Musical Theater Japan

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『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』畠中祐インタビュー:SNS時代に刺さる「人間なんて一人じゃ生きていけない」

畠中祐 神奈川県出身。2006年に映画『ナルニア国物語』の一般公募オーディションに合格し、エドマンド・ペベンシー役の吹き替えで声優デビュー。2011年『遊☆戯☆王ZEXAL』の主人公・九十九遊馬役でTVアニメに初出演し、その後多数の吹き替え・アニメ作品に出演。2017年からアーティスト活動も展開している。音楽座ミュージカル『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』がミュージカル・デビュー作となる。


音楽座ミュージカルの旗揚げ公演で1988年に誕生し、長く愛されてきた『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』が、音楽座ミュージカルで久々に上演。筒井広志さんの『アルファ・ケンタウリからの客』を原作として、作曲家志望の青年とスリの女性の恋を、SF要素を絡めながら時にシリアス、時にユーモラスに描き、2020年にはシアタークリエでのライセンス上演も話題となったミュージカルです。

今回、主人公の悠介役を(小林啓也さんとのダブルキャストで)演じることになったのが、声優の畠中祐さん。1993年に悠介を演じた畠中洋さん、91年に佳代を演じた福島桂子さんの長男である祐さんは、お二人のDNAを受け継ぎ、どのように本作に取り組んでいるでしょうか。出演の経緯から作品の魅力、声優経験が生きていると感じる点、表現者としてのヴィジョンまで、たっぷりお話をうかがいました。

【あらすじ】作曲家を目指す青年・悠介は、遊園地の迷路でスリを生業とする佳代と出会う。恵まれない環境で育った佳代は夢を信じて邁進する悠介に心動かされ、悠介も佳代の純粋な本質に触れて惹かれてゆく。やがて悠介の作曲が認められ、二人はささやかな幸せを味わうが、佳代には、自分自身も知らない秘密があった…。 

『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』

超絶バランスが取れている“泣いて笑えるエンタメ”

 

――畠中さんは小さい頃から、この作品をご存じだったそうですね。

「物心ついた3、4歳ころから、舞台を収録した映像を観ていた記憶はありますが、僕にとって『シャボン玉~』と言えば、両親が歌っていた(劇中歌の)「ドリーム」。家の中で、よく二人でデュエットしていました。

昨年、高野菜々さんのコンサートで、ゲストとしてこの曲をデュエットすることになり、しっかり思い出さないと!と思って、母が佳代を演じた青山劇場公演のビデオを観たのですが、久しぶりに観た『シャボン玉~』は、えらく面白くて。ビデオでこれだけ感動するのだから、生で観たらすごかったんだろうな…と思いながら、音楽座さんの代表に“いつか『シャボン玉~』やらせてくれませんか”と申し上げたら、嬉しいことに今回、実現することになりました」

――特に作品のどんなところに惹かれたのですか?

「この作品は一見、王道な“ボーイミーツガール”ストーリーという気がしますが、そこにSF要素が入ってきたり、“ここで?”というところでコメディになったりと、ぐちゃぐちゃになりかねないことをやっているのに、超絶バランスが取れている…というのがすごいんです。まさに“泣いて笑えるエンタメ”なんですよね。

原作では悠介はもっとか弱くて“ちゃんとした”青年なのですが(笑)、二人が出会う奇跡という軸は舞台版と同じで、そこにコメディ要素が刺されまくっている。普通ならここに絶対入れない、というところに“誰の趣味?”というくらい入れられていて(笑)、攻めてるんです。普通ならこうなる、というところから外れていくのが面白くて、観ていると笑いながら泣いてしまうんです」

――共感する台詞はありますか?

「悠介の、“人間なんて一人じゃ生きていけないよ”ですね。僕は一人の時間も好きだし、むしろ一人になりたいときもあるけれど、振り返って、今まで何か一人で出来たことがあるかと考えると、いつも誰かに支えられていました。だからこの台詞に共感するのかな。

稽古でこの台詞を言う時には、いろんな記憶がフラッシュバックします。あの時さみしかったな…とか、あの人がそばにいてくれてよかったな…とか。だからといって“一人じゃ生きていけない”ということを佳代に強制するわけじゃないけれど、僕らは一人じゃないよね、ということは(この台詞を言うことで)彼女と共有したいな、と思います」

――佳代には、壮絶な児童虐待を受けていたという重い過去がありますが、そんな彼女と心通わせることができた悠介は、彼女の心の傷を直感的に悟っていたのでしょうか。

「それはわからないです。悠介としては、彼女がたとえ何か重いものを抱えていたとしても、それを覆い隠すほどの前向きさ、明るさにひっぱられ、楽しくなっている。ただそれだけな気がします。それが“波長が合う”ということなんじゃないかな。

後々、彼女の心の深い傷を知っていくことになるけれど、本当に好きだったら何でもできる、と信じているのでしょうね。普通なら引き受けきれないほどの“重さ”も超えていけるんだと思います。頭で考えるのではなく、体と心で考えている人なんでしょうね」

『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』稽古より。写真提供:音楽座ミュージカル

 

――2023年の今、この作品を上演する意義をどう感じますか?

「今の時代、SNSがあることで、誰もが“横のつながり”を感じやすいけれど、ふと“本当にそうかな?”と思うことがあります。例えば僕らはコンビニにイヤホンをつけたまま行って、カウンターに商品をのせて会計して帰る…ということができるけれど、店員さんが“いらっしゃいませ”と言っても聞こえていなくて、そこに会話は生まれない。それでいてSNS上では人と繋がった気になれます。

でも、本当に辛いことがあった時、何より嬉しいのは、誰かと手を繋いだ手のぬくもりだったり、背中をさすってくれる存在だったりして、それはSNSでは絶対に体験できないものなんですよね。そういうことを、この作品は思い出させてくれます。ここまでの悲劇はないよというくらい不幸な出来事もありつつ、ぬくもりを感じられるシーンもあって、僕ら人間はやっぱり時代を超えて、こういう奇跡を欲しているんだな、と感じられる。そういうことを形にしている点で、2023年の今、この作品を上演する意義があるんじゃないかな」

――声優として活躍されている畠中さんですが、生身での演技は今回が初めてですか?

「小劇場演劇に出たことはあります。僕は大学で演劇を専攻して、当時の友達が劇団をやっているので、そこの公演に週末に出させていただきました。

ミュージカルという点では今回が初めてです。やってみると、いや~もう~大変です(笑)。覚えることが多いし、タイミングも外しちゃいけませんし。ここでは自由度が高い瞬間もあるけど、ダンスや歌がある時には位置関係は決めておかないといけないし、迷路の中を走る時も、自由に走ったら皆さんにご迷惑になってしまう。覚えることが多いのが課題です。

でも、台詞から歌に入る時の演奏などは、僕らの気持ちに寄り添ってくださっていて、すごくやりやすいですね」

――アーティスト活動もされていますが、ミュージカルですと歌い方はかなり変わってきますか?

「ミュージカルでは、台詞の延長線上で歌うので、全然違います。アーティストとして歌う時は、こねるようなフェイクを入れるのが楽しいけれど、台詞の延長線上と考えるとそれはいらないと思えるし、フェイクって、英語との相性はいいけど日本語とはめちゃめちゃ相性悪いので、ミュージカルではきちっと、ストレートに歌うことを心がけています」

――声優のキャリアが活かせているな、という手応えはありますか?

「無いですねぇ(笑)。ただ、(特定の演出家を立てず)皆でお互い、演出しあうという音楽座ミュージカルさんのスタイルで稽古するにあたっては、声優経験は活きているかもしれません。

(声優の)収録現場では、速度がどう、声を上げて下げて、今どういう状況? このキャラクターにはどういう音が聴こえてる? 君の目的は何? と音響監督から矢継ぎ早に聞かれたり、リクエストされることがあって、それに瞬時に応えていかなければなりません。そういう経験があるので、今回いろいろな方からディレクションがあっても、混乱せずにいられているような気がします」

『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』稽古より。写真提供:音楽座ミュージカル

 

――佳代役の高野菜々さんとの相性はいかがですか?

「ご一緒していて、楽しいです。高野さんは最近『生きる』にも出演されていましたが、華がある方ですよね。(主演の)市村正親さん、鹿賀丈史さんと、自分で何かをしようとすることなく、自然にぽんぽん掛け合いできる、天性の溌剌さがあって感動しました。(エネルギーが)パンパンに詰まってる感じがします。今回、掛け合いした時に、高野さんとだったら何か生まれるんじゃないかなと信じられますし、僕も信じてもらえるよう頑張りたいです」

――畠中さんもパンパンに詰まったタイプですか?(笑)

「どうでしょう(笑)。でも、嘘はつきたくないという気持ちはあります。お芝居って自分でやることじゃなく人とやっていくものなので。自分がぱんぱんでもそれを相手のために使えないと意味が無いので、相手のために使いたいですね」

――キャッチボールの大切さは、名優と呼ばれる方々からしばしばうかがいます。畠中さんも既に、お芝居の本質を掴んでいらっしゃるのですね。

「ありがとうございます。声優の現場で、先輩たちから学ばせていただいたことです。

特に忘れられないのが、林原めぐみさんという先輩と『うしおととら』というTVアニメ(2015~16年)で共演させていただいた時。林原さんは“白面の者”という妖怪役で、収録の時に毎回、白いドレスを着て(妖怪と闘う主人公役の)僕の背中をじっと睨みつけていました。その時は、この人ちょーこわい…と思ってたけど(笑)、あの緊張感があればこそ、あの収録は出来たんです。こんなに強大な敵を倒しにいかないといけない、という空気を作るため、僕のためにやってくださったんですよ。

その林原さんに、“あなたは芝居の何が楽しいの?”と聞かれて、僕は、“相手の芝居から何かをもらって、本当に涙が出たり悔しくなったり、思ってもみないものが生まれてくることがある、そういう瞬間が楽しいんです”と答えたら“それは忘れないほうがいいかもね”と言ってくださって。以来、相手からもらったものに対して、噓なく返す、ということをお芝居する時に心がけています」

――今回、どんな舞台になったらいいなと思っていらっしゃいますか?

「この作品にはいろいろな要素がありますが、結局は佳代と悠介の物語だと思うんです。二人の間に化学変化が起こったら、あとはいいやと思えるくらい、僕と佳代の間に何かが起こるといいなと思っています。もう外側の形は見えてきているので、あとは内側の化学変化だと思うんですよ。それが起こるか、起こらないか。どう起こせばいいんだろうとも思うけれど、これさえできたら大成功だな、と思っています」

 

いろんな人生を体感する。好きな場所は、ここです

 

――プロフィールのお話も少しうかがえればと思います。畠中さんは小学生の時に役者志望をご両親に打ち明け、声優を勧められたそうですね。なぜ声優だったのでしょうか。

「体型に縛られないからだと思います。当時の僕はめっちゃ太ってまして、その状態でデビューしたら太った役しかできないよ、と言われ、声のお仕事のオーディションを教えてもらいました。声優の仕事を始めて、これは生涯をかけないと追いつかないなと思ったのでそちらに力を入れてきましたが、声優は“役者”という仕事の中の一つのカテゴリーであって、役者ということを怠ってはいけないなと思っています。それは芯として持っておきたいです」

――畠中さんの歌は歌詞が非常にクリアですね。やはり声の仕事での蓄積の賜物でしょうか?

「声優の専門学校に通ったわけではないので、最初は滑舌が悪くて、視聴者から“言葉が聴き取りにくい”という手紙をいただいたこともありました。現場に行っていろんな先輩に教えていただいたことが、知らず知らず役立ってきたのかもしれません。マイクの前の画面は平面だけど、その向こうには距離感があるんだよ…とか、いろいろなことを教えていただきましたね。

(芸を)盗むような器用さは無いので、先輩方を見ながら、“わぁ素敵だな、自分もこういうお芝居が出来るといいな”と思ったことを、感覚的に覚えていった感じです。僕の歌を聴いて歌詞を聴き取っていただけたなら、声優のお仕事に“ありがとう”という気持ちです」

――なぜ役者をするのか、ということについて、“自分を表現したい”という方、“自分でない何者かになりたい”という方、2タイプいらっしゃると思いますが、畠中さんは?

「いろんな人生を体感するのが楽しいんです。でもそのいっぽうで、(演技に)自分を使っているなと思える瞬間もたくさんあるので、両方なのかな…とも思うけれど、やっぱり自分を出そうと思っているわけじゃなく、演じるキャラクターの内面を表現するのに自分を使うということなので、やっぱり“いろんなものになりたい”という願望なのかもしれません」

――声優のお仕事、アーティスト活動、そして今回の初ミュージカルと、さまざまな夢を叶えてきた畠中さんですが、今後の夢は?

「それは小さいころから変わらず、死ぬまで…死ぬ一週間くらい前まで、このお仕事をやりたい、ということです。やり続けるって大変なことで、それくらい生き残りが厳しい世界だと思うんです。それほど、好きなんだなと思います、やっぱり。好きな場所はここだな、と思っています」

(取材・文=松島まり乃)
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*公演情報 『シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ』10月27日~11月5日=草月ホール、その後栃木、福井、愛知、島根、茨城、広島で上演。公演HP 

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