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『ジーザス・クライスト=スーパースター』観劇レポート:受け継がれゆく“浅利”演出

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『ジーザス・クライスト=スーパースター』写真提供:劇団四季

漆黒の世界。目が慣れてくると、急こう配の八百屋(傾斜)舞台に土埃にまみれた人々が横たわっている。舞台奥から“その人”が現れると人々は立ち上がり、“救い主”として彼を囲む。煽情的なロック・サウンドの中で群れをなして動く姿は、さながら一つの生命体のよう。恐れおののいたユダヤ教聖職者たちは“その人”の排除を画策し、群衆たちもいつしか目に見える救済が得られないことに落胆、彼が逮捕されるやいなや糾弾へと転じる。その激しさは、実質的な現地の施政者、ローマ提督ピラトさえ追い詰めてゆく…。

 

名もなく、無力な個人が群れをなした時、彼らはどんな変貌を遂げるのか。“移り気”“暴力的”といった群衆の特質を荒野というシンプルな空間(美術・金森馨さん)の上で赤裸々に描き出してみせる浅利(慶太)演出は、抜群の一体感をもって動くアンサンブルに支えられ、今回の公演でも鮮烈です(レジデント・ディレクター・荒木美保さん)。 

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『ジーザス・クライスト=スーパースター』写真提供:劇団四季

そして今回、それ以上に特徴的なのが“言葉を聴かせる”歌唱。冒頭「彼らの心は天国に」で“仇になるぞ”の“ぞ”をジーザスに対して、刺すように発するユダ(佐久間仁さん)。「私はイエスがわからない」の“あたしはわからない どうしてあげたらいいか”を、明確に当惑のトーンを示しながらメロディに乗せるマグラダのマリア(山本紗衣さん)。そして「最後の晩餐」でユダとの言い合いの中で(彼らが)“待っている”の歌詞を立て、運命を受け入れるよう厳然と諭すようなジーザス(神永東吾さん)…。

 

これまで筆者が観てきたどの公演よりも言葉の発し方一つ一つにこだわった歌唱は、ストレートプレイという劇団四季の原点を強く意識してのことでしょうか。劇団創設者の一人でそのメソッドを確立した浅利慶太氏の“追悼公演”と銘打つにふさわしい舞台と言えましょう。

 

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『ジーザス・クライスト=スーパースター』写真提供:劇団四季

なお、作品が集団の暴走を描くなかで、今回上演中のエルサレム版では、マグダラのマリアはじめ数人の人々の終盤の行動によって、人間の性(さが)に一縷の望みが繋がれます。この光景を観る度、ある意味対照的な“ジャポネスク”版も観たくなる方は多いのではないでしょうか。かつて…もう四半世紀前のことですが、本作稽古中の青山劇場でお会いした浅利氏も、「ジャポネスクをやるとエルサレム、エルサレムをやるとジャポネスクをやりたくなっちゃうんだよ」と悪戯っぽく呟いていたのが思い出されます。別個であると同時に“対”ともいえる2つのバージョン。改めて、連続しての一挙上演が待たれます。

 

*言及キャストは筆者鑑賞日の出演者です*

 

(文=松島まり乃)

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*公演情報『ジーザス・クライスト=スーパースター』612日~77=名古屋四季劇場 公式HP