ある夜更け。寝不足が続く日々の中で、シングルマザーの音楽家キャットは出会い系サイトに自己紹介動画を投稿し、思いがけない人物から連絡を受ける。発信者は20世紀の南極探検家、サー・アーネスト・シャクルトンだった。
航海の途中でキャットの音楽に惹かれたというシャクルトン。求められるまま探検隊を励ます音楽を演奏するキャットだったが、船は流氷に挟まれて身動きが取れなくなり、みるみるうちに難破してしまう。
状況は絶望的だが、シャクルトンは隊員たちを陽気に鼓舞。いつしかキャットも時空を超え、シャクルトンの冒険に参加していた。困難を乗り越えるうち、互いの中にインスピレーションを見出した二人は…。
奇想天外なストーリーとユニークな音楽、そしてたった二人の出演者の芸達者ぶりが大評判となり、オフ・ブロードウェイ・アライアンス最優秀ミュージカル作品賞を受賞したミュージカル『アーネストに恋して』が、海外ミュージカルを映画館で楽しむ「松竹ブロードウェイシネマ」に登場。10月4日から全国で順次公開されます。
本作の発案者で、作詞・主演・演奏も兼ねるヴァレリー・ヴィゴーダさんは、シンディ・ローパーとも共演経験のある凄腕ヴァイオリニストにして作曲家、俳優。本作でもその多才ぶりはあますところなく発揮されていますが、作品はどのように生まれ、成長していったのでしょうか。また、彼女が伝えたいメッセージとは?
最新作の話題も含め、(当初の予定時間を大幅に超えて)たっぷり、気さくにお話いただいたインタビューをお届けします!
本作に登場するアーネスト・シャクルトン(1874~1922)は、英国の南極探検隊を3度率いた冒険家。ヴァレリーさんが彼をモチーフにミュージカルを創ったのは、博物館でご覧になった展示がきっかけだそうです。
「2003年のことです。当時のパートナーと博物館に行き、(二度目の遠征で)船が難破するという絶望的な状況を乗り越え、22人の隊員を救出したシャクルトンのことを知りました。写真や映像を通して彼が探検の間、どう過ごしていたかが“体感”できる展示は、非常に印象深かったです。
それから5年間リサーチを重ね、私の“シャクルトン熱”はますます高まりました。彼が経験した困難に比べたら、私の悩みなんてちっぽけなものだ…などと思いつつ、脚本家のジョー・ディピエトロと新作会議をした際、シャクルトンをテーマにと提案したのです。
ジョーは、シャクルトンが探検にバンジョーを携行し、それを演奏することで心の支えとしていた点を面白がってくれました。彼にとっての音楽の重要性に着目して話を膨らませてみようということになり、NYブルックリンに住むシングルマザーの音楽家が、時空を超えてシャクルトンと出会う…というアイディアが生まれたのです。現代の女性と20世紀の探検家の交流を通して、冒険物語にロマンスやコメディの要素を付け加えていきました」
壮大なスケールの物語をたった二人で演じているのが、本作の面白さ。しかし当初はさらにシンプルな形での上演を考えていたのだそう。
「キャットは(即興的に音楽を演奏する)ライヴ・イベント・ミュージックのアーティストです。舞台上で彼女が演奏しているのは、(その場で)彼女自身の中から生まれ出てくる音楽…という設定ですので、出来るだけ人数を絞りたいと思い、はじめは一人芝居を考えていました。
寝不足の主人公の妄想の中に、シャクルトン含め、いろいろな探検家から電話がかかってくる。それらの登場人物を、加工した私の声を使って表現する…という構想だったのですが、いざ低く加工したら、連続殺人鬼のような怖い声になってしまって(笑)。
演出のリサ・ピーターソンからも、最初の読み合わせで“シャクルトンはいったいどこにいるの? 彼に会いたいわ”と言われ、再考。二人芝居に映像をプラスするという形に落ち着きました」
ヴァレリーさんの生き生きとした演技も本作の見どころですが、キャット役のモデルは彼女自身でしょうか。
「(脚本家の)ジョーには執筆にあたり、私の個人的な話もたくさんしたので、キャットはかなり私に近いです。ただ、キャットはアヴァンギャルドな女性で体のあちこちにタトゥーを入れていますが、私は一つも入れていません(笑)。
また、本作を作り始めた2009年当時、キャットはシングルマザーという設定でしたが、当時の私はそうではありませんでした。しかし2017年にオフ・ブロードウェイで上演するころには、私もシングルマザーになっていまして。彼女と同じ体験をすることで役への共感が深まり、よりキャットに近づけたと感じています」
本作にはザックという赤ちゃんも(声で)登場しますが、こちらもモデルはおそらくヴァレリーさんの息子さん…⁈
「その通りです(笑)。赤ちゃんの頃はなかなか寝てくれなくて、おかげでこちらは睡眠3時間ということもよくありました。キャットが寝不足という設定は、私の実体験がベースになっています。
彼は2005年生まれで、この作品と一緒に成長し、ちょうど二日前に大学が始まりました。本作を気に入ってくれています。
小さい頃の息子は、私や(やはりミュージシャンである)父親の仕事があまり気に入らなかったようなのですが、いつしか自身の音楽性に目覚めたようです。私がドロップボックス(クラウドストレージ)の中に入れておいた、本作のメモや音楽のデモテープを見つけると、それらについて意見を言ってくるようになりました。彼からのアドバイスがそのまま反映された箇所もありますし、本作にポジティブに関わってくれましたね」
スケール感のある曲調が次第に素朴さ、あたたかみを帯びて行くユニークなスコアも、本作の魅力です。
「シャクルトンと出会ったことで、キャットの音楽性と彼の音楽性が融合していく過程を表現したかったのです。
キャットはブルックリン在住の、ループを使った音楽(短いフレーズを重ねたり繰り返しながら演奏する音楽)のアーティストで、ゲーム音楽の作曲家でもあります。もともとの彼女の音楽は、冒頭のナンバーに代表されるように、エッジーで都会的、アヴァンギャルドな作風でした。
(↑冒頭のキャットの演奏シーン)
そこにバンジョーの音色や、シャクルトンの時代の流行曲(“It’s a long way to Tipperary”)の旋律が加わって行くことで、よりシネマティックで、趣のある音楽に変化して行くのです。
本作のために、私はライヴ・イベント・ミュージックについていろいろと学びました。その結果、今ではルーピング・アーティストとしても活動しています。この作品のおかげで、私はアーティストとしても成長することが出来たと感じています」
冒険物語といっても、本作のベースはコメディ。笑いのツボもたくさんあり、例えば“ジャーニー”という有名バンドがジョーク的に言及される箇所があります。数あるバンドの中でジャーニーが選ばれた理由は…?
「誤解のないよう言っておきますが、私自身はジャーニー、大好きです!(笑) (人気がありすぎて)カバーバンドが作られやすい(つまり商業利用されやすい)バンドとして言及されています。芸術家肌で商業的な音楽を創りたくないキャットのスタンスを浮き彫りにするという意図です」
時代のギャップによる笑いも見逃せません。キャットが“badass”(badとassを組み合わせたスラング)と発言して、シャクルトンがお下品な表現と勘違いするくだりは、英語の意味の変遷がポイントとなっています。
「キャットとしては非常にポジティブな意味で“badass”と言っているのですが、シャクルトンの時代にそういうスラングは無かったので、目を丸くしてしまう。時空を超えた二人だからこそ生じる勘違いも楽しんでいただけると思います」
一人オーケストラをやってのけるヴァレリーさんに対して、ウェイド・マカラムさんはシャクルトン含め、男性諸役(+女性も一人⁈)を鮮やかに演じ分けます。
「ウェイドは俳優としても歌手、パフォーマーとしても才能豊かで、人としても太陽の光のような、素晴らしい人です。
私は2006年に、ディズニーのクルーズ用に『トイ・ストーリー』短縮版のショーを書いたのですが、その最初のリーディングに、ウッディ役で参加していたのが彼でした。その時の印象が強く、シャクルトンを演じられるのは彼しかいないと思い、声をかけたのです。
彼はすごくスター性があるし、キャラクターの演じ分けもスイッチのように素早く正確に出来、とても面白い人。加えて体力的にも驚異的で、登る動作の際にゆっくり懸垂してみせるので、お客様たちも毎回、息をのんで観ていました。
あと、シャクルトンはバンジョーを弾くので、彼は友達に楽器を借りて練習していました。私も最後の方でバンジョーを演奏するので、二人で練習するうち“バンジョーの絆”がどんどん強くなっていきましたね。本作はライブ演奏が主ですが、一緒に練習していた時の音も、サンプルとして少しだけ流れてきます」
本作でヴァレリーさんが最も伝えたいのは、どんなメッセージでしょうか。
「シャクルトンは楽観主義と忍耐、そして音楽を手放さなかったことで、困難の中にも美を見出し、苦境を脱することが出来ました。
もしシャクルトンに出来たのなら、私たちも何だって出来る。お客様にはそんな、楽観的なパワーを受け取っていただきたいです」
“ワン・オペ子育て”の日々に疲れ、孤独感を深めていた主人公が、ひょんなことから前世紀の人物と心を通わせる。そんなストーリーを通して、本作はもう一つ、“どんなに自分は孤独だと思っても、きっとどこかに思いをシェアできる人はいる”というメッセージも投げかけているのかもしれません。
「そう思います。コロナ禍なども経験し、孤立が蔓延する現代において、希望を持ち続けることはとても大切なことだと思います。
キャットは孤独で、話す相手が必要ですが、赤ちゃんの父親でボーイフレンドのブルースは、バンド活動でツアーに出ていったきり。そんな男に愛想をつかしつつも、キャットは彼との縁を断ち切るほどタフではなく、心の中で悶々としています。
そんな折に現れたのが、シャクルトン。彼は感情をコントロールすることに長け、どんなに絶望的な状況でも一番苦しそうな仲間の側に行き、テントをシェアして寄り添ったといいます。キャットはそんな人物と時空を超えて出会えたのですから、人生何が起こるかわかりません」
さて、ここからはプロフィールについてうかがいます。音楽界や演劇界で長く活躍しているヴァレリーさんですが、女性であるがゆえの“ガラスの天井”を感じたことがあるでしょうか。(筆者は以前、『ライオンキング』を演出したジュリー・テイモアさんから、女性のクリエイターが演劇界でキャリアを築くことの困難さをうかがったことがありますが、最近は状況に変化が見られるでしょうか。)
「女性の演出家が活躍することの困難さは、容易に想像できます。演劇界の狭い道を歩きながら、演出家はいい顔を見せつつ、ボス的な態度もとらなくてはいけない、タフな仕事ですから。
ただ、私自身は音楽を中心にやってきたので、基本的に自分が中心。自分が出来ないパートを演奏する人をオーディションして集めて、ツアーをやる。それと並行してミュージカルを創る…という活動をしてきたので、女性であるがゆえの不自由さは体験していません。(巨額が動く)ブロードウェイでまだ勝負をしていないからかもしれませんが。
あと、最近は以前に比べて、“女性の物語”に対する需要が高まっているのではないでしょうか。そのおかげで、最近は女性クリエイターたちにとっても、仕事をしやすくなってきたのではないかな、と感じます」
現在取り組んでいる新作について尋ねてみると、ヴァレリーさんの目はひときわ輝きました。
「本作で組んだ脚本家のディピエトロたちとともに、“Miss Foxhole 1975”という新作を準備中です。
1975年に士官候補訓練の卒業前にミス・コン出場を命じられた女性たちを巡る、実話に基づく物語です。実は私自身、年代は違いますが、主人公と同じ軍隊訓練の経験がありまして(注・大学の奨学制度Army ROTCに参加)。とても楽しい物語なので、わくわくしながら準備しているところです」
(取材・文=松島まり乃)
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