『北斗の拳』をミュージカル化した新作舞台『フィスト・オブ・ノーススター』が、まもなく開幕。多彩なキャストに加えて注目されているのが、演出の石丸さち子さん、そして今回お話をうかがった脚本の高橋亜子さんです。男くさい戦いの物語に敢えて女性クリエイターたちが挑む妙味とは。舞台化にあたってのご苦労、仕上がりゆく作品への思い、また演じる側から作る側へと転じ、現在の活躍に至るまでの軌跡、ミュージカル界の今後への思いまで、たっぷりお話いただきました。
【あらすじ】
核戦争によって荒廃した世界。北斗神拳の修行に励んでいた三兄弟(ラオウ、トキ、ケンシロウ)のうち、ラオウは力による世界支配を目指し、被爆したトキは残り少ない時間を人々の病を治すことに使い、ケンシロウは愛するユリアをシンに奪われ、放浪の旅に出る。
孤児バットとリン、女戦士マミヤや用心棒レイらと出会ったケンシロウは、ラオウの軍に囚われたトキを助け出し、恐怖で支配された世界に光を取り戻そうとするが…。
あのシーンも、このシーンもいい。
私自身、早く劇場で観たいです
――今回、どんな経緯で本作に関わることになったのですか?
「はじめにプロデューサーさんから、今度『北斗の拳』をミュージカル化するので脚本をというお話をいただきました。『北斗の拳』というタイトルは知っていましたが、漫画もアニメ版も触れたことがなかったので、まずは自分に出来るかどうか、書きたいと思うかどうかわからないので待っていただき、原作を読みました。
原作にはたくさん戦いが描かれていて、必ずしも一つのストーリーで繋がっているわけではないんですが、全体を通して、崩壊した世界に愛を取り戻していく物語なんですね。そこにまず惹かれました。中でも私がすごくいいなと思ったのが、北斗神拳には“無想転生”という奥義があり、それを2000年の歴史の中でケンシロウだけが体得するという点。たくさんの哀しみを背負うことによって究極の力を得る、というのに惹かれ、ここを書きたいと思いました」
――ミュージカル化にあたり、どんなことに留意されましたか?
「生身の人間が演じるので、漫画と同じ戦いを見せるわけにも、同じ筋肉をつけるわけにもいかないので、そこをどう見せるか。やはりミュージカルの魅力は音楽なので、強い想いやドラマをどう音楽にのせるかを考えました。あとは長い原作の中のどのキャラクター、どのシーンを抽出し、2時間半にまとめるのか。なおかつそこに私が書きたいと思った無想転生をどう絡めていくかを考え、プロットを作っていくのに苦労しました」
――『北斗の拳』はもっぱら男性の物語というイメージがありましたが、今回の台本では女性キャラクターたちが物語のカギを握っている…といってもいいくらい、重要なポジションにありますね。
「80年代の作品ということもあってか、原作は確かに“男性たちの物語”で、女性キャラクターたちは“男性の理想”としての女性像でした。そこを変えたいと思っても、世界中にファンがいる作品なので、大きくは変えられない。ではどこまでなら変えられるか、という話し合いを原作サイドと長く行いまして、少しずつ女性たちの意思を明確にしていきました」
――もう一つ感じるのが、韓国ドラマ的な空気感です。恋愛物語にしても権力抗争の物語にしても、韓国ドラマでは小さいコミュニティの中で濃密に展開する傾向が見られますが、本作も三兄弟の抗争・愛憎が濃密に描かれますね。
「確かに似ているかもしれませんね。濃密な関係性を通して世界を描く手法というか。北斗の拳も兄弟の愛憎もありますが、描いてるテーマは深いと思います」
――稽古も佳境かと思いますが、ご覧になっていていかがですか?
「演出の石丸(さち子)さんが深く(台)本を理解して下さって、それをいかに人間ドラマに組み立てるかを考えて下さっています。一方で、アクションも凄いし、映像やフライングもあります。人間ドラマとスペクタクルが合体してる感じです。(作曲のフランク・)ワイルドホーンさんも稽古場にいらした時におっしゃってましたが、“あの作品みたいだね”というのがない、今までに見たことない作品になるのではないかと思っています」
――高橋さんが御覧になっていて“ここ、特にいいな”と思われるシーンは?
「最初に描きたかった無想転生のシーンは、人間たちの哀しみの魂がケンシロウと共に踊るシーンなんですけど、具体的にどう見せるのか未知数でした。なので実際に稽古場でシーンが立ち上がったときはとても興奮しました。すごく面白い振付に仕上がっています。私自身、早く劇場で観たいですね。他にも見どころがたくさん、というより、見どころしかないです(笑)。
幕開きのシーンも私はとても好きなんです。台本を書いたときにたくさんの要素を一曲に入れ込んだので、ここはどういうふうになるかなと思っていたら、フランクさんから来た(楽曲の)ドラフト(草稿)がすでに完璧で、めちゃくちゃいい曲でした。そこに歌詞をはめ込んで、足りない部分の曲を追加で発注したりしましたが、ほぼ最初に作っていただいた曲のまま来ています。
あと、(カンパニーの)皆も言っていますが、(少女のキャラクター)リンの思いがみんなを動かすシーンがとてもいいんですよ。ここもフランクさんから来た曲がとても素晴らしい曲で、ものすごくいいシーンになっています」
――あのシーンも、このシーンもいい、まさに“見どころしかない”作品になりつつあるのですね。何年がかりの作業だったのでしょうか。
「ちょうど3年前の12月に始まりました。楽しくも苦しい日々でしたね」
――男性的な題材を敢えて女性クリエイターが手掛けた効用はあったと感じますか?
「私自身は、女性目線だから…ということはあまり意識せずに取り組みましたけど、闘いそのものよりも、何のために闘うのか、というそれぞれの想いの方に興味がありました。そこは女性的な視点なのかもしれません」
――ご自身のプロフィールについてもうかがえればと思いますが、高橋さんは劇団のご出身なのですね。
「はい、フォーリーズというミュージカル劇団の出身です。ミュージカルをやりたいと思って養成所を探す中で、オリジナル作品を作っている劇団なのでフォーリーズに入りました。
当初は俳優だったのですが、もともと絶対キャストをやりたいというわけではなく、ミュージカルを作ることに興味がありました。入団して3年ぐらいで初めてプリンシパルになった時に、これは自分の仕事ではないかもしれないと思い、書く方に行きたいとお願いして、劇団のために一本書いたあと、フリーランスなりました」
――近年は訳詞や脚本で立て続けに大作を担当されていますが、当初は仕事をとるご苦労などもあったでしょうか?
「20代は大変でした。脚本を書かせてくださるプロデューサーはなかなかいらっしゃらないし、いても原稿料をいただけず、逃げられてしまった経験もあって、ほぼほぼ貧乏生活(笑)。20代の終わりごろから訳詞を始めて、たまたまやったお仕事でしたが“すごく才能がある”と言われ、脚本は次に繋がらなかったけれど、訳詞は一つの仕事が次の仕事へと繋がっていきました」
――俳優を体験していたことで、歌詞を発する側の感覚を訳詞にこめることができた、ということでしょうか?
「どうなんでしょう。音楽と言葉が活かしあえるように、とは思っていますが、自分で歌ってみながら訳詞をしている、というわけではないです」
――”あれは難しかったな…“と思い出される作品はありますか?
「基本的に訳しにくい楽曲には2通りあって、一つは歌詞とメロディが密接な関係のもの。歌詞のイントネーションにぴったり合わせて作られた曲に、英語と同じ意味の日本語をはめるのは無理があるんです。
もう一つは、“エーデルワイス”のように、音符の数が少ない曲。英語だと一つの音符に言葉が一つ入るので、例えば音符四つでも一つの文章になりますが、日本語だと、下手をすると一つの言葉も言えないので、大きなメロディのものは大変ですね」
――意味的にはこの言葉がふさわしいが、それをそのまま入れると日本語の響きとして身も蓋もなくなってしまう、といったジレンマを抱えることは?
「それはありますね。そもそも英語をそのまま日本語にはできないので、どういうふうに言い換え、なるべく意味を落とさないで凝縮し、なおかつ日本語的にも豊かに訳すか、とても難しいといつも思っています」
――逆に“これはうまく行ったな”と特に感じられた作品は?
「直近で思い出すと、今上演中の『ソーホー・シンダーズ』ですね。舞台を観ながら、どの曲もうまく訳せたな、と自画自賛しました(笑)」
――今後、日本のミュージカル業界が盛り上がっていくためには女性のさらなる活躍が望まれますが、こういうところがこうなるといいのでは、といった思いはありますか?
「私は、現場ではそんなに女性だから活躍できないという感じはないのですが、外から“女性だから”という視点で見られてるのを感じることはあります。そうした違和感は言語化して、みんなで問題定義していけたらいいですよね」
――例えば、女性であるためにチャンスが巡ってこなかった、といった悔しさを経験したことは?
「若い時はもちろんありました。セクハラもありましたね。仕事をあげるよと言われても、それは才能を認めてくれたのではなく性的な目的がある、とか。そういうことは絶対に許さない体制が必要だと思ってます。あとは出産や子育てとの両立はほんとに大変だし、それで仕事を失うのではないか、という不安もつきまとうので、業界全体でのサポート体制が確立されて欲しいです」
――観ている側としても、ちょっとした描写で違和感を抱くことがあり、女性の演出家だったら違う表現になるんじゃないかな…と思うこともあります。
「古い作品だと、もともとそう描かれているので、それを今ならどう描くのか、どう作り替えるのか、具体的な議論がもっと現場でできるといいですね」
――少し前にSNSで、これからのミュージカルはもっと大勢でクリエーションしていったほうがいい、と発信されていました。
「それはすごく思っています。日本人はディスカッションが下手で、人の領域に踏み込むことを躊躇する空気があると思います。意見を言うと相手の創作性を否定することにならないかと気を遣い合ってしまうんですよね。でも海外の人と仕事すると、もっといいものにするためにディスカッションするのが当たり前だととらえているので、気遣いが要らず、楽なんです。日本でも活発にディスカッションが出来るようになればと思っています」
――例えば海外のアニメ映画のエンドロールで、“物語”というセクションに何十人もクレジットされていて、これだけの人数で練りに練っているからこそ、世界的なヒット作が生まれるのかと思うこともあります。その点、日本は一人の作家の才能に頼りすぎる傾向があるのかもしれませんね。
「そうかもしれないですね。脚本の共作は私もやってみたいことの一つなんですけど、どこから手をつければいいのかなかなか難しくて、さっきも言った、ディスカッションができることがカギだし、同じ想いを持って進めるか、それを誰がまとめていくのか、課題は多いけど、いつかやってみたいです」
(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳』12月8~29日=日生劇場、22年1月8~9日=梅田芸術劇場メインホール、1月15~16日=愛知県芸術劇場大ホール 公式HP