Musical Theater Japan

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『マドモアゼル・モーツァルト』演出・小林香インタビュー:性別に囚われず、“自由に生きる”ということ

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小林香 京都府出身。同志社大学卒業後、演出家・謝珠栄に師事。東宝株式会社にて帝国劇場/シアタークリエにて演劇プロデューサーとして活動後、舞台演出家として独立。海外ミュージカル『Little Women-若草物語』『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレートコメット・オブ・1812』、オリジナル・ミュージカル『Indigo Tomato』などの他、日本では数が少ない「ショー」の創作も得意としている。


“神童モーツァルトは女性だった”…。
才能を開花させるため男性として育てられたモーツァルトの葛藤を描き、91年に誕生したミュージカルが、明日海りおさんらの出演で上演されます。

『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』に続いて音楽座作品の演出に挑むのが、小林香さん。前作『The Last 5 Years』のインタビューで語っていたとおり、ジェンダーギャップのテーマに関心を持つ小林さんは、まさにジェンダーの問題が核である本作をどのようにとらえ、表現しようとされているでしょうか。明日海りおさんが稽古で体現しているモーツァルト像なども含め、じっくり語っていただきました。

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『マドモアゼル・モーツァルト』

 

【あらすじ】18世紀オーストリア。ハープシコードを弾いていた次女エリーザに天賦の才を見出した父レオポルトは「お前は女ゆえに認められないが、男だったら…」と彼女の髪を切る。時は過ぎ、エリーザは天才作曲家“ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト”として人気を集めるが、下宿先の娘コンスタンツェと結婚することになり、自分が何者なのか苦悩し始める。いっぽうモーツァルトをライバル視していた宮廷音楽家サリエリは、彼と言葉を交わすうち無心に音楽と戯れていた頃を思い出し、知らず知らずモーツァルトに魅了されてゆく…。

“私は私でいいんだな”と
感じていただけたらと思います

――小林さんは昨年の『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』、今回の『マドモアゼル・モーツァルト』、そして来年の『リトルプリンス』と、音楽座のミュージカルを連続して手掛けていらっしゃいますが、何か音楽座さんとご縁があるのですか?

「実ははじめに『シャボン玉~』のオファーをいただいた時、音楽座さんの舞台を観たことはほぼありませんでした。唯一観たのが、友人でもある新妻聖子さんが主演された『21C:マドモアゼル モーツァルト』で、これは今回の『マドモアゼル・モーツァルト』とは違うストーリーでした。音楽座さんに縁もゆかりもない私ですが大丈夫ですか、と何度も確認して、ゼロから取り組ませていただきました。でもそれによって、“音楽座ミュージカルと言えばこうだよね”というプレッシャー無しで、新鮮に取り組むことが出来たと思います」

――取り組まれる中で、音楽座ミュージカルについてどんな特色を感じましたか?

「『シャボン玉~』の後に本作と『リトル・プリンス』をやることになり台本を読んで、どの作品にも“大きなサークル(円環)”、終わりなき命があるなと感じました。現世での命が終わっても、モーツァルトであれば作曲した音楽であったり、『シャボン玉~』であれば命のかけらが宇宙の別のところで生き続けて循環してゆく、終わらない円環というものを強く感じます。

また、どの作品の根底にも“激しい孤独”があり、登場人物たちはそこから出発してやがて希望を見出しますが、その見出し方というのが、人間からだけではなく、自然であったり宇宙といった壮大なものからも得ている、と思います。本作で言えば“天の光”、神の光ですね。Great Somethingがどこかにある、世界、地球、宇宙のどこかしらにそれがあって、そこから希望や愛をもらっている、というのが一貫していると思います」

――本作はジェンダーギャップに関心のある小林さんにとってはまさに直球の作品かと思われますが、台本を読まれる中で、どんな発見がありましたか?

「初演から30年経った今読みますと、やはり時代は変わったな、と感じます。今の時代に合わせて再解釈をする中で、今回の舞台も新しい解釈、新しい提案をしています。

本作では、女性として生まれたモーツァルトが(才能を開花させるため)男性として生きて、コンスタンツェと結婚することになり、コンスタンツェと人間としての愛を共有し、最後に愛と自由を知る…という様が描かれますが、音楽座さんの演出では、ラスト間近で女性として輪廻転生する場面があります。初演から30年経った今新演出をする際、最後にモーツァルトが到達する地点は、男性、女性の性別にとらわれない、ニュートラルな次元なのではないか、と考えています」

――中盤で、モーツァルトが“従姉妹”として女性の姿で登場するシーンもあったかと思いますが、ここはどのような解釈になりそうでしょうか?

「モーツァルトは女性として男性に心を寄せられる歓びも経験しますが、やはり女性として生きていくのではなく、男性の作曲家に戻って生きていこうとする…という筋書きではありますが、女性になることが自由だと思っていた人が、男性・女性というジェンダーに囚われるのではなく、“自分の心の中に自由を生み出すことが大事なんだ”と気づく物語にしようとしています」

――女性であるがゆえに社会進出を阻まれる、いわば“ガラスの天井”問題が本作の起点になっていますが、小林さん自身は学生時代、社会人を通してガラスの天井を感じたことはありますか?

「いろんな局面で、感じます。学生時代からガラスの天井の存在は知っていましたが、学生の時は性別でジャッジされないところに自分が行けばいいので、ジェンダーギャップの苦痛をさほど感じないように生きることが出来ました。

しかし社会人になって一つの道を選んだら、そうはいきません。特に私が身を投じた頃の演劇界は今よりもっと男性社会だったと思いますし、演出家になっていく過程にも、なった後も、ガラスの天井というものは存在すると思います。

こういう言い方がいいかどうかわかりませんが、もしも女性でなかったら、もっと気楽に、自分らしさを出せるのかなと思うことはあります。そういう意味でも、今回のモーツァルトの生き方は示唆に富んでいます」

――以前、『ライオンキング』日本初演のために来日したジュリー・テイモア(注・1998年に女性で初めてトニー賞演出家賞を受賞)にインタビューした際、“演劇界では若い才能を「恐るべき子供」という言葉で称賛するけれど、それは常に男性を指す言葉で、女性に対しては使われない。そんな中で認めてもらうには、男性の何倍も努力しなければならなかった”と語っていましたが、共感されますか?

「はい、とても。世界中に共感する女性がいるはずです。特にジュリーさん世代はそうだったと思いますし、先人たちが頑張って下さった分、次の世代がやりやすくなってきていると思いますが、今でも、あらゆるジェンダーにおいて平等とは言えませんよね。イコールではありません」

――日本の劇場では女性客が過半数を占めているなかで、女性の感性を取り入れた舞台作りは大切かと思われますが、実際には女性のクリエイターは認められにくいのでしょうか。

「そこが私にとっても不思議なところではあるのですが、ミュージカルのお客様は大半がが女性であるにも関わらず、作り手側の演出家となると、女性が非常に少ない。それは“女性に力が足りないから”ではない、と思っています」

――これは男女に限らず“働き方”の話でもありますが、例えば子育て中の場合、子供のお迎えがあるので決まった時間に稽古場を出なければいけない、ということが難しい空気があったりするのでしょうか?

「今、子供を持つという前提でお尋ねになったかと思いますが、残念ながら、それ以前の問題かもしれません。女性の場合、プランナーになるまでに(人生で)いろいろなことを諦めてきたから、やっとそこまでたどり着けたという人が今でも多いです。育児以前に、家庭を持つということも大変だったりします。

演劇は体力と時間を要するので、私より上の世代では、仕事と育児の両立は考えられなかったでしょうし、私の世代でもいまだに少ないです」

――一足飛びに状況を変えることは難しいかもしれませんが、もう少し女性の活躍率が上がってゆくといいですね。

「一人一人が出来る小さなことをかき集めて、業界全体でこつこつ進んでゆくことが必要なのかな、と思います。

例えば私が演出家としてプランナーをお呼びするときには、その作品にとって一番いい人にお声がけしますが、その際、AさんもBさんもいいな、となった時は、女性を選ぶようにしています。なぜならもともと女性は機会が少なく、フェアな状況とは言い切れませんから。

また、自分が出来ることとして、私は今、結婚しても育児をしても演劇の仕事を続けられるよう、決められた時間通りに稽古を始めて終わらせるということを心がけています。(今回の稽古では事情があって、延長しましたが。)そうすると、育児や介護の算段をつけることが出来ますよね。稽古に関わる人がみな、生活のプランが立てられるようになると思うのです。

私の現場は圧倒的に女性のプランナーが多く、先日、稽古をしていてふと後ろを見たら、全員が女性でした。いまだに女性が上に上がって来にくい現実があるなかで、その中で上がって来ている人たちはやはり実力があるんです。性別に関係なく、力がある人がそこにいることはごくごく自然なことかなと思います」

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『マドモアゼル・モーツァルト』

 

――『マドモアゼル・モーツァルト』の話題に戻りますが、今回、明日海りおさんが演じていることで、新たに生まれているモーツァルト像はありますか?

「今回、本当にびっくりしたのですが、明日海さんは男、女という二元論を軽く超えていらっしゃるんです。

“男役だった”ということと、男女の概念を超えるということは全く別の話だと思いますが、明日海さんが演じるモーツァルトは、男~女~男~と、そこを全く違和感なく行き交うのです。それは彼女自身がもともと、社会通念に縛られないニュートラルな目、感性を持っていらっしゃるからではないでしょうか。ですから彼女が(男女を)行きかう姿はすごくナチュラルで、全くもって解釈に無理がありません。かといって“男役”でもないし、自然なんですよね。最初から理想に近かったです。本読み稽古で私が新演出のプランを語り、“新しい人“の生き方、新たなジェンダーのとらえ方提案を話した時にも、それに対して違和感は全く無く、おっしゃることがよく分ります、と明日海さんは言ってました。天才的に勘のいい、知性と感性と品性を兼ね備えた人だと感じています」

――音楽座さんバージョンでは地球を模したようなビジュアルが印象的ですが、今回の舞台ではビジュアル的にイメージされているものでお話いただけるものはありますか?

「今回は“終わらない旅”というのを一つのキーワードにしていて、モーツァルトがその旅を歩き続けられるように円環、サークルを作っているのと、モーツァルトだけに注がれる天からの光を感じられる縦型のセットを組み合わせ、“円と縦”で(舞台美術を)作っています。

そして、既成概念からはみ出している人、という意味で、プロセニアムより前にセットがせり出すような舞台になっています。お客様は間近にモーツァルトを目にすることになると思います」

――音楽には初演時、一世を風靡していた小室哲哉さんも参加しています。今、改めて聴いてみてどのように感じられますか?

「はじめ“なぜこのミュージカルを小室さんが?”と思いましたが、本作が生まれた30年前、小室さんはまさに音楽シーンを牽引する最先端の音楽をやっていらした方なんです。その小室さんがモーツァルトという、18世紀のクラシック界の先端をひた走っていた人の音楽を作る。なんて素晴らしいアイディアだろうと思いますし、今、聴いてもとても美しいメロディで、琴線に触れます。小室さんの音楽もモーツァルトと一緒で古びず、美しいメロディに心震えますね」

――御覧になる方に、どんなことを感じていただきたいですか?

「ありきたりの平たい言い方ですが、“私は私でいいんだな”と思って帰っていただけたら最高だな、と思います」

――本作では後半、芸術家がまさに身を削って作品を創り出す過酷さも描かれますが、そうした“重さ”よりも、むしろポジティブさ、明るさが残る舞台になるでしょうか。

「“希望”ですね。
このミュージカルの中で、モーツァルトは“自分は何者になりたいんだろう”“僕の自由とは、僕が僕らしくあることって何だろう”と考えながら(人生の)旅をしていき、最後に思ってもみなかったところに辿り着きます。それはまさに“異郷に帰郷”ということができ、なりたい自分をつきつめた結果がその“異郷”だと言えます。

確かにモーツァルトは芸術家として苦しみを経験しますし、それをよく知るコンスタンツェは “普通の女でよかった”と言いますが、そういう孤独や苦しみの旅路の果てに、いつか必ず自由な自分に出会えるから、という希望を感じていただけたらとても嬉しいです。何せ、悩みの深い時代ですから。」

(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報『マドモアゼル・モーツァルト』10月10日~31日(10月19日に追加公演有り)公式HP

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