Musical Theater Japan

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『アナスタシア』観劇レポート:それぞれに“生き抜く”、愛すべき人々

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『アナスタシア』
流麗な音楽に包まれて舞台に現れるのは、王宮の小さな寝室。ロシア皇帝ニコライ二世の末娘で、マリア皇太后の一番のお気に入りの皇女アナスタシアは、パリに旅立つ祖母から小さなオルゴールを渡されます。“これを聴いたら私の深い愛を思い出して”と微笑む皇太后と、オルゴールの音色に合わせて“Once Upon A December(遠い12月)”を歌うアナスタシア。

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『アナスタシア』
10年後、17歳になった彼女が舞踏会で踊っていると、宮殿の外が騒がしくなり、遂には大爆発が。革命が起こり、皇帝一家が一人残らず命を落としたとの知らせに、パリ滞在中のマリア皇太后は泣き崩れます。

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『アナスタシア』
さらに時は過ぎ、帝政ロシアの名残が消え去った街角では、孤児として混乱の時代を生き抜いてきた青年ディミトリが、詐欺師のヴラドとともに賞金稼ぎを計画。“ただ一人生きのびた”と噂される皇女アナスタシアを皇太后が探していると聞き、手ごろな娘をアナスタシアに仕立てあげ、大金をせしめようというのです。 
出国許可証を求めて現れた記憶喪失の娘、アーニャに白羽の矢を立てた二人は、早速レッスンを開始。“誰かが、パリで私を待っている”という漠然とした記憶に衝き動かされ、懸命に自分探しをする彼女の姿に、ディミトリはいつしか惹かれてゆきます。バレエ団の団員と身分を偽り、列車でパリを目指す3人ですが、アナスタシア生存説を容認できない政府は、高官グレブを派遣。命からがら辿り着いたパリで、3人は皇太后との面会にこぎつけようとしますが…。 
時代の荒波の中で全てを失ったヒロインが、強い意志でアイデンティティを回復、新たな一歩を踏み出してゆくまでを描く物語。大枠としては歴史のif(もしも)をモチーフとした“おとぎばなし”でありながら、(この3月にコロナウイルスによる合併症で亡くなった)テレンス・マクナリーの脚本は、絶望の淵にあっても希望と信念を持ち続けたアーニャをはじめ、各キャラクターの“生き抜く力”を活き活きと描写。ステファン・フラハティの親しみやすくエネルギッシュな音楽とともに、期せずして“今”の観客を力強く勇気づける作品となっています。

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『アナスタシア』
上演前にはアーロン・ラインによる映像の美しさも大きな話題となりましたが、実際のところ、それのみが突出するということはなく、ヴィジュアル要素の一部として効果的に機能。特にアナスタシアたちがサンクトペテルブルクから旅立つくだりでは、鉄枠で表現した列車が発車すると背後の風景がみるみるうちに田園へ、広大な大地へと移り変わり、アナスタシアたちが抱く解放感、旅の高揚感が劇場空間全体に広がります。

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『アナスタシア』
脚本で描かれた人物像にそれぞれの個性を加えて膨らみを持たせ、物語世界に説得力を与える出演者たちも今回の大きな見どころ。この日のアーニャ役、木下晴香さんは薄汚れた一張羅をまとい、身を守るために荒っぽい所作をこなしながらも、ふとした瞬間に生来の気品が垣間見える人物を好演。甘やかな歌声にも常に“芯”が通っており、応援せずにはいられないヒロインを造型しています。

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『アナスタシア』
この日のディミトリ役・内海啓貴さんは、俊敏な動きと世慣れした風情で混乱の時代のサバイバーを体現。ディミトリのテーマと言える“My Petersburg(俺のペテルブルク)”での力いっぱいの歌唱も清々しく、多くの観客に“新星の登場”を印象付けたのではないでしょうか。
 
ディミトリの相棒で詐欺師のヴラドをこの日演じたのは、石川禅さん。典型的な小悪党というより、思考が柔軟かつ楽観的なインテリといったたたずまいに、サバイバーの凄みが滲みます。ディミトリとの会話もテンポよく、世代を超えた“よきバディ”ぶり。

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『アナスタシア』
そんな彼の“元カノ”?“元カモ”?で、マリア皇太后に仕える伯爵夫人・リリーは、故郷喪失という痛みを抱えながらも、同胞貴族の集まりで歌い踊り、ぱっと憂さ晴らしをするバイタリティの持ち主。この日演じた堀内敬子さんはこのナンバー(“過去の国”)でのずば抜けた弾けっぷりで物語に新たな膨らみを持たせ、2幕の充実に大きく貢献しています。

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『アナスタシア』
路上で出会ったアーニャに心惹かれながらも、彼女の行動を阻止するべく、パリまで追いかけてゆくのが政府高官グレブ。実は彼の父は皇帝一家を銃殺した警備兵で、そのことを恥じながら亡くなったという父に反発、感情を押し殺して生きてきたものの、アーニャの一途な生き方に“何か”を感じるようになるという興味深い役柄です。この日、演じた山本耕史さんはヒロイックな声質が単純な敵役ではないこの役によくはまり、冷酷な物言いの中にもどこか“あたたかな血”が。終盤のアーニャとの対決シーンはスリリングこの上なく、目が離せません。

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『アナスタシア』
そしてこの舞台に無くてはならない存在が、メインキャストでは唯一のシングルキャスト、麻実れいさん演じるマリア皇太后。幕開けには緩急自在の台詞で幼いアナスタシアのみならず観客をたちまち夢見心地にさせ、悲劇が起こってからは深い悲しみゆえの頑なな姿が、アーニャの超えるべき壁の高さを強調します。パリで遂にアーニャに対面する場面では“自分で自分を認めない限り何者にもなれませんよ”“何もかも失うということがどういうことかあなたにはわかる?”“どれが最後のさよならになるか、私たちにはわからない”…と、アーニャを叱責しつつ自分自身にも問いかけるように発する一言一言が鮮烈。それにアーニャがどう答え、自分の思いをぶつけてゆくか。見どころの多い本作の中でも、最大のクライマックスと言えましょう。

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『アナスタシア』
ラストシーンを包み込むのは、短調から長調に転じた“Once Upon A December”。東欧風のメロディは長調になっても憂いを残し、本作のベースがあまりにも哀しい史実であることを思い出させますが、今回はさらに、“明日がどうなるかわからない”世情と重なり、不安と喪失感を抱えながらも前に進み、生き抜くキャラクターたちがいっそう美しく、愛おしく感じられた方も多いことでしょう。人類がこの事態を乗り越え、日本で再び本作が上演される際には、また新たなメッセージが見えてくるでしょうか。その日が遠からず訪れるよう、祈らずにはいられません。
 
(取材・文=松島まり乃)
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