Musical Theater Japan

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市村正親、“素敵な50周年”にひらく、10回目の『市村座』《輝きの人 インタビューvol.4》

市村正親 埼玉県出身。西村晃の付き人を経て劇団四季『イエス・キリスト=スーパースター』でデビュー。退団後もミュージカル、ストレートプレイ、一人芝居と様々な舞台で活躍。舞台での代表作に『NINAGAWA・マクベス』『ミス・サイゴン』『生きる』等。読売演劇大賞優秀男優賞、紀伊國屋演劇賞個人賞など受賞歴多数、2007年春の紫綬褒章、2019年春の旭日章受章受賞。2023年第44回松尾芸能賞大賞受賞。🄫Marino Matsushima 禁無断転載

日本のミュージカル界を代表するスター・市村正親さんが、口上に一人芝居にメドレーに…と趣向を凝らして開催してきた「市村座」が、5年ぶりに上演。1997年の旗揚げから数えて今回は10回目、そして何より市村さんの役者生活50周年を記念しての公演です。

恒例の一人芝居では今回、落語の「死神」を市村さんならではのアレンジで語り、メドレーでは市村さんが出演してきた40以上!のミュージカル作品を振り返る予定。聴きごたえ、見応えたっぷりとなりそうな今回の「市村座」について、そしてこれまでのプロフィールの(ほんの)一部について、楽しくお話いただきました。

『市村座』

 

――今回の市村座では三遊亭圓朝の落語「死神」を取り上げるということですが、市村さんが付き人をされていた西村晃さんの代表作(1972年初演のミュージカル『死神』)であるといったことも動機でしょうか。

「それもありますね。西村さんとピンキー(今陽子)さんが演じていましたから。

直接的には、市村座の前回公演(2018年)が終わった時に、次は何をしようという話をしていて、(作・演出の)高平(哲郎)さんが『死神』を挙げたのがきっかけです。いい噺ですよね。これまで(市村座で)は『芝浜』で夫婦の愛、『たらちね』で親子の情、と人情噺を演じてきたけれど、『死神』はタイトルにあるとおり“死”が噛んだハードな噺。だからシェイクスピア劇のような風合いの、“市村正親の『死神』”が出来たら面白いと思っています。絶対に破ってはいけないルールがあるのに、金欲しさに寿命を売ってしまうという男の噺ですから、なかなか深いですよね」

――メドレーではこれまで出演されたミュージカル作品を取り上げるとのことですが、ファミリー・ミュージカルも含まれますか? なぜか劇団四季で全く再演されない『ブレーメンの音楽隊』(1976年)なども?

「やりますよ。それぞれに思い出話を織り交ぜながら歌っていくから、あっという間に40、50分経ってしまうでしょうね。ファミリー・ミュージカルだと『ゆかいなどろぼうたち』『王様の耳はロバの耳』『雪ん子』などもあります。『雪ん子』ではデコ(劇団四季の数多くの舞台で主演し、昨年逝去した久野綾希子さん)にも触れたいですね、彼女のデビュー作ですから。『雪ん子』は『オリバー!』と題材が一緒でね、僕がやってたのは『オリバー!』におけるドジャーでした。

『ブレーメンの音楽隊』は鹿賀丈史さんと滝田栄さん、御覧になった時はどちらがロバ役でした?」

――鹿賀さんでした。

「丈史の時ね。僕は犬をやってました。あの作品ではある時、4重唱しなくちゃいけないのに、3重唱になったことがありましたね。誰とは言わないけど、急にトイレに行っちゃって、歌の途中に戻ってきて(笑)。

『人間になりたがった猫』では、文化庁の助成で日本の各地に行ったのだけど、中には宿が三つしかない小さな町もあって、宿にはお風呂が一つしかないから、女性たちに入ってもらって、男たちは銭湯に出かけるんです。すると地元の子が僕の顔と下のほうをまじまじと見てね、ぼそっと“顔は女やけどな”って(笑)。タクシーに乗って行き先を言うと“男性だったんですか?”と驚かれたこともありました。全部僕の思い出ですから、話せることはたくさんあります」

――市村さんのプロフィールを振り返ると、まず言及せずにはいられないのが『ジーザス・クライスト=スーパースター』の初演にあたる『イエス・キリスト=スーパースター』ヘロデ王かと思います。終盤に一曲きりしかないお役ながら…。

「僕にとっては一曲“しかない”ではなく“一曲もあった”んです。もともと、あの作品のオーディションでは第一希望が群衆、第二希望が使徒で、ソロなんてもらうと思っていなかったんですよ。それが一曲もらえて、しかもラグタイムのすごくいい曲だったんです。みんなと一緒に♪ホーサナ、ヘイサナ♪と歌えたらいいなと思っていたところに、ヘロデ王でということだったので、それは僕にとっては本当にすごいことでした」

――ではその一曲をどう生かそうかと、緻密に分析されたり…?

「緻密になんてしません。(江戸歌舞伎風の)あの衣裳で、花魁を二人従えて出てくるような役ですから、感覚で歌うしかないですよね。でも西村晃さんの付き人をやっていて、歌舞伎座公演に出たときの(歌舞伎の)印象があったので、それは役に立ったかな」

――それまで軽快に歌っていたのが、“へい、どうした”で豹変し、独裁者としての凄みが漂うお役ですよね。

「僕の中には“独裁者”という感覚はなくて、あくまで“変わり者”というイメージかな。ふんどしで、地下足袋履いてね。(その鮮烈さゆえに)写真週刊誌にも載ったし、いろいろ騒がれましたね。

再演で日生劇場に移ってからは、(エルサレム版となって)ヘロデは白い帽子に白いサマーセーターに白いブーツ、そして三角のネックレスをつけるという扮装になって、今度は女の子たちが騒ぎ始めました。“いっちゃーん”なんて掛け声もかかったりしましたね。

以前、ベニサン・ピットでよく(tptの舞台を)演出されていたデヴィッド・ルヴォーさんも海外でこの作品を演出していて、映像を観るとそのバージョンでもヘロデ王はかっこいいですね。(注・2018年のライブ・イン・コンサート版で、ロック歌手のアリス・クーパーがヘロデ役)。初演でやった時の僕は24歳だったけど、今の僕なら断然、迫力のあるヘロデが出来ると思います。74歳の凄みをね。そういう違いも今回、(このナンバーを歌いながら)見せられたらいいなと思っています」

――70年代から活躍されている市村さんですが、今と当時とでは社会におけるミュージカル文化の浸透度もかなり違っていたと思います。西洋起源のミュージカルに取り組まれるうえで、葛藤を感じたこともおありでしたか?

「なかったですね、全然。僕ら俳優は演出の指示に従って演じていればよかったですから。

もっとも僕は劇団四季に入る前の19歳か20歳ごろの夏休みに、西村さんの付き人として、野坂昭如さんの『エロ事師』を舞台化した『聖スブやん』(1968年)に出ているんです。裏の仕事もしていたから、和製ミュージカルを創り上げる過程というのはその時に見ているんですね。その後、西村さんの『死神』(1972年)もインプットされて、そのうえで『イエス・キリスト~』(73年)に出ているのだけど、この時も海外ミュージカルとはいっても日本風にやるという演出で、みなで苦労して作り上げました。
そしてその次が『ウエストサイド物語』で、これは海外の演出家と振付家が来て稽古したので、初めてのブロードウェイ・スタイル。歌も振付もドラマ(へのアプローチ)も、やはり違いました。その次が『ヴェローナの恋人たち』で、そのまた次には(ストレートプレイの)『エクウス』…。

振り返ってみると、僕は群衆に始まって、ベビー・ジョン、チューリオ、ポール・サンマルコ(『コーラスライン』)と、少しずつ下から這い上がってきた気がします。最初から主役というのではなく、少しずつ大きくなって、『エビータ』で初めて複数のナンバーをもらえて。だから一本一本がすごく嬉しかったんです。螺旋階段を上っていくようなイメージで。そう思うと、素敵な50周年だなぁと思いますよ」

『市村座』過去の公演より。写真提供:ホリプロ

 

――市村さんのいらっしゃるホリプロさんは近年、オリジナル・ミュージカルにも積極的に取り組まれています。今後日本のミュージカルが海外でも上演されていくようになるには、何が大事だと思われますか?

「まずは曲でしょう。『ウエストサイド物語』だったら“トゥナイト”、『キャッツ』だったら“メモリー”のような、お客さんが劇場を出たときに口ずさめる、心に残るメロディは大事ですよね。『コーラスライン』も“ワン”のイントロのあのピアノのフレーズがあってこそだし、まずはいい曲を書くことでしょうね」

――日本の伝統的な音楽(邦楽)はミュージカルで活かせるでしょうか?例えば劇団四季の『九郎右衛門』では、義太夫がアレンジされていました。

「僕はあの作品には出ていなかったけど、確かに狂言回しは義太夫風でしたね。ソンドハイムの『太平洋序曲』や『キャンディード』にも狂言回しはいるし、『エビータ』のチェもそう。そういう役では義太夫をアレンジするということはありうるだろうけれど、やっぱり大事なのは本編の曲ですよ。曲がよくないと、いくらいい物語でもミュージカルとしてはつまらなくなってしまうと思うな。日本でも、♪友だちはいいもんだ♪(『ユタと不思議な仲間たち』)の三木たかしさんや、♪ようこそ皆さん♪(『はだかの王様』「幕をあける歌」)のいずみたくさんはうまかったですよね。子供もわかりやすいように作るから、ファミリー・ミュージカルにはいい曲が多いのかもしれません。大人のミュージカルだと、感覚で作るべきところを理論で作る人が多いのかな。でも、そのうち凄い才能が現れてくると思いますよ」

――日本では伝統芸能の分野では先輩が後輩に、親が子に、と“芸の継承”をすることが多いのですが、ミュージカルの世界に生きる市村さんはいかがでしょうか。息子さんが同じ俳優の道を志していらっしゃることで、そういったことも意識されますか?

「それはないと思いますね。なぜなら、歌舞伎や能では“この形が一番”というものがあるから継承するけれど、例えば『ハムレット』では、これが一番というものはないじゃないですか。芥川比呂志さんもハムレット。仲代達矢さんもハムレット。僕もハムレット。真田広之君や渡辺謙君、岡田将生君も、みんなハムレットであって、それぞれのものがあるから、継承する必要がないんですよね。息子は息子で自分なりのものを見つけていくものだから、こちらから“こうしたほうがいいよ”ということは言いません。こちらから言ったら“わかってるよ”とうるさがられることが分かっていますから(笑)、タイミングを見計らって、向こうが聴きたいときに言ってあげる、それもいっぱいではなくちょっと、というふうにしています」

――将来的に、親子で共演ということもあるでしょうか。

「今回の市村座では、東京公演と博多公演に二人とも参加します。口上にも出ますし、お兄ちゃんは今、変声期なので、振り返りメドレーで(加藤)敬二に振付けてもらったタップを踏むし、弟の方は、パパのやった役をやりたいと言っているので、ちょっと歌ってもらうかもしれません。

でも、僕としては決して“親子で共演”を目標としているわけではなくて、子供たちにはあくまで“いい役者になって欲しい”と願っています」

(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報 市村正親ひとり芝居「市村座」2月26~28日=日生劇場、3月3日=NHK大阪ホール、3月4~5日=博多座、3月8日=ウェスタ川越 大ホール、3月10日=電力ホール 公式HP

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