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『シルヴィア、生きる』平野綾×鈴木勝吾インタビュー:言葉に魂を込めた詩人たちの“最も幸福で、最も不幸せ”な愛

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載


30歳で夭折したアメリカの詩人・作家シルヴィア・プラス。その生涯で3度、彼女が試みた自殺の意味を、両親や夫テッドらとの関わりを辿る中で紐解くミュージカルが、2022年に韓国で誕生(脚本=チョ・ユンジ、作曲=キム・スンミン)。好評を博し、第七回韓国ミュージカルアワード大賞にもノミネートされた本作が日本に上陸、現在上演中です。

藤岡正明さんが自身のユニット以外では初めて演出を担うこの舞台で、主人公シルヴィアとその夫テッドをそれぞれ演じるのが平野綾さん、鈴木勝吾さん。どちらも詩人として豊かな才能に恵まれながらも、テッドは大成し、シルヴィアは女性ゆえの“壁”に悩まされ、それが深い愛によって結ばれたはずの二人の絆に影響を与えてゆくさまを丹念に描き出しています。

同じ“表現者”として、お二人が彼らの生きざまに思うこととは。稽古も佳境に入った某日、じっくりと語っていただきました。

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

――まずは作品に出会っての第一印象と、それが現時点でどう変化しているか、お話いただけますでしょうか。

 

平野綾(以下・平野)「私はこの作品のお話をいただくまで、シルヴィア・プラスさんのことをあまり詳しく存じ上げませんでした。

調べてみると、テッド(の意向)も影響しているのですが、シルヴィアが亡くなってから情報が伏せられていたこともあって、彼女がどういう人なのか、最近までわからなかったという事実があるんですね。

彼女についていろいろな説がある中で、この作品では、タイトルに“生きる”という言葉があるだけに、一番“こうあって欲しかった”というパターンが描かれてるんじゃないかな、と私は思っています。最初に読んだ時はやっぱり、“しんどいな、苦しいな”という部分が多かったのですが、演じて見ると逆に、これだったらすごく前を向けるなというか、いい終わり方をしてるなと思えるようになりました」

 

鈴木勝吾(以下・鈴木)「僕ははじめと今では、印象が逆になった感があります。

はじめは、タイトルの通り、シルヴィアの人生を大きな意味で肯定していくようなお話になるだろうなと思っていました。だけど、こうしてギリギリのラインまで(作品世界を)作ってみると、受け取り手によっては印象が逆になるんじゃないかと。

彼女の個性であったり、いろんなものが描かれているので、“私もそういうところある”としんどく感じる方もいらっしゃるだろうし、それでも強く生きていくんだと思える方もいらっしゃるだろうし。そういう“ギリギリの作品”になるんだろうな、という印象を今は持っています」

 

――お二人の印象はやや対照的ですね。

 

平野「私がシルヴィア役をやっているからかもしれないですね。彼女自身は最後に前を向けていると思います」

 

鈴木「周りの人だよね、問題は。彼女を客観的に見ていると、果たしてそんなに前向きに感じていいんだろうかと、疑問を持つ人もいるんじゃないかと思うんです。“こう生きていいんだ”ではなく、“こういうことにも気をつけましょう”という教訓もあるだろうな、と。

シルヴィア自身の目線で見れば、壮絶に生きてきて、最後に“それでも”という、希望のようなものが入っている感覚になるけれど、だからといって(この生き方が)全部OKと思うのは危ういぞ、と最後に問題提起されている感じがするんです」

 

――実在の作家がモデルということで、観劇前にシルヴィアやテッドの作品を読んでおいたほうがいいのか、迷っていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

 

平野「本作に“詩は私そのもの”というナンバーがあるくらい、彼女の作品は彼女そのものなんですよね。本当に“そのまんま”なので、読んでおくと話がよりわかりやすくなるだろうなとは思います。

でも、全然知らずに御覧になっても、彼女目線、あるいは逆にテッドに共感する方もいらっしゃると思いますし、客観的に観るには、何も情報を入れずに観るというのも一つの手だなと思います」

 

鈴木「僕も、知っているに越したことはないというか、知っていたらまた違う楽しみ方があると思いますが、知らないまま観ていただいて、作品に触れた後にまた観ていただくと、違う観方が出来て面白いと思います」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

――お二人は彼女の作品についてどんな印象をお持ちですか?

 

鈴木「シルヴィアとテッド、二人の作品を読んでいますが、僕自身も言葉を書くほうなので、“批評したくない”感覚があります。

二人は本作の中でもたくさん批評をされていて、それに一喜一憂していますが、結局言葉を書く人って、分かってほしいようで、分かってたまるかという思いもあると思うんです。

特にシルヴィアは時代的に、男女の格差があって、フラットでないところで生きるのはとても大変だったと思いますが、結局どういわれても嫌だったんじゃないかな。大衆に向けて何かをしたかったというわけでもないんだろうな、と彼女の詩からすごく感じます。この人はどうしてこういう風に書くんだろう、本当は何があったんだろう、ということに留めておきたいということだったのではないでしょうか」

 

平野「今回、この役を演じるにあたって、英文のものも含め、関連書籍をかなりいろいろ集めたんです。直筆で書いた手紙も残っているし、彼女、絵も描くんですよ。絵で賞を取ったりもしています。

彼女の作品を読んでいくと、そこには常に彼女らしさが光るポイントが入っています。あの時代にこんな表現ができる人はなかなかいないだろうというか、当時詩に求められていた美しさばかりではない、人間の醜い部分、エグい部分をすごくさらけ出しているんですね。

鈴木さんのお話ともちょっと被りますが、必ずしも全部分かって欲しかったわけでもない…というところのせめぎ合いだったのかなと思います。でも彼女が彼女らしく生きていく上で、このアウトプットが必要だったのだろうな、と。

彼女の詩を読むと、この鋭さは絶対お芝居に活かせるな、入れなきゃなと思います。(代表作の詩の一つ)『甦る女(Lady Lazarus)』などは“まさに”という感じなので、そこはかなり役作りに反映させているつもりです」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

――言葉を扱うお仕事という点では、詩人と共通するものがあると思いますが、その点で詩人の世界に対して共感はおありですか。

 

鈴木「ある方だと思います。僕自身はけっこう“動”というかフィジカルというか、体を使う作品をたくさんやってきましたが、そのなかでいろんなことに疑問や思いを持って、それを言葉にしながら生きてきたので、そういう意味での共感度は高いのかなとは思います」

 

平野「自分で歌詞を書いたり、声の仕事で言葉を扱っているので、言葉は“魂が宿るもの”だと思っています。伝え方によって、狂気にもなれば、希望にもなりますし、“言霊”だと思っています」

 

鈴木「わかるよ。シェイクスピアの(『マクベス』の)台詞の“綺麗は汚い、汚いは綺麗”ではないけれど、シルヴィアは生前は“こんな詩”と散々言われてきて、死後に“美しい、君の詩”と賞を与えられるって…しんどいよね。それなら(生前)苦しまなければよかったけれど…でも、人って苦しむものだよね」

 

平野「でもそんな、苦しみの蔓延(はびこ)った時代の中でも、シルヴィアにとって“あ、これだったら大丈夫、これだったら生きていける”と思うポイントが、本当に小さいけど、少しずつあるんですよ。そこを大事にしたいです。辛いばかりではなく、だから逆にここまでやってこれたんだ、作品を生み出せたんだという部分を感じられるようにしたいですね」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

-――本作では表現者というレイヤーの下の、“一人の人間”としてのシルヴィアやテッドも生々しく描かれていますが、そこへの共感はありますか?

 

鈴木「僕はありますね。今回の本は赤裸々に、夫婦関係を含め、シルヴィアが自分以外の外の世界と戦っているさまを描いています。自分から一歩外に出た自分以外のすべてとのせめぎ合い、それに対して共感はすごくあります」

 

平野「机の上で書いた自分の世界が外に飛び出していって、見知らぬ大勢の人たちにいろいろと批評される…その気持ちはなんとなくわかります。だから彼女を理解してあげたいと思う部分と、そこを理解できてしまうと、“あ、きついな”と自分でストッパーをかけてしまう部分もあって。

でも誰の中にもきっとシルヴィアはいるはずだし、いっぽうではテッドの気持ちもわかっちゃうんですよね」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

――シルヴィアはその生涯において、10年ごとに“死”を体験して(自殺を試みて)います。一般的にはちょっとわかりにくい行動かと思われますが、本作の世界を演じていらっしゃるからこそわかる部分はありますか?

 

平野「分かるといえば分かるし…」

 

鈴木「“演じているからこそ”という枕詞があるからいいね」

 

平野「シルヴィアにとっては、いろんなことをリセットする作業であって、ここから先どう生きるかをもう一回考え直す作業だから、悪いことではないと思っているんですね」

 

鈴木「戻ってくるつもりだしね」

 

平野「そうなんですよ。彼女は当たり前のように帰ってくるつもりで準備をしていて、結果的にそうなってしまいましたが、それほど生きたかったんだろうな、というふうに捉えています。死にたかったのではなくて、それだけちゃんと生きることに執着してたんだろうな、と」

 

鈴木「わかります。本当にやってしまうかは別にして、そのギリギリの心境は、特に今の時代、わかってくれる方がいっぱいいらっしゃると思います。でも“戻ってくるつもり”というのが、けっこう図太いですね(笑)」

 

平野「そうそう(笑)。あと、宗教観という要素があって、それを入れてしまうと全く違った見方になるので、韓国のオリジナル作品でこういった題材を扱うのはとても意味があったのだと思います」

 

鈴木「なるほどね。この作品は自殺を繰り返してしまったシルヴィアを描いているので、“死ぬ”部分が注目されがちだけど、“生きる”という言葉がタイトルについていて“生きるって何?”と考えさせられます。

目的とかロマンとか夢がないと“生きる”と称せないのが人間なのかな、と僕は思っていて、 動物みたいに食べて、寝て起きて子孫作って…ということではない。シルヴィアやテッドにとっても、生きながら死ぬか、死にながら生きるかみたいな話なんだろうな…。ただ生きていることは、彼らにとって死ぬことと同義だったのかもしれません」

 

平野「本当に、激しい一生ですよね」

 

鈴木「それがロマンでもあるんじゃないかな」

 

平野「彼女自身が生きづらい方、生きづらい方を選んでいるということもあると思います。そうしないと自分の表現ができなかったんだろうなと思います。何度も、自分の方が間違っているなら世界に迎合しようと思っても、やっぱり絶対それはできない。それは自分じゃないから…と」

 

鈴木「テッドにもそういうところがおそらくあったでしょうね。もし出来ていたら、二人はうまくいっていたと思う」

 

平野「足掻いた人たちなんだろうなと思っています」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

――音楽についてもうかがいたいと思います。バラエティに富んだ曲調ですが、歌われてみていかがでしょうか。

 

平野「曲が、とても多いんです(笑)。アリアっぽい曲から、ものすごい大ナンバーまで、ここ歌わなくてもいいんじゃない? というところでもずっと歌っています(笑)。

 

最近は男性軸の作品が多いので、これだけ女性が主人公でなおかつ歌わせていただける作品はなかなかない中でとても有難いのですが、150数ページある台本の中で、自分が出ていないページが一ページもないことに昨日気づきました。

 

そんな中で、音楽が絶妙なタイミングで入ってくるので、お芝居で進めずにあえてここで音楽を入れる理由をしっかり考えないとな、と思って歌っています」

 

鈴木「僕はほとんど歌わないので…」

 

 

――冒頭の第一声で鈴木さん、歌われていますよね。

 

鈴木「そうでした。それが一番難しいです。台詞でいいのにと思うけど歌うんです(笑)。

 

でもこのサイズの劇場でミュージカルってすごく楽しいな、と思いますね。ちょっとストレート・プレイに出ているような感覚です」

 

 

――その冒頭の第一声は、テッドではなく、シルヴィアの父親役として発しています。どんな父親でしょうか。

 

鈴木「(今にも)死にそうな感じでやってと言われています。死にそうで、厳格で、でも娘にだけ優しいという要素をバランスをとってやってほしいと。なかなかしっくりできないけれど、何度か“それそれ”と言われたことがあったので、あ、これぐらいがいいのかな、と。でもこの父親、妻にはやっぱりすごく当たりが強いですね」

 

平野「両方の役でね(笑)」

 

鈴木「そうそう(笑)。

でも、この作品、揉めたり傷つけ合ったりということが結構出てくるけど、それに対して“こういう夫いやだな、こういう妻いやだな”っていう結論、僕はあまり興味がないんです。他人がどう思っても、当人たちは幸せだと感じることってあると思うんです。

ハラスメントとかコンプライアンスという言葉が掲げられる今の時代だけど、人の人生を尊重するふりをして間違ったものを掲げていませんか?と思うので、この作品を見てもらって、これはダメだね、と決めつけるのではなく、自分だったらどうしよう、というところに回帰してもらえたらいいなと思っています」

 

平野「私もそう思います」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載

 

――藤岡正明さんの演出はいかがですか?

 

平野「私は藤岡さんと一度も共演したことがなく、コンサートで十年ぐらい前にご一緒しただけだったので、現場での藤岡さんの居方もそもそも知りませんでした。 

なので、最初どうすればいいのか全然わからなかったのですが、他のメンバーは藤岡さんと仲のいい方々が集まっているので、そこに乗っかろうと思っています。

一緒に仲良くさせていただきながらも、お芝居やるときは集中する、いいバランスを作ってくださってるな、と思います」

 

――演出について何か特徴を感じますか?

 

平野「やっぱりご自身が演じる方ですしアーティストさんなので、そこの観点はすごく強いなと感じますね。そういう目線もあるんだ、と気づかされるところはあります」

 

鈴木「僕は一度共演してて、その作品の幕(本番)は開かなかったのですが、その時を機に、藤岡さんの音楽イベントに呼んでいただいたり、プライベートでも仲良くさせてもらっています。その彼が演出するので面白そうと思ったのが出演のきっかけなので、なんでもポジティブに受け取ろうと思いながらやっています。

アーティストとしての個性もあるし、これまでやってきた作品だったり、価値観だったりがやっぱり演出には反映されるので、全部(感性が)合うわけではないかもしれないけれど、僕はマサさんのことを尊敬しているので、(彼が言えば)どんなこともトライしてみようと思っています」

 

『シルヴィア、生きる』©Marino Matsushima 禁無断転載


――どんな舞台になったらいいなと、現時点で思われますか?

 

平野「自分だったらどうなのかな、というところを考えてほしいです。

色々な見方ができると思うんですよ。シルヴィアが必ずしもただただかわいそうだったわけではなくて、シルヴィアにも原因があったりするので、そこは客観的に見てほしいなと思います。そして、自分ってどうやって生きているんだろうな、といったことを考えてもらえたらいいかな。

生きづらさって、その時代ごとに必ずなんらかの形であると思います。今、私たちが生きるこの現代にもいろいろな問題があるけれど、それでも生きて行くために、どうすればいいだろう、というところを考えられたら」

 

鈴木「なかなかヘビーな作品ではあるけれど、お客さんだけが喜んでくださったり、外からの評価だけよかった作品ではなく、今回の5人のキャストとスタッフとで、この作品に携われてよかったな、と思えるような作品にしたいかな。公演の一ヶ月を一緒に戦い抜いていけるように、残り少ない稽古でいろんなことを決めて、新しい発見をしていきたいです。それがお客さんにとっても新鮮な公演になっていくと思うので。

もう一回観に行こうと思ってくださった方がいた時に、この前より良かったと思っていただくには、おそらく俳優やスタッフが毎日新鮮に取り組んでいないといけない。皆でそういう作品にして行けたら、と願っています」

 

(取材・文・撮影=松島まり乃)

*無断転載を禁じます

*公演情報『シルヴィア、生きる』4月2~26日=中野ザ・ポケット 公式HP

*平野綾さん、鈴木勝吾さんのポジティブ・フレーズ入りサイン色紙をプレゼント致します。詳しくはこちらへ。

 

《プロフィール》

平野綾 愛知県出身。1998年からTVドラマやCM等に出演。2001年に声優デビュー。近年は舞台を中心に活動し、『レ・ミゼラブル』でエポニーヌ役、『レディ・ベス』でタイトルロール、『モーツァルト!』コンスタンツェ役をつとめる。音楽活動で世界各国のライブイベントに参加している。

鈴木勝吾 神奈川県出身。2009年に『侍戦隊シンケンジャー』で俳優デビュー。饗宴『世濁声』(よどみごえ)では初脚本・演出でも活躍。主な出演作品に、ミュージカル『憂国のモリアーティ』シリーズ、『翼の創世記』、『SPY✖FAMILY』、S-IST Stage『ひりひりとひとり』、『鋼の錬金術師』等がある。