ハリウッド俳優ジョージ・タケイさんの実体験に想を得て、第二次世界大戦中に強制収容所に送られた日系アメリカ人たちを描くミュージカル『アリージャンス~忠誠~』。2012年カリフォルニアでの世界初演から9年、濱田めぐみさん、海宝直人さんらが出演する日本版が間もなく開幕します。
今回の公演で上演台本と訳詞を担当しているのが、高橋知伽江さん。『生きる』『手紙』等の脚本を手掛け、『アラジン』『ノートルダムの鐘』など海外作品も多数翻訳してきた高橋さんですが、本作については以前から、日本での上演を期待していたそう。今回、その実現に携わり、改めて感じた本作の魅力や“日本語化”の難しさ、稽古の様子など、さまざまなお話をうかがいました。
【あらすじ】カリフォルニア州サリナスでつつましく暮らしていた日系のキムラ一家は、米国が第二次大戦に参戦したことで家を追われ、強制収容所へと送られてしまう。日本人の“我慢”の精神で厳しい生活に耐えていたが、ある日アメリカへの忠誠を問う忠誠登録質問票が配布される。父タツオは不当な強制収容に反発し忠誠を問う質問にNOを貫く。一方、息子のサミーは入隊を志願することで米国への忠誠を証明しようとする。一家の母親代わりをつとめてきたサミーの姉ケイは、二人の間の溝に胸を痛めるが…。
もしかしたらブロードウェイ版を凌駕するほど
素晴らしい舞台が生まれそうです
――高橋さんは以前から本作をご存じだったのですか?
「私は個人的に日系アメリカ人の収容所体験のエピソードに関心を持っていまして、このテーマを取り上げた映画や井上ひさしさんの『マンザナ、わが町』も観ましたし、本作の映画館上映が日本で行われた時には、来日したジョージ・タケイさんの話も聞きました。強制収容の史実が忘れられかけている中で、ハリウッドで功成り名を遂げたジョージさんが子供のころの体験をどうしても伝えたいと思っていらっしゃる、その強い思いに胸打たれましたね。以来、この舞台を日本で上演すればいいなと思っていたので、今回、お声がかかって“ぜひ”とお返事しました」
――収容所内の出来事だけでなく、その外での出来事も織り込まれ、様々な観点が浮かび上がってくる作品ですね。
「場面数がものすごく多いですし、一つの場面の中でも収容所内とワシントンの情景が同時に描かれたりします。一つの家族の中にも様々な観点が生まれていて、そのどれか一つが正しいということではないんですね。戦争という大きな枠の中で家族の物語が描かれている点もいいなと思いました」
――この作品に、高橋さんはどの段階から関わられたのですか?
「まずプロデューサーから、“普通の翻訳ものより難しい問題があるのですが”と相談を受けました。一つには、言葉の問題です。本作には日系一世、二世が登場するのですが、彼らのアメリカに対する思いには、世代によってずれがあります。自分のアイデンティティをどうとらえるか、そこに大きくかかわってくるのが英語のレベルなのですが、サミーたち二世が米国生まれで英語には何の不自由もないのに比べ、一世のおじいちゃんはあまり英語がわからない。そこに、FBIがやってきて“日本の誰かと連絡をとったか”とまくしたてる…というシーンがあったときに、おじいちゃんの当惑をどう表現するか。FBIの台詞を日本語にしてしまうと、おじいちゃんには通じていないということがお客様にはわかりません。字幕を出すのも一つの手ですが、そうなると舞台の一部を明るくすることになり、舞台効果を損ないます。
さあ、どうしようかといろいろ相談し、最終的に、二か国語が飛び交う場面では二か国語で喋り、版元の許可を得て、台詞を調整することになりました。アメリカ生まれで英語がわかるケイがおじいちゃんに寄り添い、“なんでFBIが来たんだろう”と台詞を足したり、通訳をすることで、おじいちゃんの恐怖も伝わる…といった具合です。そうした試行錯誤をしながら台本を作っていきました」
――ブロードウェイ版ではどういう状態だったのですか?
「一世も英語は話しますが、冠詞がなかったり、“He My Son”みたいなたどたどしい英語という設定でした」
――ブロードウェイ版をアメリカのお客さんがご覧になった時と今回のバージョンを日本のお客様がご覧になった時の理解度が同じになるよう、工夫されたということなのですね。
「そこを狙いました」
――原語(英語)の歌詞には、何か特徴的なものはありますでしょうか?
「タイトルになっている“Allegiance(忠誠心)”はじめ、普通だったら歌詞に入れない言葉がたくさん登場する歌詞です」
――それをどう日本語の歌詞に転換してゆくか、ですが、文字で見ればすぐにわかるけれど音で聞くと紛らわしかったり瞬時には伝わりにくい、という言葉もあるかと思います。どのように言葉を取捨選択されたのでしょうか?
「確かに、はっきり聞き取るのが難しかったり、同音異義語が多くて紛らわしい言葉もあります。例えば“忠誠を誓う”などは歌詞に入れにくい言葉ですが、この作品においてはすごく重要で、避けて通ることはできません。今回は歌のうまい方が多いので、最終的には俳優さんたちが歌いこなし、(言葉の伝わりにくさを)克服してくださっています。サミーが歌う“男は”などはかなり表現しづらい部分のあるナンバーですが、海宝さんがきちっと表現してくれています」
――他に工夫を要した点はありましたか?
「本作には日系の方々だけでなく、様々な(民族的背景の)クリエイターが関わっているため、ブロードウェイ版の台詞の中には、日本人的には違和感を抱く部分がありました。
例えば、ブロードウェイ版では“石から石、山は移動できる”という日本語の歌詞があるのですが、日本人からすれば意味不明ですよね。そうした違和感が発生しないように、今回の日本版では演出のスタフォード・アリマさんと共同演出の豊田めぐみさんが相談し、日本人が自然に理解できるよう、微調整しています」
――稽古は大詰めかと思いますが、高橋さんは通し稽古もご覧になったそうですね。
「すごくわかりやすく、話の輪郭がはっきりしてきています。本作は場面数が多いし、話もあちこちに飛ぶので台本だけではわかりにくい部分があるのですが、それが整理されて、大きな戦争のうねりとキムラ家の出来事がうまくミックスされています。初めて見る方にもわかりやすいと思います。音楽がドラマチックなのでスケールの大きさを感じられますし、もしかしたらブロードウェイ版よりもいい舞台になってるのでは、と思えますね。日本の力を結集して作り上げることで、より作品の生命が強まったように感じます」
――日本人が演じることの意義が感じられるのですね。
「はい、特に渡辺徹さん扮するタツオや上條恒彦さん演じるおじいちゃんら、一世のキャストの人たちが素晴らしいです。移民してきて裸一貫から立ち上げてきたものが、戦争でいきなりもぎとられてしまう。そんな彼らの心情が、すごくリアルに伝わってきます。
本作には日本的な“我慢”の精神が一つのキーワードとして登場して、二世世代は“なんで我慢なんてするんだ”と反発していますが、一見ふがいなく見える一世の方たちが、これまで荒波に耐え、忍耐で乗り切ってきたその強さ、そのリアリティが、俳優さんたちを観ていると本当に感じられるんですよね。一世の気持ちも二世の気持ちもわかっていただけると思います」
――若者世代はいかがでしょうか?
「海宝さんが流石ですよね。親に対して反発しながらも深い愛情を持っていて、さらに過酷な収容所に送られた父親を解放するため、自分が激戦地に赴くんだというサミーの気持ちが、海宝さん自身のまっすぐさとともに、強く伝わってきます。
そして濱田(めぐみ)さんは、歌唱力が圧倒的なんです。弟が生まれたときに母が亡くなってしまったため、ケイは家族の母親代わりとなって自分を押し殺して生きてきた。どちらかというと一世寄りだった彼女が、愛する人を見つけて自分の人生を取り戻していく過程が(濱田さんが演じると)とてもドラマチックですし、いっぽうでは袂を分かってしまった弟をずっと待ち続け、(生前は叶わなかったけれど)最後に亡霊となって弟の前に現れる。その時に、ずっと彼女が弟を思い続けてきたということがものすごく伝わってきて、感動的です。海宝さん、濱田さん以外には考えられないキャスティングではないでしょうか」
――世代を問わず、広くご覧いただきたい演目ですが、高橋さんとしては特にどんな方にご覧いただきたいでしょうか?
「やはり若い世代でしょうか。日本の戦争体験はいろいろな形で語られていますが、アメリカにいた移民の苦労はあまり伝わっていないような気がします。先日も、バイデン大統領が日系人の強制収容について謝罪していましたが、この史実はあまり伝わっていない部分があり、だからこそジョージさんが、何としても伝えたいと思ってミュージカルという分りやすい表現形態をとったのだと思います。
実際、楽しいダンス・ナンバーも出てきますし、明日への希望を感じさせて終わりますし、観終わって爽やかなものを感じられます。それがミュージカルの良さなんですよね。“戦争がテーマだから”と引いてしまわず、ぜひご覧いただければと思います」
――コロナ禍ではクリエイターの方々も様々な影響を受けられたと思いますが、高橋さんは今、どんな思いを抱いていらっしゃいますか?
「関係者みな思っていることですが、予定通りに幕が上がり、そして下りることがどれだけありがたいことかを痛感し、原点に戻ったような気がします。
現場では“何が何でもこれを上演するんだ”という熱い気持ちを皆が共有していて、『生きる』の時も、“修行僧のようだね”と言い合いながら、一緒にご飯を食べることも、もちろん打ち上げをすることもなく舞台に臨みましたが、お客様に見ていただけるだけで幸せなんだ、と確かめ合うことができました。『アリージャンス』の現場も和気あいあいとしていますが、そんな中で“絶対にやり遂げよう”という強い意志があるのを感じます」
――オリジナル作品の創作に注力したり、オンライン公演を行うなど、新しい動きも生まれてきていますが、高橋さんは何か始めてみようとお考えですか?
「日本のミュージカル界は海外への依存度が高いですよね。日本のスタッフはもう少しオリジナルを作っていくことに積極的にならないといけないのではないかな、と改めて感じます。私はオリジナル・ミュージカルを書いている方だと思いますが、改めてその思いを強くしたというところでしょうか。
オンラインにもそれなりの良さはあると思いますが、劇場であの空気を共有する感動を知ってる身としては、劇場が原点だと思いますし、今のコロナの波が最後ではないのだろうと考えると、もっと国内でもオリジナルを作っていかないと、と活を入れられました。背筋の伸びる思いですね」
――若い学生さんたちの中には、いつかミュージカルを書いてみたいと思っている方もいらっしゃるかもしれません。何かアドバイスをいただけますか?
「私のところにも時々、ミュージカルを書きたいですという方からご連絡をいただきますが、自分自身はどうやって勉強しただろうと振り返ると、やはり稽古場の空気を吸った時間が貴重だったと感じます。私は劇団四季で浅利慶太さんの秘書として稽古場でお茶を出したり、使いっぱしりをしていたのですが、そこで現場の空気を肌で知ることができました。今、何十年ぶりかで思い出しましたが、浅利さんも、“劇作家は稽古場の埃の中からしか育たない、育てようとして育つものじゃない”とおっしゃっていました」
――ということは、何とかしてどこかの現場に入り込むこと、もしくは自分で劇団を作ってしまう、といったことが有効でしょうか。
「台詞というものは役者さんの肉体を通して表現されるものなので、役者さんをしながら書いてみるのは近道だと思います。役者さんでなくとも、スタッフとして“現場”を体感しながら、文字にしていくのはいいことではないでしょうか。日本のミュージカル界に作家の数は十分だとは言えないと思いますので、ぜひ挑戦してみていただきたいです」
(取材・文=松島まり乃)
*無断転載を禁じます
*公演情報『アリージャンス~忠誠~』3月12~28日=東京国際フォーラム ホールC その後名古屋、大阪で上演 公式HP