東京の秋を彩り続け、今年で36回目を迎えた東京国際映画祭。シアタークリエや東京宝塚劇場のすぐ近く(日比谷ステップ広場)の大型ビジョンで連日、様々な映画の無料屋外上映が行われていましたので、観劇の折に通りかかったという方も少なからずいらっしゃるでしょう。
近年はクロージング作品にミュージカル映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(前々回)、ミュージカル化もされた黒澤映画の英国版リメイク『LIVING』(前回)が選ばれ、さらに前回のコンペティション部門審査委員長はジュリー・テイモア(ディズニーミュージカル『ライオンキング』演出家)がつとめるなど、ミュージカル・ファンにとっても気になるプログラムが続きました。
今年は直接的な(ミュージカルとの)接点はありませんでしたが、コンペティション部門の参加作品に、“歌”の持つ意味を痛切に感じさせる作品がありました。コメディの体裁をとりつつ、ストーリーが展開するにつれシリアス味を増してゆく、ある母娘の物語『ペルシアン・バージョン』をご紹介します。
「ある種の…実話」という但し書きとともに、映画は軽快にスタート。アイメイクをばっちりと決めたNY在住・イラン系アメリカ人のレイラは、パーティーに繰り出して“コスプレ賞”を獲得する。レズビアンでありながら、その場のノリで(?)ドラァグクイーン姿の男優と意気投合。“一夜の過ち”をおかしてしまう。
時折カメラの方を向きながら、身の上を語るレイラ。1967年、医師の父親に随行する形で一家はイランからアメリカに移住したが、彼女が物心ついた時、二国間はすでに(イスラム革命の影響で)険悪な状態にあった。
心臓疾患で父が倒れるも故郷への帰国は叶わず、母は異国の地で大家族を支えようと立ち上がる。厳しい状況の中でひょんなことから運が開け、不動産仲介業で成功する母。しかしレイラとは折り合いが悪く、互いに心を開くことが出来ないでいた。
そんな中、レイラの妊娠が判明。心当たりは例の"過ち“しかない。想像すらしなかった展開に戸惑う中で、彼女はイラン時代の母の半生を知ることになる。“学校に行きたい”と願いながらも、親の決めた結婚のため、13歳で見知らぬ田舎に一人、旅立った彼女。懸命に家事をこなすも、知らぬ間に夫は裏切りを重ねていた。真実が明るみになり、一家は新天地で仕切り直すが、その過程で母はある秘密を引き受けることになる…。
イラン系アメリカ人監督のマリアム・ケシャバルズが、自身の家族の体験を(多少のアレンジを加えながら)映画化した本作。大家族(レイラの兄妹は8人!)のやりとりや、レズビアンのレイラが『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』に主演している(ストレートの)俳優との子を妊娠したことで生まれるぎこちない関係性、母が神頼みをするとなぜか"その人“が降臨してくる様など、笑いを誘うシーンは多々ありますが、母のイラン時代のエピソードは淡々とした描写が何とも痛ましく、今も世界の各地に残る児童婚の残酷さをまざまざと感じさせます。
本作の冒頭とエンディングに登場するのが、主人公を含む大人たち、子供たちがイランの住宅の中庭(?)でシンディ・ローパーの“Girls Just Wanna Have Fun”に合わせ、楽しそうに踊る場面。レイラの幼い頃、イランではアメリカ文化は禁じられていたが、こっそり持ち込まれたカセットテープで人々はアメリカのポップスを楽しんでいた…というナレーションとともに、冒頭のダンスはイランの人々の逞しさの表現としてたわいなく映ります。
しかし女性であることで自由に生きられず、それでも道を切り拓いた“母”の半生が描かれた後、最後に同じ光景が登場すると、観る側の印象は激変。”女の子はただ楽しみたいだけなの“という歌詞、弾むような曲調に込められたメッセージがひときわ切実に響き、一曲の歌の存在が非常に大きな効果を生む構成となっています。
なお、本作は今年1月のサンダンス・フィルム・フェスティバルで「観客賞」「脚本賞」を、10月のカルガリー国際映画祭では「観客賞」を受賞。日本での一般公開の決定が待たれます。
(取材・文=松島まり乃)
第36回東京国際映画祭 2023年10月23日~11月1日開催(日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区)公式HP