チャールズ・ディケンズの名作小説をライオネル・バートが舞台化し(脚本・作詞作曲)、1960年にウェストエンド初演後、日本でも2度上演されている『オリバー!』が、キャメロン・マッキントッシュのプロデュースで刷新。清らかな心を持った孤児オリバーが紆余曲折の末に幸せを掴むまでが、ジャン・ピエール・ヴァン・ダー・スプイ演出のもと、壮大なスケールで描かれます。
この舞台で、ロンドンに出てきたオリバーが迷い込むスリ集団の先輩格で、悪党ビル・サイクスの恋人でもあるナンシーを演じているのが、濱田めぐみさん。英国文学が原作のミュージカルでは『メリー・ポピンズ』タイトルロール、マッキントッシュのプロデュース作品では『レ・ミゼラブル』ファンテーヌ役を演じてきた濱田さんですが、本作にはどんなイメージを持って取り組んでいるでしょうか。稽古前のひと時、ミュージカルに対する思いなどを含め、たっぷり語っていただきました。
【あらすじ】
19世紀ヴィクトリア朝の英国。救貧院育ちの孤児オリバーは、下働き先の葬儀屋で酷い仕打ちを受けて逃げ出し、ロンドンへ。すばしこい少年ドジャーに案内され、辿り着いたのはフェイギン率いるスリ集団だった。ドジャーたちと通りに出たところ、すぐに濡れ衣を着せられてしまうが、被害者の紳士ブラウンロウに引き取られる。オリバーが自分たちの情報を漏らすのではと心配したフェイギンは、悪党ビル・サイクスとその恋人ナンシーにオリバー奪還を示唆するが…。
C・マッキントッシュや『レ・ミゼラブル』の
原点であることが
頷ける作品です
――本作は1960年の作品で、ミュージカル史においては“名作”とも“古典”とも呼ばれていますが、実際に台本や楽曲にあたってみてどんなことを感じましたか?
「非常にシンプルで、分かり易い作品ですよね。人と人との交流、関係性が台本には明確に書かれているので、演じる側はそれをしっかり理解しないといけないな、シンプルだからこそその“幹”の部分を歩いていかないと、観る側には伝わりづらいかもしれないな、という懸念はあります。でも古典というだけあって、“愛”という揺るがないテーマがありますし、子供の純粋な魂の周りで大人たちの心が変化してゆく、王道の“ザ・ミュージカル”だと感じています」
――主人公のオリバーは大人たちに影響を受けるのではなく、及ぼしてゆく側なのですね。
「オリバーは一貫して変わらないんです。人生の旅路の中でいろいろ経験したり学んでいったりはするけれど、変わってゆくのは周囲の大人たちなんですね」
――今回はキャメロン・マッキントッシュのプロデュースということで、マッキントッシュの作品といえばヘリコプターが出てきたりと、ダイナミックなヴィジュアルがしばしば話題になりますが、今回はどのような方向性かご存じですか?
「今回は建物や小道具が面白いと思います。石畳や古い木目といった細かいところも表現されているので、“昔のロンドン”にいるように感じられるし、ナンシーもオリバーも、ライトの当たる場所、当たらない場所があるので、立ち位置や歩く場所をきちんと守ることになっています。影の使い方が街の奥行きを強調していて、巧いなぁ、と思います」
――アラン・ブーブリルとクロード=ミッシェル・シェーンベルクは『オリバー!』を観て「この作品のフランス版を作りたい」と一念発起し、『レ・ミゼラブル』を作るに至ったという逸話があります。『レ・ミゼラブル』も体験済みの濱田さんが『オリバー!』に取り組まれてみて、“なるほど『レ・ミゼラブル』の原点なのだな”と感じる部分はありますか?
「まさに昨日、演出のJPさん(ジャン・ピエールさん)と市村(正親)さんとそのことをずっと話していました。『レ・ミゼラブル』と『オリバー!』を比べると、構成的にも曲調やキャラクター像についても、なるほど『オリバー!』は原点なんだねと感じる点はいろいろあります。
例えば『レ・ミゼラブル』に出てくるガブローシュ君は『オリバー!』のドジャーがモデルになっているそうで、そう思って見れば、二人のキャラクターはテイスト的に通じるものがありますよね。アランさんやクロード=ミッシェルさんは『オリバー!』の原作を読んだ上で『レ・ミゼラブル』を書いたと思われるし、もっと言えば『オリバー!』はキャメロンさんのプロデュース作品の原点とも言える作品だね、という話を3人でしていました」
――今回演じるナンシー役を通して、『レ・ミゼラブル』との相似点を見出したりは?
「『オリバー!』では女性のキャラクターがほぼほぼナンシーしかいないのですが、彼女を演じていて、この部分はファンテーヌっぽいなとか、ここはエポニーヌだな、といったことは感じます。少し前まで(ファンテーヌのナンバー)“夢破れて”を歌っていたので、ソロナンバーの作り方も共通しているなと感じます。ナンシーという役のいろいろな要素が『レ・ミゼラブル』の女性キャラクターにちりばめられていったのかもしれません」
――ではこのナンシーという役柄についてもう少し詳しくうかがえればと思いますが、彼女は登場して間もなく、自身の信条を歌うナンバー“It’s a Fine Life(これが人生)”で、自分の人生に対して肯定的です。今を楽しく、というような刹那的な感覚を持つ女性なのでしょうか?
「これが自分の生き方であって、それでいいんだと暗示をかけているのかもしれません。もちろん素敵な生き方には憧れるけれど、彼女は階級社会の底辺に生まれたわけで、それを変えることも、夢見ることも出来ない、だから自分はここで生きていくんだ、ということなのではないかな。彼女は常に悔しいとか負けるものか、というエネルギーで自分を奮い立たせてきたように思います。諦めもあるけど、なんでここに生まれてしまったんだろう、でもしょうがない、負けるものか、と…」
――彼女はフェイギンのもとで子供の頃からスリ稼業をしてきたようですが、そのわりに、フェイギンが居丈高でナンシーは頭が上がらない、といった関係性ではないようですね。
「ナンシーはフェイギンのおかげで生きてこれたけれど、そのためにスリをやらされ、搾取されていたわけで、そのことは決して容認できることではないんですよね。地下組織のスリの集団なので、フェイギンとナンシーとビルは普通の雇用関係ではなく、独特の、不思議な関係性があるようです。普通にボスについていく、というような感じではないんですね」
――ビルとの関係はいかがでしょうか。彼女のビッグナンバーの一つに“As Long As He Needs Me(彼に必要とされる限り)”という曲があり、この中でナンシーは粗暴な恋人ビル・サイクスに対して、“彼が望むならなんでもやるわ”とまで語っています。なぜここまで彼を許せるのでしょうか?
「稽古をしていくなかでようやく見えてきたのですが、ナンシーとビルは大人になって出会った関係ではないんですね。お互い幼稚園くらいの年齢で出会って、フェイギンのもとでともに生き抜いてきた間柄です。恋愛というよりも、ある種共依存的な、あの人がいるから私も生きていける、あの人も私がいるから生きていける、というような関係性なのではないかと思うんです。好き嫌いではなく生きるか死ぬかという世界で、二人は生きてきた。だから恋愛だけの歌ではないですよね。今の日本に生きている私たちには計り知れない闇というか深さがあるので、“愛”と言う言葉を発するにしても、その裏には計り知れないものがあるなと思っています」
――もしかすると、彼女は私たちが一般的に知っている“愛”の概念を知らないままなのかも…?
「それはあるでしょうね。彼女はその人生で、与えてもらう愛を知らないんです。可愛がってもらったり、何かをもらう、受け取るということがなかった。だからこそギャング団の子供たちを、血がつながっていなくても母親代わりに可愛がるんです。ナンシーは与えっぱなしなんですよね。だから(愛によって)満たされた経験は無いのではないかな」
――でも濱田さんとしてはおそらく、ナンシーを“気の毒な女性”には見せたくないですよね。
「そうですね。演出家からも、悲しんだり嘆くような表現は一切いらなくて、彼女はただ必死に、逞しく生きているだけなんだと言われています。最終的に、お客様にはいろいろな意味で彼女は“強いな”というふうに見えるといいなと思っています」
――他に、演出のJPさんから言われて何か心に残っていることはありますか?
「昨日彼から、ナンシーには土臭さがプラスできるといいなと言われました。地に足がついていて、しっかりとここで生きていく女性というオーラが纏えるといいね、と。おそらくメイクや衣裳をつけるようになればかなり助けにはなると思いますが、立ち居振る舞いから自然とそういうものが滲み出るようになるといいなと思っています」
――シンプルでありながらつい口ずさみたくなる、素敵な楽曲ぞろいのミュージカルですが、濱田さんが個人的にお好きなのはどのナンバーでしょうか?
「賑やかな曲もいろいろあるけれど、特に好きなのはオリバーがアカペラ的に一人で歌う“Where Is Love?”です。とっても可哀想で、あれは皆、泣きますね(笑)。大人の出演者たちで、本番が始まったらきっとこの時間は舞台袖に集まって聴くよね、と言い合っています。声変わりの前のボーイソプラノで歌われると、うわーっと聴き入らずにはいられません」
――『レ・ミゼラブル』のリトル・コゼットのナンバーを彷彿とさせますね。
「今回の公演がきっかけで、子役の皆さんの間で“歌いたい楽曲”になってゆくかもしれませんね」
――今回、ご自身の中でテーマにされていることはありますか?
「私だけではなくみんなで話していることなのですが、今回、この作品を今の日本の方々に共感して観て頂けるようにしたいという思いがあります。当時の文化だったり背景については、そのままでは私たちにぴんとこないものもありますよね。“救貧院”というものが出てくるけれど、これは孤児院とは違うのかな、とか。そういった、日本人には馴染みのないものについて、分かり易く、ああそうかと思っていただけるように。とにかく、明るく、分かり易くお見せするにはどうすればいいかというのは、初日があくまでずっと議題になってゆくと思っています」
――時代的な隔たりもあれば、英国ならではのカルチャーもありますね。
「『メリー・ポピンズ』の時も、まず、母親以外の女性が家庭に入ってきて子供たちをしつけるってどういうこと?というところから始まりました。今回は階級制度による差別的な表現が感覚的に掴みづらかったりするので、大人たちの気持ちがはっきり分かるようになればと思っています」
――フェイギン役の市村(正親)さんとは、『ラブ・ネバー・ダイ』以来の共演でしょうか?
「そうなんです。今回は全く違う役どころですが、市村さんのフェイギン、面白いですよ! 市村さんの人生全てがフェイギンに凝縮されていますね、と言ったら、“俺は使えるものはなんでも使うんだ”とおっしゃっていて(笑)。とにかくずっと、フェイギンをどう演じようかと考えているそうです。細やかだし、子供たちがたくさん出てくるからか、よりやわらかくなられたような気がしますね。とにかく、自然体でフェイギン役を楽しまれています」
――ダブルキャストの武田真治さんは、ずいぶん異なるカラーをお持ちですよね。
「或る意味真逆ですよね。真治さんのフェイギンにはどこか得体のしれない、何を考えているかわからない感じがあって、一瞬猟奇的だったり。この人、どういう思考回路なんだろうという怖さが、市村さんとは全く違うフェイギンです」
――ビル役のspiさん、原慎一郎さんはいかがですか?
「二人ともずいぶん前に共演したことがあって、今回は(ビルとナンシーという間柄での共演ということで)あらあらまぁ、よろしくお願いします!という感じです(笑)。原慎(原さん)はそれこそ、『ライオンキング』でシンバ・デビューの時にご一緒していましたから、成長したな~って偉そうですけど(笑)。二人は全く違うタイプのビルなので、楽しみにしていてください」
――子供たちがたくさん出演するのも本作の特徴ですね。一度に30人くらいでしょうか?
「救貧院で子供たちがご飯を食べるシーンは圧巻ですよ。その中には、ロンドンのスリ役も兼ねている子も10人ぐらいいて、1幕はずーーっと出ています。彼らのパワーは凄いですよ。大人が息切れしていても隣でけろっとしていて、体力があるなぁ、と思いますね。二つの組に分れていて、フェイギンもナンシーも二人いて個性がそれぞれなので大変だとは思いますが、楽しそうにやっています」
――ナンシー役の濱田さんは、彼らをまとめる日々でしょうか。
「まとめているのはフェイギンさんですね。私は子供たちの中に入って、一緒に遊んでいると“はい、始めますよ”“早く来てください”と声をかけられてみんなでぞろぞろ移動する…という感じです(笑)。私も(ダブルキャストの)ソニンも子供好きだから、彼らとお稽古するより遊んでいる時間のほうが長いかもしれないですけど、それが芝居の関係性に滲み出てくるんじゃないかな、と思っています」
――どんな舞台になりそうでしょうか。
「昨日、通し稽古の最終日で、全体像もかなり見えてきていますが、やっぱり子供たちのパワーって格別ですね。ストーリーとしては決してきれいごとばかりではなく、生々しい“死”も出てきたりしますが、それを上回る生き生きしたものを子供たちが運んできてくれて、お芝居のわくわく感が増していると思います。きっとお客様が喜んで下さる舞台になっているのではないかな、という手ごたえを感じています」
――コロナ禍が始まって以来、濱田さんは『イリュージョニスト』でリモート演出、『アリージャンス』でも演出家が来日出来ず日本側で創り上げるなど、さまざまな困難を乗り越えて来られましたが、改めて演劇について思われることはありますか?
「コロナ禍になって思うのが、これまでは或る意味“丸裸”でお稽古していたのだな、ということです。まずはマスクですね。相手の表情が見えない中での稽古って、本当に難しくて、舞台に上がってからの短期間の勝負になっている部分もあります。私自身は『イリュージョニスト』『アリージャンス』『レ・ミゼラブル』というしんどい道を通ってきたので、ある程度の算段は出来るし、他の大人たちもそうだと思いますが、今、共演している子供たちは、(マスクで)大人たちの表情が見えずに稽古しているので、かなり大変だろうなと思います。見えるのが目だけだと、笑っていても伝わりにくいし、(表情を通して)影響し合うということが出来ないので、舞台に上がってから、どこまでそこを深められるか。マスクを外した顔に慣れるのにも一日かかるので、ここは今の演劇界の課題かもしれないですね。(マスクで)歌っていると呼吸も苦しくなりますし…。早く元の状態でお稽古できるといいなと思います」
――それでも演劇は届ける価値のあるものだ、と感じていらっしゃるのですね。
「我々役者たちはコロナ禍が始まって、誰もが一瞬“芸術は人間の生活には不要なのかな”と感じたと思うんですね。でも、事態が少しずつ落ち着いてくると、舞台に対する渇望の声を聞くようになって、人間には生きていく上で、心を癒すものがやっぱり必要なんだと思えるようになってきました。製作側は常に(その先の公演を)上演すると決定し続けていて、お客様もそれにくらいついて来てくださっている。そういう形で、みんなが一体になって進んでいくことで、乗り越えていきたいですね」
――公演の一回一回がいくつもの“奇跡”が重なっていることだと再認識できますし、観る側、演じる側の思いがより深く、そして一つになってきたようにも感じられます。
「それは感じますね。以前よりも観る側と演じる側、お互いが求め合って、絆が深まっている。これはコロナ禍の思いがけない副産物かもしれないですね。そうした中で今、お芝居をやっているんだな、と感じる日々です」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『オリバー!』10月7日~11月7日(プレビュー9月30日~10月6日)=東急シアターオーブ、12月4~14日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP
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