2001年のアメリカ同時多発テロの際、行き場を失った38機の飛行機に乗っていた7千もの人々を受け入れた、人口一万の町ガンダー。
世界を震撼させた事件の陰で、カナダの小さな町で実際に起こった人間模様を描き、2017年のトニー賞演出賞ほか多数の演劇賞を受賞したミュージカルが、遂に日本に上陸します。
ガンダーの町民と飛行機の乗客たち100人以上を演じ分けるのは、12人のキャスト。そのうち、主に“50代の英国人ビジネスマン”である乗客ニックを演じるのが、石川禅さんです。
これまでにも新作を含め数々の作品に出演してきたベテランの石川さんをもってしても“とんでもない作品!”と驚嘆せしめる本作は、いったいどんな作品でしょうか。稽古の手応え含め、たっぷりお話いただきました。
お客様のリアクションを楽しみに
“数分ごとに頭が真っ白になるほど”の稽古で格闘しています(笑)
――今回はどのような経緯でご出演が決まったのでしょうか。
「ありがたいことにプロデューサーから“ぜひこの作品に”とお声がけをいただきました。“9.11”を扱っていると聞き、まだ自分の役についてうかがう前に“あ、やります”と即答でした。
最近の演劇界では、“癒し”の作品が多いような気がします。世の中的に混乱を招くような事態が起こっている中で、皆さんが客席に座って何を求めるかというと、やはり癒しなんですよね。客席から舞台を観ている間は現実を忘れたい、という作品が多いと思います。
そんな中でホリプロは、僕も出演させていただいた『パレード』のように、“なかなかやるな”という作品を持ってくることがあって、そもそも僕が役者になったのは…この話は山口祐一郎さんともしたことがあるのですが、僕らの子供の頃は攻めの姿勢の、前衛的な芝居がすごく多かったんです。黒テントに始まって寺山修司さんの天井桟敷ですとか、アングラというものがわーっと出てきて、“自分たちが日本を変えてやる”と言うくらいの意識で役者になる方が大勢いました。
そういう方々に憧れていた人種なので、本作の題材をプロデューサーから聞いて、久方ぶりに“攻めの舞台だな”と思い、即答しました」
――実際に台本を読み、どんな印象を持たれましたか?
「台本を開いた時に、あまりにもあっけらかんと明るいコメディ仕立てになっていることに驚きました。曲を聴いた時の印象も同じで、明るいんです。ビートに乗っていてとても聴きやすい音楽に仕上がっているのでびっくりしました。
それまで想像していた、啓蒙的であったり、耐えることが大きいのかな…という感じではなく、違う方向から攻めてきている作品だったことにまず驚きました。立ち稽古が始まってみて、なるほどこういうことかと、わかってきた昨今です(笑)」
――“9.11”について、石川さんは特別な思いはお持ちでしたか?
「今回の共演者の中には、あの飛行機に友人が乗っていたという方や、ワールド・トレード・センタービルで働いていたお知り合いが3人亡くなったという方もいますが、僕自身はそういう方が身近にいるわけではありません。ただ、あの映像は、これは映画なのかゲームなのか…という、一生忘れられないものでした。
今回、一つ懸念していたのが、“対岸の火事”に見えないかということでした。この題材をアメリカで上演したなら、お客様も興味を持って詰めかけるでしょうけれど、日本ではどこまで受け入れられるだろう、と。
でも、それを言えば『パレード』も、アメリカの人種差別の話でした。それに本作はガンダーというカナダの町を舞台としていて、いうなれば“対岸”でのお話なので、そこの人々が避難してきた人たちをどう受け入れるか、という話であれば、日本人もとっつきやすいのでは、と思いました」
――本作では全員が複数の役を演じますが、石川さんが主に演じるのは、ニックという英国人会社員。飛行機内で出会った女性ダイアンと恋に落ちる人物ですが、あの途方もない状況で、なぜ恋が芽生えたのでしょうか。
「彼は実在の人物で、この恋も実話なのですが、飛行機に乗っている人たちは何も事情を知らされないままガンダーに着陸し、そのまま28時間も待機させられてエコノミー症候群になりかけ、やっと空港から避難場所に案内され、どういう事件が起こったかを初めて知ります。極限の状態にいるんですよね。
ニックにとっても経験したことないような環境ですが、その中で、この人綺麗だな、という人に巡り会うんです。これまでの人生で経験したことのないような大変な事件の中で、差し込んだ一筋の光が彼女だったのでしょうね」
――50代まで仕事一筋、という方なのですよね。
そうなんですよ、結婚したこともなく、仕事の虫で生きてきたイギリス人が、テキサスの快活な女性と出会って恋してしまうんです。
きっかけは、機内で待機中に彼が2回、彼女の隣に座ったことなのですが、“ここ座っていいですか”と尋ねている時点では気があったわけではない、と演出家からは言われています。偶然そこに居合わせて、話していくうちに…ということのようです。
ガンダーの町に避難してから、ニックとダイアンが歌う“Stop The World<世界をとめて>”というデュエットがあるのですが、その時の彼女が一番素敵だな、と僕は思っています。これだけ広大な自然の中に人間の営みがある、と彼女が語って(歌って)いて、この大陸的な感性にニックさんは惹かれたのだろうな…と思いながら、今、稽古で安蘭けいさんのダイアンに惚れています(笑)」
――どちらかといえばシャイな方に見えますが、そんな彼がこの短い時間で、彼女にアプローチしようと決意するのですね。
「この同時多発テロがなければ無かった話なのでしょうね。普通に、あの事件が起こらなくてガンダーに着陸しなければ、出会わなかった二人だろうと思いますし。非常に悲惨な事件でしたが、そのことでこういうふうに運命が変わった人もいますよ、ということなのかと思います」
――ある種、人間の希望を象徴するようなエピソードですね。
「ありがたいエピソードですよね」
――お稽古はどのような状況ですか?
「これはですね、皆さん異口同音に仰るような気がしますが、稽古というより“訓練”ですね(笑)。盆の舞台に天の川のようにバミリテープが貼ってありまして、14脚の椅子と三つのテーブルがあり、その椅子をキャストが一斉に動かして転換をするのですが、シーンごとに動くので、数分ごとに頭が真っ白になるんです。“あれ、この椅子、今どこだっけ?”と、パニックになっています。それが100分間続きます(笑)。
曲は、アリアが本当に少なくてほぼほぼ全員のコーラスやデュエットです。曲と曲の間のイントロ伴奏部分に台詞が入ってくるのですが、その間尺も全部決まってて、(もともと書かれている)英語を翻訳すると日本語って文字数が増えるから、ものすごい早口になるんです(笑)。
さすがにここはちょっと収まらないねというところを、翻訳の常田景子さん、訳詞の高橋亜子さんも(稽古に)いらっしゃってくださるので、この言葉に変えましょうという作業をしています。この尺に台詞をおさめる、というところで格闘しています」
――本作ではいくつもの情景が同時に描かれるシーンもあって、台本を見るとこの台詞の束をどうするのだろう…と思ってしまったりしますが、実現するには全員が阿吽の呼吸になるまで稽古をやり込む、という感じでしょうか?
「やるしかないんだと思います。正直、とんでもない作品に関わったなと思っています(笑)。稽古を積んで何も考えずにできるようになったものをお客様に観て頂いた時、皆さんの衝撃はいかほどだろう、それがとても楽しみですね。ものすごいテンポで運んでいくので、一度観ただけだと“何を見たのだろう、私は…”と呆然とされるほどの情報量だと思います。ちょっと今までにない作品ですね。
(かつて出演した)『レ・ミゼラブル』も、盆舞台と暗い照明で転換を駆使して、盆が一周回ってくると別の人間になってるという演出があったりしましたが、本作ではそれが何十個も出てくるような感覚で、こんなところにそんなトリックを使うのかという感じです。気がつくと飛行機の中から瞬時にバスに変わったり、それが一台から2台になったり、なんだこれ!という…(笑)。
本作を作られた方々は、どこにこの椅子を持っていったらバスに見えるかというところから作ったと思いますが、我々は出来上がった設計図を渡されて演出の方に“ここにきて”と指示され、その通り動くと、気がつけば飛行機の中にいます。作り上げる時間は割愛されているので、それに合わせていくのが大変です(笑)」
――劇団にいらした経験のある方であれば“揃える”といったことにも慣れていらっしゃるかもしれませんが、今回のキャストはいろいろなご出身ですね。
「ですが、めっちゃ仲がいいです! この座組でよかったなと思えるほど、善き人たちが集まっていますし、要所要所に面白い人がいるんです(笑)。雰囲気作りの役割分担もできていて、爆笑が絶えない稽古場です。
ただ、やることが多いので、7時間の稽古が終わる頃には、皆10年くらい歳とったような顔をしています(笑)。それくらい頭を使っていますね。演出のダニーもみんなの顔を見たり、椅子の動かし方が疲れでくしゃくしゃになってくると、“今日は限界だね”と言ってくれて終わったり。そんな毎日です。初日が開く10日前くらいから自分のリズムで行けるようになるのかな、と思っています」
――今回の日本公演ではトニー賞演出賞を受賞したクリストファー・アシュリーのオリジナル演出が踏襲されているようですが、特に感じることはありますか?
「昨年、やはりブロードウェイ・ミュージカルである『アナスタシア』をやったときにも感じたのですが、アメリカの芝居の様式が変わってきたのかもしれません。“舞台を意識するな”と言われるんです。
ミュージカルでは特にですが、我々は従来、“絵面(えめん)”と言って、体をお客さんの方に開くということをしてきましたが、それに対して『アナスタシア』の時も今回も、“やめてくれ”というのです。
でも面白いのは、(歌唱)ナンバーになると振付が入ってくるから、“体を開いて”と言われます。“どっちなんだよ~”とも思いますが(笑)、芝居になると極力リアルに、“客席を意識するな、背中を向けていていい”というんですね。舞台役者としては、お客様に情報をあげないと、と体に染みついているのですが、ちょっとでもそういう動きをしようとすると指摘されます。
日本でも、小さい劇場(こや)では、例えば今は無くなりましたが青山円形劇場のようなところでは、体の向きは考えるなと言われたことがありますが、今回はこれほどの大劇場公演でも、リアリズムを追求して、ミュージカルだと考えないでと言われます。
だからミュージカルをやってる感覚は無いです。“歌えて当然”という方々が集まっているので、“そこじゃない”のだと、今回は頭でなく体で覚えさせられている感じです。だからこそ、臨場感が生まれるのでしょうね。
本作では、写実的な舞台装置って全く出てこないんです。想像力が欠如している世の中で、これは一つのアピールになるかもしれません。
舞台を観る時、想像力ってすごく大事だと、僕は思います。また『レ・ミゼラブル』の話になりますが、特にオリジナルバージョンでは、暗闇の中に役者が衣裳を着て出てきて、あとは観る側の想像力で補って観る、という形式でしたが、そういう舞台が僕は大好きなんです。映像や技術の発達した世の中ですが、想像力を駆使して作られる作品ってこんなに面白いんだよ、という一つのメッセージに本作はなるのかなと、と思っています」
――どんな舞台に仕上がれば、と思っていらっしゃいますか?
「とにかくお客様が“一体何が起こったんだろう⁈”と目ん玉をひん剥いて下さるような舞台になればと思います。
メッセージ性については、あれだけの事件でしたから(敢えて)言わなくとも伝わると思っています。例えば今、パレスチナで戦争難民の方々が行き場を失っていて、隣国からシャットアウトされてしまっているということがあるかと思いますが、そういう立場の人々に対して、少なくとも(個人レベルでは)思いを寄せたいよね、というお話のような気がするんです。優しい気持ちというか、ざっくばらんに言えば“人類皆兄弟だよ”ということが伝わったら万々歳ですね。
ガンダーの人たちがやってくれたことって、なかなかできることではないけれど、実際に起こったことなんです。誰かが窮地に立たされて大変な思いをしている時に、手を差し伸べられる人でありたいね、というメッセージなのかな。それが伝わってくれれば十分かな、と思います」
――ご自身についても少しだけうかがわせてください。もともと新劇役者を目指していらっしゃったのが、92年の『ミス・サイゴン』を契機として、今やすっかりミュージカルの分野でひっぱりだこの石川さんですが、ミュージカルをやっていてよかったなと思われるのはどんな点でしょうか?
「いっぱいあるのですが、“歌”って、やっぱりすごいなと思います。自分の気持ちを解放してくれる、一つの手段なんですよね。役作りで悩んでいても、一度稽古でアリアを歌うとスッキリして、楽になります。
医学的にも、歌うことでアドレナリンのようなものが出ていると証明されているんですって。僕はもともと生みの苦しみというか、役作りで抱え込むタイプなのですが、歌うことで助けてもらえることはよくあります」
――“ミュージカルは歌もあるから大変”、ではなく、“歌があるから助かる”のですね。
「非常にそう感じます。ただ本当のことをいうと、僕は新劇俳優でしたけれど、本当は声優になりたかったんです。
そう思ったのは45年も前の話で、『宇宙戦艦ヤマト』が好きで、小学校の頃には放送委員会にも入っていたので、声優という仕事をしてみたいと思っていました。ただ声優になる方法がわからず、姉が中学の頃に演劇部に入っていたので、劇団という道もあるなと思い、舞台を勉強してみようと思って入ったのが多摩芸術学園でした。するとそこにいたのが新劇に行きたい人ばかりで、じゃあ俺も…という流れなんです。
とにかく表現をしたい、それも声で…という気持ちでしたが、青年座に入って、映画放送部に声優のお仕事をしたいと訴えても、なかなかかないませんでした。
それが帝国劇場で「回転木馬」のビリーを演じた途端に、それをご覧になっていたソニー・ピクチャーズの声優部門のプロデューサーが楽屋にいらっしゃって“その声を使ってみない?”と。人生って面白いですね。ミュージカルの道が拓けたのと同時に、声優の道も拓けました」
――理想的な道を歩いていらっしゃいますね。
「そうなんでしょうか。でも僕、声優の仕事をしている時が一番生き生きしているかもしれません(笑)。人生って本当にわからないものですね」
――これからも、いい出会いがあるといいですね。
「そうですね、この『カム フロム アウェイ』のようにね」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報 『カム フロム アウェイ』日生劇場にて2024年3月7日~29日、その後大阪、愛知、福岡、熊本、群馬にて上演。公式HP
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