前回からメイン会場が日比谷・銀座・有楽町エリアに移った東京国際映画祭。第35回の今年はコンペティション部門の審査委員長にジュリー・テイモア(ディズニー・ミュージカル『ライオンキング』演出家。映画監督としても『タイタス』『フリーダ』等で活躍)を迎え、10月下旬から11月初旬にかけて開催されました。
昨年はクロージング作品としてミュージカル映画『ディア・エヴァン・ハンセン』が選ばれましたが、今年上映されたのは黒澤明監督作『生きる』の英国版リメイク。2018年、20年に市村正親さん、鹿賀丈史さん主演で上演されたミュージカル版が記憶に新しいだけに、舞台ファンにとっては2年連続の嬉しい選出です。
英国を代表する作家カズオ・イシグロが脚本をつとめた英国版は、場所こそロンドンに移されてはいますが、設定は黒澤映画と1年違いの1953年。端正な音楽とともに当時の資料映像が登場するオープニングを経て、映画は青年ピーターが蒸気機関車でロンドンに向かい、勤め始めた役所で寡黙な上司、ウィリアムズと出会うさまを描きます。
といっても全編がピーターの視点で描かれるわけではなく、以降は息子夫婦に疎まれて家庭に居場所がなく、職場でも心を開くことのないウィリアムズが自身の病状を知り、動揺する姿を丹念に描写。貯金の半分をおろして海辺のリゾートにやってきた彼は、居合わせた作家に人生の楽しみ方を教えてくれないかと頼み、盛り場へと繰り出しますが…。
主人公が繰り返し若い(元)部下と出かけるくだりや、人間の性(さが)に対する風刺描写等に変更は見られるものの、物語の流れやキャラクター造型はおおむね黒澤映画版に倣っており、とある動物のおもちゃも存在感をもって登場。原作に対する、作り手たちの並々ならぬリスペクトが見て取れます。いっぽうでは人間たちの生きざまを俯瞰で見せるショットも多く、エレガントかつ、ややドライな語り口に英国的な風合いも感じられる作品です。(監督=オリヴァー・ハーマナス)
黒澤映画版、ミュージカル版ともに主人公がしみじみと歌い、強い印象を残す「ゴンドラの唄」は、今回の英国版では19世紀のスコットランド民謡「ナナカマドの木」に変更。これをややアップテンポで、ブランコも小刻みに揺らしながら無心に歌うウィリアムズ役のビル・ナイもまた、原作の志村喬さん、そしてミュージカル版の市村さんや鹿賀さんに匹敵する、演技を超越した名演を見せており、今年度の映画賞レースの筆頭に挙げられているのも当然と言えるかもしれません。
名もない人間が人生の終わりにたった一つ、小さな目標に目覚め、命がけで達成しようとする…。“強い骨格を持つストーリー”は国を超えて人の心を動かしうることを改めて示した、今回の映画版。バーリントン・アーケイドやフォートナム&メイソンなど、ロンドンを観光したことのある方ならお馴染みのスポットも登場し、目を楽しませてもくれます。
折しも今月、ホリプロは2023年9月にミュージカル版『生きる』を、一部新キャストを迎えて上演することを発表。23年は『生きる』から目の離せない一年となりそうです。
(取材・文=松島まり乃)
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*映画『生きる―Living』2023年3月31日公開 公式HP
*ミュージカル版『生きる』過去の公演関連記事 2020年版観劇レポート、光男役・村井良大さんインタビュー、とよ・一枝役・May'nさんインタビュー、助役役・山西惇さんインタビュー