Musical Theater Japan

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柴田麻衣子の連載エッセイ『夢と夢のあいだ』Vol.11「届けたい小さな声」

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「届けたい小さな声」(画・柴田麻衣子)

6月に一夜限りで上演した作品の映像販売が決まった。
出来上がったら、一枚お贈りしようと思っている方がいる。
1歳の次女が通う保育園の先生だ。

 

生後2ヶ月から保育園に通っている次女にとって、その先生はもう一人のお母さんのような存在だと思う。
私と同じ、二人の娘のお母さんでもあるその先生は、育児で不安に思うことがあると話を聞いてくれて、優しく励ましてくれる素敵な先生だ。

 

娘が通う保育園は新型コロナウィルス感染拡大に伴い、今も自主休園の協力要請を行っている。
それでもこれまで一度も休園することはなかった。
その一方、小中高校は3月はじめに一斉休校要請が発出され、都内の小学校は休校となっていた。

 

3月の中頃、娘をお迎えに行った時にふと、先生に小学校に通うお子さんがいたことを思い出し、「お子さんたち、どうされてるんですか?」と聞いてみた。
「2週間はなんとか頑張ったんですけどね…寝る時間とか食べる物とか、もう生活がぐちゃぐちゃになっちゃって、先週末からおじいちゃんおばあちゃんのところに預けました。」

 

いつもしっかりして頼れる先生の目に、薄っすら涙が浮かんだのを見て胸がぎゅっと苦しくなった。
私にどんな言葉がかけられるだろう…言葉を探していた次の瞬間、先生はいつもの笑顔になっていて、「しーちゃん、また明日ね!」と娘に向かって挨拶してくれていた。

 

寂しさや苦しさにさっと蓋をして、いつもの仕事に戻る先生の姿に胸が痛んだ。

 

4月に入ると娘たちを自主休園させ、自宅で過ごす日々となった。
娘が産まれてから家族でこんなにゆっくり過ごせたことはなかったし、元の生活に戻ればきっと、この時間が懐かしく思えるだろうと、子供たちとの時間を大切に過ごしていた。
けれどその幸せな時間と並行して、混乱する社会に何もできない自分たちに憤り、ただただ無力感を感じていた。

 

5月25日、政府が全ての緊急事態宣言を解除した。

 

6月末に公演ができるかもしれない。
いま、何をやるのか。何ができるのか。
これまでに上演してきた作品の再演?ライブ?
どんな上演形式で?どんな場所で?

 

6月のはじめ、数年前から毎年のように使用させて頂いている劇場から改築した劇場の完成の報告と内覧会のご案内を頂いた。

 

まずは自分たちの心を動かしたい。
劇場に行ってみよう。それでも動かなければ、自分たちにはまだ、何もできないのかもしれない。
何かに縋るような気持ちで、新しくなった劇場を見学させて頂くことにした。

 

久しぶりに会ったスタッフと一緒に劇場に入ると、そこはやっぱり特別な場所だった。

 

この劇場を使って、今の私たちに何ができるのか?
このコロナ禍の中、何をすべきなのか?
答えはなかなか出せなかった。

 

そしてふと娘の保育園の先生のことを思い出した。
ほんのひと時、薄っすら涙を浮かべた先生の目を。

 

先生のように、声をあげずに頑張っている人が沢山いる。
そんな人々の声を誰かに届けられる舞台なら、その意義を信じてやってみる価値があるんじゃないか。そんなことを夫と話した。

 

すぐに夫は数人のエピソードを拾い上げ脚本にした。
そして最初に、作曲家に読んでもらった。
本に書かれた人々の声が自分たち以外の誰かに届いた気がして、素直に嬉しかった。

 

何か確信をもって進み出した企画ではなかったけれど。
スタッフや役者、バンドメンバーに久しぶりに連絡して声をかけた。
全ての稽古をリモートで行った。
劇場で初めて、皆んなに会えた時の歓びは、公演を終えて2ヶ月経った今でも思い出すと胸が温かくなる。

 

「観る人、演る人が隔てなく一つの感動を共有する」
TipTapが学生劇団として始まった時、いつもパンフレットなどに書いてあった言葉だ。
14年経った今も思いは変わらない。
この14年間、自分たちが作りたい舞台を作ってきた。
自分たちには何ができるだろうと、こんなに悩み考え抜いて上演を決めたことは、今回が初めてだったかもしれない。

 

そんな舞台のきっかけを作ってくれた保育園の先生。
公演があることは、先生にはお知らせできなかった。
DVDが出来たら、最初にお贈りしようと思う。
あなたのおかげで、この作品ができました。

 

(文・挿画=柴田麻衣子)

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柴田麻衣子 愛知県出身。早稲田大学在学中に劇団TipTapの旗揚げ公演「Flag of Pirates」に参加。それ以降、俳優として参加。劇団解散後、プロデュースユニットとしての活動では美術・制作を担当。「Count Down My Life」よりプロデューサーとして作品のプロデュースを担いながら、作品のプロダクションデザインを手がけている。舞台美術家としても活動しており、主な参加作品に「Working」、「幸せの王子」(映画演劇文化協会)、「Sign」(ミュージカル座)などがある。(画・上田一豪)