Musical Theater Japan

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ストレートプレイへの誘い:デヴィッド・ルヴォー・インタビュー『ロミオとジュリエット』を語る

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『ロミオとジュリエット』

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デヴィッド・ルヴォー 57年英国出身。チェーホフ劇からミュージカルまで幅広い作品を手掛け、『Nine』で03年トニー賞最優秀リバイバルミュージカル作品賞を受賞。日本でもtpt芸術監督として長く活躍、近作に音楽劇『道』がある。(C)松竹ブロードウェイシネマ

洋の東西を問わず、演劇人にとって“基本のキ”と言えるシェイクスピア劇。16~17世紀の英国で彼が書いた40ほどの戯曲は、現代まで繰り返し上演されるだけでなく、映画やダンス等、様々なジャンルにインスピレーションを与えています。


そんな彼の初期の悲劇で、『ウェストサイド物語』やフレンチ・ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』の原作として知られるのが『ロミオとジュリエット』。その2013年のブロードウェイ上演舞台(オーランド・ブルーム主演)を収録した映画がこの度「松竹ブロードウェイシネマ」に登場、7月12日から東劇ほか、各地で順次上映されます。


今回はその演出家で、英米にとどまらず草彅剛さん主演の音楽劇『道』や中谷美紀さん・井上芳雄さん主演の『黒蜥蜴』等、日本の舞台でも活躍するデヴィッド・ルヴォーさんにインタビュー。演劇史上、最も有名なこの悲恋物語の魅力と演出のポイントを、たっぷりお答えいただきました。

キーワードは“稲妻”

 

――本作演出の経緯をお教えいただけますか?


「私は英国で本作を演出したことがありますが、その時は現代的な“若い”劇としての表現ができなかったと感じていました。今回、新演出の話があり、そこにオーランド・ブルームが関心を示してくれ、“ブロードウェイで上演できるめったにない機会がやってきた”と思いました。この物語は若者の物語であり、主題はとても新鮮です。現代のブロードウェイの観客向けに新しい解釈でシェイクスピアを作り直すことができる。まさに心躍るようなチャンスでした」


――演出で最も楽しまれたことは?


「私の頭の中にはずっと“稲妻”という言葉がありました。人生の中で閃光のようにパッとひらめく瞬間、そういう感覚を常に持ち、それが作品全体を通して重要な部分になりました。このアイデアはジュリエットの人物像から得たものでもあります。
また、現代的でありながらも非常にロマンチックであるよう工夫することも楽しかったです。昨今はこんなに純粋にロマンチックなものを作るチャンスはあまりないので」


――演出にあたっては、はじめから明確なビジョンをお持ちでしたか?

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

「2回目ということもあり、展開を速めるために多くの場面を削りました。そもそもシェイクスピアの時代には、人々の話す速度は現代よりずっと速かったようです。そのため、特に映画やテレビの時代に育った観客は、『ロミオ&ジュリエット』のような作品を観ると、もう少し早く情報を得たいと感じるのです。


登場人物の切迫感や焦りを伝えるためには、かなり多くの場面を削って劇を前に進めなければならない。そのことが、ある意味とてもエキサイティングな作業になりました。僕らは“矢のような劇にしよう”と言っていました。前触れもなく突然何かが起こるのです。今回最も気を配ったことは“劇を止めない”ということでした。


オーランドがオートバイに乗って舞台に登場した瞬間から、観客は何か無謀な世界に足を踏み入れたということが分かります。オーランドがバイク好きだったこともあって、私は彼がリラックスできる状況を作ろうと、“そうだ、バイク好きのロミオにしよう”と提案しました。ジョン・ギールグッドのような往年の俳優をまねる必要はなく、自分らしさを出してほしかった。シェイクスピアの劇でもオーランドには彼らしく演じてほしかったのです。オーランドもその点には満足し、彼と観客との自然な結び付きが可能になりました。正解だったと思います」


有名な物語ゆえの難しさ

 

――演出上、最も難しかったことは?

 

「ほとんどの人が『ロミオとジュリエット』の結末を知っていることだと思います。2人が死ぬと分かっているので、そこに驚きはありません。ではなぜ、本作は観客の心をつかむのか?

 

私の答えは、2人があまりに鮮やかに生きようとしているため、死ぬと分かっていても観客はショックを受ける。生き生きと人生を謳歌しているように見えたのに、次の瞬間に突然死ぬということに心を揺さぶられるのです。

 

だからこの作品で苦労したことを挙げるとすれば“この劇には莫大な量の“生”の表現が必要だ“ということですね。今回はとても強力な若手のメンバーが集まって、戦うシーンも愛し合うシーンもすべてを楽しんで演じてくれ、助かりました。

 

そういえば『ロミオとジュリエット』には戦いのシーンが驚くほど多いんです。皆が本作をラブストーリーだと思い込んでいますが、実際には、『ヘンリー四世<第1部><第2部>』よりも戦いのシーンが多い。主人公が生きたこの時代は暴力が横行した時代でしたからね。

 

そんな背景もあって、ニューヨークで若いキャストと共にこの公演を実現することが大きな意味を持つと感じました。というのは、今日、成長過程の若者が暴力のイメージに多くさらされているとすれば、彼らが希望を持ち続けるにはどうすればよいのか、という課題に通ずるものがあるからです。どうすれば希望を持てるのか、と問いかけています。

 

また、今回特によかったのが、オーランドが非常に良い人物だった点です。この性質は、“セクシー”“二枚目”といったロミオの素質より重要なことだと気づきました。ロミオ役について人がまず気にするのは外見的なことですが、実際には、俳優が真面目な善人であると観客に伝わることこそが重要なのです。ロミオもジュリエットも基本的には善人ですから。 

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

それが感じられなければ、この劇は成功しません。私はオーランドにこうも言いました。“君は既に二枚目俳優だから、カッコよく見せることに労力を使う必要はない。それよりも、とにかく愛すること、ひたすら愛することだ。愛に集中してほしい”と」

 

もともとは舞台志望だったO・ブルーム

 

――オーランド・ブルームについてはどんな印象を持たれましたか?

 

「真の努力家です。オーランドはギルドホール演劇学校で勉強し、ずっと舞台俳優になりたかったそうです。在学時は映像に興味がなく、単に舞台で演じたかったと言っていました。でもご存じのとおり映画の仕事も入るようになり、『ロード・オブ・ザ・リング』で一躍有名になりました。

 

それでも心の奥では演劇の練習をしていた頃に戻りたいとずっと思っていたそうで、“ライブの舞台に再び関わることができてとても嬉しい”と毎日私に言っていました。そして非常に努力していました。 “体力をつけなければ”とも言っていましたよ。1週間に8公演、舞台の上で飛び回らなければなりませんからね。バルコニーに登ったりバルコニーから飛び降りたり…。とにかくオーランドのひたむきで真面目な姿勢には私も非常に感心しました。

 

オーランドはまた、必ずしもシェイクスピアに精通してるとは限らない観客にも分かりやすく伝えたいと考えていました。彼のファン、特に若いファンの中には、オーランド・ブルームが出演するから来るという人が多いと分かっていたからです。それゆえ、観客が芸術作品を見せられているというより、自分達にきちんと語りかけてくれていると感じられるよう、努力していました。成功している人たちが皆、人一倍努力していることは間違いありません。名声は簡単に自然と手に入るものだと思っている人もいるでしょう。でもそれは違います。実際は、努力して手に入れるものなのです」

 

“壁”と“浮遊感”の活用

 

――今回の『ロミオとジュリエット』は、ヴィジュアル的には現代劇のように見えますが、どんなコンセプトだったのでしょうか? 

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

「まず私が興味を持ったのが、ヴェローナには“ジュリエットの家”が今でも存在し、その壁には愛のメッセージを残すことができるという話でした。手紙を壁に貼り付けたり、メッセージを書いたりすることができます。これを知ってひらめきました。“大昔の壁が、今では落書きの場になっている。このイメージを切り取って使ったら面白いに違いない”と。もともと私は、過去と現在が手を取り合うような場所を探していたのです。これが基本的なコンセプトです。

 

それから“壁”にも注目しました。ジュリエットの家の壁は、人々が恋愛やその他に関するメッセージを残す場所になった今も、“壁”であることに変わりありません。『ロミオとジュリエット』でも、主人公たちが壁を壊し、そして作り…。人々の間に存在する壁は、極めて敵対的なものの象徴です。これを表現するため、落書きで埋め尽くされた壁の一部をシンプルにイメージ化して使いました。この壁はかつてはとても美しいものの象徴でしたが、時とともにかなり破壊されたとも言えます。私はこれを現代的な美と置き換えます。

 

もう一つ私が表現したかったのが、可能な限り空気感を大切にすること。パーティーのシーンでは風船など空中に浮くもののイメージをとりいれることで、逃げるのではなく、重力に逆らって浮いている感覚を持っていただけると思います。この感覚はジュリエット的なものと言えるでしょう。人は常に壁があれば登り、又は風船があれば上に飛ばす、といった概念を表現しているのです。

 

――『ロミオとジュリエット』を上演するにあたり、最も重要なことは何でしょうか? 

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

「ひとつ言っておくべきことは、限りなく強い愛が必要であるという事実から逃れることはできないということです。半分ではなく、すべてを捧げる必要があります。こんなに疑いの余地なく断言できる作品は他にないでしょう。

 

シェイクスピアの作品には、他にも男女が愛し合う作品はもちろん存在します。コメディもあります。しかし2人の人間が愛し合い惹かれ合う力をこんなにも強く感じる瞬間は『ロミオとジュリエット』にしか存在しないでしょう。本作を上演する時には、アイロニーを完全に拭い去り、“ただ、上演する”のです。だからこそ、どんなに冷めた人間でもこの劇に感動するのかもしれません。

 

シェイクスピア劇はどの作品も、それぞれに個性的です。私たちはそれらが同じ作家によるものだと分かってはいますが、雰囲気も風景もまるで違うものが多いですね。

 

その中で、『ロミオとジュリエット』は喜劇、ロマンチック・コメディのように書かれていると思います。シェイクスピアの喜劇の中には例えば『十二夜』のように途中で少し暗い空気を帯びるものもありますが、本作に関しては、初めから悲劇として演じることはできません。生き生きとした若者の人生を演じなければならないのです。

 

そしてロマンチック・コメディのまま終わるのかと思わせて、最後の最後に悲劇がやってきます。途中までは、主人公たちの魅力やユーモアを見せることを恐れてはいけません。結局は悲劇になってしまうのですが、悲劇であることを意識しすぎないようにしました」


現代人にとってのシェイクスピア

 

――今の演劇業界において、シェイクスピア作品はどんな位置づけにあるとお考えでしょうか?

 

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

「確かに“シェイクスピア作品を繰り返し上演し続けることに意味があるのか?”という意見も耳にします。他にも作者、特に生存中の劇作家は多くいるわけですから。しかし、シェイクスピアは私たちが住む世界を創造したとも言えるため、シェイクスピアを無視することは、シェイクスピアが私たちに与えてくれた基本的なツールを無視し、それを理解しようとしないということになってしまう。例えば、シェイクスピアの作品に直接的には触れていない人でさえ、実際には物事の考え方において、気づかぬうちに彼の影響を受けています。

 

簡単に言うと、シェイクスピア作品には2つの相対する事象のバランスを描いた物語が多く存在します。そして相対する2つを一緒にした時に、新しいものが生まれます。例えば“生きるべきか、死ぬべきか”という有名な一節は、まさにバランスを問うものであり、生と死という2つの事象からの選択です。2つはまったく正反対のものです。この命題から私が考えるのは、“正反対のものからどのような新たな事実や真実が生まれるのだろう?”ということです。相対する2つのものの間で議論するという手法は、シェイクスピア作品の大きな特徴です。

 

シェイクスピア劇を見にいくよう人々に強いるべきだとは思いません。仕上がりが優れていなければ非常に退屈でしょうから。ただ、自分たちの住む世界を理解するための手段として、私たちが驚くほどシェイクスピアに恩恵を受けていることは事実です。だからこそシェイクスピア劇は何度繰り返し見ても、何度探究しようと試みてもいいものなのです。また多くの意味で、シェイクスピアの世界に広がる可能性のエネルギーは、新たな作家たちに希望を与えると思うのです。

 

シェイクスピアは各国で親しまれ、日本の人々も、シェイクスピア劇をまるで自国の作品のように感じています。シェイクスピア作品には、誰もが特別なつながりを感じられる何かがあるのです。英国人にとって蜷川幸雄演出の『NINAGAWAマクベス』は驚きでした。彼の解釈は、完全にシェイクスピア的でありつつ完全に日本的なのです。蜷川にしかできない演出でしょう。また、黒澤明監督の映画『乱』は『リア王』に基づいた作品ですが、これも非常に深い洞察力が発揮された名作です。このように、シェイクスピアは私たち皆にとってのミーティング・ポイントなのです」


言葉をめぐるあれこれ

 

 ――シェイクスピア劇は中世英語で上演されますが、現代英語の話者にとって、シェイクスピアの英語はどのようなものでしょうか? 

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

「忘れてはならないのが、シェイクスピアは物語を書きながら様々な意味で英国人のアイデンティティーも創出していたということです。シェイクスピアが登場するまで、詩といえばイタリア語かフランス語で書かれ、英語で書かれた詩はありませんでした。ですから私はシェイクスピア作品で繰り広げられる言葉の祝祭が大好きなんです。

 

日本でも言葉はとても大事なものだと思いますが、私の印象では、日本語は変化の速度がとても速い言語ですね。現代の若者が話す日本語は、20~30年前に私が初めて日本に来た頃から随分変わりました。女性も昔とは違う日本語を話します。言葉がとても大切だと思うのは、それがアイデンティティーの問題だからです。

 

私が興味を持っている作家で、最高に魅力的でありながら様々な意味で矛盾に満ちた日本人作家だと思うのは、三島由紀夫です。ご存じのとおり、三島はシェイクスピアや18世紀ヨーロッパ文学に造詣が深く、彼が育った時代の後、つまり戦後、復興を遂げつつあるこの国にとっての言葉の重要性を認識していました。今回上演する『ロミオとジュリエット』は、若者に言葉を返す手段だと思っています。“言葉を使ってこんなこともできるんだよ。言葉の可能性はすごいでしょう”と伝えたいですね」


――今回の舞台を日本の観客にどう楽しんでほしいですか?

 

「いい質問ですね。私は何年も日本で舞台作りに携わっていますが、日本の観客は大好きですよ。非常に思慮深い人々だと思います。日本のお客様ははっきり自分の考えを表さないという人もいます。それも真実ではありますが、それは日本の観客がよく考え、感じているからなのです。日本の観客は非常に深いところまで読み取り、うわべだけのリアクションは見せません。今回の舞台にも何らかの魅力を見出していただければと思います。

“言葉の音楽”としての『ロミオとジュリエット』

 

――今回は『Musical Theater Japan』という、ミュージカル専門ウェブマガジンでの掲載となります。ふだんミュージカルを中心にごご覧になっている読者に向けて、メッセージをお願いできますでしょうか? 

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『ロミオとジュリエット』(C)Carol Rosegg

「面白いことに、ミュージカルというものはシェイクスピア劇より後に生まれた舞台芸術なので、多くの点で『ロミオとジュリエット』のようなナレーションや語りのテクニックを借りています。私が“魔法」という言葉を使うのはそこなのですが、優れた劇を見ると、ミュージカルとまったく同じような旅ができるのです。作品を作る時に私が音楽をとても大切にしているのはそういう理由からです。

 

ミュージカルと同じような形で音楽を使うわけではありませんが、例えば私が東京で演出を担当した最近の3つの舞台では、すべて意図的に音楽を使いました。近松作品から三島の『黒蜥蜴』、そして音楽劇『道』に至るまで、演劇自体が観客を別世界へいざなうべきであるという考えに基づいてのことです。

 

演劇は淡泊なものではなく、ある種のマジックです。ミュージカルの魔法が好きな人は、(ストレートプレイの手始めに)『ロミオとジュリエット』から見ることをお勧めします。なぜなら『ロミオとジュリエット』は言葉の音楽だからです。とても美しい音楽です」

 

(文=松島まり乃)

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上映情報*松竹ブロードウェイシネマ『ロミオとジュリエット』7月12日~=東劇(3週間限定公開)、他なんばパークスシネマ、ミッドランドスクエアシネマなど全国順次上映 Facebook公式Instagram公式 

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