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『セツアンの善人』観劇レポート:混沌の世界で“善良さ”は貫けるのか

『セツアンの善人』撮影:細野晋司


頭上のシーリング・ファンが旋回を始め、舞台上を人々が行き交う。その姿は目的地に向かうというより、“右往左往している”と表現するほうがふさわしいかもしれない。ひとときの喧騒の後、舞台上には彼らが捨てたペットボトルが散乱。マナーも秩序もない光景の中、ひとりの青年が浮かび上がる。

彼は“水売りのワン”。自分を含めたその町“セツアン”の人々について、“みんな喰うのに必死でギスギスしてる”と屈託なく語り、みすぼらしいなりをした男たち3人組を見かけると彼らが待望の“神様”だと言い当て、彼らが泊まれる家を探そうとする。だが町の人々の反応は冷たく、ワンは“こうなったら…”と町一番の善人、シェン・テに頼み込む。

体を売って生計を立てている彼女は、その日の商売を犠牲にして神様たちを泊まらせる。その善良さに感心した神様たちは、一宿一飯の礼として彼女にまとまった金を与え、シェン・テは“これで善いことがいっぱいできる”と喜ぶ。しかし小さなタバコ店を開いた彼女のもとには、物をせがむ人々ばかりが来訪。はじめは“誰かが助けなきゃ”と思い、応じていたシェン・テだったが…。

 

『セツアンの善人』撮影:細野晋司


ベルトルト・ブレヒトが第二次大戦中に執筆し、1943年にチューリッヒで初演された『セツアンの善人』を、『ジャック・ザ・リッパー』等でミュージカル・ファンにもお馴染みの白井晃さんが初演出。カプセルホテルをイメージしたという、キューブを重ねた舞台空間(美術=松井るみさん)の中で、搾取が横行する世界にあっても善良さを失わずに生きようとするシェン・テの奮闘が、エネルギッシュに描き出されます。

とりわけ今回のプロダクションで特徴的なのが、上演中、かなりの時間(公演プログラムの情報によると8~9割とのこと)で演奏されている音楽。もともと本作のために作曲されたパウル・デッサウによる6曲の“ソング”に加え、パーカッションと弦楽器による無国籍風の音楽が各場を彩り、随所に登場するシェン・テのモノローグも“語り歌”として表現されています。音楽監督の国広和毅さんによる“語り歌”は日本語の抑揚を活かし、一つの音を基調としたシンプルな曲調。シェン・テが発する言葉が聴き手の耳に届きやすく、観客は確実に、彼女の痛切な“問いかけ”を受け取ることとなります。

 

『セツアンの善人』撮影:細野晋司


多方面から集結したキャストも物語の世界に豊かな奥行きをもたらし、シェン・テと(どうにも行き詰った彼女を救うかのように現れ、ビジネスライクに状況を打開しようとする従兄弟)シュイ・タの二役を演じる葵わかなさんは、混沌とした世界の“希望”ともいえる役柄を体当たりで熱演。特に“呆れた人たち…救いようのない人たち…”等、物語世界から一歩抜け出して観客に状況を訴えかける“語り歌”での気迫がすさまじく、彼女の立つエリアが観客の目の前にせり出してくるかのよう。“飛行機のない飛行機乗り”ヤン・スンと出会い、言葉を交わすシーンでの、孤独を決め込んでいた心が動いてゆく姿もヴィヴィッドです。

 

『セツアンの善人』撮影:細野晋司


その“雨の中の出会い”で、シェン・テのみならず観客にも“放っておけない何か”を感じさせるヤン・スンを演じるのは、木村達成さん。はじめこそその絶望の深さに同情せずにはいられませんが、いざシェン・テの恋人になると本来の野心が蘇り、欲深い母親にも影響され、その後さらなる変貌を遂げてゆく人物をのびのびと演じています。2幕で歌うデッサウ作曲のソロ「厄日の歌」での、ヤン・スンのフラストレーションが炸裂する歌唱もインパクト大。

三人の神様“三柱の神々”を演じるのは、ベテランのラサール石井さん、小宮孝泰さん、松澤一之さん。実は“世界をこのままにしておくかどうか、立派な善人が見つかるかどうかで決めよう”という意図をもって人間界を彷徨っており、彼らもまた迷える存在である…という存在を、飄々とした味わいで体現しています。

 

『セツアンの善人』撮影:細野晋司


冒頭、本作の水先案内人さながらに登場するも、早々に姿をくらまし、後にひょっこり戻って来て…と作者ブレヒトに翻弄されている(?)感もある水売りワン役は、渡部豪太さん。神様のために奔走する誠実さと、生活のための“少々の狡猾さ”を併せ持つ男を人間くさく演じ、ヤン・スンの母ヤン夫人役の七瀬なつみさん、大家のミー・チュウ役・栗田桃子さん、未亡人シン役のあめくみちこさんの“一筋縄ではいかない”造型も、セツアンの町のせちがらい暮らしを印象付けます。

そんななかで、おおぜいが行き交う場面に何気なく(?)登場し、思わず二度見せずにはいられないのが、小林勝也さん。日本の新劇を担ってきた大きな柱の一人である小林さんが、直接物語を動かす役どころを演じていないことに驚く演劇ファンも少なくなさそうですが、最後の最後に、“その時”はやってきます。物語のエピローグで、やや控えめに…しかし非常に重要な問いかけをする“俳優”役が、小林さんなのです。

 

『セツアンの善人』撮影:細野晋司


これまで数多くの役柄を演じてきた彼が、特定のカラーで彩ることなく、淡々と語る長台詞。その一言一言が静かに、しかしずしりと響き、観客は“他人事”であるはずの物語が実は“自分事”であったことに気づかされる…。そんな稀有な体験が、可能なプロダクションとなっています。

(取材・文=松島まり乃)

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*公演情報 『セツアンの善人』10月16日~11月4日=世田谷パブリックシアター11月9日~10日 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール