現代のインド。スラム育ちの青年ラム・ムハンマド・トーマスが、親しい人々とパーティーを開いている。彼は人気クイズ番組『億万長者は誰だ』に出場して全問正解を成し遂げ、10億ルピー(8月19日のレートで約17億円)もの賞金を獲得したのだ。
しかし宴たけなわと言う時、警官たちが乱入。ラムがクイズで不正をしたに違いないと言うが、実のところ、それは賞金を払いたくない制作会社の陰謀だった。逮捕され、拷問を受けるラムは弁護士スミタに助け出され、難問ばかりのクイズになぜ全問正解できたのかと問われる。
「答えを知っている問題を出されたんだ」。
半信半疑のスミタを前に、ラムは数奇な半生を語り始める。
捨て子の彼を愛情深く育ててくれた神父との、衝撃的な別れ。
孤児院で親友になったサリムと別の施設に引き取られ、歌のレッスンを受けさせられるが、その理由を知り命からがら脱出したこと。
働きながらサリムと二人暮らしを始めるも、隣室の暴力的な父親から少女を助けるため、決死の行動に出てしまったこと。
逃げのびた先では17歳の娼婦ニータと恋に落ちるが、彼女をその境遇から救い出せず、親切にしてくれた友人も喪ってしまったこと。
煩悶の末、ある強い思いを持ってクイズ番組に出場した彼を待っていたものは…。
ヒンドゥー、イスラム、キリスト教の三つの名前をつけられた孤児の少年が、想像を絶する貧困や児童搾取の荒波に揉まれながら成長し、運命に挑んでゆく様を描いた『ぼくと一ルピーの神様(原題 Q&A)』。ヴィカス・スワラップが2005年に発表して以来、およそ50の言語に翻訳、08年には映画化もされた世界的ベストセラー小説が“音楽劇”として舞台化され、上演中です。
原作ではクイズに関連するエピソードを出題順に語っているため、時間があちこちに飛んでいますが、今回の台本、作詞、演出を務める瀬戸山美咲さんは、エピソードを絞り込んだ上で時系列順に整え、テンポよくラムの半生を再現。ラムたちが逃げ出すくだりでは“パルクール”を取り入れ、二人と追っ手がところ狭しと駆け回りながら狭い隙間をすり抜け、壁を駆け上がるスリル満点の描写で目を奪います。
多様な民族・文化がひしめく国の物語に相応しく、6人のクリエイターが分担して手掛ける音楽も本作の魅力。1幕冒頭でラムの生きざまをストレートなロックで歌う“路地裏の犬”(作曲=Kamoto Koheiさん)、2幕でラムとニータがタージ・マハールを眺めながら歌う、キャッチ―でみずみずしい“月の下で”(Carlos K.さん、田中マッシュさん)、ボリウッド映画さながらの高揚感を誘うヒンディ・ポップ風のフィナーレ“Everybody Clap”(XLII シリーさん)等、粒だった楽曲がカラフルに作品世界を彩っています。
目まぐるしく移ろう物語にあって、12名のキャスト(アンダースタディの二人を含めると14名)は劇団のような一体感と芝居心をもって各場面を展開。主人公ラム役の屋良朝幸さんは、過酷な生い立ちの中でも人間としての尊厳を保ち続けるキャラクターにあたたかな血を通わせ、パルクールの場面では爪先まで美しい鉄棒技を見せるなど、存分に身体能力を発揮しています。無音のコンテンポラリーダンスで愛する人を救い出せない苦しみを表現するくだりも強い印象を残し、終始力強く物語を牽引。
国民的な人気を誇るセレブ、プレム役は川平慈英さん。ノリのいい司会者ぶりは平素の川平さんのイメージに沿い、豪華なセット(美術=原田愛さん)も相まって『億万長者は誰だ』が実在の番組に感じられるほどですが、物語が進むにつれて少しずつ本性が現れ、川平プレムは凄みを増してゆきます。真逆の価値観を持つプレムとラムが対立し、それぞれに生き方を再確認するナンバー“過去・未来・現在”は、本作最大のクライマックスと言えるかもしれません。
孤児院でラムの親友となるサリムと、アグラでラムを助ける少年シャンカールの二役を演じるのは、村井良大さん。今回の舞台ではどちらかと言うとシャンカールの方がフォーカスされていますが、(原作では映画にまつわるサリムの災難が描かれており、彼の映画愛が報われるラストがいっそう感慨深いものとなっています)、村井シャンカールは“薄幸な少年”に終わらず、各所でユーモラスな表現をちらり。犬にかまれたと訴える場面などでの、屋良さんとの息もぴったりです。ソロナンバー“シャンカールの魂”での、叶わぬ夢に手を伸ばすような儚いファルセット・ヴォイスも印象的。
ニータ役の唯月ふうかさんは、残酷な運命を受け入れるしかなかった少女が、ラムとの出会いによって微かな希望を抱くようになる過程を丁寧に表現。ラムとのデュエットでも思いのこもった声を響かせ、今もなお世界に多数存在する“搾取される少女たち”の一人を、大切に演じています。
逮捕されたラムを救い、クイズ全問正解の背景である彼の半生を聞き出そうとする弁護士スミタを演じるのは、大塚千弘さん。インドという広大な国にあって、思わぬ形で“人と人との縁”が現れてくるのが本作の一つの妙味ですが、見知らぬ弁護士であるスミタがなぜ、新聞記事を読んでラムのもとに駆け付けたのか。この謎も終盤にしっかり回収され、ソロナンバー“星たち”での大塚さんの誠実な歌声が、感動をいや増します。
池田有希子さんは優雅さの中に欺瞞を秘めたマダムと、胡散臭い占い師を鮮やかに演じ分け、吉村直さん演じるティモシー神父は幼いラムにかける言葉の一つ一つが慈愛に満ち、壮絶な体験を繰り返しながらもラムが良心を失わずにいられた“原点”を印象付けます。他のキャストもラムが生涯で出会い、あるいはすれ違ってきた名もなき、多数の人々を生き生きと体現。
社会の底辺にある主人公が幸運を掴むという“痛快なファンタジー”であるだけでなく、本作には、“(クイズ番組が象徴するように)人生は大小の選択の連続だが、自分を信じて突き進め”というメッセージが見え隠れします。ラムの選択の“相棒”だった1ルピー硬貨をめぐる終盤のシーンで、筆者の鑑賞日にはちょっとしたハプニングが起きたものの、ラム役の屋良さんがチャーミングに対処。自然な形で“もう自分に(背中を押してくれる)コインは要らないんだ”といった意の台詞に繋げていました。誰もが言い知れぬ不安や困難に見舞われている今、一人一人の心に“次は君の番だ”と、勇気のコインを届けてくれる舞台と言えましょう。
(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報 音楽劇『スラムドッグ$ミリオネア』8月1~21日=シアタークリエ、8月31日=日本特殊陶業市民会館ビレッジホール、9月3日=長岡市立劇場、9月9~11日=サンケイホールブリーゼ 公式HP