卒業はできなかったけれど、大学に入っていなかったら、今の私はない。
2005年、早稲田大学に入学した。
入学シーズンのキャンパスは、サークルの新入生勧誘でごった返す。
いまは廃止されてしまったようだけど、その頃は早稲田駅から正門までの商店街にサークルの立て看板が立ち並び、大隈講堂前の広場は入学式や説明会から出てきた新入生と勧誘する学生で溢れていた。
広告研究会、マスコミ研究会など、就職に強いと言われるサークルのブースには人集りができ、構内を歩いているだけで、勧誘のビラを山のように渡される。
特にやりたいことがなかった私は、子供の頃から歌とダンスが好きだったという理由で、たまたまビラを貰ったミュージカルサークルを見学に行くことにした。
早大ミュージカル研究会。通称ミュー研。
ミュー研が新歓をしている部屋に入ると、丸坊主に、眼鏡の男の人が、大きな目を見開いて迎えてくれた。サークルの代表であるその男は、正直、私が思っていたミュージカルの印象とは真逆の人だった。
私は、その丸坊主の男の底抜けに温かくキラキラした笑顔に導かれるように、ミュー研に入会した。
いくつかのミュージカルサークルの中で、ミュー研の特徴はオリジナル作品を上演することだ。
脚本も、作曲も、音源作りも、舞台に関わることはほぼ全て、ゼロから自分たちで作る。
殆どがミュージカルを始めたばかりの学生が作るものなので、当然出来上がる作品は既存の作品に比べたらショボくれたものになる。
『アベニューQ』や、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』など、かっこいい作品を上演している他のサークルが羨ましいと思うこともあった。
でも、ミュー研の面白さは、全員が必ずなんらかのスタッフワークを担当し、持ち回りでほとんど全てのスタッフワークを経験するところなんだと思う。
実際に上演される作品は厳正なる脚本決定会議で選ばれるのだが、普段の基礎稽古やワークショップでは、それぞれが脚本を書いたり、作曲をしたりもする。
一俳優、一スタッフとしてではなく総合的に舞台を作る、作品を生む、という感覚が自然と身につくのだ。
もうひとつミュー研の特徴として、OB・OGが立ち上げる派生団体が多かった。
はじめは演じることに興味があって入会しても、作品を生み出す面白さに魅了され、“自分たちの作品”を作りたいと思うようになるのだ。
私はその中の「劇団TipTap」を立ち上げた今の夫に誘われて、旗揚げ公演に参加した。
それが、今の私の生きる道だ。
いま、演劇業界では多くのミュー研出身の先輩方が活躍されている。
脚本家、演出家、プロデューサーなど、作り手となっている方が多いのも、ミュー研らしい。
頻繁にお会いすることはないけれど、彼らが作る舞台を観に行ったり、私たちが作る舞台を観に来て頂いたりした時に顔を合わせる。どこか懐かしい匂いを感じてしまう。
私たちがいま、オリジナル作品を作っているのは間違いなく、ミュー研で時を過ごしたからだ。
私たちがいま、舞台を作る時に大切にしているものは、ミュー研の時から何も変わらない。
幾つになっても青臭く演劇を作り続けられたら、幸せだと思う。
自分は何者になるんだろう。
同級生が就活を始めた頃、私は人生に思い悩んでしまった。
大学院を考えていなかった私は、いよいよ学生という枠から外れて、社会に放り出される時。
何者になるのか、何者になれるのかを決めなければいけないと思っていた。
自分の人生の道を見失い、そして、そのまま中退した。
あれから十数年。自分は何者なのか?
結局、いまでも分からない。
入学式に渡されたビラの山のように、私たちの人生にはいつも無数の出会いで溢れている。
その中からミュー研の扉を開いたように、丸坊主の男の笑顔に導かれて入会したように、心動く出会いを選び、自分の道を歩んでいきたい。自分は自分のままで。
未来のことは何も分からない。
ただ何かに出会うだけで、人生は豊かになるんだと思う。
(文・画=柴田麻衣子)
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