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『笑う男』観劇レポート:弱き者の声、胸に刻まれる舞台

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『笑う男』写真提供:東宝演劇部

不穏な低音に続いて弦楽器のやるせない旋律が響くと、舞台上には嵐の海へ漕ぎだす船の姿が。子供を誘拐し、口を割いては見世物小屋の化け物にしていたコンプランチコは、幼いグウィンプレンを置き去りにして去ってゆきます。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

吹雪の中を彷徨ううち、道端で冷たくなった女性が抱く赤ん坊に気づくグウィンプレン。彼女を抱き上げ、“デア”と名付けた少年は、ようやく一軒の小屋の前へと辿り着きます。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

 

小屋の主は、ウルシュスという名の興行師。扉を叩いたグウィンプレンをいったんは“他をあたれ”と拒みますが、思い直して招き入れ、彼がコンプランチコの犠牲者であること、そしてその“荷物”が盲目の赤ん坊であることを知ります。
“子供二人と生き延びるには、どうすればいいか”と戸惑いながらも、早速、皮肉交じりの人生訓をグウィンプレンに伝授するウルシュス。“醜い顔をうまく使え この世は地獄 生き抜くためには誰か蹴落とすしかないぞ”…”

時は過ぎ、成長したグウィンプレンはウルシュスの見世物一座で、デアとともにその生い立ちを演じています。見物人たちはそのおぞましい外見を嘲笑しますが、グウィンプレンは“金を払ってお忘れ下さい”と涼しい顔。底辺の暮らしにあっても、彼とデアは互いの存在に“光”を見出し、心満たされていたのです。

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『笑う男』写真提供:東宝演劇部

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『笑う男』写真提供:東宝演劇部

そんなある日、一座の見物に訪れたのがジョシアナ公爵。何不自由ない暮らしに飽き、許婚であるムーア卿に誘われてやってきた彼女は、グウィンプレンをひと目見て気に入り、呼び寄せて誘惑します。動揺したグウィンプレンはウルシュスのもとに戻りますが、今度は王室の使用人・フェドロの命により逮捕。彼のもとへと連れてこられ、思いがけない話を聞かされます。自分が本当は何者であるのかを知ったグウィンプレンは…。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

17世紀末の英国を舞台に、主人公の数奇な人生を辿りながら“金持ちの楽園が貧乏人の地獄によって作られる”不条理を浮かび上がらせる、ヴィクトル・ユゴー(『ノートルダム・ド・パリ』『レ・ミゼラブル』)の『笑う男』(1869年)。これまでも様々に舞台化・映像化されてきた物語がロバート・ヨハンソン(脚本)とフランク・ワイルドホーン(作曲)によって舞台化され、2018年に韓国で世界初演。翌年の日本初演を経て、この春、東京を皮切りに大阪、福岡の計3都市で上演されています。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

洗濯物が吊るされ、猥雑な中にも自由な息吹の感じられる庶民の世界と、巨大なベッドや議場が威圧感たっぷりに空間を占める貴族社会。二つの世界を鮮やかに対比させた石原敬さんの舞台美術のもと、日本版演出の上田一豪さんは初演に続き、社会の底辺で生きる人々たちの場面を溢れんばかりの生命力で満たし、絢爛豪華に見えるが温もりに欠ける貴族社会とのコントラストを強調。“本当の人間らしさとは何か”を問いかけます。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

浦井健治さんは強靭な精神力を秘めたグウィンプレンを朗らかに見せつつ、心の奥底に消しがたいコンプレックスがあり、デアとの関係に踏み出せない複雑な心理も表現。いっぽうこの日のデア役、真彩希帆さん(熊谷彩春さんとのダブルキャスト)は目が不自由なだけでなく心臓も弱く、いつ命果てるかわからない中でもグウィンプレンを心から慕い、彼を通して見える世界に希望を抱く純真な女性を、その歌声と儚げなたたずまいで繊細に体現しています。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

ウルシュス役の山口祐一郎さんは世の中に対して斜に構え、幾度となく荒波を乗り越えてきたはずが、神から見放された幼い二人を引き取り、愛を注いできたことで悲劇の中に取り込まれてゆくさまをダイナミックに演じ、大塚千弘さんは満たされない何かを異質の存在であるグウィンプレンに求めてしまうジョシアナを情念を滲ませて好演。吉野圭吾さんは“色悪”のオーラふんぷんでムーア卿を演じ、石川禅さんはグウィンプレンの人生を変えるフェドロを完璧な冷静さをもって体現、興味深い“曲者キャラクター”を作り出しています。

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

『笑う男』写真提供:東宝演劇部

終盤にグウィンプレンは一つの決断を下しますが、今回の浦井さんのきっぱりとした演技からは、この決断は決して絶望に押しつぶされてのことではなく、愛のため、彼の“光”であるデアをどこまでも守るための、能動的な決断に映ります。だからこそ惜しまれるのが、グウィンプレンの議会での、現代の視点からすれば至極当たり前の人道的発言への、議員たちのリアクション。もしもあの場で、違うリアクションが(たった一人でも)もたらされていれば、グウィンプレンの人生はもちろん、“金持ちの楽園が貧乏人の地獄によって作られる”社会の在り方は大きく変わっていたかもしれません。今回の『笑う男』は、主人公の愛の悲劇に涙するにとどまらず、小さな、しかし勇気ある声に耳を傾けることの大切さが胸に刻まれる舞台となっています。

(取材・文=松島まり乃)

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*公演情報『笑う男』2月3日~19日=帝国劇場、3月11~13日=梅田芸術劇場、3月18~28日=博多座 公式HP

*前回公演のレポート(舞台写真有り)はこちら