「エジンバラ・フェスティバル・フリンジ」とは?
英国スコットランドの首都エジンバラで毎夏、世界最大の演劇祭「Edinburgh Festival Fringe」が開かれているのをご存知でしょうか?
1947年、各国のメジャーな演目を集めた公の芸術祭「エジンバラ国際フェスティバル」に“招かれていなかった”8団体が、自主的にこの街で公演を行ったのが始まりで、以降みるみるうちに膨れ上がり、今年の参加演目は実に3800超、25万人を動員し発行チケット枚数300万超。3週間程度の会期中、地元の住民はもちろん、世界150か国から訪れた人々が、朝から晩まで街のあちこちで舞台芸術を楽しむお祭りです。
フェスティバル第一の特徴は、「審査が無い」ということ。“語りたい物語がある団体と、それを上演したい会場なら誰でも参加できる”というポリシーのもと運営されており、多種多様な作品が混在。娯楽に徹した作品もあれば、今年で言えば「気候変動」「人種差別」「精神疾患」「格差社会」等、様々な社会問題を反映した作品も見受けられます。
また、参加団体としては「演劇を楽しむアマチュア」と「メジャー進出を狙うプロ」が混在しているのも本フェスティバルの特色。高校の文化祭のような和やかな空気の中で行われるものもあれば、プロデューサーたちの目に留まることを目標に緻密に作り込まれ、俳優達の演技もこなれた演目も。“気楽にお祭り気分を楽しみたい”“表現の最先端を自分の目で探したい”層のどちらの期待にも応えるフェスティバルと言えるでしょう。
1日に3本以上の“はしご”も可能
筆者は今年、久しぶりに夏のエジンバラを訪れましたが、「フリンジ」取材に割けたのはわずか一日。それでは観劇はせいぜい2本…と思われるかもしれませんが、実際に観たのは6本。宿に帰る時間を気にしなければ、あと1,2本は足せたでしょう。
こんなことが可能なのは、ほとんどのショーが“上演時間=1時間程度”で作られているため。新作の場合は“まずはここで試演し、評判が良ければ長編に発展させる”という流れが大勢ですし、既成の名作ミュージカルを上演するにしても、観光がてら訪れる観客が気軽に足を運べるよう、やはり1時間前後のダイジェストで上演しているのです。
飲食店、大学キャンパス、普通のオフィスビル等を利用した「フリンジ」上演会場では、連日、1時間半~2時間刻みでスケジュールが組まれ、異なる演目を上演。時間にゆとりのある観客なら当日、街に繰り出して路上で多数配られるちらしの中からピンと来た演目に赴く、あるいは半額チケット売り場で掘り出し物を探すといったこともできますが、滞在時間が短い場合は、事前に公式HPで演目をチェックし、一日のざっくりした予定を組んでおくのがお勧めです。
2019年のミュージカル・オペラ部門上演演目は133本。演目リストの中には“誰もが知っている大作・名作ミュージカル”も多数あり、『オリバー!』に至っては3団体が上演。個人的に観たいタイトルもいくつかありましたが、今回はオリジナル作品、それもなるべく新作でとフィルターをかけ、開演と終演予定時刻、地図を睨めっこしながら、6作品を選びました。最後の一本ぐらいは当日決めてもいいのですが、間近になると売り切れてしまう公演もあるため、今回は6本とも事前にオンライン予約することに。
さて1週間後、いよいよエジンバラに到着。今にも雨の降りそうな曇天の中、一本目の演目『Islander』の上演会場にたどり着きます。まずは窓口にて予約番号と名前を言い、6公演分のチケットを発行。“シアターはここを出て左に回り込んで…”と言われるままに建物の隙間を抜けると、小ぶりのテント小屋が現れました。開場を待つ人の列に並ぶと、家族向きのアイコンがついていたこともあり、小学校低学年くらいの子供を連れたファミリーも少なくありません。開演5分前、会場係の呼び込みで人々が流れるように場内に吸い込まれ、直径2,3メートルほどの裸のアクティング・スペースを囲い込むようにして着席。キャパシティとしては150人ほどでしょうか。全員が落ち着いたとみると、演目は即、始まりました。
素朴にして神秘的な二人芝居『Islander』
天井から青白い光が神々しく降り注ぐ中、二人の女性が現れ、アカペラで歌い始める。島民のほとんどが去った孤島に、少女エイリーは祖母と暮らすが、ある日、浜辺で瀕死のクジラに出逢う。どうか死なないで、と必死に声をかけるうち、エイリーは不思議な歌声を耳にする…。
時代に取り残された故郷になすすべもない少女のリアルな生活と、未知の世界が交錯する舞台。物語を彩る民謡風のナンバーは、出演者が舞台の片隅で音響機材に自身の声やため息、手拍子をその場で取り込み、生声に重ね合わせてゆく“ルーピング”によって独特の響きを生み出します(作曲・Finn Anderson)。女優達(Bethany Tennick, Kirsty Findlay)も精緻なアカペラを聴かせつつ、少女、祖母、母、島民らいくつもの役をさらりと演じ分けており、既に演目が体の隅々にまで沁み込んでいるという印象。
魔法のような1時間は瞬く間に過ぎ、舞台は終了。機材を片付ける女優やスタッフたちに帰り際、何人もの人々が“良かったよ”“音楽がいいね”と声をかけてゆく距離感もまた「フリンジ」ならでは。筆者も話しかけてみたところ、このHelen Milne Companyはロンドンを本拠地として英国全土を巡業としているプロ劇団。10月にはロンドン公演も予定しているとのことです。
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作品の余韻に浸りつつ、次の演目へ。エジンバラは比較的コンパクトな街で、30分もあればほとんどの会場間移動が徒歩で可能です。エリアの中心部には入場無料の巨大な博物館、ナショナル・ミュージアム・オブ・スコットランドがあり、気分転換に最適(ミュージアム・ショップも充実)。また天気が良ければ通りのあちこちで大道芸人たちのパフォーマンスが行われており、空き時間が出来ても退屈することはありません。
作品の余韻に浸りつつ、次の演目へ。エジンバラは比較的コンパクトな街で、30分もあればほとんどの会場間移動が徒歩で可能です。エリアの中心部には入場無料の巨大な博物館、ナショナル・ミュージアム・オブ・スコットランドがあり、気分転換に最適(ミュージアム・ショップも充実)。また天気が良ければ通りのあちこちで大道芸人たちのパフォーマンスが行われており、空き時間が出来ても退屈することはありません。
2本目、3本目の演目は偶然同じ会場での上演でしたが(終演から次の演目の開演までわずか20分…。裸舞台の演目が多いわけです)、どちらも長編化を狙っているようには見えませんでした(3本目は英国の某大学のミュージカル団体の公演。彼らは数年前にとある賞を受賞していますが、その時の学生は既に卒業しており、クオリティが異なるのも無理はありません)。また、この日の最後に観た演目も出演者の歌唱力は抜きんでていたものの、台本が恐ろしく平板でもう一つ、二つ工夫がほしいという内容だったため、本稿では割愛します。
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プロ志望の学生たちの熱気迸る『Limbo:Twelve』
いっぽう、学生といっても“本気度”が大きく異なっていたのが、Royal Conservatoire of Scotlandの『Limbo:Twelve』。15年連続で「フリンジ」に参加しているスコットランド王立コンセルヴァトワール(芸術学校)が上演した新作2本、既存作品1本(今年は『キューティー・ブロンド』)のうちの1本で、米国シカゴのノースウェスタン大学との共同プロジェクトとして、プロのミュージカル作家(作曲=Jonathan Bauerfeld、脚本・作詞=Casey Kendall)に委嘱した作品です。
麻薬中毒死して辺獄(天国と地獄の境目)に迷い込んだ若い娘テス。舞台は昏睡状態の彼女を囲んで、彼女の人生に何らかの形でかかわった12人が集まり、彼女にもう一度生きるチャンスを与えるべきか、自らの体験を語り(歌い)ながら討論するさまを描きます。薬物におぼれ、嘘をつき、自堕落に生きた彼女の生きざまははじめ集中砲火を浴びますが、一人がそれに疑問を呈したことで、少しずつ皆の空気が変わり始める。彼女は真剣に人を愛したこともあった。思いやりもあった。私たちは違う見方をしてもいいのではないか。彼女に赦しをあたえてもいいのではないか…。
物語の構造は名作映画『12人の怒れる男』を彷彿とさせ、必ずしも新味があるわけではありませんが、コンセルヴァトワールとノースウェスタン大の学生が混在するキャストの気迫が凄まじく、ただでさえ狭い会場が熱気でむんむん。一定の歌唱力を有しているだけでなく、その懸命な姿勢が、社会で“敗者”とされる人々に差し向けられる作者のエールと重なり、力強くもあたたかな感触の舞台となっています。
後で学校に問い合わせたところ、このプロジェクトでは学生たちが社会に出る前にオーディションの何たるかを経験できるよう、学生たちに希望する役を選ばせ、役ごとにオーディションを実施しているそう。だからこその、あの熱量なのでしょう。また本作の作家コンビはアメリカ人で、昨年からプロジェクトに参加。才能が豊かで、稽古場では学生たちに寛容に対応していた彼らが今年、再び参加してくれたことは非常にラッキーだった、と学校はとらえています。大西洋をまたいだこの共同プロジェクトから、今後、どんな作品が生まれて来るのか。またどんなミュージカル俳優が巣立ってゆくか。継続的に見守ってゆきたいところです。
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AIと人間の“らしからぬ”ふれあいを描く『You and I』
今回、筆者が観た6本の中で、最も観客から熱いリアクションを得ていたのが、シェフィールド大学の卒業生たちが設立し、ユニークな題材選びを心掛けているという劇団“Colla Voce(コルラ・ヴォーチェ)”の本作。会場となったエジンバラ大学の階段教室を満席にするだけでなく、観客を度々笑わせ、ちょっぴりしんみりもさせ、カーテンコールでは誰もが自然に立ちあがり、笑顔で喝采。3人のバンドで半分は占められた、ごく小さな劇空間の芝居にも関わらず、です。
引きこもりの作曲家フランのもとに、ある日、姉が設計した最新AI搭載ロボットのロバートが届く。“世間知らず”の彼を育てる羽目になったフランは、彼との交流を通して自分の殻を破り、孤独から抜け出すが…。
人間の感情に人工知能が影響を及ぼすという点においてはディズニー映画『ベイマックス』など、既存の作品が思い出されるストーリーではありますが、そんなことなど吹き飛ばしてしまうのが、キャストの演技。ロバート役のLaurence Huntは、完璧にSiri的(?)な口跡とぎごちない動きで無機質なロボットを体現しつつ、その“間合い”のセンスでそこはかとないおかしみを漂わせます。また主人公フラン役のLindsay Manionも、孤独と喪失感を抱えた複雑な内面を、フォーク調の旋律に乗せて表現。二人の緻密にして生き生きとした演技が観客の心を掴み、突拍子もない物語に信ぴょう性を与えています。
例え相手がAIであっても、人生は“出会い”によって変わりうることを描く本作は、アクティング・スペースが極めて限られた中ではフィジカルな見せ場はほとんどありませんでしたが、劇団によるとその後、オフ・ウェストエンドのThe Other Palace(ロイド=ウェバー・シアターグループ系列で、『アメリ』や『ファルセットズ』等を上演)のサポートで長編化が決定したそうなので、よりうねりのある物語、また視覚的にも見せ場の多い作品に発展してゆくかもしれません。「まだ何も確約されたものはないけれど、進展があり次第ツイッターやウェブサイトで発表します」とは、アウトリーチ・コーディネーターのダンさんの言。
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このように、“もしかしたら傑作ミュージカルに発展するかもしれない作品の原型”を目撃したり、それには至らないであろう“残念な作品”に出くわすことで“何が成功・失敗を分けるのか”を考えてみたり、魅力的な若き表現者を発見したりといったことが出来るのが「フリンジ」の良さ。たとえ運悪く、鑑賞した作品すべてが"残念“だったとしても、フェスティバルという特別な高揚感の中で世界各国から集まった老若男女と肩を並べ、観劇体験を共有するのは何とも楽しいものです。来年の開催は8月7~31日。夏休みの旅行先の候補に加えてみてはいかがでしょうか。
(取材・文・写真=松島まり乃 text and photos by Marino Matsushima)
*無断転載を禁じます
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Edinburgh Festival Fringe 公式HP