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『レ・ミゼラブル』観劇レポート:濃密にして疾走感漲る魂のドラマ

『レ・ミゼラブル』バルジャン(佐藤隆紀)、ジャベール(上原理生)写真提供:東宝演劇部

舞台を覆う、荒々しい抽象画。原作者ユゴーの筆によるこの画面から噴き出すように、重厚な管楽器の音色が響き渡り、そこに囚人たちの声が重なっていきます。「ああ、ああ…」。

 

刑吏の鞭に怯えながら船を漕ぐ彼らのこの第一声は従来、管楽器の響きと連続した重々しいものでしたが、今回はどこか違う。“いやだ、ああ嫌だ…”と心底疲弊し、投げやりに発せられる声が彼らの劣悪な環境を印象付け、そんな中で囚人の一人、ジャン・バルジャンは仮出獄を許されます。

 

妹の子のためにパン一つを盗み、19年間を獄中で過ごしたバルジャン。待ち望んだ外界も前科者には冷たく、心荒ませた彼は今一度、盗みを働いてしまいます。しかし銀の食器の持ち主である司教に庇われ、衝撃を受ける。この日のバルジャン役、佐藤隆紀さんはこの“独白”の場面で、憤怒と不信に支配された人間が神の愛に触れ、戸惑いながらも生まれ変わろうと決意するまでを、時に音符から逸脱するほどの激情を迸らせつつ体現。その緊迫感をキープしたまま、終幕までを生ききります。 

『レ・ミゼラブル』バルジャン(佐藤隆紀)写真提供:東宝演劇部

こうして生まれ変わったバルジャンが身寄りのなくなった少女コゼットを自身の子として育て、神に召されてゆくまでの長い旅路を、舞台は彼を執拗に追う警部ジャベール、遠方に預けた子のため零落するファンテーヌ、成長したコゼットと愛し合う学生マリウス、彼に思いを寄せるエポニーヌ、その両親で強欲なテナルディエ夫妻、マリウスの仲間で体制に反対する学生たちのリーダー・アンジョルラス…と、多彩な人々との関わりの中で描写。中央に集まった民衆が一個の生命体のように、音楽と一体化しながら歌う1幕冒頭の“一日の終わりに”に象徴されるように、キャスト全員が長大な物語を稀有な集中力、団結力で息つく間もなく見せてゆきます。 

『レ・ミゼラブル』アンジョルラス(小野田龍之介)写真提供:東宝演劇部

この日の新キャストの中で強い印象を残したのが、ジャベール役の上原理生さん。被差別民のジプシーを母に持ち、獄中で生まれたジャベールは何よりも“法”を重んじ、罪びとたちを捕え罰することで出世を果たした人物ですが、上原ジャベールはその背景にある劣等感や辛酸を表には出さず、絶対的エリートとして存在。法の逸脱者の象徴としてのバルジャンを捕える決意を語る“星よ”では、自らの正義を信じ切った力強い歌声に説得力があり、ステッキで宙を指す姿も輝かしく映ります。 

『レ・ミゼラブル』ジャベール(上原理生)写真提供:東宝演劇部

その彼がバルジャンに繰り返し“慈愛”という異なる価値観を見せつけられ、遂に屈してしまう。ジャベールの最後の選択については、忸怩たる思いと狂乱のあまり…という表現もありえますが、上原ジャベールの場合はあくまで自己矛盾を許せなくなったことによる当然の帰結であり、シンプルにして侍のような潔さをもった最期と映るのが特徴的です。 

『レ・ミゼラブル』コゼット(熊谷彩春)写真提供:東宝演劇部

またコゼット役の熊谷彩春さんは、伸びやかなビブラートが森林の野鳥のさえずりのように快活で、マリウスを魅了するに値する生命力を感じさせ、エポニーヌ役の屋比久知奈さんはマリウスの本を取り上げる粗雑なしぐさ等で、社会の底辺を生き抜くということの壮絶さを示唆。飾り気を削いだまっすぐな歌唱も役柄をよく表現し、そんな彼女が咄嗟に銃弾からマリウスを庇い、そのことを知られずに死んでゆくという結末にもいっそうの“無情”が漂います。 

『レ・ミゼラブル』テナルディエ(KENTARO)、マダム・テナルディエ(朴璐美)写真提供:東宝演劇部

同じく新キャストのマダム・テナルディエ役・朴璐美さんは喋りながらころころと声色を変える様に独特の凄みがあり、夫テナルディエについてあれこれと不満をこぼしつつも甘える姿が自然で色っぽく、歴代の中でも“女”を感じさせるマダム像。そしてアンジョルラス役の小野田龍之介さんは揺るぎない歌声の堂々たるリーダーぶりですが、どこか“青い”風情があり、援軍が無いことがわかってもなお“それでも僕らは怖がる市民を見捨てない”とバリケードに籠り続け、散ってゆく姿が痛ましい。 

『レ・ミゼラブル』アンジョルラス(小野田龍之介)写真提供:東宝演劇部

続投キャストの中では今回、三度目となるマリウス役を演じる海宝直人さんの緻密な歌唱が光り、特に“カフェ・ソング”の冒頭“言葉にならない 痛みと悲しみ”は台詞と歌を両立させた表現として、理想的と言ってよいほど。また学生仲間で酒浸りのグランテール役の丹宗立峰さんが、武器を持ち血気にはやる仲間たちをよそに酔いどれる姿に彼なりの参加理由をうかがわせ、名もなき民衆一人一人の人生を想像させます。 

『レ・ミゼラブル』バルジャン(佐藤隆紀)、ファンテーヌ(濱田めぐみ)、エポニーヌ(屋比久知奈)、マリウス(三浦宏規)、コゼット(熊谷彩春)写真提供:東宝演劇部

濃密にして疾走感たっぷりに描かれる物語は、バルジャンがコゼットたちに看取られながら息を引き取り、司教に促されて人々=死者たちの列に加わることで終着。その際のバルジャンの表情に深い感慨を覚えつつも、観客は“光陰矢の如し”と痛感せずにはいられないことでしょう。あっという間に過ぎてゆく人生の中で、私たちは何ができるか。“民衆の歌”の余韻の中で、ふつふつと湧き上がってくるものを感じ、家路につくことの出来る舞台です。

 

(取材・文=松島まり乃)

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