イスラエルの小さな町、ベイト・ハティクヴァ。ディナが切り盛りする食堂に、外国人の一行が迷い込んでくる。彼らはエジプトの警察音楽隊で、名前の似た町に行くはずが、間違ったバスに乗ってしまったのだという。途方に暮れる一行を数人ずつに分け、ディナは自分や常連客、従業員の家に彼らを泊めようと手配するが…。
言葉も文化も異なる同士が突然、交流することになる顛末を通して、人間の可笑しさ、哀しさを味わい深く描く『The Band’s Visit』。2018年のトニー賞で作品賞はじめ10部門を受賞したミュージカルが、森新太郎さん(『パレード』『ピーターパン』)の演出で遂に上陸します。
思いがけず音楽隊を迎え入れるイスラエル人たちの中で、クラリネット奏者のシモンらを泊めることになる男イツィックを演じるのが、矢崎広さん。昨年は舞台『鬼滅の刃』で“あの”国民的英雄・煉獄杏寿郎を見事に体現し、鮮烈な印象を残した矢崎さんですが、今回は一転、妻子がいながら仕事もなく、小さな町でくすぶっている人物を演じます。コメディでもあり、文学作品のような味わいもたっぷりの本作に、矢崎さんはどんな心持で取り組んでいらっしゃるでしょうか。
――まずは本作の第一印象からお聞かせ下さい。
「原作映画(『迷子の警察音楽隊』2007年)を拝見してから台本を読んだのですが、一読して戸惑いました。ブロードウェイで上演された時は、エジプトとイスラエルの人たちが片言の英語で喋っているという設定にコメディ要素があったようなのですが、それが日本語になってみると、どちらかと言えば静かなストーリーだし、ここでどういう笑いを作っていったらいいんだろう、と…。でもはじめに(演出の)森(新太郎)さんのレクチャーがあって、それから本読みをしてみんなの声を聴くことで、どんどん作品が紐解けてきました」
――今回は全部、日本語になっているのですね。
「そうなんですよ。ただ、内輪の会話をするくだりでは、イスラエル人はヘブライ語、エジプト人はエジプト語を喋ります。おそらくそこに字幕がついたりはしないと思いますが、何が起こっているかはわかると思います。例えば、エジプト人たちがやってきて、状況が分かった僕らがヘブライ語で“ペタハ・ティクヴァに行きたかったのに、ベイト・ハティクヴァに来ちゃったみたいだぜ”みたいなことをごにょごにょ喋るのですが、その後、結論的な台詞を日本語で投げかけるので、(お客様は)わかると思います」
――そうしたやりとりがコメディになってくるのですね。
「と思います。僕らは(イスラエルの)現地人として、“得体のしれない人たち”に対して一生懸命話しているだけですが、それが滑稽に見える瞬間はたくさんあると思います。それに対する(音楽隊の指揮者トゥフィーク役の)風間(杜夫)さんのリアクションも、真似しようにもできないくらい面白いです」
――本作は一泊二日という非常に短い時間における人間群像を描いていますが、二つの民族が出会うことで、小さなドラマがたくさん生まれますね。
「初めてプロットを伺ったときは難しくとらえたのですが、蓋をあけてみると、とてもハートフルな作品でした。キャラクターが(人生で)停滞していても、それぞれに一歩進んだり、希望が見えたり、“これでいいんだ”と思えたり。お客様もきっと共感していただける瞬間があると思います」
――矢崎さんが特に心動かされたのは?
「いっぱいありますが、イツィックとしてはやっぱり、シモンというクラリネット奏者が何十年もかかって出来なかったことが、このイスラエルの辺境の街で出来てしまうのを目の当たりにする瞬間ですね。どんなに頑張ってもできなかったことが、ひょんなことをきかっけに出来てしまうって、当人だったら泣いてしまうくらい、すごいことじゃないかな。そういうところに感動しました。
僕がプレイヤーという仕事をしているから、余計そう思えるのかもしれません。演出家や先輩に言われたことが、何年も経ってから“あれはこういう意味だったんだな”とわかることがあるんです。例えば、演出家の板垣恭一さんには若手の時に、プライベートなことから演劇の向き合い方まで指導していただいたのですが、その中で“今、わからないことは人生の「わからないボックス」に入れておけ。いつか開くから”と言っていただいて、とりあえずその教えを守っていました。そうしたら、ある時ふと、腑に落ちる瞬間があって。きっかけとしては、現場で後輩を迎えたことだったり、映像の現場で深夜まで撮影して脳みそが動いていない時にいい芝居が出来て、“力を抜く”というのはこういうことだったんだな、と納得できたこともありました。それまでまっすぐ前しか見えなかったのが、年齢を重ねることで視野が広がってきたのかもしれません」
――イツィックたちの前で妻イリスの父、アヴラムが亡き妻との馴れ初めを語るナンバーも素敵です。義父の歌に合いの手を入れるイツィクとしては、どんな心中でしょうか?
「あそこも本当に素敵なエピソードですよね。アヴラムが(亡き妻に)ダンスホールで出会ってひとめぼれをして、その時流れていた曲と自分の心臓が同じくらい高鳴っていたとか、あれは素晴らしい出会いだったと語れるって素敵だなと思います。奥さんが亡くなったことで、どんどん素敵な思い出になっているでしょうしね。何十年も前に抱いた気持ちを(昨日のことのように)思い出せたり、奥さんに対する愛情を持ち続けられるアヴラムは素敵だなと思います。
でも、イツィックとしては、たぶんそれまで何度もその話を聞いていて、“また言ってるよ~”という感覚ですね(笑)。お義父さんは(不満をためているイリスから)ある意味、僕をかばうようにあの話をしてくれて、僕はお決まりの合いの手をうって、とりあえず僕ら夫婦が“はい、仲直り”という流れになっているんだと思います」
――イツィックは仕事もせず子育てにも身が入らずということで、“負け犬”的な存在でしょうか。
「はじめに(ディナの食堂の常連客として)出てくるときは、ディナの賑やかし的に、“ここはつまらない町なんだよ”ということを呈示する一人ですが、“町がつまらないと言っているけどお前自身がつまらない人生を送っているんだよ”と突っ込みたくなるような男ですよね。妻子がありながら奥さんは(彼に対して)フラストレーションをためていて、家庭に戻っても居場所がない。つかみどころがないようで悲しい男だなと思います。
昔はきっと、お金持ちになりたいとか、子供の頃に登った木の上から見えた景色が広がる高層マンションに住みたいと思っていたのかもしれないけど、今は本当に小さな場所に住んでいて、思い描いた未来ではない。働いてもいない。負け犬のように見えるけれど、自分の中では“こういう幸せもあるんじゃないか”と思ったり、家族を思う気持ちもある。それが奥さんにうまく伝わってないのが問題だけど、“何とかなるさ”精神はある男ですね」
――そんなイツィックも、この一日を経験することで何かが変わる…?
「おそらく、最後にシモンに言う言葉がイツィックの全てなんじゃないかなと思っています。その台詞には、彼の人生観が凝縮されていて。それがイツィックの自信になっていくといいなと思います。
僕自身は、どういう暮らしであれ、家族がいればいいじゃないか、と思います。このコロナ禍で特にそう思うんですよね。世界情勢がどうなるかわからない、日本もどんどん物価高になってきている。何が起きるかわからない世の中だけど、家族や身近な人たちが元気で、前を向いて生きていければそれでいいじゃないか。イツィクの問題も、ポイントは結局そこなんだろうと思います」
――奥さんのイリスを大事にしなきゃ…ですね(笑)。
「大事には思っているのだろうけれど、その伝え方がちょっと不器用なだけで。そういうところを表現していけたらなと思っています」
――音楽的にはいかがですか?
「“The中東の音楽”と言う感じで、耳馴染みはないけれど、聴いてみると心地よくて、はまっています。一度聴いたらすごく耳に残ると思います。メロディラインがというよりは、楽器が特徴的なのかな。クラリネットだったり、独特の弦楽器が入ってきたり。楽団のカマール役の太田(惠資)さんも、バイオリンですごく使い込んだ音色を出されています。素敵だし、中東の熱さも感じられる音楽です」
――イツィックたちと音楽隊の間には、はじめそこはかとない緊張感がありますが、その背景にはイスラエルとアラブ圏の歴史的な対立があるようですね。
「稽古が始まる前に森さんからレクチャーを受けて、自分も歴史を調べてみたのですが、ものすごく前まで遡らないと関係性が分からないんですよね。もともとあの土地を制したのは誰だったのか、そこにモンゴル帝国がやってきてどういう影響を及ぼしたのかとか。第三次中東戦争が終わったくらいの時代設定なので、“こんにちは”と近づくだけで撃たれるかも、というところまではいかないかもしれないけれど、緊張感はあるかもしれません。前面に押し出しはしないけれど、そういう背景は把握したうえで表現したいですね」
――どんな舞台になるといいなと思われますか?
「お客様が抱えている悩みがちょっと開けるような作品になるはずですし、そういう方が多く生まれて、“また見たい”と思って頂けるようになればと思います。稽古で風間(杜夫)さんや濱田(めぐみ)さんのお芝居を観ていても、僕自身“とてもいいな”と思えるシーンがたくさんあるので、間違いないと思います」
――プロフィールについても少しお聞かせ下さい。矢崎さんは劇団ひまわりのご出身で子役から活動されていますが、芸能界に入るにあたってはどんな目標がおありでしたか?
「テレビで活躍している人たちを見て、自分もこうなりたい、目立ちたい、自分に対して挑戦したいと思って山形から上京しました。東京に出てきてから演劇というものに触れて、舞台も面白い、いっぽうでは映画やドラマの表現も素敵だなと思いながら今日に至ります」
――矢崎さんはミュージカル『テニスの王子様』はじめ、2.5次元ミュージカルでも大活躍されているイメージがありますが、2.5次元で得た一番大きなものは何だったでしょうか。
「2.5次元作品は、原作に基づいていて、ヴィジュアルが絵コンテのようにあるので、若い役者が取り組むうえで、イメージを作りやすいんです。原作を通して役作りということを勉強させていただけましたし、当時は熱血系とかスポ根系の作品が多かったので、若手の役者が上を目指して頑張る気持ちと、キャラクターの“全国大会を目指す”という気持ちをリンクさせて演じることができました。それが2.5次元ブームにも繋がっていったのかなと思っています」
――昨年の『鬼滅の刃』煉獄杏寿郎役では、見た目のフィット感もさることながら、芯のある歌声が舞台版ならではの感動を生んでいました。歌に関して、矢崎さん的に突破口となった作品はありますか?
「『ジャージーボーイズ』でしかないです。僕にとって歌で初めて挫折を味わった作品です。挫折と言うと大きすぎる表現かもしれないけれど、このままではいかん、もっとパワーアップしたい、俺がしたい表現に追いついてない、と自分を許せなかったのが『ジャージー』でした」
――『ジャージーボーイズ』はソロよりもコーラスが多いので、声を合わせる難しさがあったということでしょうか。
「中川(晃教)さん、藤岡(正明)さん、吉原(光夫)さんとご一緒したことが大きいです。経験値も力量も、この3人に俺だけが追いついてないと痛感しましたし、ダブルキャストが海宝直人さんだったというのも僕の歌の成長に繋がりました」
――以前、海宝さんへの取材の中で、『ジャージー』では例えば“ド”という一音にも幅があって、その中のどの部分のドで声を合わせるかが重要だった、とうかがったことがあります。
「それを教えてもらいました。ドの中にもレに近いドとシに近いドがあって、今はここのドだよと言われて、“…はい?”というところからスタートしました(笑)」
――そこで厳密に音の感覚を磨いたことで、今の歌唱力があるのですね。
「そうですね。とても厳しい現場でしたけれど、やりがいのある、楽しい作品でした」
――どんな表現者を目指していらっしゃいますか?
「僕はこれまで、2.5次元ミュージカル、今回のようなブロードウェイ・ミュージカルから吉本興業のコント公演まで、いろいろな挑戦をさせていただきました。これからもいろいろなジャンルに関わっていける、行き来できる俳優になっていきたいです。自分で(路線をこうと)決めず、とらわれず、でもいただいた機会にはちゃんと取り組む俳優が僕の理想だし、憧れです。これだけ舞台をやってきているので舞台が軸であることは変わらないかもしれないけれど、幅を広げていくためにもいろいろ挑戦していきたいなと思っています」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』2月7日~23日=日生劇場 公式HP
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