Musical Theater Japan

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『壁の中の妖精』観劇レポート:年月をかけて磨きあげられた“人生讃歌”

 

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『壁の中の妖精』撮影:佐々木重直

両手を大きく広げた男に向かい、銃口を向ける大勢の兵たち。フランスによる占領に抵抗するスペイン市民の処刑を描いたゴヤの名画『180853日』の幕を背景として、下手にピアニスト(上田亨さん)とギタリスト(細井智さん)が現れ、物語が始まります。 

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『壁の中の妖精』撮影:佐々木重直

吹き荒れる風の音に怯えながら、ソファの背から顔を覗かせる一人の少女。マリアという名のその子は、母一人子一人の家に育ち(と彼女は思っている)、母フリアーナが行商に行く間、ひとりぼっちで夜を過ごさなくてはなりません。心細さを募らせていると、どこからか歌声が聞こえてくる。誰なの?ママが言っていた“妖精さん”? 

 

彼の歌う歌、語ってくれる物語に勇気づけられ、いつしかマリアは踊りだす。妖精の正体が、フランコ政権の追っ手から逃れるため、壁の中に隠れた父マノーロであることを知らずに…。 

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『壁の中の妖精』撮影:佐々木重直

内戦の影響で30年間にわたり、想像を絶する忍耐を強いられた一家の数々のエピソードを、演者の春風ひとみさんはフリアーナと成人後のマリアが振り返る形で、歌や踊りを織り交ぜながら物語ります。夫の知人と称して訪ねてきた怪しい男とフリアーナの、腹の探り合い。成長したマリアが嫁ぐ日、壁の隙間の“妖精”から花嫁衣裳がよく見えるよう、わざとゆっくり回ってみせる姿。ついに恩赦がくだり、30年ぶりに家の外へと踏み出した時、自分の知る大地ではなく、舗装された固い道にとまどいを覚えるマノーロ…。 

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『壁の中の妖精』撮影:佐々木重直

様々な場面を時にスリリングに、あるいはコミカル、またある時は深い感慨を抱かせながら、一切の無駄を排して流れるように、生き生きと物語り、演じて行く春風さん。そこには歴史の荒波に翻弄されながらも、どうにかして支え合い、必死に生き延びようとした名もなき家族が、確かに存在します。とりわけ物語序盤、捨て鉢になった夫に自死だけは選ばせまいと、フリアーナが自身のセクシュアリティをもって“生きる”方へと向かせようとするくだりの艶やかさは出色。本作が明確に“生命讃歌”として位置づけられる瞬間です。また2幕頭のピアノ、中盤のギター・ソロも味わい深く、哀感に富んでいます。 

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『壁の中の妖精』撮影:佐々木重直

悲喜こもごもの物語を締めくくるのは、ある意味ファンタスティックな光景。人間の強い思いが起こす(のかもしれない)奇跡に心温まりながらも、年月をかけて練り上げられ、ドキュメンタリーとはまた一味違うリアリティを獲得した舞台に圧倒され、本作は決して今回が“集大成”ではなく、これからも演じ続けられるべきとの思いを強くした観客は多いのではないでしょうか。少なくとも春風ひとみさんの出演によって今一度、“演技というもの”の真髄を体感できる機会があるべきではないか。全国各地の公共劇場によるオファーや、8Kのような先端技術での映像保存が検討されてもいいのでは、と強く思われる舞台です。

 

(文=松島まり乃)

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*春風ひとみさんへの本作にまつわるインタビューはこちら