東京も桜が開花し、少しずつ春を感じますね。オーストラリアから一時帰国し、この時期に東京にいる喜びを感じています。春は卒業・入園・入学の季節でもあり、学生時代を懐かしく感じることも多いのではないでしょうか。
今演出しているミュージカル「遠ざかるネバーランド」の主人公は、17歳の女子高生です。“17歳”という年齢は、節目ではないのに、分岐点のような特別な歳だと感じます。“大人”になる一歩手前、青春のど真ん中。稽古初期のテーブルワークで、キャストに“17歳”の思い出を聞いたところ、部活に熱中していたり、仕事で社会の不条理を知ったりお金の意味を感じたり、恋をしたり、新しい事に挑戦してみたり、進路に悩んだり、思い出は人それぞれでも、あの頃の熱量は特別なものだと共感し合いました。
私にとっても、今に繋がる分岐点でした。英語演劇部の部長を務め、文化祭公演「十二夜」で念願の演出をした時に味わった大きな達成感から、このエッセイのタイトル「大夢想展」が生まれました。この言葉は17歳の時に自分を表す四字熟語という課題に対して考えた言葉です。
帰国子女だった私にとって、“変わり者”と見られがちな異質感をエンタメに昇華するのが、友達作りの処世術でした。私は3人兄弟の長女で、海外で過ごした幼少期は、弟や妹を巻き込んで、ピーターパンごっこ(ピーターパン役は私)等をして遊んでいました。流行りのTVドラマ・歌やダンスをクラスメイトに教えて披露したり、クラス全員を“こんぶ家”という架空の家族や仲間達に設定し、物語を作ったりと、楽しいことに周りを巻き込むと友達が増え、楽しんでもらえる喜びもありました。
しかし、小学校高学年や中学生になると、厳格な規則に沿うことが窮屈に感じるようになりました。空気を読むこと、顔色を伺うのに疲れても、反抗する事もなく、どんどん空想の世界へと飛行していきました。ミュージカルは最たるもので、「美女と野獣」「ピーターパン」「夢から醒めた夢」「オズの魔法使い」等を 観ては、主人公達が行くファンタジーの世界の果てを考えては書いたり、演じたりしていました。そのうち、自分の気持ちを話すことは無くなりました。
英語演劇部に入ったのは、漫画「ガラスの仮面」にハマったからです。一見何の取り柄もなさそうな北島マヤが、演じることによって幾千もの仮面を被り、マヤにしか放てないオーラを放つ。マヤの真似をすると、日常では口にできないような言葉を発したり、遭遇し得ないような状況に自らを存在させ、異世界にいられる快感がありました。演劇は私にとって罪悪感なく感情をぶちまけられる救いの道でした。
“英語”演劇部ともなると、異世界感は増します。英語で話すと部員達も普段とは少し違う雰囲気になり、そこにだけ存在できる明るい私がいました。演劇の世界への逃避行を夢見ていた私は、セブンイレブンに掲載される「ピーターパン役募集」に応募できない無念さと、いつかはという想いを募らせました。中学の卒業制作は、自分を見失った私が、非常口から「Super fly!」と劇場の中のピーターパンへと変わっている絵本です。その溜め込んだ葛藤や希望、全てを注ぎ込んだのが17歳の「十二夜」の演出です。1人で抱え込んでいた事が、シェイクスピアの言葉に乗ってキャスト・スタッフの一人一人と掛け合わさってお客様に届いた時の格別な想いは、一生忘れません。当時の葛藤が今回の「遠ざかるネバーランド」の主人公と重なることもあり、驚きました。
社会人になると、空想世界に逃避行しても、話さないと何も現実は変わらない事を痛感しました。今は、舞台の上では“演じる”のではなく“生きる”のだと考えも変わりました。舞台の上で存在する世界があってこそ、現実と向き合って生きることができます。そんなことを改めて思い出させてくれる“17歳の世界”でした。
(文・写真=渋谷真紀子)
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