自分の中から湧き上がってくる。ラウルに対する申し訳なさ、でも私は音楽とともに生きていきたいという気持ちが渦巻く中で、ファントムを見る。そして最後の大きなパートを歌い出す…というふうに、一曲の中で大きく揺れ動きます。クリスティーヌはそれまであまり自分の思いを外に出さない人だったけれど、ここで最大の自己表現をするのです」
――一般的には、母親であることが最大のストッパーになることが多いかと思いますが…。
「それにまつわる真相が、選択の決め手ですよね。もしそれが違っていれば、こういう選択にはなっていなかったと思いますし、クリスティーヌはこの時、自身の結末もなんとなく予感していたのだと思います。
今回の日本版演出のもとになっているオーストラリア版と違って、ロンドン版の宣伝ビジュアルには、一見、ファントムのマスクのように見えるけれど、実はクリスティーヌのデスマスクが描かれています。御覧になると、口紅も見えるかと思います」
――これがデスマスクであることは、最初にレコーディングされた時からご存じだったのですか?
「知っていました。「愛は死なず」はクリスティーヌにとって最後の歌なのだということを、心でわかっていなくてはと思いながら歌いました」
――“これが人生最後の歌かもしれない”と思いながら、彼女は歌唱の中で全てを出し切ることが出来たのですね…。
「全てを出し切ろうと思って歌ってはいないと思います。ただただ、音に導かれるように歌ったのでしょう。お客様が、“これが最後の歌唱なのかもしれない”と予感するような、鬼気迫る歌声というものはきっとあると思いますので、今回もそういうものを目指して歌っていきたいです」
――単なる名場面ではないですね…。
「命がけの歌唱ですね。私は役に没入していくタイプなので、終演後はきちんと平原綾香に戻ってから楽屋を出るよう、気をつけています(笑)」
*****
――本作の日本初演でミュージカルに出会ってから、10年。ミュージカル俳優としての手応えはいかがですか?
「役を通していろいろな心の経験をさせていただき、やってきて良かったなと感じています。
『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』では、結核を患うヒロインを演じていたのですが、声帯にとって一番よくない、咳きをする演技がとても多く、変に真面目な私は、真剣に咳き込んでお芝居していたため、ご覧になった方からは本当に体調が悪いんじゃないかと、心配のメッセージを多くいただきました(笑)。
しかし長い公演だと声帯が悲鳴をあげてしまうので、お芝居をする上ではうまくコントロールする必要があるなと感じました。経験を重ねれば重ねるほどお芝居にも実りを感じるし、もっとこうすればいいのかと閃きもあります。
今回の『ラブ・ネバー・ダイ』でも素晴らしい先輩方のお芝居、歌を吸収して、成長していきたいですし、そのワクワク感に溢れています。もちろん頑張らなくてはいけないけれど、楽しみのほうが勝っています」
――これからどんな作品との出会いを期待されますか?
「まだ見ぬ最新作をやってみたいです。『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』はオリジナル・ミュージカルでしたが、それ以外は海外作品が多かったので、誰もやったことがない役を、新鮮な気持ちで創り上げたいというのはありますね」
――ご自身で作品を書かれるのはいかがでしょうか。
「いつか、やってみたいですね。オリジナルでミュージカルを作って、音楽も手掛けてみたいし、他にはユーミンさん(松任谷由実さん)の半生を描いたミュージカルもやってみたい!もちろんユーミン役をやりたいです!(笑)」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『ラブ・ネバー・ダイ』1月17日~2月24日=日生劇場 公式HP
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