1952年の黒澤明監督映画『生きる』が2018年、宮本亞門さんの演出で舞台化。定年間近の平凡な男が、余命を知り、地域の人々のため自分の出来ることを成し遂げようとする姿を、ジェイソン・ハウランドさんの情感豊かな音楽で描き出すミュージカルは大きな話題となり、20年の再演も好評裏に完走しました。
間もなく開幕する再再演では、主人公・渡辺勘治役の市村正親さん・鹿賀丈史さんはそのままに、一部のキャストが交代。作品全体のストーリーテラーでもある“小説家”役を上原理生さんとのダブルキャストで演じるのが、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』『マドモアゼル・モーツァルト』等の舞台で活躍する平方元基さんです。
本作については初演、再演ともにリアルタイムで鑑賞していたという平方さん。これ以上ない“直球”のテーマを掲げた名作映画の舞台版を、彼はどのようにとらえ、また今回、新たに出演者として関わる中でどのような発見があったでしょうか。ご自身の人生観も交えつつ、たっぷり語っていただきました。
“滅びゆく”主人公が出会う、“生きる気満々”の小説家
――平方さんは2018年版、2020年版ともにこのミュージカルをご覧になっていらっしゃり、“映画とは違う切り取り方だな”と感じたそうですが、どのような切り取り方だと感じましたか?
「映画版を観たときには、白黒(モノクローム)の映画だったというのもあるし、(舞台となっている)昭和27年の世界を自分は体験していないこともあって、ちょっと別世界のように感じたのですが、舞台版はカラフルに色づいていましたし、人々がみなどこか楽しくけたたましく、そして諦めずに一生懸命生きている姿が印象的でした。
映画版ではしとしと雨が降っている中で人々が訥々と生きている…というイメージでしたが、舞台版はパワフルで生きるエネルギーに溢れているところが、自分の中ではずいぶん違うように思えたのですが、今回、(演出の宮本)亞門さんから“生きる歓びやたくましさを前面に出したかった”とうかがって、“(ポイントは)そこだったんだな”と納得が行きました」
――ちなみに昨年公開された英国映画版の『生きる LIVING』は御覧になりましたか?
「拝見しました。とよ(に相当する女性キャラクター)が最後に光男(に相当する男性キャラクター)のところに行って、“実は私、あなたのお父さんにいろいろ告げられてたのよ”といった話をしていて、きれいな終わり方になっているな、と感じました。
もともとの『生きる』には、泥臭かったり、“きれいなだけじゃやっていけないよ”という人間くさい部分があると思うのですが、(英国の話に翻案するにあたって)人と人とのつながりという分りやすいテーマにフォーカスする必要があったのかな、と。『生きる』は、日本の血が大量に流れているというか、日本人独特の文化がベースになっている作品なんだな、と改めて感じました」
――敗戦から7年後の日本では、まだ生きることに必死な空気感が強かったけれど、イギリスでは戦勝国のゆとりのようなものがあったのかも?
「そうですよね。オープニングで、人々が通勤列車を待っているシーンがあって、“違う物語?”というくらい、きれいな画面でしたよね(笑)。着ているものも全然違うし、あの余裕を見て、英国で翻案すると日本版とは全然違うふうに作らないといけないんだなと思いました」
――本作はタイトルが示す通り、“生きる”という、これ以上なく直球のテーマを描いていますが、どんなことを感じますか?
「生きること、死ぬこと。(究極的には)人間にはその二つしかないんですよね。いろいろな悩みも、すべて生きているからこそ生まれるものなんだな、と思います。例えば、“ここに100億円あるが、それをもらうと、あなたは翌日死んでしまう”と言われたら、つらいことばかりだとしても、たぶんそのお金をもらう人はいないですよね。生きている明日のほうがいいと考える人がほとんどだと思います。
僕も一人で上京して頑張っているうちに、悩みを抱えたこともあったけれど、(実家の)家族の存在に救われました。まるで一人で生きているような気になっていたけれど、みんながそれぞれに頑張っているわけで。家族との絆を思い出して、そのあたたかさに触れることができたことで今の僕がいるのですが、本作も決して夢物語やきれいごとではなく、“どんなことがあっても生きる”ということを、泥臭く描いていると思います。
オケピの先のステージ上には“生きている人たち”がいて、それぞれの人生がある。渡辺勘治も息子の光男も必死に生きているからこそ、すれ違うこともある。そういうことも受け止めながら生きていかなくちゃいけないんだな、と一回深呼吸して考えるきっかけになる作品だと思います」
――平方さんが演じる“小説家”は、三文小説を書き上げて出かけた飲み屋で、(自分が癌であることを知って落ち込んでいる)渡辺勘治に出会った…と語っていますが、そもそもどんな小説家だったのでしょうか?
「その日の飲み代を稼げればいい、という人なので、高尚な文学ではなく、大衆に喜ばれそうなちょっと卑猥なものだとか、あまり中味のないものを書いていたのでしょうね。
でも、自分の才能は信じていると思います。だって、ものを書く作業って、めちゃくちゃ大変じゃないですか。なにも無いところから、頭をフル回転させて感性を呼び覚まして、推敲しながら書いていく。そんな大変な仕事を選ばなくても生きていけるのにやっているのですから、自分に対しては妥協しない厳しさがあるのでしょうね。“俺は小説家でいたい”という強い思いがあると思います」
――まだ開花させていないだけで、才能はあると自負していると…?
「あるかどうかは世の中やタイミングが決めてくれるけど、その時点では彼は全く恵まれていない、と思っています。現代でも、“自分は才能があるのに誰かが運を横取りしている”ととらえることってあるじゃないですか。そういう穿った見方をする人なんだろうなと思います」
――そんな小説家は、生真面目に生きてきた渡辺から“金の使い方を教えてくれ”と乞われ、彼を夜の街へと誘いますが、小説家の教える“人生の楽しみ方”は徹底して享楽的ですね。
「渡辺が小説家に預けた5万円は、おそらく当時、一晩で使い切るにはちょっと多すぎるぐらいの額だったと思います。そんな大金を渡された小説家としては、“これも小説のネタになるかもしれない”くらいの感覚だったと思います。
当時はまだ他人の心配をする余裕がない人ばかりだったから、渡辺の身の上話を聞くシーンでも、根っから心配していたわけではないんでしょうね。小説家はふだん(不眠症で)アドルムという睡眠薬を使っていて、それを切らしていたのがきっかけで渡辺に声をかけられるのですが、当時、アドルムは自殺に使われることも少なくなかったそうなんです。
渡辺は胃がんを患っていて、飲み屋で酒を飲んでいて、アドルムも持っている。こいつ、“死”に向かっているな…と思った小説家は、“ネタを提供してくれ”という気持ちで渡辺の事情を聞いているのだと思います。
そうして、夜の街でパーッと享楽的な遊びを教えようとしますが、それは渡辺には響かなかった。余ったお金を返すとき、小説家はその時点では、渡辺を見捨ててしまっているんだと思います」
――自殺にも使われていたアドルムを常用していたということは、小説家の中には、もしこれを飲むことで間違って死んでしまってもいいやといった、投げやりな感覚はあったのでしょうか?
「彼自身はネタ探しだったり、一生懸命小説を書く中で寝られないことがあるからアドルムを飲んでいただけであって、そこは健康的だったんじゃないかと思います。でなければ、渡辺が“死にたい…”と言った時に“そうですよね”と言ってしまうと思うんです。(生きる気力が)滅びかけている渡辺、生きる気満々の小説家。その対比が面白いシーンだと思います」
――金の使い方を教えてくれと言われた小説家が歌うソロ・ナンバー「人生の主人になれ」は、何か企んでいるような“台詞調”に始まって、途中からぐいぐいとエネルギッシュに躍動し、かなり馬力の要るナンバーに聴こえます。
「そうなんですよ(笑)。思ったより後半が長くて、調理の仕方を間違えると自分の馬力が無くなるという(笑)。最初の部分を前のめりに歌ってしまうと、ただ歌うだけになってしまうんですが、前半は“抜き足差し足”じゃないですけれど、誘い出してやる、そういう世界をお前に見せてやる、という感覚で歌いだすと、ダンサンブルな振付もついてきて、自然に盛り上げることが出来てくるんです。(芝居の)内容と密接に絡んだ音楽だな、と(自分が演じてみて)改めて感じますね」
――今回は上原理生さんとのダブルキャストですが、亞門さんから“平方さんの小説家はこんな味で…”といったサジェスチョンはありましたか?
「亞門さんは稽古を盛り上げて下さるけれど、役作りについては“自由にやってね”という感じです。“(役の要素を)こう伝えるから、ここからは自分たちで育ててね”と言いますか。僕らが家で解釈したり準備してきたものを尊重して見守って下さっています」
――稽古はここまで、スムーズに?
「今回はとっても早くて、びっくりしました。僕ら新メンバーはある程度、形があるところに入っていったので、とにかく無我夢中で。(上原)理生(さん)と“寝不足だね”と言いあいながら、必死に食らいつきました。ここまで詰め込んで、次の日もやることいっぱいという日々は久々でしたね」
――市村さん、鹿賀さんのお芝居が既に練り上げられていらっしゃるので、皆さん触発されて…ということでしょうか。
「市村さんなんて初日の稽古から、衣裳も有りで完璧になさっていて、もう“驚きモモノキ”、焦りました…(笑)。今回は亞門さんとも“はじめまして”だったのですが、亞門さんもせっかちなのか(笑)、“全部つけてみたいから”とおっしゃって。でもその結果、後で余裕が生まれて“創っては壊し”という作業が出来るんです。亞門さんはそれを積極的にやって下さるので、“創ることを楽しむ方なんだな”、と感じました」
――市村さんと鹿賀さん、お二人の演じる渡辺勘治はどう異なりますか?
「市村さんはもともと生きるパワーが物凄い方であるのに加えて、役の構築、台詞の間、すべて計算してロジカルに完成させてゆくさまを、稽古で見せて下さるんです。
いっぽう、鹿賀さんは“鹿賀さ~ん、出番です”と呼ばれるまで台本を御覧になっていて、舞台に上がると(瞬発的に)やる!という感じでいらっしゃって、お二人のアプローチが全く違うことにいまだにびっくりしています(笑)。
ただ、稽古は市村さん回、鹿賀さん回で分かれているので、僕らは目の前にいる“渡辺勘治さん”にどっぷり浸かっています」
――基本的にはもちろん同じですが、お二人の台詞は細かいところで言葉の順番などが微妙に違ったりしますね。
「微妙な違いだけど、受け取る印象は確かに変わります。例えば、(長い台詞の中で)“助けてくれ”みたいな言葉が真ん中に入るのか、最後に来るのかによって、感情の持って行き方が変わってきたり、“うっ”と来る強さが変わったりして、面白いです。僕ら(共演者)はリアクションを間違えないようにしないといけないという課題がありますが、お客様はきっと興味深く聞き比べていただけるのではないかな」
――亞門さんも市村さんも癌を克服されたご経験があり、命の瀬戸際を体験されていらっしゃるだけに、“命の重み”がひとしお感じられる稽古場でしょうか。
「亞門さんは“僕は癌サバイバーだからこそ、暗い話にしたくないんだよ。生きていく強さや、どうにかして前に進むということを打ち出したい。『生きる』ってそういうことだから“とおっしゃっていました。
亞門さんからも市村さんからも、本当にその瀬戸際を体験したからこその活気、求心力を感じます。市村さんが誰よりも明るく、“誰よりも生きている”様には色気や、もの悲しさも滲み出ていて、僕らも必死に生きること、チャレンジすることを教えていただいています」
――今回、ご自身の中でテーマにされていることはありますか?
「今はとりあえず、“出し切ること”を心がけています。稽古場で昨日思ったのですが、早い段階に通しが出来るということは、出し切ってから“引いていく作業”が出来るんですよね。市村さんや鹿賀さんはよく(舞台に)“居るだけでいいんだ”とおっしゃっていて、そういう芝居が出来るようになるには、かなり余裕が必要だけど、今回は先輩方とお話するなかで、どう“引く”か、どう“素直に居るか”を模索することが出来るな、と感じています。
あと、小説家は“ストーリーテラー”でもあるので、(情報を)“与えすぎない(表現し過ぎない)”作業も大事なのかな、と思っています」
――どんな舞台になるといいなと思われますか?
「観に来てくださるお客様と、“生きるってなんだろう?”ということを一緒に考えられたらと思います。答えではなく、疑問でいいと思うんですよ。僕らだって答えを持ってないからこそ、作品を演じて問い続けているわけですし、この世に生を与えてもらった以上、疑問は尽きません。この舞台を通して、それをお客様と共有できたらいいな…、と思っています」
(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報 Daiwa House presentsミュージカル『生きる』9月7~24日=新国立劇場 中劇場、9月29日~10月1日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP
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