劇団の公演を観に行くと、劇団、というだけで特別な思いに駆られる。
舞台上だけでなく、劇場のあらゆるところで劇団ならではの雰囲気を感じられるからだ。
昼公演に出ていた役者さんが、夜公演のもぎりや客席案内をしていたりすると、応援せずにはいられない。
劇団員に当て書きされたであろう役柄に、作家の劇団員への愛情を感じてほっこりする。
素晴らしい仲間達と共に、病める時も、健やかなる時も、人生を劇団に捧げて演劇を作っているんだろうなあと胸が熱くなる。
この9月で、“劇団”TipTapが解散して10年になる。
劇団だったのは、約3年余り。
プロデュース形式になってからもう随分長いのに、いまだに劇団根性が抜けない。
通常プロデュース形式であれば、各スタッフを集めて仕事を任せるものなのだが、私たちの場合は、できることは自分たちでやろう!と劇団員の如く制作、美術、衣装、小道具をほとんど自分たちで、自分たちなりの拘りをもってやってきた。
自分たち、と言っても私と夫の二人。
“劇団ふたり”なのだ。
朝から晩まで、四六時中、家でも、稽古場でも、行き帰りの道中でも、作品のことを話し作業を続ける。
喧嘩をして顔を見たくもない日だって、夫婦ふたり協力して精一杯取り組むしかない。
舞台監督と自分たち三人だけで稽古場仕込みをしなくてはいけない時もある。
私たちが使う稽古場に、エレベーターなんて贅沢なものはないことが多い。
平台や箱馬など重たい部材を何往復も階段を上り下りして運ぶのだ。
劇団員がいたらなあと嘆かずにはいられない…
それでもなんとか、劇団根性で乗り越えてきた。
そんな演劇漬けの日々を送る私たちだが、実は自分たちへの特別なご褒美がある。
“割烹夫婦”のお店に行くこと。
割烹夫婦とは、夫婦ふたりで割烹料理店を営む夫婦のこと。
私たちはいつからか、そんな夫婦を何のひねりもなくそのまま、“割烹夫婦”と呼ぶようになった。
初めて割烹夫婦のお店に行ったのは、夫が一年間文化庁の海外研修制度を利用してニューヨークに留学する時だった。
留学前の最後の公演として、ニューヨークでの上演を目指し製作したオリジナルミュージカル『Count Down My Life』を上演した。
公演を終えていよいよ日本を発つという時に、記念に二人で食事に行った。
それまではご褒美に行くなら焼肉でしょ!という若者だった。
でもその時は、これから一年アメリカなんだから、日本人らしいお料理をということで割烹料理を食べに行くことにした。
そこがたまたま夫婦で営む割烹料理屋さんだった。
『Count Down My Life』の中で、作家を目指す主人公がコンビニのバイトで、売れない「たこ飯サンドイッチ」と夢が叶わない自分を重ねて嘆くシーンがある。
その時、初めての割烹夫婦のお店のお昼のコース。
最後に出てきたのが「たこ飯」だった。
不思議な偶然が夫の門出を応援してくれているようで、嬉しかったのを覚えている。
一つ一つ小さなお皿やお椀で、丁寧に出されるお料理は、作っている方の手間暇と感性がぎゅっと詰まっている。
どれもそれはそれは美味しかったけれど、まだその時には、今程その時間を楽しめていなかったように思う。まだ若かった。
あれから7年。
私たちも夫婦になった。
お互いよく頑張ったと思えることがあるとごく稀に、自分たちへのご褒美として割烹夫婦のお店に食事に行く。
一皿、一皿、一おもてなし、一おもてなし。
ご夫婦の経験と拘りが感じられる。
たった二人で切り盛りしている小さなお店。
そこにはしっかりと、二人の世界が生まれている。
割烹夫婦の職人気質な旦那さんに控えめな奥さん。
私たち夫婦とは全然違うけれど、微かに通じるところがある気がして、勝手に共感しながら、特別な時間を過ごすのだ。
そうしていつも、お店を出た帰り道にふと考える。
そのお昼のコース代と、自分たちの公演のチケット代。
劇場に足を運んで頂いた方に、特別な時間を味わって頂けるよう追求していきたい。
そう思い改めて気を引き締める。
これからどんな形で舞台を作っていくんだろう。
劇団ふたりから、劇団さんにん、よにん、となったりするだろうか…それはそれで楽しみだ。
喧嘩の絶えない二人だけれど、まずはお互いの体力が続くまで、“劇団ふたり”を解散しないように頑張ろう。
(文・画=柴田麻衣子)
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