鎖国以来「完璧なる平和の中で栄えてきた」島国ニッポンに1853年、黒船が訪れる。米国側との交渉を担うことになったのは、浦賀奉行所の下級武士・香山。ジョン万次郎とともに国の命運を左右する役目を命じられた彼は…。
日本の歴史の大転換期を描いたスティーヴン・ソンドハイムのミュージカルが、マシュー・ホワイト(『トップ・ハット』)による新演出で上演。主要な役どころとなる香山を廣瀬友祐さんとのダブルキャストで演じるのが、海宝直人さんです。
昨年も話題作が続き、ますます充実のキャリアを築く海宝さんですが、ソンドハイムの異色作とも野心作とも呼ばれる本作には、どんな思いを持って臨んでいるでしょうか。昨年の出演作振り返りなども含め、さまざまなお話をしていただきました。
――海宝さんにとって、ソンドハイムはどんな作曲家でしょうか?
「僕が初めてソンドハイムさんの作品に出演したのは『メリリー・ウィー・ロール・アロング』で、その時のキャストはほぼオール20代という若さでした。
ソンドハイムさんは(歌ったことがある俳優なら)誰もがおっしゃるように、“ちゃんとやる(表現する)のが難しい”楽曲を書かれる方です。本当に緻密に作られていて、例えば、あるところで音がぶつかって不協和音になり、緊張が生まれる。そこから協和音に展開していって…ということがきちんとできないと(表現できないと)成立しないんです。僕らにとってはとても大変でしたが、みんなで必死に取り組みました。その思い出があるからこそ、またチャレンジしたいなと思っていた作曲家さんですし、今回はとりわけ日本を舞台にした作品ですので、出演をとても嬉しく思っています」
――テクニカルなものが求められることが多い作曲家ということでしょうか。
「それが最低限ないことには、難しいと思います」
――となると、他の作曲家より譜面に向き合う時間も多くなりそうですね。
「作品によっては…例えば昨年出演した『ミス・サイゴン』などは、新演出でリアリティ方面に舵を切っているので、30年前に作られた時より生々しさだったり、(歌というより)もっと台詞寄りの表現が求められましたが、ソンドハイムさんの作品はそういうアプローチではないのではないかな、という印象があります。なぜここはこの音で、なぜここでこうぶつかるのかといったことを崩してしまうと、ソンドハイムさんが表現したキャラクターや心理表現も崩れてしまうのではないか。作曲家ごとに色々なアプローチがある中で、本作では(譜面の通りに)、しっかり表現することによって物語が伝わっていくのではないか、と思っています」
――本作にはどこか、ソンドハイムが日本の音楽の魅力を彼なりに分析し、取り入れているような風合いもありませんか? リズムで刻まず、ほわっと流れていくところが邦楽的だったり…。
「そうですね。西洋の作曲家が日本を題材に書いた音楽って、僕らからすれば“それ…中国なんだけど(笑)”ということも少なくないけれど、本作の音楽には違和感がないですよね。西洋的な感覚と日本の感覚の心地よい融合を感じます。
でもそもそもソンドハイムさんの音楽って、どこか国籍感が薄い感じがするんですよ。彼独特の、西洋でも東洋でもないバランス感覚といいますか…。それが、今回の(日本という)モチーフに合っているのでしょうね。あと、本作には楽曲によっては敢えて西洋的な楽曲もあって、(その多様さが)面白いです」
――特に“この作り方は変わっているな”と感じる曲はありますか?
「“ポエムス”などは凄いですよね。しっかり計算して書かれているのだとは思うけれど、曲なのか、曲じゃないのか(判然としない)という作りで。いったいどういうふうに発想しているのか、想像もつかないです。
いっぽうでは、ある種ディズニー・ミュージカル的と言ってもいいような、キャッチ―なメロディのアリアもあって。確実に計算したうえで、このバランスで作っているのだろうなと思います。他の作曲家にはない感覚です」
――五線譜の上で左から右に音符を書いていく、というより、絵画のように空間のあちこちに音を置いているような感じもしますが。
「僕の中では、どこか数学的に感じられますね。足し算・引き算・掛け算・割り算・分数…に加えて微分積分、みたいな複雑さが彼の音楽にはあるので、役者のフィーリングで崩すものじゃないな、という感覚があります。方程式をきちんと解くことが求められるいっぽうで、抒情的な楽曲もあって。読み解き甲斐のある作曲家さんです」
――ご自身も音楽活動をされているので、創作のインスピレーションとなったりも?
「とんでもない。ソンドハイムさんは(僕にとっては)殿上人ですから(笑)」
――ここからは内容についてうかがいたいと存じますが、本作の第一印象はいかがでしたか?
「初演時には賛否両論あったそうですが、そりゃあっただろうな、と思います。難しい作品じゃないですか。日本が舞台で、英語で演じるけれども歌舞伎テイストを取り入れて、日本的な表現で作られている。とてもチャレンジングな舞台だなというのが第一印象でした」
――ある日突然開国を迫られる本作の日本人たちは“被害者”ではありますが、どこかしたたかな一面ものぞかせます。当事者である日本人の一人として、この物語をどう感じますか?
「日本人って、外国の方々に比べて自国に対する関心が薄いというか、あまり自国の歴史や政治について話さない民族だと思いますが、本作を通して日本や日本人というものが西洋からどうとらえられているのか、ありありとわかってすごく面白く感じました。
改めて考えてみると、日本って特異な歴史を辿ってきていますよね。(長く鎖国を続け)ある意味頑固だったのが、(開国をきっかけに)いざ変化が始まると雪崩を打ったように流れていく。明治維新に帝国主義、第二次大戦後はそれまでにっくき敵国だった国々の文化を率先して取り入れていって、最新のものに価値を見出して行く。
ロンドンで石造りの家並みを見たりすると、(同じ都会でも東京に高層ビルが並ぶ)日本は新しいもの好きなんだな、と違いを面白く感じます。そして自分もその一員だな、と」
――アメリカにとどまらず、様々な列強の代表がそれぞれに“条件を飲め”と迫ってくるのに対してなすすべがないくだりなどは、“これでいいのか”と問いを突き付けられているようにも感じられます。
「いろいろなことがなし崩しに決まっていく…。良くも悪くも日本的かもしれないですね。でもだからこそ、日本は今あるような経済大国になったのかもしれません。日本ってこういう国なのかな、といろんなことを考えるきっかけにもなりますし、“今”の日本人にとって、とてもいい作品なのでは、と思います」
(以下の質問はやや「ネタバレ」を含みますので、未見の方、お知りになりたくない方はこのQ&Aを飛ばし、鑑賞後にお読みください)
――本作では海宝さん演じる香山とジョン万次郎が対照的な変化を辿ってゆきますが、海宝さんご自身は“香山タイプ”“ジョン万次郎タイプ”のどちらでしょうか?
「うーん、どちらかというと、香山さんかな。僕は新しいもの好きなんですよ。家電ですとか、新製品が出るとワクワクしちゃいます(笑)。なので香山さんが西洋の(新しい)文化に触れていくなかで変わって行く感覚はわかります。もっとも、日本はそうやって古い文化を随分捨ててきてしまったという側面もあって、万次郎のような日本人としての誇りだったり、独立して生きて行こうという思いが薄れていってしまった結果、今の日本が抱える問題の遠因になっていたりもして…。従来のものも大事にしながら、バランスを取って生きていけたら一番いいのでしょうね」
――冒頭の狂言回しのナンバーを聴くだけでも、日本はなんと特殊な国かと痛感させられます。
「本当にそうですよね。太平の世が続いていただけに、果たしてこの国にはどれだけの底力があるんだろう、と思ったりもします」
――今回、演出のマシュー・ホワイトさんはイギリス人ですので、アメリカ人のソンドハイムの日本観にさらに英国的な日本観が重なってくると思うと、怖いような楽しみなような…。
「(イギリスとは)島国同士で(本能的に)通じる部分もありますので…そこは楽しみにしていてください!」
――どんな舞台になったらいいなと思われますか?
「メッセージ性も強く、掘れば掘るほど深い作品ですが、コミカルなシーンも多々あって、ブロードウェイ初演では何度も笑いが起きていました。エンタテインメントとして楽しめつつ、今の時代に日本の方々に観て頂く意味のある作品に仕上がったらいいなと思っています」
――昨年のご活躍も少し振り返らせていただけたらと思います。まず坂本昌行さんとの二人芝居『Murder for two』では、ピアノも弾かれていましたね。
「弾きました」
――連弾も含め、ピアノの腕前も発揮しつつ、演技面でも大忙しでした。
「大変でしたが、楽しかったです。稽古も(坂本さんと)二人で居残りして、よく半通ししていましたね。ちょっとこのシーンやろうか、と軽くやりだすと、シーンの区切りがないので延々と続いていっちゃって、“もう(稽古場を退出する)時間だ”、という感じで毎日が終わって、演劇的にもいい時間を過ごさせていただきました」
――続く『next to normal』ゲイブ役はシアタークリエ10周年の『TENTH』(2018年)でも演じられたので、ほぼほぼ2回目の挑戦でした。
「『TENTH』の時はスケジュールの都合で稽古がとても短かったのですが、そんな中でも自分の中でこの作品が自分にとってすごく大きな存在で、いつかフルバージョンでやりたいと思っていたので(実現し、)幸せでした。苦しい題材ですが、音楽とドラマの力でぐいぐいとお客様を引っ張っていく。改めてすごい作品だと思いました」
――ゲイブは特殊なキャラクターですが、海宝さんのゲイブは“確かにここにいる”と強く感じられる人物でした。
「演出の(上田)一豪さんと、この作品ではどのキャラクターも生きるエネルギーを失いつつあるけれど、そんななかで誰よりも生々しく生き、エネルギーに満ちたキャラクターにしたいね、と話していたので、そう感じていただけたら嬉しいです」
――そして『ミス・サイゴン』ではクリス役。海宝さんのクリスは特に序盤、キムと出会ってからの姿が希望に満ちていらっしゃり、この二人には本当に輝く未来があると信じられただけに、その後の落差が大きく、より悲劇的に感じられました。
「1幕はクリスにとって、ベトナムでの最後の数日間の話で、いろんな意味での“ぎりぎり感”がある中で物語がスタートする、というところを大事にしたいと思いました。それまで苦しみのなかにあった彼は、“ドリームランド”でキムと出会い、それが唯一の希望だと思えたから、瞬間的にがっと夢中になってゆく。クリス的にはここがクライマックスなんですね。だからこそ、その後の展開が彼にとって(悪夢のような)心の傷にもなっていったんだと思います」
――日本でもコロナ禍の出口が少し見えてきた今、いろいろと感慨もおありかとおもいます。
「配信でのコンサートをはじめ、コロナ禍があったからこそ出来た経験もいろいろありましたが、やはり(コロナ禍は)無い方がよかった。そういう意味では、公演中止で経験した悔しさはエネルギーになっています」
――これからは希望しかない、ですね。
「そうだといいですね。でもまだ見通せないこともありますし、どこかで公演中止という報を聞くと心が苦しくなります。まだまだ、闘いは続くと思います」
――それでも海宝さんは表現することはやめないぞ、と?
「それは確かです!」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報ミュージカル『太平洋序曲』3月8日~29日=日生劇場、4月8日~16日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP
*海宝直人さんのポジティブ・フレーズ入りサイン色紙をプレゼント致します。詳しくはこちらへ。