
英国リヴァプールの貧しい家庭に生まれた双子。
一人は密かに養子に出され、エドワード(エディ)として何不自由ない暮らしを送る。
もう一人のマイケル(ミッキー)は、貧困の中でも生き生きと子供時代を謳歌するが、7歳のある日、裕福な身なりをした少年と出会う。
運命に導かれるように再会した二人は、同じ日に生まれたことを知り、〈ブラッド・ブラザーズ〉となるが、年月を重ねるにつれ、環境の違いが二人の絆を引き裂いて行き…。

ドラマティックな物語と郷愁を誘う描写が、時代を超えて愛され続けるミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』。1983年に世界初演、日本でも1991年以来、度々上演されている本作が、日澤雄介さんの新演出でシアタークリエに登場します。
本作の主人公の一人で、貧しい環境に生まれながらも幸せに向かって懸命に生き、ひょんなことから出会った少年エドワード(エディ)と固い絆で結ばれてゆくマイケル(ミッキー)を演じるのが、小林亮太さん、渡邉蒼さん(ダブルキャスト)。掘り下げた人物描写に定評のある二人ですが、今回のミッキー役ではどんな姿を見せてくれるのか。稽古も大詰めとなった某日、稽古直後の熱気の中で、たっぷりと語ってくださいました。

――まずはこの作品に出会われた際の第一印象から伺えますでしょうか。
小林亮太(以下・小林)「非常に人間的で、自分が今まで出演してきた作品とも違うミュージカルの質感のようなものを、歌や台詞からすごく感じました。
またミッキーは7歳、14歳…と年齢を重ねて行くのですが、これだけ一つの人生の長い年月を演じられることに、俳優として武者震いといいますか。怖いけどやりたい!と強く思いました」

渡邉蒼(以下・渡辺)「亮太さんと同じく、今まで読んだことがないタイプの脚本だなと思いました。ミッキーとエディが主人公ですが、主役である感じがしないというか。それに、ナレーターという役が特別な存在なんですよね。
今回、日澤さんが演出で強調されているのですが、僕らがナレーターに操られ、幸せなはずだった未来がだんだんと崩れていく…みたいな描写があって、そこがすごく面白いと思いました。ミッキーとエディは主人公でありつつ、この物語が思わぬ方向に向かうための“コマ”のようでとてもユニークだし、長年上演されている作品でありながら、すごく新しさを感じました」

――東山義久さんが演じているその“ナレーター”ですが、どこかミステリアスな存在ですね。主人公たちの運命を決定づける、リアルな人物のようでもあり、目に見えない神の意思のようでもあり…。今回はどのように登場されるのでしょうか?
小林「シーンによって、舞台上の登場人物には見えない“ナレーター”であることもあれば、色々な役を演じながら僕らに関わってくる存在でもあります。僕らに触れている時間と触れていない時間がある。(その二面性が)面白いですよね。
確かに“神の思し召し”を象徴しているようでもあるけれど、今回、演出の日澤さんは、いろいろな要素が作用する中でそれぞれの役が“選択していく”というところに重きを置いています。例えば誰かのある発言によって、ミッキーはある行動を促される。人生ってそんなふうに影響を受けたり、選択をするものだと、この“ナレーター”は示しているのかもしれません」
渡邉「この作品では、あることをきっかけに、ミセス・ライオンズとミセス・ジョンストンという二人の女性の間に、何か抽象的な“意志”のようなものが生まれます。僕は、それが“ナレーター”ではないかと思います。
ナレーターという存在は二人の“罪の意識”なのかもしれないし、“因果応報”(の概念)を具現化したものなのかもしれません。二人とも、過去を忘れようと生きるのですが、それをナレーターが“幸せにはなれないですよ”“そんなに簡単にはいかないですよ”と引き戻して行くんですよ。変な表現かもしれないけれど、どんどん“悪い方向へ正していく”ような感じなんですよね。“悪いレールに乗ったのだから、このまま悪いレールにあなたたちは乗るべきなのだ”と…。なので、ナレーターはミセス・ライオンズとミセス・ジョンストンの奥底にある黒いものが、具現化した存在でもあるのかな…と感じています。
あと、物語の終盤、ナレーターの台詞に、メタ(シアター)的な表現が出てきます。そこに落としこむためにナレーターが存在しているとすると、この構造は『エリザベート』のルキーニともまた違って、お客さまの視点も持ちながらも僕らに寄り添っていて、物語を動かしていく部分もあれば、選択させる部分もある。僕も、とても面白い存在だなと思います」

――本作はイギリス的な“階級社会”というものが大きな基盤となっています。日本で生まれ育っていると、わかりにくい部分もあるかもしれませんが、どのようにアプローチされていますか?
小林「稽古が始まって数日の段階で、翻訳の伊藤美代子さんが、初演の時にリサーチされたことを話してくださいました。イギリスの当時の雰囲気や、イギリスの中でも(本作の舞台である)リヴァプールの人たちの気質だったり。前向きで、ネガティブなことがあっても、それに屈せず進んでいける人が多いそうです。
僕個人のアプローチとしては、1960〜70年代当時の若者を描いた、『さらば青春の光』などの映画を観たりしています。
階級制度自体は確かに日本では馴染みのないものですが、例えば今の日本の現状を見ても、多くの方が生活の大変さを抱えていると思います。そういった日本でも感じ得ることを、キャラクターの感覚に結びつけているところです。だから、全く自分の中にないものを取り入れているということはないです」
渡邉「僕も同じです。もちろんいろいろ考慮しなければいけない歴史的背景はあるのですが、伊藤さんが共有してくださった(当時の)資料映像を見ると、階級の差はあれど、子供たちにはみんな子供らしい笑顔の瞬間があったり、そこでの人間関係が見えたりして、日本の子供達と変わらないなと感じました。
あと、本作でミッキーとエディが生き別れになった背景には、ミセス・ライオンズがなかなか子を授からないという事情があって、目を凝らせば僕らの生活のすぐそばにあるテーマから始まる物語なんです。そういうリアルさを自覚できれば、キャラクターそれぞれの痛みもちょっと近くに感じられるので、そういうところからアプローチしています」

――お二人は7歳からミッキーを演じ始めます。7歳といえば無邪気さど真ん中の年齢かと思われますが、この頃の無邪気さというのは、ご自身からももはや遠いものでしょうか、それともすぐに戻っていけるという感覚でしょうか。
小林「僕はそれを取り戻したいと思っています。20代前半の頃、僕は“すごく大人びてるよね”と言われることが多くて。落ち着いていたからなのか、物事を真面目に考えすぎたりする部分があったのだろうと思います。
でも僕がゆくゆくなりたいのは、真面目な大人ではなく、“ポンコツなおじいちゃん”(笑)。みんなが笑ってくれて、愛されるおじいちゃんになりたいので、25歳くらいから、どんどんポンコツになろうっていう計画を押し進めています。バカなところ、くだらないところも見せていこうと意識しているので、ちょっとずつ、子供の頃の無邪気さというのは取り戻せているかも。童心って元々、誰しも持っている感覚だと思いますしね。
もちろん7歳という設定なので、まだまだ無邪気さは足りないと思います。今の僕はまだムラがあって、何も考えずにどんどんアイデアを具現化できる時もあれば、真面目になってしまって全然アイデアが出てこなくなり、空回りする時もあります。今は遠からず近からず、7歳にアプローチしているという感じです」
渡邉「僕は今まさに、亮太くんがかつて“真面目だね”と言われていた時代のど真ん中にいまして(笑)、周りからは“真面目っぽいね”と言われるし、演出の日澤さんも、はじめは“エディの方が近いんじゃないか”と思ったそうです(笑)。
7歳の無邪気さということに関しては、“子どものフリ”をすることも出来るかもしれないけれど、遠回りかもしれなくても、(外側からそれらしく見せるのではなく)“芯”から、子どもというものを理解して演じたいなと思っています。
ヒントになるのは、関わる人たちとの関係性。ミセス・ライオンズに対して、迷惑をかけることをためらわなかったり、エディと親友になることがすごく簡単だったり。そういう行動の中に、子どもらしい良さ、魅力が散りばめられているので、“外側”の感情ではなく、“実感”を持って表現出来たらいいなと思っています。
子どもって、意外に鋭いところがあって、大人や友達のこともよく見ているし、大人よりよっぽどネガティブなものを抱えている子だっていると思います。細かい部分をヒントにして、ミッキーという子どもをよく理解した上で表現したいです」

――そんなミッキーの無邪気さはいつしか失われていきますが、それは年月につれて“次第に”でしょうか、それとも大きな挫折によるものだと解釈されていますか?
小林「2幕は14歳から始まるのですが、14歳ってまだ大人ではないですよね。僕の感覚では、ミッキーの中にはずっと無邪気さはあるのだけど、思春期に入ってだんだん、自由が効かなくなってくる。そこにストッパーがかかり始める。何かを言おうとしたときに、“これを言ったら恥ずかしいかな”とか“怒られるかな”とか、そういう“風船の紐を掴まれる”ような感覚に襲われる瞬間が、少しずつ増えていくのかなと思います。
更にその数年後、ミッキーの口から“知らないうちに俺は大人になっちまった”という言葉が出てくる背景には、エディが大学に行って、友達もいて、彼の階級の人生で充実した生活を送れているのを目の当たりにしたことがあるとは思います。
でも、その時ミッキーが本当に大人になっているのかというと、“まだ(無邪気さの中で)のびのびしていたいのに”という思いと葛藤しているんですね。“まあ、いいや”と納得していたらまた人生変わったかもしれないけれど、彼はずっともがき続けている。そこがミッキーというキャラクターの魅力でもあるんだろうなと思います」

渡邉「誰にとっても、自分より先に周囲や世の中が変わってしまうように見える時ってあるのではないかと思います。僕自身、10代後半から20代前半にかけて、自分が(周りから)一歩遅れて変わっていくような感覚、このままじゃダメだという感覚がすごくありました。
イギリスの不況も絡んで、ミッキーもそういうものに突き動かされていたと思います。自分は社会人なのにエディはまだ大学から帰ってきたばかりで、感覚に大きな隔たりが生まれてしまったことも、堪えたかもしれません。世の中が(勝手に変わっていって、周囲から自分の中にゴミみたいなものがどんどん放り込まれて大人になってしまった…というのが、ミッキーの視点なのかもしれません」

――エディという掛け替えのない義兄弟を得たことが、最終的に思いもよらない結末を招いていくのですね。
小林「そうならないよう、お母さんは何とか二人を会わせないようにしていたのにも拘わらず…ですね。一つの出会いから何が生まれるかはわからない。それが人間なんじゃないかな」

――『ブラッド・ブラザーズ』といえば、英国版の宣伝ビジュアルではいつも“がっちり組まれた二人の手”が中央にフィーチャーされていて、環境の違いを乗り越えて築かれるミッキーとエディの絆の強さが印象的に表現されています。今回のビジュアルでは、ミッキーとエディは手を繋いではいるものの、“がっちり”という感じではなく、どこか儚い空気が漂うように感じられます。
小林「今、思うのは、これまでこの作品を演じてきた方々に比べると、今回の僕らって、若い方だと思うんです。そんな中で、この年代の男たちのアンニュイさだったり湿度というものが、このポーズによって表現しやすかったのかなという気もします」
渡邉「舞台を観終わってもう一度このビジュアルを見ると、もしかしたらこのビジュアルに特別なものを感じていただけるかもしれません。お客様の心に重しを置くような、何かがあるような気がしています」

――お稽古はどんな段階でしょうか。
小林「両ペアとも粗通し(大まかに全編を通す稽古)を終え、今日からまた一幕に立ち返ってやっているところです。かなり深まってきた感覚もありつつ、だからこそ“そろそろ一回壊さないとな”と思いながら今日は稽古場に向かいました。
積み上がってきたからこそ、変に固まってしまった部分があるかもしれないし、本当にこれでいいのか見つめ直したいなと思いまして。
今回は、同世代の俳優が二チームでやるということを考慮して、昨日の通し稽古からは(相手のチームを)観ても観なくてもどちらでもいいという自由参加型にしてくださっているんです。いい影響を受けたいと思えば観てもいいし、観なくてもいいです、と。僕は動画を見て稽古を振り返るのですが、このシーンはどう繋がっているんだっけ?と理解できていない部分があったのが、全貌が見えた感じがしました。みんなで階段を登って来たけれど、この二日間で何段も登れた気がします。
そしてここからまた細分化して、本当にこれでいいのか…と一つ一つ確認している段階ですね」
渡邉「通し稽古は終わったけれど、カンパニー全体として本当にまだまだ進化し続けている感じがあります。お芝居がもう一度、大きく変わる予感があります。
キャストの皆さんそれぞれがキャラクターの深みをどんどん増していって、これからそれが混ざり合っていく時期なんじゃないかなと思います。
稽古初期ってやっぱり自分のことに必死で、相手と関わることで崩れるのを恐れて、個人プレーみたいな時間もあるのだけど、その段階が通し稽古で終わり、ここからはミッキー、エディーの関係性もどんどん深まっていくだろうし、深まれば深まるほど、お母さんたちは二人の仲を引き裂こうとするだろうし、リンダとの関係性もどんどん変わっていくだろうし…。
ここから溶け合っていけば行くほど、より複雑になって、爆発みたいなものが起こるかもしれません。これからもっと面白くなっていくんじゃないかなと思っています」

――日澤さんの演出には何か特徴的なものを感じますか?
渡邉「日澤さんは、ディレクション中に自ら演じて下さるんです。日澤さんの中には、登場人物たちが物語を強く動かしていくという感覚が強くあるのかもしれません。だから、日澤さんのディレクションを聞いていると、自分の中でミッキーがよりアクティブになっていくのを感じるし、舞台上にいる全員が本当に影響を与え合っているような感覚があります。特に僕は亮太くんのチーム(の稽古)を観ていて、誰が主人公というのは関係なく、全員が強い矢印としてぶつかり合っていて、その中心で起こる出来事が鮮明に浮かび上がってくる印象があります。人間関係の描き方が、とにかく強くて深いなと感じます」
小林「僕は(日澤さんが主宰する)劇団チョコレートケーキのお芝居を劇場で観させていただいたときに、登場人物の温度がすごく高くて、発する言葉も影響し合っているという印象を持ちました。
ミッキーに関して言うと、7歳の時の台詞は、一見、全部が全部大事ではないようにも聞こえるのだけど、実はちゃんと相手に投げ掛けていないと、相手の次の反応が変わってしまったりすることもあるんです。でも日澤さんは、どこで相手に言葉を渡すのか、どうやって相手に影響を及ぼしていくのかといった部分も丁寧に指示してくれます。
あと、日澤さんって、すっごいニコニコしながら稽古を観ていて、例えば7歳の(渡邉)蒼君と(島)太星君のシーンなんて、その場に一緒にいる子どもかのような表情で観ているんですよ。なのに、終わるとちゃんと指導する(笑)。
比較的台詞が多いミュージカルだと思うのですが、日澤さんは緩急のつけ方というか、楽しんでいい部分と、締めなきゃいけない部分を今の段階から教えてくださるので、すごく有難い、幸せな演劇の現場に居させていただいているなと日々、感じています」

――お互いのペアを観ていて、どう感じますか?
小林「(人は俳優のどこに惹かれるかについて)もちろん歌や芝居の技術ということもあると思うけど、僕は技術的な面より、その人を観ていて“ワクワクするかどうか”がすごく大事だと思っています。
僕は蒼君と太星君の“あおしまペア”を観ていて、すごくワクワクします。何が出てくるかわからないところがあって、二人とも、意図的ではないかもしれないけれど、一人が面白いところにボールを投げて、もう一人が頑張ってそれをとりに行っているかのような。その汗のかき方がすごく愛おしくて(笑)。稽古が深まってきた分、蒼君も僕らにすごく心を開いてくれていて、日に日に、蒼君ミッキーが可愛く、愛おしいです」
渡邉「昨日は僕らの粗通しだったのですが、終わった後に日澤さんが、こばやま(小林亮太さん&山田健登さん)ペアが“動”だとしたら、こちらは“静”だとおっしゃっていて、今日、こばやまペアの稽古を観ていたら、僕もすごくそう感じました。子供って“忙しいけれど疲れない”生き物だけど、彼らもものすごくアクティブで、7歳のシーンでは無敵感に溢れています(笑)。縦横無尽に感情が動いているので、18歳の時のシーンとの対比がものすごく大きいです。
(島)太星君とも話していたのですが、僕らのペアは、互いのコンプレックスみたいなものが影響して、どこか委縮しているというか、“言いたいのに言えない”“こうしたいのにできない”という部分が強調されたペアなのかもしれません。
もちろんこばやまペアにもそういうコンプレックスはあると思うけれど、それ以上に、街なかでキラキラしている子供を見つけた時の感覚というか、これで一日自分も頑張れるという感覚に近いものが、こばやまペアにはあると思います」
小林「(そういうふうに言ってくれて)嬉しい、頑張れる!(笑)」

――渡邉さんは『ダーウィン・ヤング』『デスノートTHE MUSICAL』、小林さんは『フランケンシュタイン』と、近作で胸抉るような表現を体験されていらっしゃり、だからこそ今回のミッキー役にも大きな期待が寄せられていると思いますが、ご自身の中ではそういった経験が生きているなと実感されますか?
小林「確かに今回も(精神的に)這いつくばるような、しんどい芝居が求められるところはあります。誰もが生きていくなかでしんどさを感じることはあるだろうけど、舞台で描かれるような(生きるか死ぬかというような、追いつめられた)しんどさというのは、なかなか現実にはないですよね。そういう演技を任せて貰えるのは、俳優としてありがたいと思いますが、正直、これまで演じた経験が生きているかはわからないです」
渡邉「こういう役を演じさせていただけるのはすごく嬉しいことです。いかにその苦しみ方が魅力的で痛々しいかというのが、すごく大事だと思うので、簡単には演じたくない、より複雑に役を創りたいという思いもあります。
僕は『デスノート THE MUSICAL』に出演した時、演出の栗山民也さんが(自分の中に)“引き出しなんて作るな。毎回新しいものをやるんだから”とおっしゃっていたのが、すごく印象に残っています。
もちろん、ダーウィン・ヤングや夜神月をやった時の技術的な部分が、困った時に一歩抜け出すためのきっかけになってくれるかもしれないけれど、最終的にはやっぱり、皆さんの想像を上回るミッキーになりたいので、これまでの経験は経験として、新しいものをお見せしたいという意識はすごくあります」
小林「確かに! 僕も、過去に出演していたあのキャラクターを思い出しましたと言われたら、敗北感というか、そういうふうに見えたのか~と思ってしまうかもしれません」

――では最後に、今回の『ブラッド・ブラザーズ』、どんな舞台になったらいいなと思われますか?
渡邉「ミッキーとエディの7歳から20代半ばまでの年月が描かれているのですが、どこか刹那的な彼らの人生を感じていただけたらと思います。
ラストで何が心に残るかは、お客様の捉え方によって本当にそれぞれだと思います。でも、登場人物全員がそれぞれ、幸せになるために頑張っていたことは感じていただけたらと思います。ただ幸せになるためだけに生きた、目の前にいる大切な人を幸せにするためだけに走り抜けたことを、皆様に届けられたらいいなと思います」
小林「僕らの役の子供時代や彼らの母親たちの台詞の中にお客様が自らを投影する場面もあると思いますし、蒼君も言っていたとおり、彼ら・彼女たちが生きていたということを、すごくリアルに感じてもらえたらいいなと思っています。
僕は、お芝居が心を豊かにする力があると思っているのですが、今回もただ物語を伝えるのではなく、お客様に作品の余韻を残して、ご覧になった方がいろんなことを感じたり、考えたりしてくださる…そんな舞台にしたいです。
そして2026年が終わった時に、“2026年、『ブラッド・ブラザーズ』良かったよな”と思い出していただける、心に残る作品にしたいと思っているので、ぜひ劇場へ足を運んでいただけたら嬉しいです」
(取材・文・撮影=松島まり乃)
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*公演情報『ブラッド・ブラザーズ』3月9日~4月2日=シアタークリエ、4月10~12日=サンケイホールブリーゼ 公式HP
*小林亮太さん、渡邉蒼さんのポジティブ・フレーズ入りサイン色紙をプレゼント致します。詳しくはこちらへ。