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『ビリー・エリオット』観劇レポート:人生の喜怒哀楽が交錯する、光と影の人間ドラマ

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

小さな男の子が舞台に上がり、下手(しもて)に座り込む。キャンディを舐めながら彼が眺めるのは、紗幕に映し出されたニュース映像。1947年、英国ダラムのイベントで国有化が誇らしげに語られていた炭鉱はしかし、今や時の首相サッチャーから不採算事業として切り捨てられようとしています。背後で一人、また一人と人影が増え、紗幕が上がるとそこは1984年、斜陽の炭鉱町イージントン。労働運動の行方を知るため人々が集まっているところにストライキ開始の報がもたらされ、彼らは“我々は、一つだ”と団結を誓います。

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

そんなコミュニテイの高揚感に、今一つ馴染めない少年が一人。3年前に母を亡くし、炭鉱夫の父と兄、ぼけ始めた祖母と暮らす彼、ビリーは、ひょんなことからバレエのクラスに巻き込まれます。
なりゆきで通い始めたクラスで、ビリーは天賦の才を発揮。バレエなんて女が踊るものだ、と父から禁じられても、ウィルキンソン先生のもと、ロイヤル・バレエ・スクールを目指してレッスンに励みます。しかしニューキャッスルでのオーディション当日、炭鉱夫たちと警官たちの衝突が激化。家から出られなくなってしまったビリーは怒りが爆発し…。

2000年の原作映画を、監督のスティーヴン・ダルドリー、脚本のリー・ホールが続投、そして音楽をエルトン・ジョンが担当する形で舞台化した『ビリー・エリオット』。2005年にウェストエンドで誕生して人気を博し、日本でも2017年に初演が実現したミュージカルが3年ぶりに上演中です。

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

一人の少年のサクセス・ストーリーの形をとりつつ、歴史の犠牲となって衰退に向かってゆくコミュニティと、そこから羽ばたき、希望の星となってゆく個人を対比させた、光と影のドラマ。今回の再演では、初演から続投のキャストが少なくないこともあってか、コミュニティの人々の一体感がいっそう強固なものに。その分、ビリーがバレエを志すということがいかに突拍子もないことか…冒頭演出が象徴するように、幼いころから炭鉱の歴史と誇り、団結の精神を体に染み込ませた人々のコミュニティにあって、“良家の子女”が集う“王立”バレエ・スクールを目指すということがいかに異質で、理解・共感を得にくいことかが際立ちます。ビリー役が、大人の俳優でさえハードに感じるほど体力・表現力を要するナンバー揃いなのは、彼が乗り越えなければならない、このとてつもなく高い壁を表現するためなのかもしれません。

 

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

筆者が観た日のビリー役、利田太一さんは、のびのびと“子供らしい”オーラで、ビリーの高すぎる壁への挑戦を気負いなく体現していますが、その台詞は終始丁寧、ダンスも振付の構成をよく咀嚼しており(例えばウィルキンソン先生のレッスンでくたくたになり、バタンキューとなる過程が克明なナンバー“We Were Born To Boogie-踊るために生まれてきた-”)、一公演一公演を大切に演じていることが伝わって来ます。

いっぽうこの日の親友マイケル役・菊田歩夢さんは、ビリーと女装を楽しみ、自分らしさの表現において影響を与えるシーンで輝きを見せ、このキャラクターがビリーを見送るラストをいっそう感慨深いものにしています。またウィルキンソン先生の娘で、問答無用の母親に辟易しているデビーをこの日演じた森田瑞姫さんは、個性的な口跡が魅力的。デビー視点の番外編も観てみたくなります。

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

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『ビリー・エリオット』プレスコールより。(C)Marino Matsushima

もちろん大人キャストの演技もそれぞれに忘れ難く、この日の“お父さん”役、橋本さとしさんは情味が豊か。妻の死に打ちのめされ続け、どんなにシングルファザーとして奮闘しても心の穴が埋められないことが、クリスマス・パーティーでの哀切な歌唱からうかがえます。だからこそ息子たちには強く、男らしく生きてほしいと願うも、ビリーはバレエなどというものにうつつをぬかしている、ということの落胆。しかし彼の一途な思い、そしてダンスを目の当たりにして応援すると決めてからは、仲間たちへの裏切りに胸引き裂かれながらもスト破りに出かけ、長男トニーの糾弾も甘んじて受け入れる。うまく説得する言葉は持たないながらも、“あいつ(ビリー)はスターになれるかもしれないんだ”と繰り返す…。不器用な男の内面に渦巻く感情が嵐のように迸り、胸を衝きます。

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

ビリーの才能を見出すウィルキンソン先生は、登場時のナンバーで生徒たちに“見かけや境遇によらず、輝きゃいいのよ”と歌い、ざっくり豪快な印象を与えるキャラクターですが、この日演じた安蘭けいさんは、圧倒的な存在感を放ちつつ、一つ一つの台詞が知的に粒立ち、バレエなんてとんでもないという荒くれ男たちと相対しても一歩も引かない姿が痛快。

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

飲んだくれの夫と17歳で結婚してしまった、けれどあいつとダンスを踊る時間だけは幸福でね…と昔を振り返る“おばあちゃんの歌”をからりと、かつ味わい深く歌う“おばあちゃん”役の根岸季衣さん、炭鉱夫としての人生にどっぷりと浸かり、誇りと未来が見通せない焦燥感の狭間にいる兄トニーを土臭く演じる中井智彦さんも好演です。

またビリーが夢想しながら踊る“ドリーム・バレエ”で、“未来のビリー”と思しき“オールダー・ビリー”を演じる永野亮比己さんは、同じ振付で踊りながらも、まだ粗削りなビリー少年より各段に優雅なオーラをまとい、ゆるぎない踊りを披露。ビリーがこの先どれほど努力を重ねて炭鉱の町の少年からバレエ界の人間となってゆくかを予感させます。

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

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『ビリー・エリオット』写真提供:ホリプロ

子供、若者、親、熟年と様々な年代の人々のリアルな心情が交錯する本作。観客はそれぞれのライフステージに応じ、様々なポイントで心を動かされることでしょう。例えば、筆者にとって忘れがたいのが、ビリーがバレエ・レッスンというものに初めて触れ、喧噪の後に灯りを落とした空間で、あれはいったいなんだったんだろう、とばかりに無心に体を動かし、影法師が揺らめくシーン。彼の中に、バレエに対する漠たる好奇心がもたげる瞬間です。不確実だが可能性に満ちた、“もしかしたら夢中になれるかもしれないもの”との出会い。詩情溢れるこの情景を反芻するとき、ある人は憧憬を、またある人は懐かしさを抱くかもしれません。或いは小さな子を持つ人の多くは、こうした思いに駆られるのではないでしょうか。“我が子にもいつかこんな、運命的な出会いをする日が来るのだろうか”、そして“その時は、惜しみなく応援できる自分でありたい”、と。

(取材・文・プレスコール撮影=松島まり乃)
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*公演情報『ビリー・エリオット』9月16日~10月17日=TBS赤坂ACTシアター、10月30日~11月14日=梅田芸術劇場メインホール 公式HP