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『ラ・マンチャの男』観劇レポート:今を生きる全ての人に、届けたい舞台

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

台下手寄りに座る、一人の男。彼がギターをかき鳴らすと、上手寄り背後でフラメンコを踊る人影が見える。舞台はゆっくりと闇に包まれ、音楽はいつしかオーケストラによる序曲へと移行。舞台上に一人、また一人と人影が増え、勇壮な旋律がしめくくられると、そこには怠惰に、あるいは絶望とともにうずくまる囚人たちに埋め尽くされた“16世紀スペイン、セビリアの牢獄”が、鮮やかに浮かび上がります

どうやらここは地下牢であるらしく、上方から降りてきた梯子から、新たな罪人が連れて来られる。従僕を連れたこの男セルバンテス(松本白鸚さん)は、教会侮辱罪で捕らわれ、いずれ宗教裁判を受けるという。刺激に飢えた囚人たちに小突き回され、牢名主(上條恒彦さん)に“お前の裁判をやろう”と言われた彼は“即興劇で申し開きを致しましょう”と応じ、薄暗い地下牢はたちまち、セルバンテスの描く物語世界へ。囚人たちもその登場人物として、次々に駆り出されてゆきます。 

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

自らを“遍歴の騎士ドン・キホーテ”と思いこんだ田舎郷士アロンソ・キハーナは、世直しの旅で風車と戦い、宿屋の下女アルドンザ(瀬奈じゅんさん)を“ドルシネア姫”と崇める。と思えば床屋(祖父江進さん)の鉢を黄金の兜と思い込み、ムーア人たちからは有り金を巻き上げられてしまう。はた目には滑稽この上ない騎士ぶりなれど、彼の信念は揺るがない。しかしそんな彼の夢想を許せないカラスコ博士(宮川浩さん)がある人物の姿となって現れ、衝撃を受けたキハーナは…。 

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

セルバンテスという男がキハーナを演じ、そのキハーナがドン・キホーテを名乗るという“入れ子”構造の本作。日本版ではそこにさらに、囚人たちに演出をつけるセルバンテスに演出と主演を兼ねる松本白鸚丈自身がオーバーラップし、いわば四重の入れ子構造にも見えるのですが、初演から50年、洗練に洗練を重ねた舞台は“難解な文芸大作”ではなく、あくまでエンタテイニングな仕上がり。キハーナが流れるように喋りながら前奏の終わる直前にぴたりと化粧を終え、“ラ・マンチャの男=われこそはドン・キホーテ”を歌いだせば、彼と従僕のサンチョ(駒田一さん)を乗せる馬&ロバ役は息の合った華麗な足さばきを披露。またキハーナを心配しているように見えて実は自分の立場のほうが心配なのかもしれない姪のアントニア(松原凜子さん)たちは、クラシカルな発声で二重唱、三重唱をふくよかに表現…と、すべての見どころ、聴かせどころで観客を楽しませます。

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

また本来は“ドン・キホーテに鉢を提供する”というだけの役回りかもしれない床屋のだりを、時事ネタも交えて茶目っ気たっぷりに膨らませている点では『助六』の“通人”を、またドン・キホーテ、アルドンザ、サンチョが荒くれ男たちと繰り広げる様式的な乱闘は(もちろんリズムは異なるものの)どことなく歌舞伎の立ち回りを彷彿とさせ、白鸚丈のバックグラウンドが生きた、世界にただ一つのプロダクションであると言えましょう。

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

その白鸚丈は、ドン・キホーテ(、であるところのキハーナ、であるところのセルバンテス)として力強い歌声を聴かせるいっぽう(重要な歌詞を“立てる”際の驚くべき声量は、それまでのありとあらゆる不運や逆境を呑み込んだうえで、それでもなお理想に向かって生きようとする人間の凄みと神々しさを凝縮するかのよう)、囚人たちに絡まれた際にその話術で場を切り抜ける様が何とも人懐こく、牢名主ならずとも引き込まれずにはいられません。

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

またドン・キホーテに一方的に“ドルシネア姫”として崇め奉られ、はじめは歯牙にもかけなかったものの遂には生き方が変わるほどの影響を受けるアルドンザ役の瀬奈じゅんさんは、荒んだ人生を歩み、その日その日を生き抜いてきた女性のバイタリティを“陰”に籠らず、全身で表現。人格を否定されるような仕打ちに遭い、一度は絶望に転じてもなお、終盤に主人公を鼓舞しようとする歌声も力強く心に響きます。 

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

ドン・キホーテ(キハーナ)の従僕役・駒田一さんは主人への思いを吐露するナンバー“本当に好きだ”ばかりでなく、全編にわたって彼への愛が溢れんばかり。死に瀕した主人の姿にうなだれていたのがその歌声を聴き、歓喜の表情に変化してゆく様が印象的です。セルバンテスの即興劇=物語を引き出すこととなる“牢名主”役、上條恒彦さんも、牢を牛耳るほどの犯歴を想像させる鋭い眼光や“べらんめえ調”の台詞と、劇中劇における宿屋の主人役としての人のよさがコントラストを織りなしますが、物語が進むにつれ、つっけんどんな牢名主がセルバンテス(の演じるキハーナ~ドン・キホーテ)の生きざまに触れ、人情味を覗かせるようになる。彼もまた彼なりの志の持ち主なのだろう、と想像が膨らみます。 

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『ラ・マンチャの男』写真提供:東宝演劇部

大きな舞台転換があるわけでもなく、ムーア人の踊りを除けばきらびやかな要素はほぼ、何もない。それにも関わらず本作が長きにわたり、観る者の心を鷲掴みにしてきたのは、“私たちは何のために、どう生きるのか”という普遍的かつ根源的なテーマを、愚直な主人公の物語を通してシンプルかつパワフルに投げかけて来るがゆえでしょう。そのメッセージを、半世紀ものあいだ発し続けてきた役者が今また、自身の人生の感慨とともにこれ以上なく力強く、投げかけている。明日を生きるための情熱が見つからない人も、現時点の“生”に希望を見出せない人も。“今”を生きる誰もが、観るべき舞台といっても過言ではありません。

 

(取材・文=松島まり乃)

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