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配信有『ベートーヴェン』観劇レポート:至福の音楽とともに描く“不滅の愛”

『ベートーヴェン』写真提供:東宝演劇部

雷鳴が轟き、劇作家のグリルパルツァーらが亡き人を悼む。一輪のバラを手に棺に歩み寄る、黒衣の女性。“どうかあなた安らかに”と語り掛けるその人は…。

物語は17年前の1810年、ウィーンへと遡る。パトロンであるキンスキー侯爵の舞踏会で演奏するベートーヴェンは、ろくに音楽を聴こうとしない貴族たちに激高するが、弁護士フィッツオークの差し金により、後日のコンサートまで中止にさせられてしまう。

宮殿に抗議に出かけたベートーヴェンは、舞踏会でただ一人、貴族たちをたしなめたアントニー・ブレンターノ、愛称トニと再会。次第に心通わせてゆく二人だったが、トニには愛情の薄い夫フランツと子供たちという存在があり、ベートーヴェンは聴力を失いかけていた。いったんは離婚を考えたトニだったが…。

 

『ベートーヴェン』写真提供:東宝演劇部


ベートーヴェンが1812年にしたためるも相手に送ることなく、死後に発見された熱烈な恋文。“不滅の恋人”とだけ書かれたその宛先が誰であったのかについては、諸説あると言われています。

その女性こそは(ウィーンの名家の出身で、慈善家として知られた)アントニー・ブレンターノだった…という仮説に基づいたミュージカルが、ほぼ全曲ベートーヴェン自身の楽曲で彩るというコンセプトのもと、ミヒャエル・クンツェの脚本・作詞、シルヴェスター・リーヴァイの音楽・編曲で誕生。今年1月の韓国での世界初演を経て、日本での初演を果たしました。

ベートーヴェンの聴力の喪失危機という重大な要素も盛り込まれてはいますが、音楽との関わりにおける苦悩を描くというより、大枠はあくまでラブストーリー。愛を信じず、弟カスパールともその結婚を巡って袂を分かつほど頑迷だったベートーヴェンが、トニとの出会いを通して愛を知り、運命に立ち向かう力を得てゆくまでが、トニの心模様ともどもドラマティックに描かれています。

ヴィジュアル面では、ディテールまでこだわりぬかれた衣裳(生澤美子さん)、ベートーヴェンの分身的存在として心の揺れ動きをダンスで表現する、男女3人ずつのゴースト(音楽の精霊)たちが印象を残しますが、何より注目されるのはその音楽でしょう。

時系列でベートーヴェンのレパートリーを聴かせてゆく方法もあるかと思われますが、今回、作者たちが採ったのは、各場の出来事、登場人物の心情にふさわしい作品をピックアップし、アレンジを施すスタイル。主旋律はキャストが歌うこともあれば、オリジナルとは異なる楽器が担うこともあり、多彩なヴァリエーションが耳を楽しませます。

『ベートーヴェン』写真提供:東宝演劇部

 

例えば、激情にかられて鍵盤上を指が滑って行くかのようなピアノ・ソナタ第23番(「熱情」)第三楽章は、1幕ではフィッツオークとの言い合いの後、ベートーヴェンが穏やかならぬ心中を反映するかのように(原曲のまま)ピアノで演奏し始めますが、途中でベートーヴェンの怒りの言葉を乗せたミュージカル・ナンバーに切り替わります。

いっぽう2幕後半では、ある出来事によって思い詰め、姿を消したトニをベートーヴェンが必死に探す場面で、このモチーフが再登場。ただし、道行く人に目撃情報を乞うベートーヴェンの歌声に重ねられるのはもとのピアノではなく弦の音色となり、彼の焦燥が鮮やかに印象付けられます。

アレンジの凝り方は一通りではなく、中には複数の楽曲や楽章を組み合わせたり、エレキギターを加えた曲も。その一方で、トニが自分の人生の虚しさに気づくソロ・ナンバー「魔法の月」では、ピアノ・ソナタ第14番第一楽章(「月光」)の旋律がシンプルにそのまま活かされ、音にぴたりとはまる訳詞(竜真知子さん)、それをたっぷりと歌う花總まりさんの表現力を得て、“完璧な一場”が醸成されています。

また2幕後半にはトニのナンバーとして、本作で唯一、オリジナル曲「千のナイフ」が登場。キャッチーで力強いメロディが存在感を放ち、長く多方面で活躍してきた音楽家としての、リーヴァイの自負もうかがえる瞬間となっています。

『ベートーヴェン』写真提供:東宝演劇部

 

今回の日本初演には、こうした数々の挑戦にふさわしい“花も実もある”キャストが集結。コクのある人間ドラマを展開するいっぽうで、(リーヴァイによって“人間の声”に適したアレンジが施されているとは言え)もともと歌曲として作曲されていない楽曲の数々を、微塵も困難さを感じさせずに歌いこなしています。

ベートーヴェン役の井上芳雄さん、トニ役の花總まりさんは、交流の手段は対面か手紙という、現代では想像もつかない不便さの時代に、節度を保ちながら少しずつ心通わせ、“魂の同志”的な絆を深めてゆく二人を、丁寧に表現。ベートーヴェンが聴覚に関する医師の宣告に打ちのめされるも、トニとの語らいを経て希望を抱くようになる1幕後半など、ジェットコースター的な展開をそうと感じさせず、じっくりと見せて(聴かせて)います。

また井上さんのベートーヴェンは、不器用なまでの頑なさの中に(芸術家としての)純粋な探求心が覗き、決意の表れとして腕を振り上げるポーズでは、長身を生かしてある種様式的な“美”を体現。魅力的な“孤高の人”像が築かれています。

花總さん演じるトニは、心を決めて以降の精神の強靭さのみならず、自分の人生について葛藤する前半の表現が出色。特にピアノ協奏曲第五番「皇帝」第二楽章のしっとりとしたモチーフに乗せて歌う「完璧な日々」には、虚無と苦しさが渦巻く心中をかりそめの幸福感で覆うような風情があり、ここでしみじみと“幸せとは何か”に思いを馳せる観客も少なからずいらっしゃることでしょう。

『ベートーヴェン』写真提供:東宝演劇部

 

小野田龍之介さんとのダブルキャストでカスパール役を演じる海宝直人さんは、気難しい兄を理解し、芸術家の彼と“実世界”との懸け橋であろうとする献身ぶり、そしてヨハンナに対する一途さを、明朗かつロマンティックな歌声で体現。

フランツの妹ベッティーナ役の木下晴香さんは、(トニの人生観を揺さぶるきっかけとなる)情熱的な恋心を、弾むような歌声で表し、フィッツオーク役の渡辺大輔さんは、近年演じる機会の多い“曲者”の役どころを、余裕さえ漂わせながら演じています。

ヨハンナ役の実咲凜音さんは、その清潔なオーラでカスパールの愛に説得力を与え、キンスキー侯爵役の吉野圭吾さんは、これまでも様々に演じている“ヨーロッパの貴族”を、優雅さと風格をもって体現。この日のフランツ役・佐藤隆紀さん(坂元健児さんとのダブルキャスト)は、妻を“支配”の対象とみなし、もはや取り付く島もない夫を、圧倒的な厚みの歌声で表現しています。

今後上演が重ねられる中で、作品はさらなる進化を遂げてゆくことが予想されますが、その“第一歩”を目撃できるのは、シアターゴーアーの醍醐味と言えます。本作についてはライブ配信も行われており、1月21日には兵庫公演の大千穐楽が配信予定(アーカイブは1月28日まで配信)。独自のアレンジを施されたベートーヴェンの名曲の数々を楽しみながら、全国の演劇ファンと“歓喜のひととき”を共有できる機会となりそうです。

 

(取材・文=松島まり乃)

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*公演情報『ベートーヴェン』12月9~29日=日生劇場、2024年1月4~7日=福岡サンパレス、1月12~14日=御園座、1月19~21日=兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール 公式HP