離婚と処刑を繰り返した“英国史上最もスキャンダラスな王”こと、ヘンリー8世の6人の妻たちが現代に蘇り、ガールズバンドを結成。そのリード・ボーカルを決めるため、それぞれの物語を語り出す。彼女たちが最後に導き出した答えは…?
男性目線で語られてきた歴史を新たな視点から見つめ直し、世界最大の演劇祭エジンバラ・フリンジ・フェスティバルで2017年に初演以来、ロンドン、ブロードウェイと各地で熱狂的な支持を得てきた『SIX』が、日本に上陸。来日版に続き、日本キャスト版が3月16日まで上演中です。
多忙なスケジュールの合間を縫って来日した本作の作者、トビー・マーロウとルーシー・モスの二人に、創作の経緯や込められたメッセージ等について、たっぷり語っていただきました。
“彼女たち”に自分を重ね、
心強く思っていただけたら嬉しいです
――お二人はケンブリッジ大学のミュージカル・サークル出身なのですよね。いつ頃から、どのようにミュージカルに興味を持たれたのですか?
ルーシー・モス(以下ルーシー)「私たちはそれぞれ異なる道のりを辿ってきていて、私の方は小さなころからバレエをはじめ、いろいろなダンスを習っていました。レッスンではミュージカルの曲に合わせて踊ることもあって、中にはどの作品か知らず踊っていた曲もありました。
高校を出てからはダンス・カレッジに2年間通ったのですが、入ってからそこが“ミュージカルとダンスの学校”であり、歌も歌わなくてはならないことに気づきまして(笑)。気が付けばミュージカルが大好きになっていました。
でもよく考えれば、クリスマスに(舞台を)観にいくこともあればTVでもよく放映されていて、ミュージカルは常にダンス・ワールドの一部だったなと思います。最近になって、ミュージカルを観に行って“この曲に合わせて10歳の時、踊ったことある!”と気づいたりもします(笑)」
トビー・マーロウ(以下トビー)「小さいころに『キャッツ』のビデオを観て“猫が踊ってる!”と感動して以来、私はミュージカルが大好きです。両親はともに音楽家だったので家の中には常に音楽があったし、家族で舞台を観に行くこともありました。クリスマスや誕生日には、よくミュージカルのアルバムをプレゼントしてもらいましたね。地元のミュージカル・サークルで、ボヘミアン的に“音楽を伴うストーリー・テリング”をやったりもしていました。
でも大学に入ったら、自分以上のミュージカル・オタクがたくさんいまして(笑)。サークルのみんなの“舞台をやるんだ!”という情熱に圧倒されつつ、わくわくしました」
――影響を受けたミュージカル作家はいますか?
トビー「絶対的に憧れるのは、スティーヴン・ソンドハイム(『スウィーニー・トッド』等)。彼の歌詞の書き方、曲の作り方は天才的だと思います。
ティム・ミンチン(『マチルダ』等)にも影響を受けました。彼ならではの言葉遊びや、興味深い韻を踏んだ複雑な歌詞、それにジョークを届けるための歌の構築の仕方が魅力的です。楽曲をめちゃくちゃ面白く、同時にキャッチーかつクールに仕上げていて、とても勉強になります。
そしてポップ・ソング・ライターであり、『&ジュリエット』の作者でもある、マックス・マーティン(注・テイラー・スウィフト、ブリトニー・スピアーズ、バックストリート・ボーイズ等多数のアーティストやグループに楽曲を提供)。『&ジュリエット』は、『SIX』の大きなインスピレーションになっています」
――本作はエジンバラ・フェスティバルで上演するため、委嘱されて生まれた作品なのですよね。それまでもお二人でいろいろな作品を書かれていたのですか?
トビー「全然(笑)」
ルーシー「委嘱というのとは、ちょっと違うかも。というのは、ケンブリッジ大学ミュージカル・シアター・ソサエティがエジンバラ・フリンジ・フェスティバルで新作を上演することになって(注・それまで同団体は既存のミュージカルを上演していた)、やってみたい人の募集をしていたんです。応募したら“ぜひ進めてください”ということになったのだけど、アマチュアの学生団体なので、ギャラは無し。(仕事というより)遊びの感覚でした」
トビー「それまで、コメディなどのために何曲か書いたことはありました。パントマイム(注・英国等で主にクリスマス・シーズンに上演される、歌や踊り、観客との掛け合いをちりばめたコメディ)のために私が曲を書き、ルーシーがアシスタント・ディレクター兼振付家をつとめたこともあって、私たちはそこで気が合ったんだろうなと思います。でも、まるまる新作を作った経験はありませんでした」
ルーシー「経験は無かったけれど、演出は好きだったし、新作を書く人たちと一緒に舞台に関わったことはちょくちょくありました」
――“一人で書く”という選択肢もあったかと思いますが、なぜコンビで書こうと思われたのですか?
トビー「その方が楽しいじゃないですか(笑)。当時のことを思い出すと、私は初めてルーシーが演出した舞台を観た時に“わお!こんなに優秀な人はいないぞ”と思って、いつか一緒に新作をコラボしない?と持ち掛けたんです。その時“イエス”と言ってくれたからこそ今、こうやって日本に来られているわけで、とっても感謝しています」
ルーシー「(照れ笑い)へへ。」
――ヘンリー8世の6人の妻たちの物語以外にも、アイディアはありましたか?
ルーシー「案はいろいろありました。ただこの時は、たくさんの作品が上演されるエジンバラ・フェスティバルという恐ろしく大きなフェスティバル(注・過去のフェスティバルの体験レポートはこちら)での上演だったので、トビーは“よく知られたテーマじゃないといけない”と考えたんです。また、女性とノンバイナリーのキャストで上演したかったので、現代のリアリティ・ショー的なものをシェイクスピア戯曲の女性の登場人物でやる、といった案もありました」
――この6人の妻に対して、一般的に英国人はどれくらいシンパシーを持っているでしょうか?
ルーシー「テューダー朝への関心は高いと思います。ヘンリー8世と6人の妻たちの物語に惹かれる人も多いと思います。
ただ執筆時、私たちは彼女たちに関して、世間では批判的というか、男性的な視点でばかり語られているなと感じていて、例えばヘンリー8世以外の男たちと関係を持つキャサリン・ハワードは“馬鹿者”、アン・ブーリンは“誘惑する魔女”的にとらえられていました。
今作では、キャサリン・ハワードは“生まれた時代の犠牲者”、アン・ブーリンは魔女ではなく“自分の人生を生きたかった人間”というふうに、ヘンリー8世中心ではない観点から、改めて彼女たちを描き直したいなと思ったのです」
――執筆はどのようなプロセスで進めましたか?
トビー「伝統的には、ミュージカルの世界ではある人は作曲、ある人は作詞というように分業するものだと思いますが、私たちは若いこともあり、すべてを一緒の空間で相談しながら行いました。たいてい私がピアノの前に座りながら、曲をどういう内容、構成にするか、歌詞のアイディアやジョークをどう入れるか…と二人でブレインストーミングをして、少しずつ作っていくという感じです。はじめこそ分業ぽかったけれど…」
ルーシー「最初の三日間だけね」
トビー「それがだんだん、すべて同じ空間で進行していくようになりました」
――特に苦労されたのはどんなところでしたか?
トビー「“Get Down”という曲ですね。サビの前までは、(この曲を歌う)アナ・オブ・クレーヴスの裕福さをネタにしたり、最近の音楽の比喩で遊んだりしてすらすら、楽しく書けていて、私たちは笑い転げながら作業していました。
ですが、サビに差し掛かった時、私たちはここで彼女の肖像画をイメージできるようなものにしたいと思い、コンセプトを明確にするまですごく時間がかかりました。あと、(ジェーン・シーモアのナンバー)“Heart of Stone”も何度も書き直しましたね」
ルーシー「そうね。(全体を通して)最初にとりかかったのがこの“Heart of Stone”だったと思いますが、初稿との違いという意味では、一番歌詞が変わったかもしれません。
当初は彼女たちの歌詞を、ラジオを聞いているような、同時代的に聞こえるものにしたいのか、それともより歴史的なジョークや言葉遊びを取り入れたいのか、決めかねていたんです。初日には一般的なポップな言葉で書いていたけれど、二日目に“これは忘れてもっと歴史的なジョークを盛り込もう、そのほうが楽しいよ”ということになりました。
“Heart of Stone”はテューダー・ローズ(イングランドの伝統的な紋章)などのイメージを用いた、抒情的なナンバーとして生まれました。でもエジンバラ・フェスティバルが終わって“SIX”をプロとして発展させるにあたり、私たちは曖昧なイメージでなく、もっとこのナンバーにジェーン・シーモアの実際のストーリーを込める必要があると思い、限られた言葉数の中でいかに簡潔に彼女の人生を語れるか、かなり時間をかけて作業しました」
――“Heart of Stone”の次のナンバー“Haus Of Holbein”は、宮廷画家ホルバインが描いた肖像画が当時、“お見合い写真”的に機能していた、つまり当時の女性たちがルッキズムの犠牲者だったことを全員で歌うナンバーで、本作の中でも明確に政治的に聞こえますが、実際にはどのような意図がありましたか?
ルーシー「本作では或る意味、全曲が政治的です。英国では小さい時にこの時代について学びますが、大人になって振り返ると、キャサリン・オブ・アラゴン、アン・ブーリン、ジェーン・シーモアといった王妃は、常にある種の典型として描かれてきたことに気づくと思うんです。ジェーン・シーモアなどはまるでドアマンのよう(に通り過ぎるだけのような存在)ですしね。
本作を書くにあたって、私たちは最初に“女性が世間からどのように見られているかという問題に挑もう”という目標を掲げました。“Haus of Holberin”では特に、現代に生きる人々と当時の物語の相似性に注目してもらうことで、状況はそう変わっていないと気づいていただき、皆で政治的な意識を持てたらと思ったのです。
このナンバーでは、500年前に肖像画家が女性たちの肖像を描き、男たちはそれらを見て遠い場所から花嫁を選んでいたという物語を通して、美の基準やボディ・イメージのようなものに対する批評精神を表現できたのではないかなと思っています」
――本作が日本の観客、もしくは日本の演劇界、ひいては日本社会にどんなインパクトを与えられたらいいなと思いますか?
ルーシー「6人のクイーンたちが自分たちの力を発揮し、自分たちの声を使い、自分たちの見え方をコントロールし、発言することができるようになって行く姿に、女性たち、ノンバイナリーの人々が自分を重ね、心強く感じていただけるといいなと思います。誰の声に、なぜ耳を傾けるべきなのかを見つめ直し、自分の思いを表現できるようになっていただけたら。
女性のエンパワーメントのメッセージは本当に重要だと思いますし、客席の、特に若い方々に、インスピレーションやパワーを与えられたらと強く願っています」
――トビーさんから何か付け加えることは…?
トビー「特にないけれど(笑)…、今、ルーシーが“批評的なメッセージ”について話していて、私たちがこの作品を通して本当にやりたかったのは、歴史へのアプローチを見つめ直すということだったんだな…と感じました。
ある事象が何々のせいだと語られた時、そのこと自体に疑問を持ち、事実を検討して、なぜそのように物語化されていったのか、一人一人が考えることが大切です。私たちがある種の実験としてこの作品で目指したのは、歴史上の女性たちに対する先入観を、根本から変えることでした。
何百年もの間、歴史は男性たちによって語られ、それがある意味、人類を形作ってきました。でも、同じ歴史的情報も異なる視点から伝えることで、変化をもたらすことが出来るのではないか。権力にどう対峙するかということも含めて、私たちは日常的に、例えばマスメディアの“声”の在り方について考えるべきではないか。本作を観た方が、そんな批評的視点を持ってくれたら嬉しいなと感じます」
――お二人は日本キャスト版もご覧になったのですよね。
ルーシー「こんなことは初めてでちょっと恥ずかしいのだけど、日本版を観た後、私は大泣きしてしまったの。彼女たちが本当にこの作品を愛してくれていると感じたんです。
彼女たちは驚くほど才能があり、シンガーとしてもダンサーとしても素晴らしかったけれど、同時に作品、そして6人のグループとして互いを本当に大切にして高め合っているのが、2組のバージョンどちらからも伝わってきたし、作品のメッセージと繋がってくれているなぁと感じました」
トビー「同感です。彼女たちは私たちが本作でやろうとしていることを本質的に理解していると思えて、私は彼女たちを愛おしいと思えたし、安堵感も覚えました。これ以上ないキャストが本作を伝えてくれているし、翻訳も(原詞のニュアンスを伝えるべく)とても配慮されています。日本のお客様にこのプロダクションを観て頂けることに、とても感謝しています」
――お二人は現在、何か新作にとりかかっていますか?
ルーシー「2週間ほど前にロンドンで“Why Am I So Single”という作品がクローズして、そのアルバムの作業を終えたところです。すごく楽しい仕事だったし仕上がりもいいので、リリースされるのがとても楽しみです。
また私たちは目下“Bad Fairies”というアニメーション映画に参加しています。今回は脚本には関わらず、楽曲提供だけなのですが、大きなチームの中で素晴らしい人たちとコラボでき、刺激的な日々を送っています」
トビー「そして休暇をとるつもりです。断固として休暇を!(笑)」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報 ミュージカル『SIX』3月7~16日=梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ 公式HP
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