Musical Theater Japan

ミュージカルとそれに携わる人々の魅力を、丁寧に伝えるウェブマガジン

“溢れる好奇心”と“持ち味を伝える力”で邁進する日々。ブロードウェイで快進撃中の新星:上林龍インタビュー【後編】

 上林龍(Ryo Kamibayashi)東京都生まれ。幼少期をタイ、インドネシアで過ごす。日本で高校卒業後ミシガン大学School Of Music, Theatre & Danceに進学。卒業後1か月半でブロードウェイ・ミュージカル『The Outsiders』に準主役アンダースタディおよびスウィングとして出演。25年には『Pirates! The Penzance Musical』に海賊役で出演(第78回トニー賞再演ミュージカル賞にノミネート)。その他の出演に『Loud Nite』『RENTd』『Sophisticated Ladies』(ミシガン州⽴⼤学) ⽶ABC「Good Morning America」( 2024) ⽶NBC「Macyʼs Thanksgiving Day Parade」( 2024) 「WolvTV Spotlight Interview - George Takei」( 2024、司会)等がある


昨年、大学卒業から僅か1か月半でブロードウェイ・デビューを果たした新星、上林龍(Ryo Kamibayashi)さん。現在は『Pirates! The Penzance Musical』で、ラミン・カリムルーと共演中です。

この快進撃が実現したのは、なぜなのか。インタビュー後半では、何万人もの俳優がひしめくブロードウェイで彼を幸運に導いた、幼少期から大学までの“やりたいことに貪欲に挑戦してきた”半生について、またオーディションで“必ず見られるポイント”や失敗克服の秘訣、そして今後のビジョンなどについて、じっくりお話いただきました。

 

『Pirates!』のキャストとともに。左は女性主役のアンダースタディー兼アンサンブルの Kelly Belarmino ,右はアンサンブルのNinako Donville

 

週に14の習い事にいそしんでいた“好奇心の塊”が、小学5年生で“ミュージカル”に出会う

 

――ご自身のプロフィールについても伺わせてください。Ryoさんは帰国子女なのだそうですね。

「そうですね。生まれは日本ですが、一歳ぐらいの頃にタイに引っ越して、三年間住んで、日本にちょっと戻って、その後二年間、インドネシアで育ちました。なので、幼少期は東南アジアで過ごしましたね。で、小学一年生の二学期ぐらいから高校まで、日本のインターナショナル・スクールに通いました」 

 

――東南アジアにいらした頃からバイリンガルだったのですか?

「家では日本語、学校では英語でした。英国系の学校だったので、ブリティッシュ・アクセントでしたね。帰国してから通ったインターナショナル・スクールはアメリカ英語だったので、そこからアクセントが変わりました」

 

――子役として劇団四季の『サウンド・オブ・ミュージック』にも出演されたそうですが、お芝居との出会いはいつ頃だったのですか?

「小学校の頃の僕はやりたいことがすごく多くて、サッカーと空手と水泳と数学と…と、習い事を14個やっていた時期もありました(笑)。

朝はドッジボールで夜は和太鼓…みたいな日々を送っていたのですが、ある日TVを見ていて“ママ、僕、子役になりたい”と言いだしまして。母も“まあいいんじゃない”と賛成してくれ、事務所のオーディションを受けたら有難いことに受かったんです。

早速、『親父のくれた秘密』(2012年)というTV東京さんのドラマで、主人公の幼少期を演じたのが、最初の演技経験です。でも動き回るのが好きだったので、“もっと動きたい”と母に言ったら、“じゃあミュージカルというものがあるけど、どう?”と言ってくれました。

その時点ではダンスも歌も特にやっていなくて、強いて言うなら学校のクワイヤーで歌っていたくらい。劇団四季の凄さなんて全然知らずに『サウンド・オブ・ミュージック』のオーディションに行った時も、一人でふざけていました。

でも、ソロを歌う審査で、最初の子が聞いたことのない曲を歌い出したんです。課題曲があったんだと気づいて僕はすごいショックで、ヤバい…と思いながら、一人目が歌っているのをよく聴いてメロディーを覚え、二人目の子が歌っているのを聴いて歌詞を覚え、三人目が僕だったので、覚えたての歌を歌いました。

有難いことにその次の審査にも呼んでいただけて、スキップして真ん中で止まってポーズして、またスキップで去ってゆく…というのがあったのですが、みんなポーズをとる時、かわいかったりかっこいいポーズをするのですが、僕だけ“変顔”してました(笑)。劇団四季の凄さを知らないからこそ、自分をさらけ出せた。それも受かったことの理由の一つなのかな…と今では思っています」

 

――稽古では劇団の厳しさに圧倒されませんでしたか?

「オーディションの時は良かったけど、あのままずっとふざけちゃだめだよ、とものすごく叩かれましたね(笑)。本当に厳しかったです。でも、厳しさの裏には愛があるなというのはずっと感じていてたし、インターナショナル・スクールは規則が厳しくて授業を休めなかったので、僕のためだけに放課後にリハーサルの時間を作ってくださったんです。あの時マンツーマンで指導を受けたことで、(演技が)すごく伸びた実感があります」

 

www.instagram.com

(↑“So Close”(『魔法にかけられて』)を歌うRyoさん)

 

――大学入試ではいくつかのアメリカの大学の演劇科を受験、全てに合格された中でミシガン大学に決められたそうですね。なぜミシガン大に?

「ミュージカルをやり続けたいな、ブロードウェイにも行けるんじゃないか?と、どこから来た自信か分かりませんが思うようになって(笑)、アメリカの大学ミュージカル専攻のトップテンを調べたら、ナンバーワンがミシガン大でした。

受験の時はこのトップテンをそっくり全部受けましたが、その中でやっぱりミシガン大がいいという評判をあちこちで聞いたし、実際受けたオーディションが一番楽しかったんです。他の大学のオーディションより、僕のことを見てくれるなあという感覚がありました。

入試の時期も、インターナショナル・スクールは規則で休めなかったので、日本から飛行機でアメリカに行って着いた日にオーディションして、その日のうちに帰国便に乗って朝5時に着いてそのまま学校に行く…という日々が続いてかなり疲れもたまっていたのですが、ミシガン大はすごくサポーティブで、“日本からわざわざ来てくれてありがとう”と言ってくださって。すごくいい印象の中でオーディションが出来ました」 

 

――大学入試はオーディションのみだったのですか?

「まずプリ・スクリーンというのがあって、自分の好きな曲を32小節、一曲はコンテンポラリー、もう一つは古典的な作品から選んで歌うのと、モノローグを一分間、シェイクスピアみたいな古典と新しいものを選んで喋った映像を送るんです。それに通ったら2次審査をその大学で受けられるというシステムですね。

ハーバードとかスタンフォード大を受ける級友たちはものすごく勉強していたけど、僕はアメリカに行って歌って踊ってわいわいして戻ってくるのを繰り返していて、その時点で、彼らとは別の世界に行くんだなぁと実感していました」

 

youtu.be

 

(↑ミシガン大学で2年ごとに行われるイベント「The Color Cabaret」2022年の模様。「コロナ前に参加したキャバレーで初めてバイリンガルの曲を取り入れたところ、大反響だったため、今回は”I see the light” (『ラプンツェル』)にしようと決めました。この曲のアレンジ、歌詞の位置、そしてハモリ(の構成)は全部僕が担当しました」。Ryoさんも日本語で歌っています)

 

――Ryoさんは何を歌われたのですか? 

「自分の色を出せる曲を選んでくださいということだったので、僕が選んだのは、『アラジン』の“自慢の息子”と、ソンドハイムさんの『スウィーニー・トッド』の“Not While I’m Around”です。あと、踊りの審査もあって、その大学の教授が振り付けをして、その場でひとりひとり踊るという感じでした」 

 

――その場で覚えるわけですね。

「『サウンド・オブ・ミュージック』の経験が生きているのか、僕はその場で覚える能力があるらしく、オーディションでは割と覚えるのが早いんです。へたっぴなことが多いので、神様がバランスをとってくれたのかなと思いますが、そこはめちゃくちゃ得意分野です。早めに覚えて、早く忘れます(笑)」

 

ミシガン大学在学中に出演した『RENT』。ベニー役を演じた。写真提供:Ryo Kamibayashi


――オーディションを取材していると、時折、悪いスパイラルに入ってしまう方をお見受けします。振りを一つ忘れたことで、“自分はもう駄目だ”とどんどん悪い方に行ってしまうのが勿体なく見えてしまいますが、そういう時、どうしたら抜け出せるでしょうか?

「アメリカだと、オーディションで必ず見られるのは、技術や“どれだけ早く覚えられるか”以上に、“性格”です。一個失敗してどれだけ早く立ち直れるかっていうのも性格のうちの一つだし、一緒に働きやすいかどうかを物語るものなので。

一つ間違えたから減点ということは、アメリカでは聞きません。歌詞を間違えてもやり直せるし、一つ音がひっくり返っても、それを忘れさせられるぐらいの自信と芝居を見せられればいいんです。

お客さんを感動させるために問われるのは、音程があっているか、回転をどれだけ入れられるかではなくて、その人が人間として伝えたいことをどれだけ率直に伝えられるか。

技術だけを見ているオーディションって、本当に少ないです。自分の技術をどれだけ、自分のものとして使えるか、それが一番です。技術自体がどれだけピカピカしてるかというのはクリエイティブ・チームは全然気にしていないな、とアメリカで学んだので、そこを心配して自分を隠すのではなく、失敗してもいいから自分を出すことを優先するよう心がけます。

僕も声がひっくり返ることがあるし、ここ2回転だよと言われたところを一回転で終わってしまうこともあるけど、“2回転しましたよ”という顔でやるだけでも、印象がよくなるみたいです。それで受かった仕事、めちゃくちゃ多いです」 

 

ミシガン大学在学中に演じた『RENT』ベニー役。写真提供:Ryo Kamibayashi

――ミシガン大に入ってみて、やっぱりこういうところが“全米一”と言われるゆえんだなと感じたところはありますか?

「まさに今話したことと繋がるんですけど、ミシガンのすごくいいところは、“ミュージカルを高二で始めました”という子でも受かるんですよ。なぜかというと、歌や踊りとかの技術って誰にでも教えられるけれど、その人ならではの面白みや“味”って、教えられない。その人がそれまでの人生経験で創り上げてきた“持ち味”、そこを見ているわけなんです。

立ち振る舞いだったり、部屋に入ってきた時のエネルギーだったり、そういう“教えられない何か”を持っている子たちばかり集まるので、学生たちもお互いアーティストとして自立していて、全く“競争”心が湧きません。僕の大親友も、僕の声の性質や芝居のアプローチとは全く違うものを持っているので、ライバルとして見なくても大丈夫でした。

他の大学の様子を聞くと、学生が似たような集団になってしまって、似ているがゆえに、どんどん“私が一番になりたい”という発想になってしまうことがあるようです。そういう人は自分を持っていないから、結果的に仕事に受かりにくいんですよね。

ミシガンに入る子たちは、みんな自分を持っていて、そこから歌をこう磨いてみようといったことが教えられるので、毎日みんなから刺激を受けられて本当にラッキーでした。嫉妬心も生まれず、逆に“この子はここが素敵だな、僕もやってみたいな”と思うばかりで。この子とオーディションで鉢合わせになったらタイプが同じだからどうしようみたいなことを全く感じず、すごく居心地がよかったです」

 

www.instagram.com

(↑Ryoさんが在学中に作曲したミュージカル「Canvas」の劇中歌「Color Of」。感情を色として見ることのできる高校生アイロと、“無色”のヒューの交流を描く作品。Lynne Shankel教授のはからいでプロのミュージシャンが演奏し、映像は大学の公式インスタグラムで取り上げられた)

 

――カリキュラム自体はいかがでしたか?

「大学に入ったら作曲とか振付とか、クリエイティブなことをめちゃくちゃやりたかったので、自分がやりたいことと“最低限とらなければならない必須授業”のバランスをとるのが難しかったです。最後の年はミュージカルに関係ない授業の単位が5個足りてないと卒業の数か月前に言われて、頑張る必要がない“初心者の日本語”をとったりしました(笑)。アニメとかの好きなアメリカ人たちと“あいうえお”から学びましたね。

演劇専攻自体はアーティストの集まりなので、理解してくれる人も多かったし、とりたい授業は山のようにあったし、一つ一つクオリティが高かったです。それに、専門学校やミュージカルに特化した大学だと他の授業がとれないので視野を広げるのが難しいけれど、ミシガンは総合大学なので、ビジネスの子やエンジニアの子たちとも仲良くなったことでアーティストとしても成長出来たし、幅が広がったのがミシガンのすごくいいところでした」

 

――日本では大学に入ってしまうとアルバイトやサークルに目が向きがちですが、ミシガンは大学の授業自体が楽しめる場だったのですね。

「そうですね。 日本の大学は入るのが難しくて卒業は簡単だと言われますが、アメリカの大学、特にミシガンの場合、入るのも難しいけれど、それ以上に卒業することが大変なんです。やることがたくさんあって、本当に寝られない、それでいて翌日パフォーマンスしなきゃいけないという日もしょっちゅうでした。

でもみんな頑張ってるし、みんなうまいし、このためにアメリカに来たんだというモチベーションのおかげで、乗り越えられたなというのはありますね。本当に全然楽ではなかったです」

 

Ryo Kamibayashiさん


――日本人がアメリカの大学で演劇を学んだとしても、ブロードウェイで活躍するには、ビザの有無が問題になってくるとうかがいました。

「そうなんです。僕が今、持っているのはOPTという、アーティスト・ビザをとれるように経験とクレジットを集めて頑張れという感じの、1年間のビザなので、アーティスト・ビザをとれるよう、今、弁護士の方と話しているところです。

トランプ政権になってビザに関してはより厳しくなって、僕はブロードウェイ・ミュージカルに2本出ているのに、審査する方が演劇に関心がないらしく、弁護士の方にどう説得してもらうのがいいか、探っているところです。『The Outsiders』でスウィングをやったけれど、スウィングという名称を使うと“ただのスイングか”と言われてしまうので、“主役のうちの一人を演じ、なおかつ7人もカバーした。この公演の救世主だ”くらいの勢いで自分をめちゃくちゃ称えなければいけないらしくて、ちょっと恥ずかしいのですが(笑)。 その作業をブロードウェイの舞台に出ながら並行して行うというのが、すごく大変です。これは外から来る人間にとっては避けられない、そして終わらない課題ですね」

 

――『Pirates!』のポスターにオリジナル・キャストとしてRyoさんも写っていますが、あちらを見せるだけではだめでしょうか(笑)。 

「僕も十分だと思うんですが、よく言われるのが、quantity over quality、いわゆる質より量なんです。小さい劇場で主役を5回やった方が、ブロードウェイに1回出るより効き目があるそうで、なんだそれ?と思うのですが(笑)。

でも有難いことに、いろんなクリエイターたちと仕事をしてきたので、今回、彼らが推薦状を書いてくださるようで、それはかなり助けになるようです。今回のインタビューも記事になったら資料になるので、有難いです」

 

――それは良かったです。では最後に、今後のビジョンをお教えください。

「僕は英語も日本語と同じぐらいか、それ以上話せるので、日系アメリカ人と同じ枠に入れられることが多いのですが、僕は日本で育ったことでアメリカ人とは違う面白い感性、面白い視線をオファー出来ると思っています。

日本の良さというものを、僕という役者を通して伝え、なおかつこちらのアーティストとコラボレートしながら、将来的には日本とアメリカの架け橋として貢献できる人になりたいです。日本とアメリカという二つの文化を対比させると本当に面白いので、役者として、あるいは作曲家として、もっとアメリカの人たちに、日本ってこんなものがあるんだ、こういうものを作れるんだと知ってほしいし、日本人にも、アメリカってこういうところがあるんだなとか、新しい知らなかったところをお互いに教え合うプロセスにちょっとでも貢献できたら嬉しいです。

育った環境が特殊なだけに、それを存分に活かしたアーティストとして、今後日本とアメリカでの活動を両立して行きたいです。そのためにはまずこちらで名前が売れることで、日本でも活動しやすくなるかなと思うので、今はアメリカで出来ることを、一生懸命頑張っています」

 

――ちなみに、『Pirates!』にはいつまでご出演ですか?

「7月末までの期間限定公演なので、それまでは出ます。その後もNYには残りますし、有難いことにいろんな作品にお声がけをいただいています」

 

(取材・文=松島まり乃)
*無断転載を禁じます

*『Pirates! The Penzance Musical』7月27日まで=Todd Haimes Theater 公式HP

*上林龍さんと、(特別に)ラミン・カリムルーさんのサイン&ポジティブ・フレーズ入りの『Pirates!』プレイビルをプレゼント致します。詳しくはこちらへ。