スペインの国民的文学と言われるミゲール・デ・セルバンテスの小説をモチーフに、“教会侮辱罪で投獄されたセルバンテスが、そこで田舎の郷士アロンソ・キハーナと、彼が作り出した人物ドン・キホーテの物語を演じる”という、三重構造のミュージカル『ラ・マンチャの男』。1965年にブロードウェイで開幕した本作はトニー賞ミュージカル作品賞ほか5部門を受賞、日本でも69年に初演し、この秋、50周年を迎えます。
日本版についてまず特筆すべきはこの50年間、主人公セルバンテス(劇中のアロンソ・キハーナ、ドン・キホーテ)役を市川染五郎さん~後の松本幸四郎さん~そして現在の二代目松本白鸚さんが、二度の襲名を経ながら1265回、お一人で演じてきていること。日本初演の翌年には日本人として初めてブロードウェイ版の舞台に招聘され、現地の俳優と英語で共演。作品と役柄に対する洞察の深さ、その表現は唯一無二として高く評価され、2012年に作者デール・ワッサーマンの夫人から、この作品にふさわしい人物としてトニー賞のトロフィーを贈られてもいます。
この日本版でもうお一方、なくてはならない存在と言えば上條恒彦さん。「出発(たびだち)の歌」等のヒット曲で知られるシンガーですが、いっぽうで多数の舞台に出演、そのきっかけがこの『ラ・マンチャの男』なのだそう。牢名主(劇中劇では宿屋の主人)役として、1977年公演以来、800回以上出演。白鸚さん同様、もはやこの方以外の牢名主は想像もできないほどの存在感を放っていますが、ご当人は本作、そして役柄をどうとらえていらっしゃるでしょうか。人生観がちらりと覗くインタビューをお届けします。
“役者の世界っていいな“と思えた『ラ・マンチャの男』
――上條さんにとって『ラ・マンチャの男』はどんな作品でしょうか?
「初出演の1977年からもう、42年になりますからね。その間、いろいろ教わった作品ですから、僕の人生にとって重要な作品ですね」
――初出演された際の思い出は、今も鮮烈に残っていらっしゃいますか?
「そうですね、この作品にすっかりイカれちゃったからね(笑)。僕はもともと歌うたいで、ミュージカルをやりたいとは思ったこともなかったんです。でもはじめに東宝の『ピピン』という舞台に出て、その次にこの作品に出たことで友達ができて、役者の世界っていいなあって思ったんです。作品がどうこうというより、役者仲間というものに惹かれたんですね」
――音楽の世界とはちょっと異なるのですか?
「歌の世界では、歌手同士で侃々諤々ということがあまりないんですよ。でも役者の世界は作品について、みんなで語り合うじゃないですか。そのなかで生まれていく人間関係が素敵でね」
――侃々諤々の中で生まれる『ラ・マンチャの男』の捉え方というのは、当時と今とでは変わってきていますでしょうか?
「“答え”は出ないですね。出ないけれど、感じ方については、当時と今とではそれなりに変わってきていると思いますね。稽古の中で、舞台の上で。あるいは食事をしている時も含めて、その期間は全部『ラ・マンチャの男』一色になるわけで、その時々に感じることっていろいろあるじゃないですか」
“牢名主“とはどんな存在か
――教会を侮辱した罪で囚われたセルバンテスが獄中で出会うのが、上條さんが演じる“牢名主”。セルバンテスに芝居をやって見せろと言い、彼の求めに応じて劇中劇にも宿屋の主人役として参加する役どころですが、本作にとってどんな存在と捉えていらっしゃいますか?
「セルバンテスと牢名主は、経歴から何から全く違うタイプ。こちらの方は字も書けず、どんな犯罪をおかして牢屋にいるかもわからないわけですが、同じ時代を生きているセルバンテスという人間に対して、ある親しみを抱いています。
俺とお前はこんなにも、月とスッポンほど違う。でもどこか相通じるものがある。わかりあえるというと言い過ぎかもしれないけど、例えば(劇中、キハーナの姪アントニアの婚約者で頑迷な人物として登場する)カラスコ博士のような人とは、セルバンテスはわかりあおうともしないだろうし、永遠にわかり会えないと思うんです。でも牢名主は見た瞬間にわかりあえる、何か同じにおいがする。そういう仲じゃないかと思うんですよね」
――だからこそ牢名主は終盤、失意の中で力尽きようとするキハーナに対して“こんな終わり方でいいのか”と奮い立たせるような台詞を言うのですね。
「そうですね。あそこは大事なところですよね」
――それは牢名主の人生観によるものでもあるのでしょうか?
「人生観なんてものはないんじゃないかな。彼としては理由があったりということじゃなく、感覚でね、“こんなバカな話があるか”と思ったんじゃないかと思いますね」
“憂い顔の騎士”と名付ける理由
――牢名主が劇中で演じる宿屋の主人は、ドン・キホーテに騎士の称号授与式を行うよう求められて、彼に“憂い顔の騎士”という名を与えます。台本では、あたりを見回してインスピレーションを得てというように書かれていますが、なぜ“憂い顔”だったのでしょうか?
「そう見えたんじゃないですか」
――ドン・キホーテが楽天的な存在には見えなかった、と?
「幸せな人生じゃなかったんだなこいつは、というふうに見えたんじゃないかと思いますね」
――洞察力のある方なのですね。
「彼としては、感覚的に生きているだけだと思いますけれどね」
――牢名主は劇中劇への参加も厭いませんし、主人公に向ける視線も共感的で、どこか観客に近い存在のようにも見えます。
「きっと芝居が好きなんでしょう。芝居なんて、って言っているけれど、本当はやってくれよ、見せてくれよと思っている。芝居が好きなんですよ、きっとね。獄中にはなんの楽しみもないっていうこともあるけど」
いつも僕を鼓舞する台詞
――上條さんは様々な舞台に出演されていますが、その中でも本作には繰り返し出ていらっしゃいます。
「そうですね、高麗屋さん(松本白鸚さん)が指名してくださるのか東宝さんなのかわかりませんけど、幸いなことにやらせていただいてきましたね」
――それだけ上條さんにとって魅力的な作品だったのだと思いますが、例えば本作で特に共感できる台詞などはありますでしょうか?
「さきほど製作発表で(アントニア役の松原)凜子ちゃんも言っていた、セルバンテスの“一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ”という台詞ですね。僕はいつも戦わない人生を送っているから(笑)、毎回、あの台詞のところに来ると“ダメなんじゃないかお前、その生き方はなんだ”と尻を叩かれるような気になります」
――セルバンテスは本作の主題歌ともいえる「見果てぬ夢」で、夢を抱きながら歩み続けることを誓ってもいます。
「それは続けなくちゃいけないものだなと思いますよ」
――ちなみに、ご自身の現時点の夢は…?
「楽に逝くことですね。苦しまずに、すっと天国に行くこと。それまでの間は、仕事に恵まれたいですね」
――さきほどの製作発表で、白鸚さんは“クライマックスはまだまだ”とおっしゃっていました。上條さんも同じ感覚でしょうか。
「いやあ、どうでしょうね。今回が最後かもしれません。でも、だからといって特に力が入るということはないですよ。いつもどおりにやります」
表現の喜び
――では最後に、上條さんにとって歌や演技を通して“表現をする”喜びとは何でしょうか?
「それはね、人と思い合えるということですね。それが出来れば、最高の仕事ですね。その“人”というのは、共演者であったり、お客様であったり、裏方であったり、歌であればミュージシャンであったり…。いろんな条件があってなかなか毎回、いつもいつもできているわけではないけれど、求めていればできますからね。思いを一つにする、それが一番の喜びです」
(取材・文・写真=松島まり乃)
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*公演情報 『ラ・マンチャの男』9月7~12日=フェスティバルホール、9月21~23日=東京エレクトロンホール宮城、9月27~29日=愛知県芸術劇場大ホール、10月4~27日=帝国劇場 公式HP