Musical Theater Japan

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ストレート・プレイへの誘い 『ピグマリオン』演出 ニコラス・バーター に訊く:"勇敢な花売り娘”と"心がおろそかな教授”それぞれの成長物語

ニコラス・バーター ケンブリッジ大学卒業。英国王立演劇学校(Royal Academy of Dramatic Art)校長(1993年~2007年)、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー傘下シアターゴーラウンドの副芸術監督ほか、多数のカンパニー・劇場にて芸術監督をつとめた。英国での演出作に『Who Killed Santa Claus』『Pump Boys and Dinettes』等、日本での演出作に『PURGATORIO/プルガトリオ-あなたと私のいる部屋-』がある。桐朋学園芸術短期大学名誉教授でもある。©Marino Matsushima 禁無断転載


1963年の日本初演以来、繰り返し上演され、愛されてきた『マイ・フェア・レディ』。
このミュージカルのインスピレーションとなったストレート・プレイ『ピグマリオン』が今月、沢尻エリカさん主演で上演されます。

 

タイトルの“ピグマリオン”は、ギリシャ神話の登場人物。自らの創造物である彫像に恋焦がれたキプロス王ピグマリオンが、女神アフロディーテの助けで彫像を本物の人間に変えてもらい、結婚する…という神話にヒントを得、アイルランド出身の劇作家ジョージ・バーナード・ショーが書いた本作(1913年初演)は、どのような作品であり、ミュージカル版とはどう異なるでしょうか。

 

今回、演出を手掛ける英国演劇界の重鎮ニコラス・バーター氏に、本作の背景や魅力、現時点での稽古の手応え、英国演劇界の“今”について等、さまざまにお話いただきました。

 

【あらすじ】1930年代のロンドン。上流階級の音声学者ヘンリー・ヒギンスは、コヴェントガーデンの市場で出会った若い花売りの娘イライザを賭けの対象に選び、上流階級の発音をマスターさせ、社交界に送り込もうとする。厳しい発音レッスンを重ねるなかで、二人の間にはある感情が生まれるが…。

 

©舞台『ピグマリオン』2026 撮影:岩田えり


英国では今も"喋り方”一つで
階級を判断されてしまいます

 

――本作は今の英国において、どのような作品ととらえられているでしょうか。

「一口で言えば“喜劇”です。大変人気があり、今も上演されています」

 

――この戯曲の魅力はどんなところにあるとお考えですか?

「登場人物たちですね。非常に興味深く、それぞれに“キャラ立ち”した人々が魅力的です」

 

――ヒギンスも含めて…?

「そうです。彼は中年の大学教授ですが、(精神的には)まだ学生から抜け出せていません。若い女性ではなく、母親世代のことが気になる“お坊ちゃま”です。自分の感情を表現することも下手で、本作で(イライザとの出会いの中で)初めて自分の感情に気づき、ショックを受けます。社会的地位もあり、音声学の専門家でもありますが、脳だけで生きていて、心の方はおろそかになっているのです。

本作は(イライザだけでなく)彼の人間的成長の物語でもあります。彼に生まれて初めて自分の感情に気づかせるのがイライザであったため、二人が最後に結ばれるべき…と映るかもしれませんが、断固としてそれは正しくない、というのが実際のところです」

 

――現代の観客からすると、特に序盤のヒギンスの、“労働者階級の女性”であるイライザに対する数々の失礼発言(⁈)は強烈です。彼に悪意が無いだけに始末が悪いというか…(笑)。

「そうですね。ただ、彼女のような存在は珍しいわけではありません。イライザは父親の6人目の愛人を巡って父と喧嘩し、家から放り出されているため、自分で食い扶持を稼がないといけない。社会の底辺で、貧しさの中で生きています。

特に今回は映画版と同じく、1938年のロンドンという設定で演出しています。1930年代半ばには世界的に大恐慌が起こり、多くの人が貧困に直面しました。労働者階級だけでなく、本作に登場するエインスフォードヒル家のような中産階級も含めてです。それまで株式投資や代々の遺産で生きながらえてきた人々が、ある日突然一文無しになってしまいました。
ヒギンスの母の終盤の台詞に“あなたは何のために彼女に「話し方」を教えたの? 上品なスピーチが出来ても、中産階級での生計の立て方を教えないなら、花売り娘の頃ほどの収入も得られないじゃないの”とありますが、それがいっそう痛烈に聞こえます。

そんな中でも(花屋を開くという)夢を持ち、一生懸命に自分を磨こうとしたイライザがいかに勇敢であったか、ということが本作では描かれています」

 

©舞台『ピグマリオン』2026 撮影:岩田えり


――劇中、イライザは何度か「私はまともな女の子なんだ」と発言し、その思いが彼女の向上心につながっているように映ります。原語ではどのような表現なのでしょうか。

「“I'm a good girl. ”ですね。労働者階級の女の子たちが、小さいころに親に教えられるフレーズです。ここではつまり“私はきちんとした女の子であって、娼婦ではない。あなたとは寝ないわよ”という意味です」 

 

――『ピグマリオン』とミュージカル『マイ・フェア・レディ』では、ストーリー上、ある部分が大きく異なりますが、それ以外に特徴的な違いはありますか?

「『マイ・フェア・レディ』は音楽という媒体を通して物語を伝えているのに対して、『ピグマリオン』はジョージ・バーナード・ショーがこだわった“言葉”のみで表現されている点が大きく異なります。

といっても、全く音楽が無いわけではなく、今回はストリート・ミュージシャンといった形で、バンドが登場します。当時のロンドンにはストリート・ミュージシャンが存在しましたし、戦後も見受けられました。僕自身、子供の頃に(ロンドンの)オックスフォード・ストリートで彼らを見かけたのを覚えています。

ショーの書いた台詞にちりばめられたユーモアを楽しみながら、お客様たちには様々な“発見”をしてほしいと思っています。バーナード・ショーは社会主義者でもあったので、人間一人一人の“違い”に人一倍関心を抱いていました。イライザの父ドゥーリトルやピカリング大佐、エインスフォードヒル夫人といった興味深いキャラクターたちを通して、皆さんは当時の社会を俯瞰できることでしょう。そして彼らの“違い”を定義していたのが、本作のテーマの一つにもなっている“喋り方”なのです」

 

――現代の英国、とりわけロンドンには多彩な出自の人々がひしめいていますが、そんな中で“喋り方”はどの程度重視されているのでしょうか。

「今も極めて重要です。喋り方によっても、運転している車によっても、読んでいる新聞、見ているテレビ番組によっても判断されます。日本の方々以上に、英国人は階級にこだわります。あなたがた(日本の皆さん)は“共生”感を大切にされると思いますが、私たちはいまだに階級に分かたれています。いいことだとは思っていなくとも、実際そうなのです。誰かの家を訪ねると、そこにかかっている絵一つで、その人の階級がわかってしまいます」

 

――日本では、おそらく30~40年ほど前までは“美しい喋り方”を意識される方が少なからずいらっしゃったと思いますが、昨今はそういった美学はほとんど死滅していると言っても過言ではありません。英国ではいかがでしょうか。

「ある程度同じ状況だと思います。言葉を大切にする傾向は薄れていると思いますね。中産階級の言語がより均質化、大衆化しつつある一方で、ラジオやTV放送を聞いていると、労働者階級の人々の言葉はより明瞭になってきています」

 

©舞台『ピグマリオン』2026 撮影:岩田えり


――2026年の今、本作を上演する意義はどのようなところにあると思われますか?

「一つの文化を異なる文化圏で共有することは大変興味深いものです。例えば(ハイライトである)大使のパーティーのシーンでは、社交における様々なエチケットが登場します。今回の出演者の方々の大方は社交ダンス歴がなかったので、ワルツのレッスンをすることで、それが立ち姿や所作にどんな影響をもたらすか、体感していただいています。

また今回はアレクサンダー・テクニック(身体の不必要な動きを取り除き、リハビリや呼吸、発声を促進する理論)の教師についてもらっており、演技に活かしていただいています。例えば“握手”。日本の俳優さんたちは、握手をするときあまり手を前に出さず、やや控えめな印象を受けます。互いの接触を恐れているようにさえ見えます。しかしそれは彼らにとって敬意の表れなのであって、表現の仕方が異なるだけなのです。日本の方々の互いの距離感はとても美しいものだと思います」

 

――稽古は1週間ほど前に始まったとうかがいました。

「稽古を始めるまえに、皆でしっかりディスカッションをしました。階級社会やキャラクターたちの背景、戯曲の根底にある男女の関係や知性といったことについて話し合いました。そのうえでリハーサルを開始しました」

 

©舞台『ピグマリオン』2026 撮影:岩田えり


――主演の沢尻エリカさんはいかがですか?
 
「彼女は非常に鋭い“勘”を持った俳優です。自分の立ち位置を正確にとらえ、演出に対してオープンです。彼女が共演者たちの台詞をきちんと聞いて反応しているので、共演者たちも彼女の台詞をよく聞くという構図が出来ています。

私としては、まるで彼らが初めてそのやりとりをしているかのように、いわば即興劇のような風合いをお客様が感じてくださればいいなと思っています。もちろん本当に即興劇というわけではなく、入念に構築されたやりとりではあるのですが、自発的な会話に聞こえなければなりません。

あくまで私の感覚ですが、日本の演劇界では“自発性”というのはあまり重視されていないように感じます。日本でワークショップを行う度に、参加者たちに“皆さん、自発性を見せてください”と言っていますが、いつも皆さん、そんなことは初めて言われたというような顔をされます」

 

――以前、英米の有名な演出家3人とお話するなかで、日本と英米の俳優さんにどんな違いを感じますかと尋ねたところ、日本の俳優さんは演出家を“先生”ととらえる傾向がある、とおっしゃっていたのが印象的でした。ニコラスさんはいかがでしょうか。

「まったく同感です。私は俳優たちが創造性をいかんなく発揮し、発見ができるよう全力を尽くし、できるだけ自由な場を作りたいと思っています。君はそこ、あなたはあちらに立ってと指示を出すのは私の役目ではありません。“この稽古場ならトライできる、ちょっと冒険してもいい”と思ってもらうこと、そしてお互いにそう感じられるようにしてもらうことが私の役目。そのために私からはあまり発言しないこともあれば、多めに声をかけることもあります。

もう一つ、私が日本の演劇界のならわしで意見申し上げたいのが、俳優たちがリハーサルが始まる前に台詞を覚えてきてしまうということ。それは台本の一部“だけ”を持って稽古に臨むということにほかならず、間違った行為だと思っています。

例えば、ある台詞の中には、三つの思いが存在するにもかかわらず、俳優はそれを一つの塊として覚えてしまう。“ちょっと待ってください”、と私はその俳優に台詞を分析するように言います。ここでは何を思っている?この部分では?そしてどのように気持ちを変えるのか。

それは言語の文法にも密接に関係しています。日本語では動詞が終わりのほうにきますが、英語ではすぐに動詞がくるため、“気を変える”ことが容易で、文章の終わりまで待つ必要がありません。しかし日本語では文章の終わりまで、忍耐強く待たなければならない。

これは大きな違いですので、(演出家として)私は適応しなければなりませんが、俳優たちに、(変化の)兆しを(終わりまで待たず)もっと早く察知するよう、説得する必要もあります。でなければ自然な演技ができませんし、お客様たちも英語が原語のコメディの面白さを引き立たせる“サプライズ要素”を体験することができないのです」

 

――稽古期間を有効に使うために台詞を前もって覚える、という方もいらっしゃるのかもしれません。

「(日本では)稽古期間が十分ではないことが多いのでしょう。先日も、ある俳優さんから英国ではどれくらい稽古するのか尋ねられましたが、英国では通常、朝10時から夕方5時まで、6週間稽古します。芝居の規模や場所にもよりますが、4週間以下の稽古というのはまずありません。もしそんな条件であれば、私はオファーを受けません」

 

©舞台『ピグマリオン』2026 撮影:岩田えり


――では今回は…。

「それがですね、今回は“正月休み”というものにあたってしまいまして(笑)。稽古期間の真ん中に長期の休みが入っているため、本作のような大作のリハーサルとしては、若干短く感じています。舞台美術も大きく動く、複雑な作品でもありますので僕らにとっては大きなチャレンジですが、お客様はキャラクターたちを様々な背景の中で観ることができ、楽しんでいただけると思います」

 

――日本の観客に、本作をどのように楽しんでいただきたいですか?

「大変よく出来た物語ですので、バーナード・ショーのストーリーテラーぶりをじっくり味わっていただければと思います。シチュエーション的にも会話的にも、笑える箇所がたくさんありますので、ぜひ声を出して笑ってください。こちらとしては、ショーのウィットが明快に届くような翻訳を一つ一つ吟味するのが、大きなチャレンジとなっています」

 

ニコラス・バーターさん。©Marino Matsushima 禁無断転載


――ご自身についても少しうかがわせてください。ニコラスさんはどの程度の頻度で来日されているのですか?

「劇団昴や文学座等のワークショップのために、年に2,3度来日しています。日本にも住まいがあり、ここでの滞在を毎回嬉しく思っています。 日本の方々はとてもあたたかく、心が広く、来日の度に歓迎していただけていると感じます。

それに日本では全てが機能しています。英国と違い(笑)、電車は予定通りに来ます。マーガレット・サッチャー(1979~1990年の英国首相)のおかげで、わが祖国は酷いことになってしまいました」

 

――なんと…。

「彼女は社会の在り方をあらゆる方面で変えてしまい、私たちは今、そのつけを払わされています。とても残念なことに」

 

――演劇界も含めて、でしょうか? 

「英国の演劇界はベストを尽くしていますが、財政基盤が失われつつあります。私がアーツ・カウンシルで働いていた1970年代の4年間には、常に新たなカンパニーや新たな作品が誕生し、年間予算ももっとありましたが、今はありません。

そのため、演劇界はより商業的なものとなっています。例えば、ミュージカルの上演本数が増え、それ自体は良いことだと思います。良い新作を生み出す点ではブロードウェイを凌駕しているとも言え、ブロードウェイから呼ぶ作品よりもあちらに進出する作品が多いようです。そういう意味では英国のミュージカルは今、最も活気があると言ってもいいかもしれません。

一方では、今週、あのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)が、ミュージシャンたちを解雇してしまいました。私はRSCでもある時期仕事をしていましたので、良いシェイクスピア劇のためには音楽もまた重要であると思っており、このニュースを大変残念に思っています。

そんなわけで英国演劇界はあまりいい状況とは言えませんが、劇作家に関しては優れた人材が存在します。問題はあくまで財政的な側面だと言えます」

 

(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『ピグマリオン』1月20日~2月8日=東京建物Brillia HALL その後名古屋、北九州、大阪で上演予定 公式HP

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