Musical Theater Japan

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高野菜々「“一寸先”にあるのは闇ではない、と信じるために。」:『生きる』2023を語る

高野菜々 広島県出身。広島音楽高校を経て、08年から音楽座ミュージカルに参加。初舞台『マドモアゼル・モーツァルト』で主役に抜擢以来、『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』『リトルプリンス』『SUNDAY(サンデイ)』等で主要な役柄を演じる。令和2年度文化庁芸術祭 演劇部門新人賞。声優としても活躍している。©Marino Matsushima 禁無断転載


2018年の初演、2020年の再演ともに幅広い層から支持されたオリジナル・ミュージカル『生きる』が、待望の再再演。黒澤明監督の同名映画を宮本亞門さんの演出、ジェイソン・ハウランドさんの音楽で舞台化した本作で今回、小田切とよ役を演じるのが、伸びやかな歌声と確かな存在感で、音楽座ミュージカルで数々のヒロインを演じてきた高野(こうの)菜々さんです。

定年間近の主人公・渡辺勘治役(市村正親さん・鹿賀丈史さんのダブルキャスト)の元部下で、自分が末期がんであることを知り落ち込む彼に“ひらめき”を与えることになる“とよ”。音楽座ミュージカルが現体制となってからは、外部出演のケースは今回が初とのことですが、高野さんはこれまで(所属する)カンパニーで出演してきた作品と『生きる』に“核”の部分で共通するものを感じ、本作のキーパーソンと言える“とよ”に体当たり中だと言います。

様々な“初めて”を体験しながら夢中で本作に取り組む高野さんに、稽古を通して感じること、また昨年のNY研修の手応えなどをお話いただきました。

『生きる』

 

――本作の初演や再演は御覧になっていましたか?

「スケジュールの都合で生では拝見できず、配信で拝見したのですが、とてもエネルギーに溢れた作品だなと感じました。戦後7年という歴史的背景もあるかもしれませんが、キャラクター一人一人…主人公はもちろん、息子夫婦や、敢えて言うなら“悪役”的存在にまで…生きるための正義であったり、“こうしたい”という欲望が溢れていて、戦中に“死”というものを目の当たりにしてきた人たちだからこそ、生きるということとしっかり向き合っていた時代だったということが、配信映像からも強く感じられました」

――音楽座ミュージカルさんも“生死”を突き詰めた作品が多いので、接点を感じたりも?

「まさに感じています! 私は19歳で音楽座ミュージカルに入団しましたが、初舞台が『マドモアゼル・モーツァルト』という、死んでもなお音楽を通して命が続いて行くという内容の作品でしたし、戦争を題材にした作品にも出演して、自分の死生観を見つめ直すことが多かったんです。

19歳くらいだとまだ活力に溢れている年齢で、“死ぬこと”なんて普通考えないと思いますが、カンパニーの創設者が戦前生まれだったこともあって、ミュージカルはただのエンタメではなく、生きていく活力も絶望も描くものだと教えて下さって。ただミュージカルが好きでカンパニーに入ってきた私に“あなたは広島に生まれた意味を考えたことがある?”と問うて下さったんです。

それまで、生まれる場所なんて選べるものではないし…と思っていたけれど、この血の中には目に見えない意味があるのかもしれない、たくさんの人に支えられて生きている中で、広島生まれの私には、この作品を通して何かを伝えるミッションがあるのかもしれない、と気づきました。今回の『生きる』でも、そんな使命感を抱いています」

――どのように“とよ”の人物像を創っていらっしゃいますか?

「彼女のソロ・ナンバー“ワクワクを探そう”というタイトルにヒントがあるな、と思っています。とよは市役所の市民課で(渡辺勘治の部下として)働いていたのですが、主婦たちの要望にたらいまわしにされたり、何も変わらない状況を見てそこを飛び出し、うさぎのおもちゃを作る工場に転職します。

(何ということのないおもちゃでも)これを作ることで日本中の子供たちと繋がるような気がする、という彼女の一言が渡辺さんの心を動かすことになるのですが、とよは常に、自分も、みんなもワクワクすることを求めている女性なんだなと感じています」

製作発表で生き生きと「ワクワクを探そう」を披露した高野菜々さん。🄫Marino Matsushima 禁無断転載

 

――退職届に印を押してもらった後、渡辺に気圧された部分もあるかと思いますが、“とよ”は連日、彼の外出に付き合っています。どんな心境なのでしょうか?

「退職届の印鑑をもらう時、とよは彼に、退屈な時に市民課の人々のあだ名をつけていたという話をして、“あなたは…ミイラ”と言うのですが、30年間市役所で淡々と仕事をしてきた渡辺さんの中に、彼女は(ずっと働き続けていたとしたらこうなるんじゃないかという)未来の自分を見ていたと思うんです。

でも、そんな人がもし変わったら、すごく面白いんじゃないかな…と思っていたところに、“ミイラ”と聞いて渡辺さんは笑ってくれた。試してみたというわけではないけど、投げかけたものに対して応えてくれる人なんだ!枯れているように見えても原石のある人だったんだ!と思えて、興味を持ったと思うんです。

街に出かけて行った時にも、新しい帽子を買いましょう、スケートやボウリングに行こうといっても一つ一つOKをくれるので楽しかったけれど、映画を観に行ったら渡辺さんは寝てしまったんです。“私が好きな映画なのに、あなたは乗ってこないのね”ということで、その時初めて“飽きた”という感覚になるのだと思います。

ベースとしては“ワクワクを探している人”なのであまり難しいことは考えていなくて、わくわくすることに乗ってくれるうちは彼女にとっても損得でいうところの得があった、という感じでしょうか。そしてそんな彼女が、渡辺さんには生命力の塊に見えたのだと思います。傍から観たら、不思議な二人かもしれませんけれど」

――とよは渡辺が“公園作り”に立ち上がってから、再び彼と関わります。市役所で逆風が吹いていることがわかっていながら、敢えて関わろうとするのは…?

「とよは“ミイラ”の渡辺さんの素顔を見て、とても親近感が沸いていたと思うんです。だから1幕ラストで“私飽きちゃった”と言いながらも、その気持ちは消えていなくて、ただ単にもっとチャレンジしてほしかったのに、応えてくれなかったから“これからどうするの?”という問いを残して、去ったのだと思います。

そうしたら渡辺さんが公園作りに取り掛かったと聞いて、“やっぱり私の信じた渡辺課長だ”と、大きな信頼をもって、支えるというより戦友として、一緒に戦おうと思ったんじゃないかなと思っています」

 

高野菜々さん。🄫Marino Matsushima 禁無断転載


(注・以下のQ&Aでは2幕後半の展開に触れています。気になる方は*****で挟んだ部分を飛ばし、作品をご鑑賞後にお読み下さい)

*****

――とてもポジティブな“とよ”さんですが、渡辺の息子、光男夫婦に誤解され、嫌なことを言われたりもしますね。

「公園が明日、オープンするという前日の夜に渡辺が亡くなってしまって、とよとしては大きな喪失感と、“もっと一緒に戦いたかった”という思いと、“あなたのおかげで…”という愛と感謝に満ち溢れていたと思います。でもお通夜で(渡辺との仲を)誤解した光男に冷たい態度をとられ、この前の稽古では私、ちょっと逃げるように去ってしまったんですね。でもいろいろ考えて、今は“いや、とよは逃げないな”と感じ始めています。“光男さんたちには誤解されているけれど、私と課長は戦友で、(公園作りに)勝ったんだもの”と満たされたものがあると思うので、次の稽古ではそういうふうにトライしたいなと思っています。

あと、最後に全員が出てきて、コロスとして歌うところでも、とよとしては、悲しさや寂しさはあっても、“私と出会って良かったでしょ? 誇りに思ってね”というような、ポジティブな気持ちで送り出すのではないかなと考えています」

*****

 

――初の外部出演ということで、カルチャーショックを受けたりもされていますか?

「これまで音楽座ミュージカルのやり方しか知らなかったので、全てにおいてカルチャーショックです(笑)。
音楽座ミュージカルでは、代表から“こういう作品にしよう”という方向性は示されますが、脚本、演出は一人の人間ではなく、全員で意見を掛け合わせて、チームで創っているので、具体的な演出というものをこれまで受けたことが無かったんです。

今回、初めて(宮本)亞門さんから“ここはこういうふうに動いてね”“ここでトヨはこうはしないんじゃないかな”と具体的なことをおっしゃっていただいて、それを自分の中で消化して、ピースをはめていく作業というのが一番のカルチャーショックでした。もちろんゼロから100まで言ってくださるわけではないので、どうやって埋めていくか、考えてゆく作業が楽しくて仕方がなくて、幸せです。

始めの頃は、亞門さんの演出を自分が体現しなくちゃ、と必死になっていたけれど、亞門さんは“自分を信じて”と言って下さって、私の中から湧き上がってくるとよを待って下さっているんだなと感じられたので、今はそこにフォーカスして、傷だらけになりながらトライ&エラーしています」

――市村正親さん、鹿賀丈史さんの“渡辺勘治”はいかがですか?

「鹿賀さんは、“お芝居しなくていいんだ”と思わせて下さるほど、渡辺勘治そのものです。鹿賀さんの中に人生そのものがあるので、嘘をついて演技をしたら“ダメだ”と気づかせて下さいます。嘘をついてしまうと、恥ずかしくなるくらい、鹿賀さんとは対峙できません。私には“なんでも自由にやっていいよ”と言ってくださいますが、私はこちらに来たテニスボールをただ跳ね返せばいいだけ…というふうに導いて下さるので、舞台上でも自分がとよだと感じられます。

市村さんは、私が役をつかめなくて悩んでいた時に“菜々は~~が好きなの?”とか“息子がね”と話しかけて、心を和ませて下さったのが有難かったです。先日はあだ名を話すシーンでアドバイスをいただいたのですが、“でも毎回同じでなくていいからね、その瞬間感じたままで。じゃないと飽きちゃうじゃない?”と言ってくださって。それって、ただ楽しい・楽しくないという話ではなくて、トヨと渡辺の関係性において、常に新鮮でありましょうねということなのかな、と感じて、市村さんが投げて下さるボールにしっかり、そして遊び心を忘れずにくらいついていきたいな、と思いました」

――どんな舞台になったらいいなと思われますか?

「いわゆる“お涙頂戴”にはしたくないなと思っています。ミュージカルはカタルシスの場ではあるけれど、この作品には一人一人、生きている人の(リアルな)ドラマがあります。

渡辺が(自分の病状を)光男に打ち明けないことだって、傍から見れば“もっとコミュニケーションすればいいのに”と思うかもしれないけれど、彼にも悪気があるわけではなく、息子を心配させてしまうし、そうなると自分の公園作りも成し遂げられない…。親子の間にも話せない事情はあるし、その人なりの正義やプライドがあるんですよね。光男の奥さんの中にもお腹の中に新しい命がいるからこうしたい、という思いがあって、だからこそこの物語には“うねり”があるんだなと感じます。

ですので、ただ渡辺さんの人生が“可愛そう”というだけでは終わりたくないな、と思うんです。市村さん、鹿賀さんの人生がそこにあるなかで、お二人と、物語を通して、時間をともに出来るということの価値を感じる作品です。人生って“一寸先は闇”という時代もあったかもしれないけど、そうではなく“光がある”ということを、アフターコロナの今、感じていただけたら嬉しいです」

――高野さんは昨年、文化庁の新進芸術家海外研修員としてNYで1年間を過ごされましたが、そこで得た一番大きなものは何でしたか?

「今、『生きる』で必死過ぎて、“そういえばNYに行っていたな~”という感じですが(笑)、やはり“挑戦”の大切さでしょうか。

渡米してすぐはたくさん舞台を観たり、インプットすることが毎日楽しかったのですが、そのうち、何かが違うなと感じまして。インプットだったら誰でも出来る、人は挑戦しないと生きている実感を得られないな…と思って、最終的に現地でソロ・コンサートをさせていただいたことが、大きな学びになりました。

単なる発表会にはしたくなくて、私なりに、日本人、それも広島出身でオリジナル・ミュージカルのカンパニーに所属する私が、コンサートをする意味を考えました。NYでは、広島の出身だと言うと皆さん(原爆のことを)知っていて、“I’m sorry ”と言われました。ここでは自分は広島の歴史を背負っているんだなと感じて、改めてそのミッションが生きる上での道しるべになったのが一番の収穫でした」

――どんな表現者を目指していますか?

「人生には“物語”や“フィクション”が必要だ、と私は感じています。舞台に立っていると私自身、現実ではかなわなかったこと、出会えない人に物語の中でもう一度会えるような気がして、心が浄化されてゆくのを感じますし、お客様にも同じようなことを感じていただけているんじゃないかと感じます。

生きていく中で水や食べ物が必要なように、物語も人生に必要なものだと感じていただけるような作品を創っていきたいですし、そのためには、自分自身に嘘をつかない人であり、女優でありたいと思っています。鎧を身に着けるのではなく、要らないものを削いでいって、舞台にただ“居て、語る人”でありたいです」

(取材・文=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報 Daiwa House presentsミュージカル『生きる』9月7~24日=新国立劇場 中劇場、9月29日~10月1日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP

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