世界を震撼させた9・11(アメリカ同時多発テロ)の直後、行き場を失った38機の飛行機の乗客7000人を受け入れた小さな町の実話を描く『カム フロム アウェイ』。
12人のキャストが100人以上の人々(乗客、町の人々)を演じ分ける画期的なミュージカルの日本初演で、主にケビンJとアリを演じるのが、田代万里生さんです。
ケビンJは会社経営者のケビンTの秘書であり、恋人。いっぽうアリは、その風貌から皆に疑念の目で見られるイスラム教徒だそう。全く異なる境遇の二人を、そのほかの担当パート含め、田代さんはどう演じ分けているでしょうか。
独特の演出スタイルを体に入れ込みつつ稽古に励む某日、お話をうかがいました。
アリ役を通して思い出した、子どもの頃の気づき
――実際に稽古に取り組まれてみて、本作をどんな作品だと感じていらっしゃいますか?
「12人で紡いでいく、それもそれぞれにソロがあるというよりは常に100分間、パスを出し合っている作品ですね。しかも誰もシュートしないんです(笑)。ずっとパスを出し合っているイメージで、本当に緻密に作られています。
ですので、稽古をやっていても出番がないところがなく、休憩もできず(笑)、12人でずっと向き合っているという感じです」
――はじめに、本作が“9.11”を扱った作品であると聞かれた時にはどう思われましたか?
「全く想像がつかなかったのですが、作品名と、すごく素敵な作品だよということは聞いていました。テロが起きた時の、皆が目をそむけたくなるようなシーンがあるのかなと思っていたのですが、Apple TVで配信されているものを観ると、心の復興や自分と違うものを受け入れていく、共存していくという話でした。東日本大震災や今年の能登の地震、飛行機の事故もフラッシュバックし、初めて本読みをした時にも、こうした話をみんなとしました」
――田代さんは、“9.11”の頃は高校生くらいだったでしょうか?
「はい、第一報を聞いてTVニュースをつけ、ライブ中継で二機目が突っ込んでいくのを見ました。本作でも、この光景を“見た”というシーンがあるんですよね。
本作が特別だなと思うのは、演じる僕らにとっても劇場のお客様にとっても、大昔の話ではなく“現代のお話”であること。“9.11”の時の国際政治が現在に影響を与えていることを考えれば、国は違えど他人事とは思えませんし、リアルタイムであの事件を見た僕らがこの作品を演じること、観ることに意味があるなと思っています」
――他のキャスト同様、田代さんも複数のお役を演じますが、主に演じるのがケビン Jさんとアリさん。まずアリさんの方からうかがいます。“謎のイスラムの乗客”ということで、何かと肩身の狭い思いをする人物ですね。
「はい。僕が演じる役はケビンJが代表格となっているので、オファーをいただいた時は“ケビンJをお願いします”というお話でした。その時にプロデューサーに“なぜいろいろな役がある中で、田代万里生にケビンJをと思って下さったんですか?”とうかがったら、“ケビンJももちろんですが、実はアリを演じてほしいんです”と言われました。アリの孤独であったり、彼自身が変わっていく過程を見せてほしい、と。そう言われて“アリもすごく大事な役なんだな”と思いました。
日本に住んでいるとなかなかイスラム教徒、イスラム圏の方と関わることは多くはないと思いますが、僕の両親は音楽を教えていまして、僕が子供の頃、イスラム教徒の女性が毎週歌のレッスンに来ていたんです。
今回演じるアリはエジプト人ですが、その方のお父さんもエジプト人、お母さんが日本人。僕はその方に英語をマンツーマンで習っていた時期があって、子供ながらに、イスラム教の方々は、僕らと全然違う視点を持っているな、と思っていました。今回アリを演じることになってその方を思い出し、20年ぶりくらいに連絡をとったんです。その方はNHKワールドのアラビア語のアナウンサーもされている方で発音も美しいので、アラビア語の発音のボイスサンプルを、その方にお願いしました。
見えない差別であったり、僕らが何も思わないことでも彼女たちにはすごく気になってしまうことがたくさんあるのを子供の頃に見ていたので、僕らにとっての“当たり前”が、彼らにとっては違う。概念が違う。だからこそ誠実にその文化と向き合い、よく知っていかないといけないな、と思いました。
それはイスラム教に限らず、本作ではユダヤの人たちも出てきますし、自分たちの文化とは違う人たちを尊重したり、許してゆく。共存していくうえで、それはとても必要なことなのだな、と感じます」
――そしてもう一人のキャラクターが、ケビンJさん。浦井健治さん演じるケビンTさんの秘書兼恋人ですが、ややシニカルな発言が目立つのは、この事態の影響でしょうか?
「アリに関してはイスラム教徒の集合体のようなキャラクターなのですが、ケビンJは実在の人物です。ですが演出補のダニエルさんいわく、本作の作者たちはケビンTには取材したけれど、ケビンJには会っていないそうで、ミュージカルが完成した後で“これは僕のこと?”と彼から問い合わせがあった…というエピソードもあります(笑)。
ということで、本作では“ケビンTから見たケビンJ”像が人物像に反映されています。ケビンTが何かを言うと、それに対してケビンJが皮肉を言いますが、それはケビンT目線の表現なんですね。
もともと皮肉屋で悲観論者だったという面もあるかもしれませんが、ケビンTがカナダに着いてしまったことを受け入れ、現地の人たちと交流し始めるのに対して、ケビンJは“早く帰りたい”という気持ちが強すぎて交流しようとしなかったり、“Screech In”という、みんなが踊りだすようなご機嫌なナンバーでも“僕は帰る”と言って帰ってしまう。そこにはケビンTの視点が入っているとわかり、僕は腑に落ちたところがありました。また、彼は秘書兼恋人ということですが、ケビンJさんはジェントルマンな装いの方なので、ジェンダーを誇張したりはせず、シンプルに演じようかなと思っています。
こうした大きな出来事があると、様々な影響が生まれますね。安蘭けいさん演じるダイアンと石川禅さん演じるニックのように、被災地で思いがけない出会いをする人々もいれば、僕の知人に、東日本大震災の影響で離婚に至った方もいます。どこでも起こり得ることなんだな、と思います」
――音楽的には、田代さんにとっては初めてのフォーク系の音楽ですね。
「ケルティックな要素が強いです。基本的に、民族音楽的なパーカッションがビートを刻んでいる中で喋って歌って、時には歌と台詞が同時進行することもあって難しいのですが、パスを出し続けるという感じです。
リズム的にはそれほど複雑な構成ではありませんが、一つのフレーズをみんなで紡いでゆくので、フレーズの途中から入っていくのは難しいです。リズムというよりはケルティックの場合は“音色”ですね。民族楽器の音色が特徴的なので、管楽器とパーカッションだけでも日本ともブロードウェイとも違う音色です。
あと、ケビンJに関しては、高らかに歌い上げるということはなくて、今喋っている音域ぐらいでしか歌わないので、“歌”というよりは、台詞にメロディがついているね、という感じです。他にも管制官だったりガンダーの町民として歌うナンバーのほうが、がっつり歌うシーンがあります」
――現時点で、特にお好きなシーンや台詞はありますか?
「モリクミさん(森公美子さん)演じるハンナのナンバーに“I Am Here”というナンバーがあり、また本作の背景を描いたドキュメンタリー番組も“You are here”というタイトルです。これらのフレーズがこんなにも重い言葉なんだということを、この作品で初めて感じました。
何かが起こった時に僕らは(近しい人に)電話をして“私はここにいる”と伝えますが、それはつまり“生きている”ということなんですよね。
本作はポジティブに進んでいくシーンが多くて、音楽的にも日本人に好まれる“涙を誘う曲”は無いんです。この“I Am Here”も、演出家は“ポジティブに歌って下さい”とおっしゃっていますが、歌詞的にはとても哀しいものなので、モリクミさんが歌っている姿に強い印象を受けています」
――お稽古はどのようなご様子ですか?
「とにかく複雑で、しかも同じ動きを誰もせず、12人それぞれにフォーメーションがあります。一つのシーンを作るのにものすごく時間がかかりますが、初日まで1か月以上ある段階でかなり動きがつきました。作品によっては、その時点ではまだ稽古が始まっていないこともありますから、その点では恵まれていますよね。
個人的にはやはり、演じ分けが課題だと思っています。本当に瞬時に変わっていかなければいけなくて、帽子をかぶったらアリになるとか、ケビンTと一緒にいたらケビンJになるといった具合に、視覚的に分るところはありますが、視覚だけでなく僕自身の中での、心情の切り替えが難しいと思います。
ただ、他にも空港職員のドワイトとか、その他大勢を演じたりもして、お客様は一瞬“今の誰?”と思われるかもしれませんが、あまりそこは難しく考えないでも大丈夫な演出になっています(笑)。
僕も役者として、いつもは作り込もうとしますが、ダニエルさんが“この作品は緻密に作られているので、余計なことをせずにシンプルに演じたほうがぴたっとくる”とおっしゃっていたので、そぎ落としながら演じるということが課題だなと思っています」
――浦井健治さんのケビンTとはどんなカップルになりそうでしょうか。チャーミングなお二人だけに、甘え合うような⁈
「意外にそうではないですね(笑)。休憩時間には甘え合っていますが(笑)、役柄ではケビンTがケビンJにたじたじしている感じです。僕がTに圧の強いことを言ったりするので、Tは“ちょっと今、人前ではそれやめてよ”みたいなことがよくあるので、どちらかというと僕のほうがのびのびして、Tのほうはたじたじという関係性ですね」
――秘書なのに遠慮しない…?(笑)
「そこが個人的秘書でもあるゆえんです(笑)」
――どんな舞台になったらいいなと思われますか?
「いろいろな災害や事故からの“心の復興”であったり、“相手を受け入れる”という話なので、御覧になった方がまずは“あの時の自分はどうだったかな”と当時を思い出して、そこから今現在の自分に当てはめて、“自分は何が出来てきたかな”と思考していただけたら。
そして、この世の中、いつ何が起きるかわかりませんが、そういう時にこの作品を思い出して、その時の行動が何か変わる、そんなきっかけになったらいいなと思っています」
――ご自身についても少しだけうかがわせてください。最近、TVでお見掛けすることが多い印象がありますが、ミュージカルを広めようと意識されてのことでしょうか。
「特に意識しているわけではないですが、例えばご縁があってTV出演があると、僕の歌を聴いたことが無い方、ふだん劇場に来られない方からの反響がたくさんあり、その分母は劇場の反響のそれより大きくなります。
TVに出ることでまずは僕を知ってもらって、ミュージカルに来ていただきたいなということは昔から思っていて、急に思いが変わったわけではないのですが、そういう思いを持っている人を、 近年は積極的に番組が呼んでくださるようになったのかもしれませんね」
――スタッフのミュージカルに対する目も変わってきましたか?
「以前は番宣などでTVに出ても、スタッフさんがミュージカルを観たことがなかったりしましたが、今はいろんな現場で“あの作品を観ました”“今度出演されるあれを観たいんです”といった会話が生まれるようになりました。以前は映像ではアウェイ感があって寂しい思いをすることもあったけれど、今は嬉しいことに、ホームな感じを抱いています」
――ミュージカルがより広範囲に注目を集める中で、今後日本のミュージカルがこんなふうになっていくと素敵だなと思われることはありますか?
「僕があまりやったことがないのが和製ミュージカルで、もっとあってもいいなと思っています。海外ものだとどうしても制限というか、ある種のフィルターを通してみなければいけない部分がありますが、日本で作られればそんな必要がありません。最近少しずつ増えていますが、さらに増えて、“誰もが知る和製ミュージカル”が出来ていったらいいなと思います」
――例えばこのあたりの歴史や、この歴史的人物を演じてみたいといったアイディアはおありですか?
「僕はクラシック出身なので、オペラだと新撰組や夕鶴、歌舞伎の『修善寺物語』『俊寛』を扱った作品が思い浮かびますが、ミュージカルだと何がいいでしょう?
僕、学生時代は歴史に興味がない人だったんです。でもフランツ・ヨーゼフを演じたり、フランス革命の時代を生きたりといろいろな出会いがあって、ヨーロッパの歴史が自分の中でどんどん繋がり、面白くなりました。
でも日本の芝居はあまりやっていないので、日本史に弱いんです(笑)。ぜひ日本史通になれるような作品をやってみたいです! 大河ドラマでやっているようなものをミュージカルにするのも面白いと思いますし、朝ドラ系もありかもしれないですね」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報 『カム フロム アウェイ』日生劇場にて2024年3月7日~29日、その後大阪、愛知、福岡、熊本、群馬にて上演。公式HP
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