ビルの地下に降りてゆくと現れる、こぢんまりとした劇空間。舞台奥、そして場内左側の黒い壁には、科学者たちの名前、アイディアの断片、設計図など、ライトの兄弟の弟オーヴィル(オーヴ)の“脳内にあるもの”が、ぎっしりと描き込まれている。(美術=池宮城直美さん)
舞台上手に演奏者(作曲・音楽監督の森大輔さん)がスタンバイすると、静けさの中、奥の扉から老境のオーヴが登場。先ほどまでインタビューを受けていたという彼は、“世紀の発明”が戦争に利用されていったことを取材者から暗に批判され、虚しさに包まれている。“死の商人”と呼ばれながら、自分はいつまで生きていけばいいのか。
“オーヴ!”
懐かしい呼び声を耳にして、オーヴの目に生気が戻る。とうの昔に亡くなった兄ウィルバー(ウィル)と妹ケイティが、記憶の中で蘇ったのだ。
一気に時を遡り、彼らは70年前の“あの日”へと還ってゆく。
父さんが買ってくれた、おもちゃのヘリコプター。ねじを巻くと飛び上がるのが不思議で、兄弟は何度も、何度もおもちゃを飛ばした。壊れると、“自分たちで作ってみよう”と思い立った。
それが“夢”の原点だった…。
『マタ・ハリ』『フィスト・オブ・ノーススター』等の演出で知られる石丸さち子さんが、長年あたためてきたライト兄弟にまつわる物語を舞台化。夢にとりつかれた彼らが動力飛行を実現するも、時代の荒波に翻弄されてゆくさまが、ノンストップ2時間強で描き出されます。
石丸さんの脚本は、決して容易くは無かった発明までの道のりを丹念に描写。一部の台詞を“歌”に変換して緩急をつけつつ、兄弟が強風に煽られ、蚊の大群に悩まされながら試行錯誤を重ねるプロセスをじっくり描いているだけに、遂に飛行機械“ライトフライヤー”一号機が現れる瞬間、そしてそれが飛翔する瞬間の感動は格別です。また二人芝居ではなく、兄弟を精神的に、そして後年は“広報官”的な存在としても支えた妹ケイティを登場させ“三人芝居”とすることで、新たな視点を加え、作品に広がりを持たせています。
森さんの楽曲は芝居の流れによく馴染み、しばしば登場する兄弟の二重唱も(ハモりの美しさを強調するというより)力強く、爽快。飛翔に挑むシーンで繰り返し登場するモチーフは徐々に音を上げ、飛行のイメージを巧みに描き出しています。(この箇所に石丸さんがあてた、期待や歓喜、祈りや落胆を一音でマルチに表現する歌詞“AH~”も効果的)。物語の途中で小空間を(文字通り)広げ、飛行機械を登場させた池宮城さんの“工夫”も鮮やかです。
今回の公演では、5組のキャストが交代で出演。演出は統一されていますが、それぞれの持ち味や組み合わせによる化学変化は活かされているようです。
筆者の観た2組のうち、Aチームのウィル、上川一哉さんは特に序盤の躍動が眩しく、70年の時を経てもオーヴの記憶の中で鮮明に生き続けているという設定に説得力を与えています。ダンスにおける美しい足捌きを間近に観られるのも、本公演の贅沢さ。ケイティ役、門田奈菜さんは明るい歌声で兄たちに遠方からエールを送り、彼らの心強い併走者として存在感を示します。オーヴ役の鈴木勝吾さんは、兄に憧れる無邪気な少年が様々な出来事を経て変化してゆくさまを、全身全霊で体現。特に後悔にまみれる終盤の台詞が胸を打ちます。
鈴木さんはDチームではウィル役で出演しますが、ヒロイックな中にも人間くささを多分に覗かせた造型。オーヴを端正に演じる工藤広夢さんとはやや歌唱の声質に似た部分があるだけに、ウィルとオーヴの“双子のような”関係性がいっそう浮き彫りになるチームとなっています。福室莉音さん演じるケイティには、時折ユーモラスな味わいが。この時代に社会進出を遂げた女性の器の大きさを感じさせます。
自らの“功績”に裏切られるも、かつて兄とともにひたむきに、夢に向かって生きた記憶に救われるオーヴ。その果てにあるものとは…。
彼らの記憶を共に辿り、その歓びと悲哀に触れるなかで、観ている側も“自分はどう生きているだろうか”とふと自問したくなる、真摯な人生のドラマです。
(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『翼の創世記』11月29日~12月25日=ブルースクエア四谷 公式HP
*関連記事 鈴木勝吾さんインタビュー